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2012年10月11日

独立行政法人理化学研究所

急性心筋梗塞の新規バイオマーカーを発見

-従来の心筋梗塞マーカーに比べて早期診断が可能に-

ポイント

  • アミロイドβ前駆体タンパク質APP770だけを測定する手法を企業と共同開発
  • APP770とAPP695を比較することで、詳細な発現をそれぞれに追跡可能
  • 急性心筋梗塞含む急性冠症候群の患者で有意な量変化を突きとめ、早期診断に期待

要旨

理化学研究所(野依良治理事長)は、血管内皮細胞に発現するアミロイドβ※1前駆体タンパク質APP※2770を特異的に測定できる手法「サンドイッチELISA※3」の開発に成功し、これによりAPP770が急性心筋梗塞の早期診断マーカーとなり得ることを発見しました。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長)システム糖鎖生物学研究グループ(谷口直之グループディレクター)疾患糖鎖研究チームの北爪しのぶ副チームリーダーらと、福島県立医科大学循環器内科の竹石恭知教授、義久精臣准教授、八巻尚洋助教ら、および株式会社免疫生物研究所との共同研究グループによる成果です。

アルツハイマー病の主な原因と考えられているアミロイドβ(Aβ)は、脳実質(神経細胞)や脳内血管壁に蓄積することが確認されています。同じAβを産生する前駆体タンパク質(APP)でも、細胞により種類が異なることが知られており、神経細胞では、APP695が特異的に発現しています。そして、2010年に研究グループは、血管内皮細胞に特異的にAPP770が発現していることを発見しました。その知見から細胞特異的なAPPを区別できることを生かしてAβが引き起こす神経障害と血管内皮障害の識別が可能と考えました。

研究グループは、従来のサンドイッチELISAを応用してAPP770を正確に判別できるヒトAPP770サンドイッチELISAを(株)免疫生物研究所と共同開発しました。これにより、APP770が血管内皮細胞の炎症によって増加すること、血小板にも豊富に存在し、活性化した血小板からも放出されることを明らかにしました。さらに、脳脊髄液中には主に神経細胞由来のAPP695が含まれる一方で、血液中では主にAPP770が含まれることが分かりました。そこで、血管内皮障害をきっかけとする疾患に焦点を絞って解析を進めた結果、急性冠症候群※4の患者では血漿中のAPP770が高いことを突き止めました。急性冠症候群は、血管内皮障害や血小板の活性化を引き金として急性心筋虚血を発症する症候群であり、臨床現場では急性心筋梗塞へ移行する確率の高い患者を見分けることが求められています。今回見いだした血漿中のAPP770は、従来の心筋梗塞マーカーより先に増加することから、急性冠症候群の早期診断マーカーとなることが期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Journal of Biological Chemistry』(12月号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(10月2日、日本時間10月3日付)に掲載されました。

背景

アルツハイマー病患者の脳では、脳実質(神経細胞)と脳内血管の双方にアミロイドβ(Aβ)が沈着することが知られており、Aβの脳内蓄積がこの疾患の進行と密接に関わっていると考えられています。また、脳内血管のAβ蓄積は、脳内出血、血管内皮障害の原因にもなることが知られていました。Aβは、アミロイドβ前駆体タンパク質APPから複数の酵素で切断されて産生されます。また、APPには、その生合成過程で生じるスプライシングバリアント※5によってAPP695、APP751、APP770という3種類が存在し、このうち、神経細胞にはAPP695が発現していることが分かっています。そして、2010年に研究グループは血管内皮細胞にAPP770が特異的に発現することを明らかにしました(2010年10月21日プレスリリース)。

APPの最終生成物であるAβは、APP695由来でもAPP770由来でも同じ構造をもつため、どちらの由来か見分けることが不可能です。しかし、Aβの生合成過程で生じたAPP切断産物の切断型APP770や切断型APP695は、特徴的な構造を持つため、判別することが可能です(図1)。そこで今回、切断型APP695と切断型APP770を区別することで、神経障害と血管内皮障害の識別が可能になるのでないかと考え、その手法の開発に挑みました。

研究手法と成果

研究グループは、従来のサンドイッチELISAを応用して、切断型APP770を特異的に判別、測定できるAPP770サンドイッチELISAを株式会社免疫生物研究所と共同で開発することに成功しました。この手法によって切断型APP770が血管内皮細胞の炎症により増加すること、血小板にも豊富に存在して、活性化した血小板からも放出されることを明らかにしました。さらに、APP770サンドイッチELISAと通常のAPPサンドイッチELISAを併用することで脳や脊髄を正常に保つための脳脊髄液中には主に切断型APP695が含まれる一方で、血液中では主に切断型APP770が含まれることが分かりました。そこで、血液中の切断型APP770が血管内皮障害のマーカー(標識)になり得るのでないか、と予測して、血管内皮障害をきっかけとする疾患に焦点を絞って解析を進めた結果、急性冠症候群の患者では、健常者と比べて血漿中の切断型APP770が有意に高く、逆に血清中の切断型APP770は低くなっていることを明らかにしました(図2)

今後の期待

急性冠症候群は、血管内皮障害や血小板の活性化を引き金として血小板や免疫細胞の一種であるマクロファージの活性化が起き、冠動脈にあるプラーク(血管内膜の肥厚性病変)の破裂や血栓形成によって、急性心筋梗塞、不安定狭心症から心臓急死を引き起こします。臨床現場では、急性心筋梗塞へ移行する確率の高い患者を早期の段階で見分けることが求められています。現在用いられている心筋梗塞マーカーは、いずれも急性冠症候群の病理進行過程(図3)の最終段階に相当する心筋の壊死に伴う逸脱酵素で判別していますが、本研究で見だした血液中の切断型APP770は、初期に起きる血管内皮障害や血小板の活性化を反映していると考えられるので、早期診断マーカーとして期待できます。

発表者

理化学研究所
基幹研究所 システム糖鎖生物学研究グループ 疾患糖鎖研究チーム
副チームリーダー 北爪しのぶ(きたづめしのぶ)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.アミロイドβ(Aβ)
    アミロイドβ前駆体タンパク質(APP)から2種類のプロテアーゼ(ペプチド結合加水分解酵素)で切断されて産生されるペプチド。アルツハイマー病患者の脳に蓄積が認められ、この蓄積過程がアルツハイマー病の原因であると考えられている。40アミノ酸残基のAβ40に比べ、42アミノ酸残基のAβ42は、より凝集しやすく毒性が高い。
  • 2.アミロイドβ前駆体タンパク質APP
    アルツハイマー病発症と関連のあるAβを含む前駆体タンパク質であり、3種類のmRNAのスプライシングバリアントに由来するAPP695,751,770が知られている。
  • 3.サンドイッチELISA
    抗体を固相化したマルチウェルプレートとサンプルを反応させた後に、検出用の抗体を用いることで文字通り抗原をサンドイッチ上に補足し、抗原の濃度を高感度定量するための方法。
  • 4.急性冠症候群
    血管内皮障害や血小板の活性化を引き金として冠動脈にあるプラーク(血管内膜の肥厚性病変)の破裂や血栓形成を来たし、急性心筋虚血を呈する症候群であり、急性心筋梗塞、不安定狭心症から心臓急死までを包括する広範な疾患概念。冠動脈閉塞によって急性心筋梗塞を発症すると死に至ることの多い疾患であることから、臨床現場では急性心筋梗塞へ移行する確率の高い不安定狭心症患者を安定狭心症患者と見分けることが求められている。
  • 5.スプライシングバリアント
    RNA前駆体からイントロンを除去し、前後のエキソンを再結合するスプライシング反応は、残るエキソンに多様性がある。このような多様なmRNAをスプライシングバリアントと呼ぶ。
アミロイドβ前駆体タンパク質(APP)とその代謝経路の図

図1 アミロイドβ前駆体タンパク質(APP)とその代謝経路

APPには3種類のバリアントがあり、このうちAPP695は神経細胞、APP770は血管内皮細胞に特異的に発現している。これらのAPPには、Aβを産生する代謝経路と生理的ペプチドp3を産生する代謝経路がある。

血漿中の切断型APP770と血清中の切断型APP770の測定値の図

図2 血漿中の切断型APP770と血清中の切断型APP770の測定値

健常人と急性心筋梗塞患者の血漿、血清中の切断型APP770濃度、および両者の比をとったものを示している。血漿中の切断型APP770/血清中の切断型APP770の比率は急性心筋梗塞患者で有意的に高い。カットオフ値とは、健常人の平均値から求める値で、この値内は正常値と判断する。

急性冠症候群の病理進行過程と切断型APP770の変動の図

図3 急性冠症候群の病理進行過程と切断型APP770の変動

急性冠症候群では、血管内皮細胞の炎症をきっかけとして血小板や免疫細胞の一種であるマクロファージが活性化し、冠動脈に脂質からなるプラーク(血管内膜の肥厚性病変)が形成される。このプラークの破裂や血栓形成により、急性心筋虚血を発症し、急性心筋梗塞にいたる。

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