広報活動

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2017年1月18日

理化学研究所
東京大学

反陽子の磁気モーメントを世界最高精度で測定

-宇宙から反物質が消えた謎の解明へまた一歩-

要旨

理化学研究所(理研)Ulmer国際主幹研究ユニットのステファン・ウルマー ユニットリーダーと原子物理特別研究ユニットの山崎泰規ユニットリーダー、東京大学大学院総合文化研究科の松田恭幸准教授と長濱弘季大学院生(理研Ulmer国際主幹研究ユニット大学院生リサーチアソシエイト)らの国際共同研究グループは、相対的な不確かさ(測定値に対する不確かさの割合、相対精度)が1,000万分の8(0.8ppm)という非常に高い精度で反陽子の磁気モーメント[1]を直接測定することに成功しました。

素粒子物理の標準理論[2]」は「CPT対称性[3]」という基本的な対称性を持つことが知られており、CPT対称性からは粒子とその反粒子[4]の寿命や振る舞いが完全に対称的であることが予言されます。一方、私たちが住んでいる宇宙が138億年ほど前にビッグバンによって生まれたときには、同量の粒子と反粒子が生成されたと考えられるにも関わらず、現在の宇宙には粒子から成る物質が圧倒的に多く反粒子からなる反物質[4]はほとんど存在しません。この「物質-反物質非対称性[5]」がどうして生まれたのかは、現代物理学の大きな謎の一つです。

今回、国際共同研究グループはCPT対称性を検証するために、反陽子の持つ磁気モーメントをこれまでにない高精度で測定することに挑戦しました。ペニングトラップ[6]を用いて1個の反陽子を捕獲し、その運動が誘起するフェムトアンペア[7](1フェムトは1000兆分の1、10-15)程度のごく微小な電流を超高感度で検知する装置などの開発を行いました。その結果、相対精度が0.8ppmという非常に高い精度で磁気モーメントの直接測定に成功しました。これは、ハーバード大学の研究グループによる2013年の測定記録注1)の約6倍にあたる世界最高の精度です。また、国際共同研究グループは2014年に、陽子の磁気モーメントの直接測定結果を報告しており、注2)この結果と合わせて、陽子と反陽子の磁気モーメントの値は、今回の測定の相対精度の範囲内で一致し、物質-反物質の対称性が保たれていることを確認しました。

本成果は、私たちの宇宙にどうして物質-反物質非対称性が生まれたのかという謎を解き明かす鍵になると考えられます。また近い将来には、反陽子の磁気モーメントをさらに100倍以上の精度で測定することを計画しており、それによって原子物理学の手法を用いた低エネルギー素粒子物理学実験のフロンティアを大きく切り拓くことが期待できます。

本研究成果は、国際科学雑誌『Nature Communications』(1月18日付、日本時間1月18日)に掲載されます。

本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金 特別推進研究「反水素の超微細遷移と反陽子の磁気モーメント」およびEU先進的研究補助金の支援を受けて行われました。

注1)J. DiSciacca et al. "One-particle measurement of the antiproton magnetic moment.", Phys. Rev. Lett., 110, 130801, 2013.03
注2)2014年6月10日プレスリリース「陽子の磁気モーメントを超高精度で測定

※国際共同研究グループ

理化学研究所
Ulmer国際主幹研究ユニット
ユニットリーダー ステファン・ウルマー (Stefan Ulmer)

原子物理特別研究ユニット
ユニットリーダー 山崎 泰規 (やまざき やすのり)

東京大学 大学院総合文化研究科
准教授 松田 恭幸 (まつだ やすゆき)
大学院生 長濱 弘季 (ながはま ひろき)(理研Ulmer国際主幹研究ユニット大学院生リサーチアソシエイト)

マックスプランク研究所(ハイデルベルグ)
主任研究員 クラウス・ブラウム (Klaus Blaum)

マインツ大学物理学部
教授 ヨッヘン・ヴァルツ (Jochen Walz)

ドイツ重イオン研究所
研究員 ウォルフガング・クイント (Wolfgang Quint)

ハノーファー大学ナノ・量子工学部
教授 クリスチャン・オスペルカウス (Christian Ospelkaus)

背景

私たちの住む宇宙の成り立ちを解き明かし、また物質を構成する素粒子の性質と、素粒子の間に働く力の法則を理解することは、物理学の最も根源的な問題の一つです。20世紀初頭の量子力学と特殊相対性理論の発見によって幕を開けた物理学の革命は、現在、「素粒子物理の標準理論」としてまとめられています。標準理論は素粒子間に働く基本的な相互作用を記述したもので、これまでに知られている素粒子の性質や素粒子間の反応を驚くべき精度で正しく予言することができます。この標準理論が持つ最も基本的な対称性の一つに「CPT対称性」があります。CPT対称性が保たれているならば、ある粒子とその反粒子の質量と寿命は全く等しいはずであり、電荷や磁気モーメントの大きさは等しく、それらの符号は反対でなくてはなりません。

一方で、私たちの住む宇宙では、粒子からなる物質の量が反粒子からなる反物質の量よりも圧倒的に多いことが観測から分かっています。約138億年前のビッグバンによって宇宙が生まれたときは粒子と反粒子が同量出現したはずなのに、どうしてこのような「物質-反物質の非対称性」が生まれたのかは現在の物理学が抱える最大の謎の一つです。

反物質が消えた謎を解決するために、これまでさまざまな側面から研究が行われてきました。その主要な手段として、大型加速器を用いた研究が盛んに行われていますが、現在より深い基礎物理学領域の探索を行うためには加速器の大型化が避けられません。2013年にヒッグス粒子[8]の存在を明らかにした注3、4)欧州原子核研究機構(CERN)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)[9]の周長は、既に地球の外周の0.1%ほどに達しています。そこで近年、相補的なアプローチとして、粒子や反粒子の超高精度測定が注目されています。

国際共同研究グループは、陽子と反陽子の磁気モーメントに注目し、この両者を比較することでCPT対称性を高い精度で実験的に検証することを目標として研究を行っています。2014年の陽子の磁気モーメントの精密測定に続いて、今回、反陽子の磁気モーメントを直接的に高精度で測定することに挑みました。

注3)The ATLAS Collaboration Observation of a new particle in the search for the Standard Model Higgs boson with the ATLAS detector at the LHC, Phys. Lett. B, 716, 1-29, 2012.09.
注4)CMS collaboration, " Observation of a new boson at a mass of 125 GeV with the CMS experiment at the LHC ", Phys. Lett. B, 716, 30-61, 2012.09

研究手法と成果

素粒子は磁石としての性質を持ち、その強さと向きを表す物理量を磁気モーメントといいます。反陽子の磁気モーメントは極めて小さく、その大きさは方位を知るのに使う一般的なコンパスの針が持つ磁気モーメントの大きさのおよそ1024分の1です。このため、反陽子の磁気モーメントを正確に求めるには超高感度の計測装置が必要になります。

電荷を持った素粒子は、磁場中で2種類の運動をします。一つは磁場から受けるローレンツ力による周期運動で、この周波数が「サイクロトロン周波数」です。もう一つは素粒子が持つ磁気モーメントと磁場との相互作用による歳差運動[10]で、この周波数が「ラーモア周波数[11]」です。素粒子の磁気モーメントは、この二つの周波数を測定することで求めることができます。

国際共同研究グループはまず、磁場と電場で荷電粒子を捕獲するペニングトラップという装置を用い、その中に1個の反陽子を閉じ込めました。一般的なペニングトラップは電場と「均一磁場」で構成されていますが、サイクロトロン周波数とラーモア周波数を測定するために、電場と「強い不均一磁場」で構成される特殊なペニングトラップを開発しました。ペニングトラップ中の反陽子は、振り子のように振動します。この振動運動はペニングトラップの電極に、数フェムトアンペア(1フェムトは1000兆分の1、10-15)のごく微小な電流を発生させます。この電流を高感度に検出できる装置を開発し、ペニングトラップ中の反陽子のサイクロトロン周波数を測定しました。

次に、ラーモア周波数を測定するためには、不均一磁場中において磁気モーメントの向きを非破壊的に測定することができる「連続シュテルン-ゲルラッハ効果[12]」を利用しました。軸方向(超伝導磁石から発生する磁場の向き)に強い不均一磁場を持つペニングトラップ内部では、軸方向に振動する反陽子の運動周波数が、磁気モーメントの向きによって変化します。トラップ中の反陽子にラーモア周波数に相当する高周波を照射し、磁気モーメントの向きの変化確率を高周波の周波数の関数として測定することで、ラーモア周波数を高い精度で求めました。

こうした実験手法を用いることによって、反陽子の磁気モーメントを1000万分の8(0.8ppm)という非常に小さい相対的不確かさ(相対精度)で直接的に測定することに成功しました。この成果は従来の測定結果の精度を約6倍引き上げ、世界記録を更新しました。

さらに、この値は国際共同研究グループが2014年に発表した陽子の磁気モーメントの値と相対精度の範囲内で一致することを確認し、今回得られた精度に至るまで、物質-反物質の対称性が保たれていることを証明しました。

今後の期待

国際共同研究グループは今後も、陽子と反陽子の磁気モーメントの測定を続け、標準理論の持つ最も基本的な対称性であるCPT対称性のさらに高い精度での検証を進めたいと考えています。このために、サイクロトロン周波数とラーモア周波数の精密測定だけを行う均一磁場中にあるトラップと、磁気モーメントの向きを測定する強い不均一磁場を導入したトラップの二つのトラップを用いる「ダブルペニングトラップ法」を開発しています。

近い将来にこの手法を反陽子に適用することで、さらに100倍以上の精度向上が期待でき、原子物理学の手法を用いた低エネルギー素粒子物理学実験のフロンティアを大きく切り拓くと考えられます。

原論文情報

  • H. Nagahama, C. Smorra, S. Sellner, J. Harrington, T. Higuchi, M.J. Borchert, T. Tanaka, M. Besirli, A. Mooser, G. Schneider, K. Blaum, Y. Matsuda, C. Ospelkaus, W. Quint, J. Walz, Y. Yamazaki, S. Ulmer, "Sixfold improved single particle measurement of the magnetic moment of the antiproton", Nature Communications, doi: 10.1038/ncomms14084

発表者

理化学研究所
Ulmer国際主幹研究ユニット
国際主幹研究員 ステファン・ウルマー (Stefan Ulmer)

原子物理特別研究ユニット
ユニットリーダー 山崎 泰規 (やまざき やすのり)

東京大学 大学院総合文化研究科
准教授 松田 恭幸 (まつだ やすゆき)
大学院生 長濱 弘季 (ながはま ひろき)
(理研Ulmer国際主幹研究ユニット大学院生リサーチアソシエイト)

ステファン・ウルマーユニットリーダーと山崎泰規ユニットリーダーの写真 松田恭幸准教授の写真 長濱弘季大学院生の写真

左から順にステファン・ウルマーユニットリーダー、山崎泰規ユニットリーダー、松田恭幸准教授、長濱弘季大学院生

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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東京大学 大学院総合文化研究科 報道担当
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補足説明

  1. 磁気モーメント
    反陽子は磁石の性質を持ち、磁気モーメントはその磁石の強さと向きを表す。素粒子物理学によると、スピンを持つ全ての粒子は磁気モーメントを持っていて、陽子と反陽子もこれに含まれる。
  2. 素粒子物理の標準理論
    標準理論は重力を除く素粒子間の基本的な相互作用についての理論であり、現代物理学の根底に位置する。しかし、宇宙の物質-反物質非対称性に関して標準理論では説明することができない。これにより、多くの科学者は標準理論に足りないプロセスを追究し、非対称性について説明することを試みている。その可能性の一つに、CPT対称性の破れがある。
  3. CPT対称性
    物理学において最も基本的だと考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転変換(P)、時間反転変換(T)の三つの変換を同時に行うことを意味する。陽子と反陽子の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになる。
  4. 反粒子、反物質
    反物質は反粒子からできている物質。粒子と反粒子は同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号は反対である。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ反陽子である。従って、陽電子と反陽子は一番単純な反物質の原子である反水素(反陽子を原子核とし、陽電子はその束縛状態)を形成することができる。
  5. 物質-反物質非対称性
    理論上、物質と反物質は対になって現れるか、あるいは対になって消えることしかできない。宇宙の始まりでは同量の物質と反物質が現れたと考えられるので、物質と反物質は同じ量残っていると予想することができる。しかし、現在の宇宙には反物質で成り立つ星の痕跡や兆候は観測されておらず、物質だけで成り立っている。この理論的な予想に反する事実を、宇宙の物質-反物質非対称性という。
  6. ペニングトラップ
    ペニングトラップは、荷電粒子を捕獲する装置で磁場と電場から構成される。磁場は荷電粒子を磁場の向きに沿って巻きつくように作用し、電場は最低三つの電極からなり、荷電粒子を磁場の向きに逃げないように捕獲する。ペニングトラップは荷電粒子の質量や磁気モーメントの高精度測定に用いられる。
  7. フェムトアンペア
    アンペアは電流の大きさを表す単位で、フェムトアンペアは1000兆分の1アンペア。乾電池に豆電球をつないだときに流れる電流は 0.3アンペア 程度で、1フェムトアンペアはその300兆分の1という微小な電流である
  8. ヒッグス粒子
    素粒子物理の標準理論の中で、自発的対称性の破れを引き起こす役割を担う素粒子。その存在は1960年代にヒッグスにより提唱され、標準理論の完成に不可欠となった。2012年7月に、欧州原子核研究機構(CERN)におけるLHC実験で、その存在の兆候が報告された
  9. LHC
    欧州原子核研究機構(CERN)に設置されている、周長27kmの世界最大の衝突型円形加速器。2013年にヒッグス粒子を確認した。LHCとはLarge Hadron Collider(大型ハドロン衝突型加速器)の略。
  10. 歳差運動
    歳差運動とは、自転している物体の回転軸が特定の軸の周りを周期的に回転する現象である。方位磁石は、完全に自由にしておけば北の方向の周りを回転する。これは、歳差運動の一例である。
  11. ラーモア周波数
    陽子の磁気モーメントは磁場に垂直な成分を持ち、これが磁場からトルク(回転軸の周りの力のモーメント)を受ける。その結果、磁力線の周りに沿って磁気モーメントは歳差運動をする。この歳差運動の周波数をラーモア周波数という。
  12. 連続シュテルン-ゲルラッハ効果
    従来のシュテルン-ゲルラッハ効果は、原子ビームが強い不均一磁場中を通過するとき、いくつもの軌道に分裂する現象を指す。これは、磁気モーメントが量子化されていることを最初に示した歴史的な実験である。それに対し、連続シュテルン-ゲルラッハ効果は1989年にノーベル物理学賞を受賞したアメリカのハンス・デーメルト博士が提唱したものであり、1個の荷電粒子が持つ磁気モーメントの向きを決定するために用いられる。そのためには、不均一磁場を発生するマグネティックボトルをペニングトラップに導入する必要がある。従来の手法と決定的に異なるのは、非破壊的な測定法であることであり、同じ粒子に対して何度も適用することが可能である。さらに、従来の手法では、磁気モーメントの向きが反転したことを確かめるにあたって、粒子の軌道変化を観測していたのに対し、連続シュテルン-ゲルラッハ効果はトラップ中の粒子の周波数変化を観測する。

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概略図

図1 測定に用いたペニングトラップの概略図

まず、図の右側から電子ビームを入射し、シンクロトロン放射で冷却した電子雲を反陽子蓄積用トラップにあらかじめ蓄積しておく。その後、図の左側から反陽子ビームを入射し、二つの反陽子捕獲電極に適切な電圧操作を施すことで、多量の反陽子を反陽子蓄積用トラップに閉じ込め、それらを電子雲で冷却する。各コンポーネントの役割は以下の通り。

反陽子捕獲電極
反陽子ビームを捕獲するために用いる高電圧用の電極。
反陽子蓄積用トラップ
多量の反陽子を蓄積するためのトラップで、ここから単一反陽子を引き出し次のトラップへと輸送することができる。
磁場測定用トラップ
単一反陽子のサイクロトロン周波数を連続的に測定することで、磁場の安定性を評価する。
高周波ドライブ
トラップ中の反陽子の運動を制御するために用いられる。
磁気モーメント測定用トラップ
反陽子の磁気モーメントを測定するためのトラップ。
スピンフリップコイル
ラーモア周波数に対応する周波数を持つ高周波をコイルに流し反陽子のスピン遷移を促す。
軸方向周波数検出器
反陽子の軸方向運動を非破壊的に高感度で捉えるための検出器。
サイクロトロン周波数検出器
反陽子のサイクロトロン運動エネルギーを減少させるための検出器。

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