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2017年5月8日

理化学研究所

脳の記憶回路の暴走を防ぐ

-海馬CA2の活動が回路全体の活性化/抑制バランスを制御する-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター神経回路・行動生理学研究チームのトーマス・マックヒュー チームリーダーらの国際共同研究チームは、マウスの脳内で記憶を担う海馬[1]CA2[2]が、海馬内の局所神経回路の「活性化/抑制バランス[3]」を制御し、記憶や場所の認識に関わる神経回路の暴走を防ぐ仕組みを発見しました。

脳内の個々の神経細胞は、情報の入力に応じて活性化されたり抑制されたりします。神経回路全体が活性化されるか抑制されるかは、回路内の神経細胞集団におけるブレーキとアクセルのような活性化と抑制のバランスによって決められています。空間認識や記憶に関わる海馬は、CA1、CA2、CA3、歯状回の四つの領域に分けられ、互いに結合して局所神経回路を形成しています。CA2は海馬の局所神経回路全体に影響を及ぼす場所に位置し、CA1、CA3に情報を入力しますが、局所神経回路全体で果たす役割は長い間よく分かっていませんでした。

今回、国際共同研究チームは、マウスの海馬CA2の細胞に神経毒素であるテタヌス毒素を発現させて慢性的に不活性化し、海馬の局所神経回路への影響を調べました。その結果、CA2を慢性的に不活性化すると、CA3の活性化/抑制バランスが変化し、CA3が過剰に活性化されることが分かりました。また、空間の認識には、海馬にある「場所細胞[4]」と呼ばれる神経細胞が関わっています。場所細胞は動物が空間内のある特定の場所を通るとその場所に対応して活動し、他の場所では活動しないという性質(場所特異性)を示します。CA2不活性化マウスでは、この場所細胞の活動が特定の場所に限定されず、複数の場所で過剰に活動することが分かりました。以上の結果は、CA2がCA3を活性化すると同時に抑制することで、海馬の局所神経回路の暴走を防ぎ、海馬の場所細胞が正しい空間認識を行うのを助ける働きをしていることを示しています。

さらに、海馬は動物が自分の置かれている状況(文脈)を記憶するのに必要です。文脈的恐怖条件付け学習をCA2不活性化マウスにさせたところ、文脈を記憶するのに時間がかかることが分かりました。これは、CA2による活性化/抑制バランスの制御が、記憶に関する海馬の正しい働きを助けている可能性を示しています。

本研究は、国際科学雑誌『Neuron』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(5月3日付け)に掲載されました。

※国際共同研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター 神経回路・行動生理学チーム
テクニカルスタッフⅠ ロマン・ボーリンガー(Roman Boehringer)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時) デニス・ポリガロフ(Denis Polygalov)
テクニカルスタッフⅠ アーサー・フアン(Arthur J.Y. Huang)
研究員 スティーブン・ミドルトン(Steven Middleton)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時)ウィンツァー・マリー・エマヌエル(Marie E. Wintzer)
チームリーダー トーマス・ジョン・マックヒュー(Thomas John McHugh)

パリ デカルト大学 フランス国立保健医学研究機構 U894
精神医学・神経科学センター シナプス可塑性と神経回路チーム
大学院生 ヴァンサン・ロベール(Vincent Robert)
チームリーダー レベッカ・ピスコロウスキ(Rebecca Piscorowski)
チームリーダー ヴィヴィアン・シュヴァレール(Vivien Chevaleyre)

背景

脳内の個々の神経細胞は、情報の入力に応じて活性化されたり抑制されたりします。神経回路全体が活性化されるか抑制されるかは、回路内の神経細胞集団におけるブレーキとアクセルのような活性化と抑制のバランスによって決められます。

空間認識や記憶に関わる海馬では、CA1、CA2、CA3、歯状回の四つの領域が互いに結合して局所神経回路を形成しています。CA2は海馬の局所神経回路全体に影響を及ぼす場所に位置し、CA1、CA3に情報を入力しています。

マックヒューチームリーダーらの研究チームは2014年、小さな環境変化を認識、記憶するのに、CA2が重要な役割を果たしていることを見いだしました注1)。しかし、CA2が海馬の局所神経回路全体で果たす役割は長い間よく分かっていませんでした。

注1)2014年2月19日プレスリリース「記憶中枢「海馬」の小領域CA2の機能が明らかに

研究手法と成果

まず、国際共同研究チームはCA2の活動が海馬の局所神経回路に及ぼす影響を調べるため、光遺伝学[5]を用いてマウスのCA2の細胞の活動を人工的に活性化させ、シナプス後電位[6]を測定しCA1およびCA3の活動を調べました(図1A、B)。その結果、CA2を光照射により活性化すると、CA1の細胞は活性化および抑制されることが分かりました(図1C)。一方、CA3もCA2の活性化により活性化および抑制されますが、CA1に比べて抑制の影響が強く、全体としては抑制されることが分かりました(図1D、E)。

次に、マウスのCA2の細胞に神経毒素であるテタヌス毒素[7]を発現させて慢性的に不活性化し、海馬局所神経回路への影響を調べました。その結果、CA2の慢性的な不活性化はCA3の活性化/抑制バランスを変化させて、CA3の活動を過剰に活性化することが分かりました(図2A、B)。

動物の空間認識には、海馬にある「場所細胞」と呼ばれる神経細胞が関わっています。場所細胞は動物が空間内のある特定の場所を通るとその場所に対応して活動し、他の場所では活動しないという性質(場所特異性)を示します。また、場所細胞は海馬で発生する脳波[8]のうち、比較的ゆっくりとしたシータ波[8](周波数4~8Hz)と同期して活動することが知られています。シータ波は通常、マウスの探索行動中に観察され、その活動は場所に依らず一定です。しかし、CA2不活性化マウスでは、このシータ波が特定の場所だけで増大していることが分かりました(図2C、D)。

さらに詳しく調べると、CA2不活性化マウスでは、CA1、CA2、CA3の全ての領域の場所細胞の活動が特定の場所以外に広がっており、場所特異性が低下していることが分かりました(図3)。

以上の結果から、CA2は通常、CA3を活性化すると同時に抑制することで海馬の局所神経回路の暴走を防ぎ、場所細胞が特定の場所に限定して活動し正しい空間認識を行うのを助ける働きをしていることを示しています。

海馬の神経活動は、動物が自分の置かれている状況(文脈)を記憶するのに必要です。このような文脈の記憶は、文脈的恐怖条件付け学習[9]によって調べることができます。文脈的恐怖条件付け学習をCA2不活性化マウスにさせたところ、学習を行うことができましたが、新しい文脈における探索行動の移動距離が増加しました(図4)。このことは、CA2の慢性的な不活性化により、動物が置かれた状況に馴化するまでの時間が長くなる、つまり新しい環境に慣れにくいことを示しています。

これらの結果は、海馬CA2による活性化/抑制バランスの制御が、海馬の記憶に関する正しい働きを助けている可能性を示しています。

今後の期待

本研究では、海馬の局所神経回路における活性化/抑制バランスの制御にCA2領域の働きが関与することを見いだしました。海馬は空間認識や記憶を担っています。今後、海馬の局所神経回路の動作機構を研究することで、空間認識や記憶のメカニズムの理解が進むことが期待できます。

原論文情報

  • Roman Boehringer, Denis Polygalov, Arthur J.Y. Huang, Steven J. Middleton, Vincent Robert, Marie E. Wintzer, Rebbecca A. Piskorowski, Vivien Chevaleyre and Thomas J. McHugh., "Chronic loss of CA2 transmission leads to hippocampal hyperexcitability.", Neuron, doi: 10.1016/j.neuron.2017.04.014

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 神経回路・行動生理学研究チーム
チームリーダー トーマス・マックヒュー(Thomas McHugh)

お問い合わせ先

理化学研究所 脳科学研究推進室
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-467-9683
pr [at] brain.riken.jp(※[at]は@に置き換えてください。)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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産業利用に関するお問い合わせ

理化学研究所 産業連携本部 連携推進部
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補足説明

  • 1.海馬
    側頭葉に位置し、タツノオトシゴのような形をした脳の領域。大脳辺縁系の一部であり、記憶に関わる。
  • 2.CA2
    海馬の領域の一つ。海馬の他の領域と局所神経回路を形成している。記憶や場所の認識に 関わるCA1、CA3、歯状回に比べて研究があまり進んでいない。
  • 3.活性化/抑制バランス
    神経細胞には大きく分けて、相手を活性化する細胞と相手を抑制する細胞がある。神経回路の中ではこの両方が複雑につながって、アクセルとブレーキの働きをしており、回路内の活性化と抑制のバランスによって回路全体の働きを調節していると考えられている。
  • 4.場所細胞
    動物が空間内のある特定の場所を通過するときにだけ活動する細胞。海馬のCA1、CA3、歯状回に存在する。場所細胞を発見したジョン・オキーフ博士は2014年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
  • 5.光遺伝学
    光感受性タンパク質を、遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させ、その神経細胞群に局所的に光を当てて活性化させたり、抑制したりする技術。
  • 6.シナプス後電位
    神経細胞のつながりの接続部(シナプス)の後ろ側の細胞(情報の受け取り手の細胞)の膜に生じる膜電位のこと。
  • 7.テタヌス毒素
    土壌中に棲息するグラム陽性型嫌気性細菌であるクロストリジウム属の(破傷風菌) Clostridium tetaniによって産出される最強のタンパク質毒素の一つ。
  • 8.脳波、シータ波
    脳波は神経細胞の集団活動を反映すると考えられており、周波数によりデルタ波(0.5~4Hz)、シータ波(4~8Hz)、アルファ波(8~12Hz)、ベータ波(12~30Hz)、ガンマ波(30Hz以上)の5種類に分類される。比較的ゆったりと進むシータ波は、記憶と関連すると考えられている。
  • 9.文脈的恐怖条件付け学習
    マウスをある箱(文脈)に入れ、脚に弱い電気ショックを与えると、マウスはこの文脈と電気ショックを関連づけ、恐怖記憶を形成する。そのため、翌日同じ箱に入れただけで、マウスは恐怖反応としてすくみ行動(じっとして動かなくなる)をとる。
マウス海馬の局所神経回路における活性化/抑制バランスの図

図1 マウス海馬の局所神経回路における活性化/抑制バランス

A:実験に用いたマウスの海馬のスライス標本の染色。黄色がかっているのがCA2。緑はチャネルロドプシン発現細胞、赤はCA2マーカーα-PCP4、青はDAPIによる核染色。

B:実験模式図。CA2を青色光により活性化し、情報の入力先であるCA1とCA3において、それぞれ神経細胞のシナプス後電位を記録した。

C:CA2を活性化し、CA1で記録した場合のシナプス後電位。活性化を示す興奮性の電位も抑制性の電位も光照射の強度とともに大きくなっている。すなわち、CA1は活性化および抑制されることが分かった。

D:CA2を活性化し、CA3で記録した場合のシナプス後電位。傾向はCA1で記録した場合と同じだが、興奮性の電位の変化に比べて、抑制性の電位の変化の方が大きい。

E:興奮性電位と抑制性電位の比。CA3がCA1よりも小さく、CA3において抑制性の電位の変化がより大きいことを顕著に示している。すなわち、CA3は全体として抑制されている。

マウスの海馬CA2の慢性的不活性化の影響の図

図2 マウスの海馬CA2の慢性的不活性化の影響

A:実験模式図。CA1、CA3に情報を入力する苔状線維を活性化し、CA1とCA3においてシナプス後電位を記録した。

B:CA3を活性化しCA3で電位を記録した結果。CA2をテタヌス毒素により慢性的に不活性化したマウス(CA2不活性化マウス)の海馬スライス標本では、活性化を示す興奮性のシナプス後電位が増加し、CA3が過剰に活性化されていた。

C:活動中のマウスの脳波を調べると、CA2不活性化マウスでは、シータ波のパワーが増加していた(赤)。実験に用いた遺伝学的手法は不活性化されるまで時間がかかるため、不活性化が起きる前(緑)ではシータ波のパワーは対照群(青)と変わらなかった。

D:シータ波の増加を詳しく調べるため、CA2不活性化マウスが細長いトラックを移動するときの活動を観察した。すると、トラックの特定の場所(35~80cm)でのみ、海馬のシータ波が増加した(矢印およびシータ波のパワーのグラフ)。すなわち、特定の場所だけで過剰にシータ波の活動が増加した。

CA2不活性化マウスにおける場所細胞の活動パターン変化の図

図3 CA2不活性化マウスにおける場所細胞の活動パターン変化

細長い長方形はマウスが移動したトラックを表し、色分けはそのときの場所細胞の活動頻度を表している。赤は高い活動、青は活動していないことを示す。一つの長方形は一つの場所細胞の活動を示す。赤い矢印で示したように、対照群ではトラックの特定の場所に比較的限局して活動がみられる(左)のに対し、CA2をテタヌス毒素で不活性化すると、トラックの複数の異なる場所で活動がみられ、場所細胞の場所特異性が失われることが分かった(右)。

CA2不活性化マウスの文脈的恐怖条件付け学習の結果の図

図4 CA2不活性化マウスの文脈的恐怖条件付け学習の結果

左:マウスに文脈的恐怖条件付け学習をさせたときの探索活動に伴う移動距離と日数を示す。対照群は同じ環境(文脈)に毎日入れられると慣れるため、探索活動が3日目は2日目に比べて減るが、CA2不活性化マウスは、同じ環境(文脈)に毎日入れられても慣れずに探索を続けるため(3日目は2日目に比べて増加している)、移動距離が対照群マウスに比べて長くなった。

右:あらかじめ慣れさせておいた箱Aから、新しく箱Bに移した場合の探索行動に伴う移動距離を示す。移動距離はCA2不活性化マウスでも対照群でも増加し、新しい箱Bにおける探索行動量は両群で変わらなかった(n.s.)。このことから、CA2不活性化マウスは全般的に多動なのではなく、新しい箱Bを認識できていることが分かった。

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