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2016年6月2日

理化学研究所

正確な場所情報には海馬CA3からの入力が重要

-海馬CA1の活動のタイミングはCA3が制御する-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター神経回路・行動生理学研究チームのトーマス・マックヒュー チームリーダーらの研究チームは、海馬のCA1[1]領域(以下、CA1)における「場所細胞[2]」が正確な場所情報を伝えるのに必要な「位相歳差[3]」という現象に、同じ海馬のCA3[1]領域(以下、CA3)からの情報の入力が重要であることを発見しました。

私たちは目をつぶっていても、空間の中の自分の位置を把握することができます。このような空間の認識には、海馬のCA1にある場所細胞と呼ばれる神経細胞が関わっています。場所細胞は、動物が空間内のある特定の場所を通ると、その場所に対応して活動します。多数の場所細胞が空間の全ての場所に対応して活動することで、脳内に空間を表す地図が現れると考えられています。また、CA1の場所細胞は、CA1で観測される脳波[4]に対して決まったタイミングで活動します。海馬ではガンマ(γ)波[4]シータ(θ)波[4]が発生しており、CA1は特にθ波の位相[5]に対して、活動が少しずつ前進するという特徴があります。この「位相歳差」によって場所情報が正確に地図の中で表現されます。ところが、θ波の位相と場所細胞の活動のタイミングが、どのように制御されているのか、そのメカニズムは明らかになっていませんでした。

研究チームは、同じ海馬内のCA3からCA1への情報の入力の影響を調べました。CA3からCA1への入力を人為的に遮断することのできる遺伝子改変マウスを用い、このマウスが空間を自由に移動している間、CA1の場所細胞の活動とCA1で発生する脳波を、電気生理学的手法[6]により測定しました。すると、CA3からCA1への入力を遮断したマウスでは、CA1への入力に伴って発生するガンマ(γ)波という脳波の強度が、遮断していない対照群マウスに比べて減少していたものの、完全にはなくなりませんでした。このことから、CA1はCA3からの入力に依存せずにγ波を発生していることが分かりました。一方、CA3からCA1への入力遮断マウスのCA1の場所細胞集団の活動を詳しく調べると、θ波の位相に対する位相歳差のタイミングがずれていました。このことから、CA3からCA1への入力が、θ波の位相と場所細胞集団の活動のタイミングを制御していることが明らかになりました。

本成果は、脳内GPSともいわれる場所細胞が、正確な場所情報を伝えるメカニズムの理解につながります。

本研究は、国際科学雑誌『Nature Neuroscience』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(5月30日付け:日本時間5月31日)に掲載されました。

※研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター 神経回路・行動生理学チーム
チームリーダー トーマス・ジョン・マックヒュー(Thomas John McHugh)
研究員 スティーヴン・ジェームス・ミドルトン(Steven James Middleton)

背景

私たちは目をつぶっていても、空間の中での自分の位置を把握することができます。このような空間の認識には、海馬のCA1領域(以下、CA1)にある「場所細胞」と呼ばれる神経細胞が関わっていることが知られています。場所細胞は、動物が空間内のある特定の場所を通ると、その場所に対応して活動します(図1A)。空間の全ての場所に対応して多数の場所細胞が活動することで、脳内に空間を表す地図が現れると考えられています。

また、CA1の場所細胞は、空間内の特定の場所で活動するという特徴だけでなく、CA1で観測される脳波に対して、決まったタイミングで活動するという特徴も持っています。脳波は、場所細胞を含めた神経細胞全体の活動を反映しており、さまざまな周波数の波として観測されます。海馬では、ガンマ(γ)波やシータ(θ)波と呼ばれる脳波を発生していることが知られています。特にθ波では、その位相に対して、CA1の場所細胞の活動が少しずつ前進する「位相歳差」と呼ばれる現象がみられ、記憶の形成との関連が指摘されてきました(図1B)。位相歳差により、それまで動物が通ってきた場所の順番は、θ波の周期内におけるそれぞれの場所細胞の活動の時間的な順番に変換され(図1B)、場所の記憶が形成されると考えられています。しかし、θ波における場所細胞の活動のタイミングが、どのように制御されているのか、そのメカニズムは明らかになっていませんでした。

海馬のCA1へは、海馬に隣接した嗅内皮質[7]と呼ばれる領域とCA3領域(以下、CA3)という海馬の別な領域からの情報の入力があります。研究チームは、後者のCA3からCA1への入力の役割に着目し、研究を進めました。

研究手法と成果

研究チームは、海馬のCA3からCA1への情報の入力を遮断することができる遺伝子改変マウスCA3-TeTX[8]を用いました。このCA3-TeTXマウスが空間を自由に移動している間、CA1の場所細胞の活動とCA1で発生する脳波を、電気生理学的手法により測定しました。

すると、CA3からCA1への入力を遮断したC3-TeTXマウスでは、CA1への入力に伴って発生するγ波という脳波の強度が、遮断していない対照群マウスに比べて減少していました(図2A左)。CA1で観測されるγ波には、高周波γ波(55~85Hz)と低周波γ波(30~50Hz)があります。高周波γ波は嗅内皮質から、低周波γ波はCA3からの入力を反映していると考えられています。したがって、CA3からCA1への入力を遮断したC3-TeTXマウスでは、低周波γ波は観測されず、かつ高周波γ波には影響がないと予測されました。しかし実際に調べてみると、高周波γ波、低周波γ波ともに強度の減少がみられたものの完全にはなくならないことが分かりました(図2A左)。

そこで研究チームは、CA3からCA1への入力を遮断することで減少した低周波γ波の特徴を知るために、別の脳波であるθ波(4~8Hz)との関係を対照マウスとC3-TeTXマウスを使って調べました。すると、C3-TeTXマウスでは、低周波γ波の強度がθ波の周波数に対応して減少していることが分かりました。一方、高周波γ波では変化がありませんでした(図2A右)。つまり、CA3からCA1への入力を遮断すると、θ波に同期する低周波γ波に影響が生じることが分かりました。

次に研究チームは、この低周波γ波を構成するCA1の場所細胞集団の活動を詳しく調べました。すると、CA3-TeTXマウスにおけるCA1の個々の場所細胞が対応する場所やタイミングに変化はありませんでしたが、場所細胞集団の活動では、θ波の位相に対する位相歳差のタイミングがずれていました(図2B)。このことからCA3からCA1への入力が、θ波の位相と場所細胞集団の活動のタイミングを制御していることが明らかになりました。

今後の期待

今回、海馬内のCA3からCA1への入力が、脳内GPSともいえる場所細胞の集団としての活動のタイミングを制御していることが明らかになりました。θ波の位相に対して正確なタイミングで場所細胞が活動することは、場所情報を正確に伝えるために欠かせません。

また、別の研究では、同じメカニズムが場所の記憶だけでなく、エピソード記憶[9]にも関与していることが示されています。今後、海馬の細胞が正確なタイミングで活動するメカニズムの研究を進めることにより、より広く記憶の形成や想起の仕組みの理解につながると期待できます。

原論文情報

  • Steven J. Middleton,Thomas J. McHugh, "Silencing CA3 disrupts temporal coding in the CA1 ensemble", Nature Neuroscience, doi: 10.1038/nn.4311.

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 神経回路・行動生理学研究チーム
チームリーダー トーマス・マックヒュー

お問い合わせ先

理化学研究所 脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-467-9683
pr [at] brain.riken.jp(※[at]は@に置き換えてください。)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.海馬CA1、CA3
    ともに脳の側頭葉にある海馬の領域。興奮性の錐体細胞と抑制性の介在神経細胞を含む。
  • 2.場所細胞
    海馬にあり、動物が空間内のある特定の場所を通過するときにだけ活動する細胞。海馬のCA1、CA3、歯状回に存在する。場所細胞を発見したジョン・オキーフ博士は2014年ノーベル医学生理学賞を受賞した。
  • 3.位相歳差
    場所細胞の活動のタイミングが、θ波の位相に対して少しずつ前進する現象。
  • 4.脳波、シータ(θ)波、ガンマ(γ)波
    脳波は神経細胞の集団活動を反映すると考えられており、周波数によりデルタ(δ)波(0.5~4Hz)、シータ( θ)波(4~8Hz)、アルファ(α)波(8~12Hz)、ベータ(β)波(12~30Hz)、ガンマ(γ)波(30Hz以上)の5種類に分類される。比較的ゆったりと進むθ波は記憶と関連し、非常に速く進むγ波は意識と関連すると考えられている。
  • 5.位相
    周期的に繰り返される波状の信号の1周期の中の特定のタイミング。
  • 6.電気生理学的手法
    神経細胞の持つ電気的な特徴を計測する方法。
  • 7.嗅内皮質
    海馬に隣接した大脳皮質の1領域で、海馬のCA1やCA3に情報の入力がある。
  • 8.遺伝子改変マウスCA3-TeTX
    海馬CA3領域の神経細胞でだけ、破傷風菌の毒素であるテタヌス毒(TeTX)のL鎖を発現する。TeTXのL鎖は、神経細胞同士のつながりであるシナプスで働くタンパク質の1つを分解するため、神経細胞の情報伝達を阻害する。
  • 9.エピソード記憶
    いつどこで何をした、のような、場所や時間、情動などの複数の情報が含まれる記憶。
場所細胞と位相歳差の図

図1 場所細胞と位相歳差

  • A.場所細胞は空間のそれぞれの場所に対応して活動する。例えば、場所細胞1、2、3、4は、それぞれピンク色、黄色、水色、緑色で示した場所をマウスが通ったときに活動する。
  • B.θ波と場所細胞の活動のタイミングは、θ波の位相に対して少しずつ前進する。この位相歳差という現象により、図中の縦長長方形の枠内に示したように、場所細胞の活動の順番がθ波の1つの振幅の中に繰り返されることになる。
場所細胞集団の活動のタイミングを制御するCA3からCA1への入力の図

図2 場所細胞集団の活動のタイミングを制御するCA3からCA1への入力

  • A.(左)CA3からCA1への入力を遮断したCA3-TeTXマウスでは、対照群に比べて、低周波γ波(LG)も高周波γ波(HG)も、その強度が減少している。(右)θ波によるγ波の周波数の変化の影響を調べた。対照群と比べて、CA3-TeTXマウスではHG(55~85Hz)は変化がみられないが、赤色の波線の円で示すように、LG(30~50Hz)は減少していることが分かる。
  • B.θ波の位相に対するCA1の場所細胞の集団の活動をみると、CA3-TeTXマウスではθ波の位相に対して正確に位相歳差する確率が減少している。つまり、活動のタイミングがずれていることを示す。

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