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2021年2月22日

理化学研究所

重水素で解き明かす脂肪酸の抗がん作用

-脂肪酸の代謝調節とラマンイメージングによる可視化-

理化学研究所(理研)開拓研究本部袖岡有機合成化学研究室の闐闐孝介専任研究員(環境資源科学研究センター触媒・融合研究グループ専任研究員)、袖岡幹子主任研究員(同グループディレクター)らの研究チームは、不飽和脂肪酸[1]が持つ抗がん作用に着目し、重水素(2HまたはD)[2]を導入した誘導体を用いた解析により、がん細胞の脂肪滴[3]に集積することが抗がん作用に重要であることを明らかにしました。

本研究成果は、生理活性を持つさまざまな脂肪酸の作用解析や新たな抗がん剤の開発に貢献すると期待できます。

γ-リノレン酸は、月見草などの種子に含まれる不飽和脂肪酸の一つで、抗がん活性を持つことが知られていますが、その作用メカニズムは不明でした。

重水素は不飽和脂肪酸の代謝を抑制する一方で、ラマンイメージング[4]で可視化する目印としても働きます。今回、研究チームは、ヒト正常細胞とがんウイルス[5]に感染させたがん細胞を用いて、γ-リノレン酸とその重水素化体の細胞毒性を調べました。すると、重水素化されたγ-リノレン酸は正常細胞への毒性が低減し、がん細胞選択的に細胞毒性を示すことが分かりました。さらに、ラマンイメージングによる解析の結果、γ-リノレン酸は正常細胞では細胞質全体に分布するものの、がん細胞では脂肪滴に集積する様子が観察されました。このことから、γ-リノレン酸は代謝を受けずにがん細胞の脂肪滴に集まることで、抗がん作用を示すと考えられます。

本研究は、科学雑誌『Chemical Communications』オンライン版(2月2日付)に掲載されました。

重水素の二つの機能を利用したγ-リノレン酸の作用メカニズム解析の図

重水素の二つの機能を利用したγ-リノレン酸の作用メカニズム解析

背景

不飽和脂肪酸は生体内で代謝を受けて、さまざまな生理活性物質へと変換されることで、多種多様な生理活性を発現することが知られています。近年、質量分析装置[6]を用いた解析により、その代謝物を詳細に分析できるようになりましたが、細胞内での代謝物の挙動を調べることは困難な状況です。

γ-リノレン酸(γ-linolenic acid;GLA)は月見草などの植物種子に多く含まれる不飽和脂肪酸の一つで、正常細胞には影響を与えずにがん細胞選択的に細胞毒性を示すという抗がん活性を持つことが30年以上も前に報告されています注1)。しかし、その作用メカニズムの詳細は不明でした。

そこで研究チームはGLAの抗がん活性を調べる研究の中で、重水素(2HまたはD)の持つ「代謝を抑制する機能」と「ラマンイメージングで可視化するための目印としての機能」の二つを用いた解析を行いました。

  • 注1)M.E. Bégin, U.N. Das, G. Ells, D.F. Horrobin, "Selective killing of human cancer cells by polyunsaturated fatty acids" Prostaglandins, Leukotrienes and Medicine, 1985, 19, 177.

研究手法と成果

不飽和脂肪酸の代謝では、二重結合の間に挟まれた炭素に結合する水素原子が水素ラジカル[7]として引き抜かれ、アルキルラジカル種[7]の生成が引き金となり、これに酸素が付加することでロイコトリエン[8]プロスタグランジン[9]など重要な生理活性代謝物へと変換されることが知られています。この反応は非酵素的にも起こり、このような脂質の過酸化が細胞に障害を与えることも知られています。

重水素は水素に比べてラジカル引き抜きの反応性が低いため、この箇所に重水素を導入すると不飽和脂肪酸の代謝反応が抑制されます(図1)。そこで、研究チームはGLAに重水素を導入してその代謝を抑制した際に、抗がん活性にどのような影響を与えるかを調べることで、GLA自身が抗がん活性を示すのか、その代謝物が抗がん活性を示すのかを解明することを目指しました。

その結果、部分的に重水素化したGLA誘導体(D4-GLA)を合成することに成功し(図1)、実際にこれが脂質酸化酵素による代謝に抵抗性を示すことを確認しました。

重水素化によるγ-リノレン酸(GLA)の代謝チューニングの図

図1 重水素化によるγ-リノレン酸(GLA)の代謝チューニング

γ-リノレン酸など不飽和脂肪酸の代謝では、二重結合の間に挟まれた炭素に結合する水素原子が水素ラジカルとして引き抜かれ、生じたアルキルラジカル種が引き金となり酸素が付加し、生理活性代謝物へと変換される。重水素(D)は水素(H)に比べてラジカル引き抜きの反応性が低いため、この箇所に重水素を導入すると代謝反応が抑制される。今回、図のように、GLAの2カ所を重水素化した部分重水素化GLA(D4-GLA)を合成した。

次に、ヒト正常細胞WI-38とこれをがんウイルスSV-40に感染させた細胞VA-13の2種類の細胞に対する細胞毒性を比較することで、抗がん活性を調べました(図2)。その結果、GLAは報告通り、がん細胞モデルであるVA-13に対してより強い細胞毒性を示しましたが、正常細胞WI-38にも毒性を示しました。一方で、重水素を導入したD4-GLAでは、VA-13への毒性は維持したままで、WI-38に対して毒性を示さなくなることが分かりました。この結果は、GLAが代謝を受けず、それ自身で抗がん活性を持つことを示しています。そこで、がん細胞への選択性がより高くなった重水素化GLAを用いて、その作用メカニズムの解析を進めることにしました。

GLAのがん細胞選択的な細胞毒性と重水素化による影響の図

図2 GLAのがん細胞選択的な細胞毒性と重水素化による影響

GLA誘導体を48時間処理した後の細胞生存率を測定した。GLAは、がん細胞モデルのVA-13により強い毒性を示すものの、正常細胞WI-38に対しても細胞毒性を示した。D4-GLAでは、正常細胞に対しては毒性を示さず、がん細胞モデルに対してのみ毒性を示した。

重水素は不飽和脂肪酸の代謝を抑制する効果に加えて、生体成分がシグナルを持たないサイレント領域にラマンシグナルを示すことが分かっています。そこで、ラマンイメージングによりGLAが細胞内のどの部位に作用するかを調べるため、完全に重水素化したGLA(all-D-GLA)を合成しました。all-D-GLAは、D4-GLAと同様にがん細胞に選択的な毒性を持ち、さらにラマンスペクトル[10]を測定すると、all-D-GLAはC-D結合に由来する強いラマンピークを示し、ラマンイメージングに適することが分かりました(図3)。

GLAと完全重水素化GLA(all-D-GLA)のラマンスペクトルの図

図3 GLAと完全重水素化GLA(all-D-GLA)のラマンスペクトル

重水素(D)は、生体成分がシグナルを持たないサイレント領域にラマンシグナルを示す。完全に重水素化したGLA(all-D-GLA)は、C-D結合に由来する強いラマンピークを示すことから、ラマンイメージングに適することが分かった。

そこで、WI-38とVA-13にall-D-GLAを処理し、その局在をラマンイメージングにより調べました。その結果、all-D-GLAはWI-38では細胞全体に分布していくのに対して、VA-13では細胞内の脂肪滴に集積する様子が観察されました(図4)。脂肪滴は、がん細胞の増殖に重要な役割を果たすことが報告されており、GLAは脂肪滴の機能に影響することで、がん細胞に毒性を示す可能性が考えられます。

all-D-GLAのラマンイメージングの図

図4 all-D-GLAのラマンイメージング

ヒト正常細胞WI-38とがん細胞モデルVA-13にall-D-GLAを48時間処理した後に、ラマンイメージングでその局在を調べた。WI-38ではall-D-GLA(赤色)が細胞質全体に広がっているが、VA-13では脂肪滴(緑色)と同じ場所に局在していることが分かった。

今後の期待

本研究では重水素の持つ不飽和脂肪酸の代謝を抑制する機能と、ラマンイメージングの目印になるという二つの機能を駆使して解析を行いました。この方法はGLAだけではなく他の不飽和脂肪酸にも適用可能であり、今後さまざまな不飽和脂肪酸の機能解析に貢献すると期待できます。

さらに、今回明らかになったGLAの作用は、さらなる研究が必要ですが、新しい抗がん剤の開発に貢献することも期待できます。

補足説明

  • 1.不飽和脂肪酸
    一つ以上の炭素-炭素二重結合を持つ脂肪酸。アラキドン酸、ドコサヘキサエン酸(DHA)、エイコサペンタエン酸(EPA)など、脂肪酸の長さと二重結合の数や位置によってさまざまな種類が存在する。
  • 2.重水素(2HまたはD)
    水素原子の安定同位体の一つ。通常の水素原子(電子1個+陽子1個)に比べ、重水素は中性子も持つため(電子1個+陽子1個+中性子1個)、その質量はほぼ2倍になる。
  • 3.脂肪滴
    細胞内で脂質を貯蔵する細胞内小器官。
  • 4.ラマンイメージング
    物質に光を当てた際に得られるラマン散乱を利用して、特定の分子の局在を可視化する手法。ラマン散乱は光が分子の持つ分子振動と相互作用することにより、元の入射光から波長が変化した散乱光である。
  • 5.がんウイルス
    感染によりがん化を誘導または促進するウイルス。その作用メカニズムはウイルスによって異なるが、主な原因として細胞増殖に影響を与えるがん原性の遺伝子を宿主に発現させることが知られる。
  • 6.質量分析装置
    物質の質量(分子量)を測定する装置。さまざまな原理により物質をイオン化させ、その質量とイオンの量を測定することで、物質の同定や定量を行う。非常に高感度での検出が可能なため、脂質、タンパク質(ペプチド、アミノ酸)、糖など生体分子の解析にも用いられる。
  • 7.水素ラジカル、アルキルラジカル種
    不対電子を持つ化学物質をラジカルと呼ぶ。水素ラジカルは電子を1個だけ持つ水素原子であり、不対電子を持つ炭素原子を含む一連の分子をアルキルラジカル種と総称する。
  • 8.ロイコトリエン
    アラキドン酸からリポキシゲナーゼと呼ばれる酵素により代謝を受けて生じる一連の生理活性物質。炎症反応で重要な役割を果たす。
  • 9.プロスタグランジン
    アラキドン酸からシクロオキシゲナーゼと呼ばれる酵素により代謝を受けた後に、さまざまな酵素が作用して生じる一連の生理活性物質。非常に多岐にわたる生理活性を持つ。
  • 10.ラマンスペクトル
    ラマン散乱の入射光からの波長変化をスペクトルとして示したもの。横軸にラマンシフトとして波長のずれを波数(波長の逆数、単位はcm-1、カイザーと読む)で示し、ラマン散乱光の強さを縦軸に取る。このスペクトルから、対象物質に含まれる分子の構造情報を得ることができる。

研究チーム

理化学研究所
開拓研究本部 袖岡有機合成化学研究室
主任研究員 袖岡 幹子(そでおか みきこ)
専任研究員 闐闐 孝介(どど こうすけ)
客員研究員(研究当時) 佐藤 綾人(さとう あやと)
客員研究員(研究当時) 田村 結城(たむら ゆうき)
基礎科学特別研究員 江越 脩祐(えごし しゅうすけ)
特別研究員(研究当時) 藤原 広一(ふじわら こういち)
特別研究員(研究当時) 中尾 周平(なかお しゅうへい)
テクニカルスタッフI 寺山 直樹(てらやま なおき)
環境資源科学研究センター 触媒・融合研究グループ
グループディレクタ― 袖岡 幹子(そでおか みきこ)
専任研究員 闐闐 孝介(どど こうすけ)
テクニカルスタッフI 大沼 可奈(おおぬま かな)
テクニカルスタッフI 寺山 直樹(てらやま なおき)
*兼務

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)ERATO「袖岡生細胞分子化学プロジェクト(代表者:袖岡幹子)」、CREST「多細胞の包括的分子イメージング技術基盤の構築(代表者:藤田克昌)」、日本医療研究開発機構(AMED)AMED-CREST「生理活性代謝物と標的タンパク質同定のための基盤技術の創出(代表者:袖岡幹子)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金新学術領域研究「細胞死制御化合物の開発と応用(代表者:袖岡幹子)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

  • Kosuke Dodo, Ayato Sato, Yuki Tamura, Syusuke Egoshi, Koichi Fujiwara, Kana Oonuma, Shuhei Nakao, Naoki Terayama, and Mikiko Sodeoka, "Synthesis of deuterated γ-linolenic acid and application for biological studies: metabolic tuning and Raman imaging", Chemical Communications, 10.1039/d0cc07824g

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 袖岡有機合成化学研究室
専任研究員 闐闐 孝介(どど こうすけ)
(環境資源科学研究センター 触媒・融合研究グループ 専任研究員)
主任研究員 袖岡 幹子(そでおか みきこ)
(環境資源科学研究センター 触媒・融合研究グループ グループディレクター)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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