広報活動

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2016年10月18日

理化学研究所

嬉しい体験と嫌な体験は互いに抑制し合う

-嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は別領域に存在し、互いに抑制する-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター理研-MIT神経回路遺伝学研究センターのジョシュア・キム研究員、利根川進センター長らの研究チームは、マウスにおいて、嬉しい体験と嫌な体験にそれぞれ対応した神経細胞は扁桃体基底外側核[1]の異なる領域に局在しており、互いに抑制することを発見しました。

「嬉しい」「嫌だ」といった情動体験は、特有な行動を引き起こします。マウスでは、「好き、楽しい」といった嬉しい体験は繰り返そうとし、「嫌い、怖い」といった嫌な体験ではすくみ行動[2]をとったり避けたりします。これまでの研究により、どちらのタイプの行動も、扁桃体基底外側核の働きにより引き起こされることが知られていました。しかし、扁桃体基底外側核内に「嬉しい」および「嫌な」体験にそれぞれ対応する神経細胞群がどのように存在するのかは不明でした。

研究チームは、行動中に活動した神経細胞を標識する遺伝学的手法[3]を応用して、嬉しい体験で活性化される神経細胞(嬉しい体験細胞)および嫌な体験で活性化される神経細胞(嫌な体験細胞)の特徴を調べました。その結果、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、それぞれPppr11b[4]Rspo-2[5]遺伝子を発現しており、またそれぞれ扁桃体基底外側核の後方と前方に局在していることが明らかになりました。

さらに、マウスの脚に軽い電気ショックを与えながら、この嫌な体験細胞の働きを光遺伝学[6]で人工的に抑えると、すくみ反応が減少しました。また、マウスが鼻先を壁の穴に入れると報酬の水がもらえる装置で、マウスが水をもらっている最中に嬉しい体験細胞の働きを人工的に抑えると、鼻先を穴に入れる回数が減少しました。このことから、嬉しい体験細胞および嫌な体験細胞の活動が、それぞれの体験に特有な行動を実際に引き起こすことが示されました。さらに研究チームは、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、互いに抑制し合うことも明らかにしました。この成果は、嬉しい体験や嫌な体験に対応した神経細胞の特徴に照準を絞った情動障害の治療法開発の研究につながると期待できます。

本研究は、国際科学雑誌『Nature Neuroscience』オンライン版(10月17日付け:日本時間 10月18日)に掲載されます。

※研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター
理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
研究員 ジョシュア・キム(Joshua Kim)(マサチューセッツ工科大学 博士課程)
研究員 ミケレ・ピグナテリ(Michele Pignatelli)(マサチューセッツ工科大学 博士研究員)
博士課程 サンギュウ・シュウ(Sangyu Xu)(マサチューセッツ工科大学 博士課程)
センター長 利根川 進 (とねがわ すすむ)(マサチューセッツ工科大学 教授)

理化学研究所 脳科学総合研究センター
行動遺伝学技術開発チーム
チームリーダー 糸原 重美 (いとはら しげよし)

背景

「好き・嫌い」、「楽しい・怖い」といった情動体験は、その体験に特有な行動を引き起こします。マウスでも、「好き、楽しい」といった嬉しい体験は繰り返そうとし、「嫌い、怖い」といった嫌な体験には、すくみ行動をとったり、その体験を避けたりします。これまでの研究により、どちらのタイプの行動にも、脳内の扁桃体にある基底外側核という領域の働きが重要であることが知られていました。そして、嬉しい体験および嫌な体験にそれぞれ対応した細胞は、扁桃体基底外側核内で、別の領域として分かれているのではなく、互いに混在していると考えられてきました(図1の左側)。

研究手法と成果

研究チームは、特定の行動中に発火[7]した神経細胞を標識する遺伝学的手法を応用し、扁桃体基底外側核内の、嬉しい体験および嫌な体験で活性化される神経細胞群に固有な遺伝子マーカーを探索しました。その結果、オスのマウスがメスと共に過ごすという嬉しい体験により発火する神経細胞(嬉しい体験細胞)は、Ppp1r1b遺伝子を発現しており、扁桃体基底外側核後方に局在することが分かりました。また、オスマウスの脚に軽い電気ショックを与えるという嫌な体験により発火する神経細胞(嫌な体験細胞)は、Rspo-2遺伝子を発現しており、扁桃体基底外側核前方に局在していることが分かりました。つまり、嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群は、扁桃体基底外側核の後方と前方の異なる領域に分かれて存在し、境界領域を除いては混在していないことが明らかになりました。

次に研究チームは、嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群を、別々に操作できる遺伝子改変マウス[8]を作製し、嬉しい体験細胞(Ppp1r1b細胞)群と嫌な体験細胞(Rspo-2細胞)群の働きをそれぞれ人工的に抑えたとき、それぞれに特有な行動は見られなくなるのかを確認しました(図1)。箱の中に対照群のオスマウスを入れ、脚に電気ショックを与えたところ、マウスは怖くてすくみ反応を示しました。ところが、光遺伝学を使って、電気ショックを与えると同時に、Rspo-2細胞の働きを人工的に抑えると、電気ショックに対するすくみ反応は対照群に比べて減少しました。その翌日、対照群マウスは、同じ箱に入れられると、前日の怖い体験を思い出してすくみ反応を示しましたが、Rspo-2細胞を人工的に抑えたマウス群では、すくみ反応を示しませんでした。

また、マウスが鼻先を壁の穴に入れると報酬の水がもらえる装置内では、通常、喉が渇いているマウスは報酬の水をもらおうと頻繁に鼻先を穴に入れます。ところが、マウスが水をもらっている最中に、Ppp1r1b細胞の働きを人工的に抑えると、鼻先を穴に入れる回数は対照群に比べて減少しました。これらの結果は、嬉しい体験細胞および嫌な体験細胞の働きを抑えることで、それぞれに特有な行動が減少することを示しています。

さらに研究チームは、逆に、Ppp1r1b体験細胞群とRspo-2体験細胞群を光遺伝学で人工的に活性化すると、それぞれの体験に特有な行動が実際に引き起こされることを示しました(図2)。

嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は、正反対の反応を引き起こしますが、互いに拮抗しているのでしょうか。この点を調べるため、研究チームは、まず、マウスを箱に入れ、脚に軽い電気ショックを与えながら、嬉しい体験細胞(Ppp1r1b細胞)群を人工的に活性化させました(図3)。すると、電気ショックに対するすくみ反応が、対照群や嫌な体験細胞(Rspo-2細胞)群を活性化したマウスに比べて減少しました。さらに、人工的に嬉しい体験細胞(Ppp1r1b細胞)群を活性化させたマウスは、その翌日に同じ箱に入れられても、すくみ反応をあまり示しませんでした。逆に、マウスが鼻先を穴に入れると報酬の水がもらえる装置内で、マウスが水をもらっている最中に、嫌な体験細胞(Rspo-2細胞)群の働きを人工的に活性化させると、鼻先を穴に入れる回数が、対照群や嬉しい体験細胞(Ppp1r1b細胞)群を活性化したマウスと比べて減少しました。

これらの結果は、嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群が、互いに抑制し合い、拮抗的に働くことを示しています。研究チームはさらに、電気生理学的手法を使って、細胞のレベルでこれら2種類の細胞がお互いを抑制しあうことをつきとめました。

今後の期待

本研究により、扁桃体基底外側核において、嬉しい体験や嫌な体験に対応した性質の異なる神経細胞が異なる領域に局在し、それぞれの働きを抑制し合うことが明らかになりました。研究チームは、過去に、うつ状態のマウスの楽しい体験の記憶を活性化させることでその症状を改善できることを示しました注)が、うつ病に代表されるような情動障害において、嬉しい体験と嫌な体験に対応した神経細胞群を、別々に操作することができれば、新しい治療法の開発への道を開くことができます。それぞれの細胞群の特徴に照準を絞って、治療薬の探索を進めることで、より的確な情動障害治療の創薬研究につながると期待できます。

注)2014年8月28日プレスリリース「光で記憶を書き換える

原論文情報

  • Joshua Kim, Michele Pignatelli, Sangyu Xu, Shigeyoshi Itohara, Susumu Tonegawa, "Antagonistic negative and positive 1 neurons of the basolateral amygdala", Nature Neuroscience, doi: 10.1038/nn.4414.

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
研究員 ジョシュア・キム (Joshua Kim)
センター長 利根川 進 (とねがわ すすむ)

お問い合わせ先

理化学研究所 脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757(広報担当) / Fax: 048-467-9683
pr [at] riken.jp(※[at]は@に置き換えてください。)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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産業利用に関するお問い合わせ

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補足説明

  1. 扁桃体基底外側核
    大脳辺縁系の一部である扁桃体内の亜核で、外側核からの入力を受け、情動行動を制御している中心核へ出力する。
  2. すくみ行動
    マウスが恐怖を感じる際に、じっとその場に動かなくなる行動。
  3. 行動中に活動した神経細胞を標識する遺伝学的手法
    神経細胞が活動する際に活性化される遺伝子の調節領域を用い、任意の遺伝子産物をある一定期間でだけ作らせる手法
  4. Ppp1r1b
    Protein phosphatase 1 regulatory inhibitor subunit 1B.DARPP-32をコードしている遺伝子。
  5. Rspo-2
    R-spondin 2 をコードしている遺伝子。
  6. 光遺伝学
    光感受性タンパク質を、遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させ、その神経細胞群に局所的に光を当てて活性化させたり、抑制したりする技術。
  7. 発火
    神経細胞が別の神経細胞から信号を受け取って活性化し、膜電位を発生すること。発生した膜電位は軸索を通って神経末端まで伝わり、シナプスで化学物質による伝達に変換されて、次の神経細胞へと情報が伝わる。
  8. 嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群を別々に操作できる遺伝子改変マウス
    Carpt-Creを発現させ、嬉しい体験細胞群を操作できるようにしたマウスと、Rspo2-Creを発現させ、嫌な体験細胞群を操作できるようにしたマウス。Carpt-Creの発現領域はPppr1brの発現領域とほぼ等しい。

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嬉しい体験と嫌な体験に対応する神経細胞の存在領域の図

図1 嬉しい体験と嫌な体験に対応する神経細胞の存在領域

嬉しい体験で働く神経細胞と嫌な体験で働く神経細胞は、扁桃体基底外側核内で、混在しているという説(左)と異なる領域に局在しているという説(右)があり、詳細が不明であった。

嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞の不活性化の図

図2 嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞の不活性化

光遺伝学を用いて、嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞を、人工的に不活性化してその影響を調べた。(左)箱の中で軽い電気ショックを与えながら、それぞれの細胞群を不活性化すると、嫌な体験細胞を不活性化した場合でだけ、電気ショックに対する、すくみ反応が低下した。このすくみ反応の低下は翌日、光照射も電気ショックも与えない状態で同じ箱に入れた場合にも見られた。(右)マウスの鼻先を穴に入れると報酬の水がもらえる装置内で、マウスが水をもらう時に、それぞれの細胞群を不活性化すると、嬉しい体験細胞群を不活性化した場合でだけ、鼻先を穴に入れる行動が減少した。

ネガティブ:Rspo-2細胞群不活性化群、対照群1:Rspo-2体験細胞群に蛍光タンパク質EYFPを発現させた対照群、ポジティブ:Ppp1r1b細胞群不活性化群、対照群2:Ppp1r1b細胞群に蛍光タンパク質EYFPを発現させた対照群

嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群の活性化の図

図3 嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群の活性化

嬉しい体験細胞群と嫌な体験細胞群を、光遺伝学を用いて、人工的に活性化した時の影響を調べた。(左)箱の中で光刺激し、それぞれの細胞群を活性化したところ、嫌な体験細胞群を活性化した場合でのみ、マウスはすくんだ。翌日、同じ箱にマウスを入れると、前日に嫌な体験細胞群を活性化したマウスのみ、すくみ反応を示した。(右)マウスが鼻先を穴に入れた時に、光刺激をして、それぞれの細胞群を活性化したところ、嬉しい体験細胞群を活性化した場合で、鼻先を穴に入れる行動の回数が増加した。翌日、同じ装置に入れると、前日に嬉しい体験細胞群を活性化したマウスでのみ、鼻先を穴に入れる回数が高かった。

ネガティブ:Rspo-2細胞群不活性化群、対照群1:Rspo-2体験細胞群に蛍光タンパク質EYFPを発現させた対照群、ポジティブ:Ppp1r1b細胞群不活性化群、対照群2:Ppp1r1b細胞群に蛍光タンパク質EYFPを発現させた対照群

嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は互いに抑制する

図4 嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞は互いに抑制する

嬉しい体験、嫌な体験をしている最中に、反対の体験に関与する細胞を活性化し、その影響を調べた。(左)箱の中で、軽い電気ショックを与えながら、光でそれぞれの細胞群を活性化したところ、嬉しい体験細胞群を活性化した場合では、電気ショックに対するすくみ反応が減少した。翌日、同じ箱にマウスを入れると、前日に嬉しい体験細胞群を活性化したマウスでは、すくみ反応が減少していた。(右)マウスの鼻先を穴に入れると報酬の水がもらえる装置内で、水をもらっている最中に、光でそれぞれの細胞群を活性化したところ、嫌な体験細胞群を活性化したマウスは、鼻先を穴に入れる回数が減少した。

ネガティブ:Rspo-2細胞群不活性化群、対照群1:Rspo-2体験細胞群に蛍光タンパク質EYFPを発現させた対照群、ポジティブ:Ppp1r1b細胞群不活性化群、対照群2:Ppp1r1b細胞群に蛍光タンパク質EYFPを発現させた対照群

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