広報活動

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2010年2月17日

独立行政法人 理化学研究所
財団法人 高輝度光科学研究センター

鉄ナノ薄膜中の電子のスピンがらせんを描く起源を解明

-らせんの進行方向だけに存在する特殊な電子状態を初観測-

ポイント

  • 面心立方構造の鉄ナノ薄膜が示すスピンらせんの電子状態を軟X線で測定
  • らせんの進行方向とそれ以外の方向では、電子状態が異なる
  • スピントロニクスを駆使した次世代磁性体など、薄膜材料の特異現象解明に貢献

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と財団法人高輝度光科学研究センター(白川哲久理事長:JASRI)は、大型放射光施設SPring-8※1を活用して、面心立方構造※2の鉄ナノ薄膜が示すスピンらせん※3の起源が、らせんの進行方向にだけ存在する「平らなフェルミ面※4」によるものであることを、軟X線を用いた角度分解光電子分光※5により解明しました。この研究は、放射光科学総合研究センター(石川哲也センター長)量子秩序研究グループ励起秩序研究チームの辛埴チームリーダー(国立大学法人東京大学物性研究所教授兼任)と宮脇淳研究員、JASRIの大橋治彦副主席研究員と仙波泰徳研究員らの共同研究による成果です。

鉄は古くから道具として利用され、現代では磁性材料としても利用されている重要な金属元素ですが、ほかの物質とは違い、温度に対して例外的な挙動を示します。通常、物質は温度を下げるとより詰まった(密度の高い)状態になるのに対し、鉄は温度を下げていくと、911℃で面心立方構造からすき間の多い体心立方構造※2に変わります。こうした例外的な結晶構造の変化は、鉄の磁性と密接に関係していると考えられています。室温で得られる体心立方構造の鉄は、孤立した電子のスピンの向きがすべて同じ方向にそろうため、磁石です。一方、面心立方構造の鉄は、格子の大きさに応じてスピンの向きがそろったり反対になったりして、さまざまな磁性を示します。その中でも、「スピンらせん」という珍しい磁性を示すことがあると、40年も前から予想されていました。しかし、面心立方構造の鉄を常温で得ることが難しく、その物性はいまだによく分かっていません。

今回、面心立方構造を持つ銅の基板上に鉄の結晶を成長させると、ある膜厚(原子5層~11層)で面心立方構造の鉄ナノ薄膜が得られ、スピンらせんを示すという報告に基づき、軟X線角度分解光電子分光を用いて、8層(膜厚1.6nm:1nmは10億分の1 m)の鉄ナノ薄膜の電子状態を測定しました。その結果、スピンらせんの進行方向である薄膜の面直方向とそうではない面内方向では電子状態が異なること、特に、スピンらせんは、らせんの進行方向にだけ存在する「平らなフェルミ面」に起因していることを明らかにしました。

これは、特殊な構造変化をする鉄の複雑な磁性を本質的に解明する糸口となり、磁性体を電子状態の観点から理解するために大きく役立ちます。また、スピントランスファートルク※6を利用した次世代磁性体メモリの材料となる可能性も考えられ、応用面への期待も膨らみます。さらに、面内・面直の電子状態の測定は、単体元素だけでなく、酸化物などの薄膜試料で観測される特異な物性の解明にも役立つと期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』オンライン版(2月12日付け:日本時間2月13日)に掲載されました。

背景

鉄は、安価で頑強であることから、例えば鉄道、自動車、家電製品、建造物などに利用され、近年では、その磁性も活用してハードディスクなどの磁性体メモリの材料に使われており、身の周りに当たり前のように存在しています。そのため、鉄の特性が一般的なものであると思われがちですが、鉄はほかの物質と異なり、温度に対して例外的な挙動を示すという点で、特別な金属といえます。普通の物質は、温度を下げると体積が減少しますが、鉄は温度を下げて行くと、911℃で面心立方構造から体心立方構造に変化し、体積が増えます(図1)。この不自然な変化は、鉄の磁性が密接に関連していると考えられています。

室温で得られる体心立方構造の鉄は、孤立した電子のスピンの向きがすべて同じ方向にそろうため、磁石です。一方、面心立方構造の鉄は、格子の大きさに応じて、スピンの向きがそろったり反対になったりして、さまざまな磁性を示します。その中でも、「スピンらせん」という珍しい状態を示すことがあると、40年も前から予想されていました(図2)。しかし、常温で面心立方構造の鉄を得ることが難しく、その物性はいまだによく分かっていません。

ところが、2001年に、D. Qian(チャン)らの研究チームが、面心立方構造である銅の基板上に鉄の結晶を成長させると、ある膜厚(原子5層~11層)で面心立方構造となり、表面から3層目以下でスピンらせん(図3)になることを明らかにしました(Phys. Rev. Lett. 87, 227204 (2001))。その結果、スピンらせんを示す面心立方構造の鉄を角度分解光電子分光を使って測定し、スピンらせんの起源にせまることができるようになりました。

固体の磁性は、孤立した電子の持つスピンの挙動によって決まっています。固体中の電子は、低いエネルギー準位にびっしり詰まっている状態では、反対向きのスピンを持った2つの電子が対を作ることによって、互いのスピンを打ち消しあい、磁性には関与しません。一方、電子を低いエネルギー準位から順番に詰めていくと、電子が詰まっている部分と詰まっていない部分の境界(フェルミ準位)ができます。この境界近傍に存在する電子は、対を形成することができず孤立しているため、スピンが残って、その固体は磁性を持つようになります。従って、スピンらせんを持つ鉄ナノ薄膜のフェルミ準位の電子状態、すなわちフェルミ面を実験的に観測することができると、スピンらせんの起源を明らかにすることができます。

研究手法と成果

研究グループは、大型放射光施設SPring-8の理研ビームライン17SUで、軟X線角度分解光電子分光という実験手法を用いて、鉄ナノ薄膜のフェルミ面を調べました。従来の角度分解光電子分光では、照射するX線のエネルギーが小さいため、固体の表面の電子しか調べることができませんでした。比較的エネルギーの大きい軟X線を用いた軟X線角度分解光電子分光では、固体内部の電子状態を調べることが可能になります。この分光手法を活用することで、スピンらせんを持つ鉄ナノ薄膜の内部の電子状態を調べ、そのフェルミ面を観測することができるようになりました。また、軟X線のエネルギーを自由に変えられるという放射光の特徴を活用して、薄膜の電子状態を3次元的に観測し、3次元のフェルミ面を観察することに成功しました(図4)。取得したデータを詳細に解析したところ、このスピンらせんの進行方向である面直と、進行方向ではない面内ではフェルミ面が異なっていて、面直方向だけに「平らなフェルミ面」が存在することを明らかにすることができました。平らなフェルミ面は、そのフェルミ面同士を結ぶ方向とその長さ(図4の(d)矢印)に応じて、周期的な物性を発現させる性質があります。この方向と長さが、これまで報告されていた鉄ナノ薄膜におけるスピンらせんの方向と周期に一致したことからも、スピンらせんの起源は面直方向の平らなフェルミ面であるという結論に至りました。

今後の期待

今回の研究成果は、特殊な構造変化をする鉄の複雑な磁性の本質的な解明につながるもので、固体が持つ磁性を電子状態の観点からとらえて解明することに大きく貢献します。また、スピントランスファートルクを利用した次世代磁性体メモリの材料となる可能性も考えられ、応用面への期待も膨らみます。さらに、面内・面直のフェルミ面の測定は、単体元素だけでなく、酸化物などの薄膜試料で観測される特異な物性の解明に役立つと期待されます。

発表者

理化学研究所
放射光科学総合研究センター 利用技術開拓研究部門 量子秩序研究グループ 励起秩序研究チーム

チームリーダー 辛 埴(しん しぎ)
Tel: 0791-58-2933 (内線3370)

研究員 宮脇 淳(みやわき じゅん)
Tel: 0791-58-2933 (内線7949)

お問い合わせ先

播磨研究所 研究推進部 企画課
Tel: 0791-58-0900 / Fax: 0791-58-0800

(ビームラインに関すること)
放射光科学総合研究センター
軟X線分光利用システム開発ユニット
ユニットリーダー 大浦 正樹(おおうら まさき)
Tel: 0791-58-2933 (内線3812)

(SPring-8に関すること)
財団法人高輝度光科学研究センター 広報室
Tel: 0791-58-2785 / Fax: 0791-58-2786

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

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補足説明

  1. 大型放射光施設SPring-8
    兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その管理運営は理研およびJASRIが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来する。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、絞られた強力な電磁波のこと。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究を行っている。
  2. 面心立方構造、体心立方構造
    結晶構造の1種で、立方体の各頂点に原子が位置した立方格子(図1、青球)に加えて、各面の中心に原子が位置したもの(図1、緑球)が面心立方構造、立方体の中心に原子が位置したもの(図1、赤球)が体心立方構造である。面心立方構造では、面にある6つの原子が半分ずつ、計3個の原子が入っており、最も詰まった構造になっているのに対し、体心立方構造では、立方体の中に1つだけ原子が入っており、すき間の多い構造である。
  3. スピン、スピンらせん
    電子の持っている小さな磁石としての性質のことをスピンという。電子の自転によって生じていると考えられたことからスピンと呼ばれた。隣り合うスピンの向きがそろうと全体として大きな磁化を持ち磁石となるが、隣り合うスピンの向きが逆向きになると全体としては磁化を持たなくなる。また、隣り合うスピンの向きが回るようにずれて行き、らせんを描くようにスピンの向きが変わっていく状態がスピンらせんである(図4参照)。
  4. フェルミ面
    固体中を動き回っている電子の取ることができるエネルギーと運動量の関係を示した曲線をバンド構造と呼ぶ。鉄のような金属ではバンド途中まで電子が詰まった状態になっており、この詰まっている部分と詰まっていない部分の境界のことをフェルミ準位と呼ぶ。フェルミ面とは、このフェルミ準位近傍に、ある運動量をもった電子がどのくらい存在しているかを示したもので、3次元的な形状になる。
  5. 角度分解光電子分光
    物質に光を照射すると、電子が光のエネルギーを受け取って物質の外に飛び出すことがある。この飛び出してくる電子が光電子で、光電子の個数とエネルギーとの関係を調べることによって光を照射した物質の電子状態を調べる実験手法が光電子分光である。さらに、飛び出す光電子の角度ごとに光電子分光を測定する手法を、角度分解光電子分光という。この手法によって、バンド構造の観測が可能となる。
  6. スピントランスファートルク
    スピンの向きのそろった電子を磁性を持った物質中へ通す(トランスファー)ときに生じる「磁化の向きを回転させようとする力(トルク)」のこと。スピンらせんを持つ物質では、スピンらせんの向きによって電子の通りやすさが異なるため、記憶素子として利用できる可能性がある。

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面心立方構造と体心立方構造の図

図1 面心立方構造と体心立方構造

左側が面心立方構造、右側が体心立方構造の単位格子で、鉄は温度を下げるとよりすき間の多い体心立方構造へと変化する。

面心立方構造の鉄で予想されていた電子のスピンの状態の図

図2 面心立方構造の鉄で予想されていた電子のスピンの状態

面心立方構造の鉄では、格子の大きさに応じてさまざまなスピンの状態を示すと予想されていた。

銅基板上に成長させた8層の鉄ナノ薄膜のスピン状態の模式図の画像

図3 銅基板上に成長させた8層の鉄ナノ薄膜のスピン状態の模式図

過去の実験結果により、銅基板上に成長させた8層の鉄ナノ薄膜のスピンは、表面2層がスピンの向きのそろった状態に配列しており、3層目以下で面直方向に進行するスピンらせんが存在することが明らかになった。その周期は、2.6~2.7層である。

銅基板上に成長させた8層の鉄ナノ薄膜の面内・面直のフェルミ面の図

図4 銅基板上に成長させた8層の鉄ナノ薄膜の面内・面直のフェルミ面

(a)(b)実験的に得た面内・面直のフェルミ面の強度マップ。
(c)(d)強度マップから得た面内・面直のフェルミ面。
(d)の赤の点線で囲んだ長方形の部分が「平らなフェルミ面」で、スピンらせんの起源となる。長方形を結んでいる矢印の長さと方向がらせん構造の周期と方向に対応し、これまでの結果と一致した。

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