広報活動

Print

2015年9月29日

理化学研究所

社会的認知機能の巨大脳ネットワーク構造を解明

-大規模神経活動記録・解析技術により脳機能解明への道をひらく-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター適応知性研究チームの藤井直敬チームリーダー、ジーナス・チャオ客員研究員(自然科学研究機構 生理学研究所 特任助教)らの研究チームは、ニホンザルを用いて文脈[1]依存的な社会的認知機能[2]の脳ネットワーク構造を解明しました。

ものごとの意味は、自己や他者の振る舞いや過去の履歴、環境などの社会的な文脈によって変化します。例えば、ある人に対して誰かが怒っているシーンを見た後に、怒られた人が眼と口を大きく見開いている様子を見れば、その人は怒られたせいで恐怖を感じているのだと思います。一方で、事前にその人に対してサプライズパーティを仕掛けたシーンを見ていたとしたら、眼と口を大きく見開くという様子は、恐怖とは逆の“びっくり”と“うれしさ”が混ざった様子に見えると想像できます。ある1つのシーンの意味は1つではなく、見る者が事前にどのような文脈情報を得ているかによって、その意味は何通りにも修飾され、変化する可能性があります。こうした文脈依存的な認知のメカニズムは複雑で、脳の一部分だけではなく脳全体が関与している可能性が高いため、解明するには脳全体の情報の流れを精密に記録・解析し、その大規模なネットワーク構造を可視化する必要があります。しかし、こうした大規模情報を記録・解析する方法は、これまで存在しませんでした。

研究チームはECoG電極[3]という特殊な電極を用い、社会的認知課題遂行中のニホンザルの広範囲の大脳皮質から大規模な神経活動を記録するとともに、脳領野[4]間の情報の流れを計算して社会的認知に関係する脳領野間のネットワーク構造を可視化する技術を開発しました。その結果、社会的刺激に関する視覚情報を処理する領野間ネットワーク構造として、側頭葉[5]内を流れ、そこから前頭前野[5]に上がる4種類のボトムアップ系情報処理モジュール[6]と、前頭前野から側頭葉へ向かう1つのトップダウン系情報処理モジュール[6]の大きく分けて2つの系統があることが分かりました。また、最終的な情報の統合と修飾処理は、トップダウン系の情報処理モジュールによって行われていることを明らかにしました。

脳の情報処理が複雑なネットワーク構造によって行われているということは常識です。しかし、このようなダイナミックな情報の流れと機能のメカニズムについて、領野間をまたぐ複雑な認知機構を情報処理モジュール単位で捉えることで明らかにした例はありませんでした。今回の報告により、これまで不可能だった、ネットワークレベルで広い領域の脳機能を解明する道筋が開かれました。

本研究は、英国の科学雑誌『eLIFE』 オンライン版(9月29日付け:日本時間9月29日)に掲載されます。

背景

脳は領野と領野がつながる複雑なネットワークを構成しており、ネットワーク内で行われる情報伝達と処理によって統合的な認知機能が実現されていると考えられています。これまでの研究により、1つひとつの脳領野の働きについては調べてられていましたが、それぞれの脳領野間をまたぐ情報処理メカニズムについては、さまざまな技術的困難があり、明らかになっていませんでした。これを克服するには、広範囲の脳活動を高い時間解像度で記録する必要があります。また、記録された大規模データを解析し、その中から意味のあるネットワーク構造を統計解析によって客観的に抽出する解析手法も必要です。しかし、これまで、それを可能とする記録手法や解析手法は確立されていませんでした。

一方、脳内認知メカニズムの解明も、これまでは視覚や聴覚などの比較的単純な刺激に対する反応性を調べる研究がほとんどでした。さまざまな刺激や過去の履歴などが組み合わさった複雑な情報に関する認知機能の中でも、特に社会的な情報のように、前後の文脈の違いによって意味が修飾される社会的認知機能に関してはほとんど手付かずでした。社会的認知機能は脳全体のネットワークによる統合的情報処理によって実現されていると考えられることから、領野間をまたぐネットワーク的側面から理解する必要がありました。

研究チームは、これまでにない大規模神経活動記録・解析技術を開発することで、これまで解明されていなかった社会的認知機能を、ネットワーク機能という新しい側面から理解することに挑戦しました。

研究手法と成果

実験には3頭のニホンザルを用いました。ニホンザルの脳内硬膜下にECoG電極という特殊な電極を置き、社会的認知課題遂行中の大脳皮質の表面全体からの神経活動を記録しました。また、記録中の眼球運動を専用の装置で計測しました。具体的には、まず、サルの目の前にスクリーンを置き、画面に白いブランク画像を2.5秒表示させ、待機させます(待機期間)。次に、画面左半分に右を向いたサルを表示させ、右半分に①別のサルが威嚇している様子(Cm)、②ヒトが威嚇している様子(Ch)、③誰もいないブランクスクリーン(Cw)の3種類の映像をランダムに1.5秒間表示させることで文脈を認識させます(文脈刺激期間)。その後、画面右半分はカーテンで隠され、画面左半分に表示されているサルが①恐怖に怯える様子(Rf)、②何事もない平静な様子(Rn)の2種類の情動映像(3秒)を2分の1の確率で表示させ、文脈刺激後のサルがその画面を見てどのような反応を示すのかを観察しました(情動刺激期間)。。すなわち、前半の文脈部分3種類x後半の情動部分2種類=6種類(CmRf,ChRf,CwRf,CmRn,ChRn,CwRn)の刺激セットを提示しました。(図1

なお、サル本来の自然な社会的認知行動からデータを得るために、本課題遂行中には、スクリーンを見るよう強制はせず、行動と関連付けた報酬は与えませんでした。

社会的認知課題遂行中のサルの画面を見る眼球運動パターンは、3頭で共通でした。まず、文脈刺激期間には、画面の右と左の間を行ったり来たりするサッカード運動[7]が観察されました。その後、情動刺激期間には右側のブランクスクリーンをじっと見つめていました。このような行動は、CmRf=ChRf>CwRfの順で多く見られ、Rnの試行もしくはサルがモニターをきちんと見ていない試行(C-)では見られませんでした。つまり、この行動は「威嚇を受けて恐怖に怯える」という文脈的に意味が通るRfの試行(C+)時に特有の行動であることが分かりました。

このような文脈依存的な行動が見られた時の脳内128点のECoG電極から記録された神経活動を、まずIndependent Component Analysis(ICA)[8]と呼ばれる手法でコンポーネントに圧縮しました。その後、ICAの各コンポーネント間の情報の流れを計算するために、direct Directed Transfer Function(dDTF)[9]という手法を用いました。このdDTFによって、どのコンポーネント間をどれくらいの情報が、どの周波数を介して、どちらからどちらへ流れたかが分かります。これをさらに、課題条件ごとに課題内のイベント時間によって並べ、標準化することによって、Event Related Causality(ERC)[10]を計算しました。

次に、ERCを6種類の文脈間(情動刺激2種それぞれに対する、文脈刺激3種間の違い:計6種類)の比較と、3種類の情動間(文脈刺激3種類それぞれにおける、情動刺激2種間の違い:3種類)の比較を行い、どの条件間の、どの時間帯で、どの周波数帯にコンポーネント間の情報の流れに有意な差があるかを示す差分(⊿ERC)を計算しました。ここで得られた解析結果を3次元のテンソル[11]に配置し、PARAFAC[12]という解析手法を用いて、各条件特有の隠れたネットワーク構造を抽出しました。その結果、5つの明瞭なネットワーク構造(S1-5)が抽出され、その特徴は3頭のサルの間で非常に似通っていました。図2に示すのはS1とS2の構造です。S1は3つの文脈情報を完全に区別していましたが、情動情報は区別していませんでした。S2はそれとは逆に、情動情報を完全に区別していましたが、文脈情報は区別していませんでした。これら2つの構造は、側頭頭頂連合野から側頭葉の先端へと向かう60ヘルツ以上と30ヘルツ以下の2つの周波数帯域の情報の流れとして観察されました。

図3には、残りの3つの構造の特徴が示されています。S3はS1と似ていて、文脈情報の区別はしていますが情動情報の区別はしていません。ただ、文脈の区別の仕方がより抽象化され、威嚇しているのがサルかヒトかを問わず「威嚇されたか、されなかったか」のみを区別していました。S4はさらに抽象化が進んだ反応性を示し、「威嚇されたか、されなかったか」に加えて、S2でみられた情動情報の区別が付け加わった形の条件区別をしていました。S3、4ともに、頭頂連合野から側頭葉前方へ向かう流れと、両者から前頭前野に向かう30ヘルツ以下の情報帯域の流れとして観察されました。

最後のS5は、より抽象度が上がり、文脈と情動表現の組み合わせによって表現される6つの文脈依存性の社会的視覚刺激を俯瞰し、はっきりと区別していることが分かりました。このS5はS1-4までのボトムアップ的な情報の流れとは異なり、前頭前野から側頭頭頂連合野と側頭葉前方へのトップダウンの30ヘルツ以下の周波数帯域の情報の流れとして観察されました。

これらのS1-5の構造間の相互依存関係を調べてみると、図4に示すようにS1からS5に向かう異なるネットワーク構造が、相互に依存する連鎖状の情報処理経路があることが分かりました。この構造と構造をつなぐ連鎖反応によって、複雑な情報が整理・統合され、社会的文脈依存的な認知と行動の変化が引き起こされていると考えられました。

今後の期待

これまでの認知神経科学では、特定の認知機能を明らかにするために長期間のトレーニングを実験動物に強いて、実験動物が極めて自由度の低い実験環境で、繰り返し同じ課題を行っているときの「狭い脳領域の脳機能」を研究してきました。それは、高い再現性を確保するために必要だったからです。しかし、社会的認知機能のように、サルの主観的な情報統合、つまり試行ごとに異なる「一回性[13]」を持つ認知メカニズムを研究対象とする場合には、サルの行動の自由度をできるだけ制限せず、サルが本来持っている自然な社会的認知処理が行われている条件下での神経活動を客観的に記録・解析する必要があります。

本研究で開発した大規模神経活動記録・解析技術は、特にサルへのトレーニングを必要とせず、サルが本来持っている社会的認知機能を対象とし、そのネットワーク構造とその生理学的意味を明らかにすることに成功しました。

今回の研究のように、大規模神経データを対象とし、さらに実験動物本来が持つ脳認知機能をネットワークレベルで解明できれば、今後、より高次な認知機能の解明や、その障害による認知機能異常の仕組みをこれまでとは異なる角度から明らかにできると期待できます。さらに、薬物投与や脳内刺激などの介入実験を組み合わせ、その影響をネットワーク機能の変化という視点で理解できれば、これまで明らかにされていなかった社会性精神疾患の病態や治療法の開発につながると考えられます。

原論文情報

  • Zenas Chao, Yasuo Nagasaka and Naotaka Fujii, "Cortical network architecture for context processing in primate brain", eLIFE, doi: 10.7554/eLife.06121

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 適応知性研究チーム
チームリーダー 藤井 直敬 (ふじい なおたか)
客員研究員 Zenas Chao(ジーナス・チャオ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
お問い合わせフォーム

産業利用に関するお問い合わせ

理化学研究所 産業連携本部 連携推進部
お問い合わせフォーム

このページのトップへ

補足説明

  1. 文脈
    一般に個々の語または文に関係する前後の文章の流れを指す。同じ情報の意味が、前後の情報によって修飾されうることを文脈依存的であると言う。
  2. 社会的認知機能
    各個人の意思決定は、自分をとりまく社会環境の変化、とりわけ他者の行動によって強い影響を受ける。そのような社会環境下での認知機能は、社会的要素を取り払った実験環境下の認知機能とは異なっていると考えられる。
  3. ECoG電極
    ECoG電極は、大脳皮質表面に留置されるシートタイプの低侵襲型電極で、脳内の多点から神経活動を同時に記録することが可能である。記録可能な神経活動は、各電極周辺の神経細胞活動を足し合わせた情報(フィールドポテンシャル)で、電極周辺の の神経細胞集団の活動を反映していると言われている。
  4. 脳領野
    脳は、解剖学的、機能的に異なる部分に分類することができる。その個別の部分を脳領野と呼ぶ。分類の仕方によって、名称や境界は異なっている。
  5. 側頭葉、前頭前野
    側頭葉は側頭部にある大脳皮質の一部位。 高次視覚情報処理や聴覚情報処理を中心として行っていると考えられている。前頭前野は大脳皮質の前部の領域。一般に行動計画、問題解決に関連すると考えられている領域で、社会性や複雑な価値判断にも関連するとされている。
  6. トップダウン系情報処理モジュール、ボトムアップ系情報処理モジュール
    脳領野は、それぞれ特有の機能をもつモジュール性を持つと考えられている。この領野間を繋ぐことで構成されるネットワークは、その繋がり方によって、単一のモジュールが持つ以上の無数の情報処理機能が実現されると考えられる。一般に視覚情報処理は網膜から始まり後頭葉、側頭葉、頭頂葉を経て前頭葉に登るボトムアップの情報処理と、それに基づく前頭葉から各連合野へと伝わるトップダウンの情報処理のしくみがあると言われている。
  7. サッカード運動
    眼球運動のうち、急激に視線の位置を変える運動をサッカード運動という。
  8. Independent Component Analysis(ICA)
    独立成分分析:多変量のデータを複数の加算的な成分に分離するための方法。
  9. direct Directed Transfer Function(dDTF)
    2点間の情報の流れを、その方向性と合わせて計算する方法。情報の流れを、間接経路の影響を排除した直接経路分だけを抽出することが出来る。
  10. Event Related Causality(ERC)
    上記の情報の流れを、課題の中のイベント時間で並べることで、課題イベント前後の情報の流れの変化を見ることが出来る。
  11. テンソル
    物理学や工学で使われる線形的な量または幾何概念を一般化したもの。本研究では3次元配列のテンソルに異なる解析の結果を配置し特徴的な構造を抽出した。
  12. PARAFAC: Parallel Factor Analysis
    多変量解析手法の一つ。大量の多次元データの中から特徴的な構造を抽出するための方法。
  13. 一回性
    科学的な実験では統制のとれた厳密な実験条件下での再現性を確保することで普遍的な論理を構築するが、実験室外で発生する出来事のほとんどは統制がとれていないため再現不可能なことが多い。この再現不可能な一回しか発生しない現実空間の特徴を一回性と呼ぶ。

このページのトップへ

社会的認知課題の流れの図

図1 社会的認知課題の流れ

サルの目の前に置かれたスクリーンに、2.5秒の待機期間の後、文脈刺激と情動刺激が順番に流される。文脈刺激は3種類、情動刺激は2種類。文脈刺激の後半にはスクリーンの右半分がカーテンで隠される。

抽出された2つのネットワーク構造 S1とS2 の図

図2 抽出された2つのネットワーク構造 S1とS2

S1とS2の条件ごとの活動の強さの違い、課題時系列での周波数ごとの活動の強さ、情報密度、情報の流れを示す。条件間の活動比較では、左側にC+,右側にC-条件を示す。情報密度は色の濃いものほど情報が多く流れていることを示し、情報の流れは、情報を出している部位が赤く、受け取っている部位が青く示されている。

抽出された3つのネットワーク構造 S3,S4,S5 の図

図3 抽出された3つのネットワーク構造 S3,S4,S5

S3-5の条件ごとの活動の強さの違い、課題時系列での周波数ごとの活動の強さ、情報密度、情報の流れを示す。条件間の活動比較では、左側にC+,右側にC-条件を示す。情報密度は色の濃いものほど情報が多く流れていることを示し、情報の流れは、情報を出している部位が赤く、受け取っている部位が青く示されている。

S1-5の条件ごとの連鎖的依存関係図

図4 S1-5の条件ごとの連鎖的依存関係

S1からS5に向かう異なるネットワーク構造が、相互に依存する連鎖状の情報処理経路があることが分かった。

このページのトップへ