2013年9月20日
理化学研究所
多次元NMR法によるリグノセルロースの立体構造評価手法を構築
-バイオマスを低分子化することなく高分子のままでの利用を目指して-
ポイント
- 解析の困難な高分子混合物「リグノセルロース」を多次元NMR法で解析
- 多次元NMR法の多彩なシグナル分離手段を駆使し119シグナルを同定
- 固体試料でのNMR法と組み合わせることで超分子構造を理解
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、植物の細胞壁を構成する「リグノセルロース[1]」の構造を核磁気共鳴(NMR)法[2]を用いて評価する手法を構築しました。植物の幹や茎など食用に適さないバイオマス資源からエタノールなどの有用資源を生産する有力な手段となります。これは、理研環境資源科学研究センター(篠崎一雄センター長)環境代謝分析研究チームの菊地淳チームリーダーと小松功典大学院生リサーチ・アソシエイトによる研究成果です。
リグノセルロースは、陸上に最も豊富に存在するバイオマスで、多糖のセルロースやヘミセルロースと、高分子化合物のリグニンで形成された高次構造かつ難溶性の高分子混合物です。その構造を解明できればバイオマス利用に有用な知識が得られると期待されています。しかし、構造の複雑さと溶媒への溶けにくさが、構造解析を困難にしています。
研究チームは、炭素の安定同位体[3]「13C」で標識したリグノセルロースを、タンパク質など生体高分子の構造解析に用いる多次元NMR法で解析しました。その結果、新規を含む119シグナルを網羅的に同定することに成功しました。さらに、今回得られたシグナルの周波数の違いである化学シフト[4]を、固体試料のまま計測する固体NMR法における化学シフトと比較することで、溶液および固体状態での空間的な原子の配置(配座)の違いを検出することができました。この配座の違いは構成成分の物性の違いを反映しており、今後のバイオマス利用に非常に有用な知見といえます。
今回開発した技術は、さまざまな植物試料に適用できるほか、本研究で取得した化学シフトをデータベース化して利用することで簡便に植物細胞壁の組成情報を得ることができます。また、固体NMR法などの周辺技術と組み合わせることで、さらなるリグノセルロースの構造の理解につながると期待できます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Analytical Chemistry』(9月8日オンライン版)に掲載されました。
背景
トウモロコシやサトウキビを栽培し、その可食部からエタノールなどの有用物質を生産する「バイオリファイナリー[5]」がすでに実用化されています。一方、近年、植物の幹、茎、葉など食用に適さないバイオマス資源から有用物質を生産する「次世代バイオリファイナリー」への転換が待望されています。その実現には、植物の細胞壁を構成するリグノセルロースの構造を解明することが必要です。しかし、リグノセルロースは、主に多糖であるセルロース、ヘミセルロースと高分子化合物のリグニンが混合し、高次構造を形成した難溶性の高分子混合物であり、その構造を解析する手法は確立していません。
リグノセルロースの構造を理解するには、各成分に分離することなく混合物のまま解析する必要があります。それは、セルロース、ヘミセルロース、リグニンは異なる物性を持ちますが、リグノセルロース全体としての物性は、各成分が混ざり合った高分子混合物として現れるからです。
既存の手法では、基本的に各成分を単離・精製して解析します。一方、近年盛んなオミックス[6]研究では、各成分を単離・精製することなく網羅的に解析します。例えば、メタボロミクス[6]研究では質量分析法や核磁気共鳴(NMR)法を用いて代謝物を網羅的に解析します。ただ、リグノセルロースなどの高分子混合物は、分子量が大きく、また難溶性であることから解析が困難でした。しかし、NMR法には、X線解析とは違い結晶化の必要がなく、また溶液から固体まで幅広い状態の試料を解析できるといった利点があります。したがって、NMR法は結晶性のセルロースや非結晶性のヘミセルロース、リグニンから構成されるリグノセルロースの構造をそのまま計測するのに適しています。そこで研究チームは、溶液NMR法と固体NMR法において多次元NMRスペクトルを計測し、リグノセルロースを各成分に分離することなく混合物のまま解析し、構造情報や物性情報を得ようと試みました。
研究手法と成果
NMR法では、磁場をかけた試料の中で検出可能な原子核、1H、13C、15Nなどの空間的な距離(配座)を求めることで、試料の3次元構造を解析します。研究チームは、炭素の安定同位体「13C」で標識したリグノセルロースを多次元NMR法を用いて解析しました(図1)。13Cで標識するメリットとして、13Cの間で磁化の受け渡しができる点が挙げられます。これによって、化学シフトのスペクトルを取得するだけでなく、核スピンを操作し核間で磁化を受け渡すことで、原子の結合情報も得ることができます。リグノセルロースを含め有機物の多くは炭素原子が分子の骨格を形成しているため、13C間で磁化を受け渡していくことで、分子の骨格をイメージすることができます。
(1)多次元NMR法によるシグナルの一斉同定
まず、固体NMR法でリグノセルロースを計測しました。しかし、従来の固体NMR法は、溶液NMR法に比べ分解能が低いため、各成分のシグナル(スペクトル中の共鳴周波数のピーク)が重なってしまいます。この問題を解決するため研究チームは、新たな固体NMR法「DDF-INADEQUATE[7]」を開発しました。これにより、リグノセルロースを各成分に単離することなく、それぞれのシグナルを検出することができました。この計測では、リグノセルロースに特徴的な、結晶性のセルロースと非結晶性のヘミセルロースの物性の違い、つまり分子のやわらかさの違いを積極的に利用しました。
次に、有機溶媒に溶解させたリグノセルロースを、溶液NMR法によって計測しました。3次元NMR法[8]を適用することで119のシグナルを同定することに成功しました。さらに溶液NMR法で得たスペクトルの化学シフトの微細なずれを解析しました。その結果、リグニンの立体異性体に基づく化学シフトの変動とリグニンの架橋構造の違いによる化学シフトの変動を検出することに成功し、リグノセルロースの詳細な構造情報を得ることができました。これらの化学シフト情報は、リグノセルロースを使ったバイオリファイナリーの研究に有用な情報となります。
(2)固体NMR法における化学シフトの比較
NMR法によって得られる化学シフトは、配座の違いによって変動します。したがって、溶液NMR法と固体NMR法における化学シフトの差は、溶液状態と固体状態の配座の違いを反映していると考えられます。そこで研究チームは、今回の実験で得た溶液NMR法で得た化学シフトと、過去に発表した固体NMR法の化学シフトとを比較しました。その結果、セルロースの化学シフトの差がヘミセルロースの化学シフトに比べて大きいことがわかりました。このことは、固体状態では、セルロースが結晶構造に由来する配座をとっていることを反映しています。一方、ヘミセルロースの大部分が固体状態でも溶液状態と同様にランダムな配座をとっていることも分かりました。この配座の違いは構成成分の物性の違いを反映しているため、今後のバイオマス利用に非常に有用な知見といえます。
この結果は、(1)の多次元NMR法と固体NMR法を組み合わせることで、リグノセルロースの構造解析がさらに進むことを示しています。
今後の期待
バイオリファイナリーでは、多種多様な化成品を生産することを目標としています。そのためには、原料であり反応の基質であるリグノセルロースの構造情報が、非常に重要になります。今回の実験で得た化学シフトは、世界共通の物理量であり、その知見をデータベース化するとバイオマス・プロファイリングに有用です。そこで、研究チームは「ECOMICS」というウェブサイトを作り、そのコンテンツのひとつ「Bm-Char」で、リグノセルロースの化学シフト情報をデータベース化し、公開しています。このデータベースをさらに充実させることにより、リグノセルロース系バイオマスを原料とした次世代バイオリファイナリーが推進されることが期待できます。一方、高分子化合物であるという側面からリグノセルロースの物性を解析することも重要な課題です。研究チームが構築したNMRによる解析法は、リグノセルロースのような高分子混合物の構造と物性の相関を明らかにするために有力な方法です。現在のバイオリファイナリーでは、低分子化合物から有用な化合物を生産していますが、高分子混合物解析手法をさらに進展させることで構造と物性の理解が深まれば、バイオマスを低分子化することなく高分子化合物のまま利用することも夢ではありません(図2)。
原論文情報
- Takanori Komatsu, Jun Kikuchi "Comprehensive Signal Assignment of13C-Labeled Lignocellulose using Multidimensional Solution NMR and13C Chemical Shift Comparison with Solid-State NMR"Analytical Chemistry, 2013, doi: 10.1021/ac402197h
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 統合メタボロミクス研究グループ 環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳 (きくち じゅん)
お問い合わせ先
環境資源科学研究推進室
Tel: 045-503-9471 / Fax: 045-503-9113
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.リグノセルロース
植物の細胞壁を構成する天然高分子混合物。主に多糖類のセルロース、ヘミセルロースと芳香族高分子であるリグニンから構成される。セルロース、ヘミセルロースは、加水分解により単糖に分解し、グルコース(ぶとう糖)などとして利用できる。一方、リグニンは芳香環の付加価値からファインケミカルなどの工業的利用が期待されている。 - 2.核磁気共鳴(NMR)法
静磁場におかれた原子核の共鳴を観測し、分子の構造や運動状態などの性質を調べる分光方法。溶媒に分子を溶解させて計測する溶液NMR法や固体状態の分子を計測する固体NMR法などがあり、幅広い状態の試料を計測することができる。 - 3.安定同位体
多くの原子で、同じ元素原子番号でも質量数の違う(つまり中性子数が違う)原子が存在し、それらを同位体と呼ぶ。同位体には時間とともに放射性崩壊を起こす放射性同位体と、そうではない安定同位体の2種類が存在する。NMRでは安定同位体を利用する。安定同位体は、自然界で一定の割合をもって安定に存在するが、NMRで観測可能な13C核は、わずか1.1%しか存在しない。そこで、実験的に13C核を計測対象分子に取り込ませることでNMR実験の効率が向上する。 - 4.化学シフト
NMR法では、同じ原子核でも原子核がおかれた磁場環境の違い(化学結合状態など)によって共鳴周波数がわずかに異なる。この周波数の違いは化学シフトと呼ばれ、分子を構成する原子核それぞれに独自性をあたえる。また、化学シフトは、磁場環境の違いを反映した物理量であり豊富な構造情報をもっている。 - 5.バイオリファイナリー
バイオマスなどの生体資源を出発原料として、エタノールなどの有用化合物などを製造するプラントや技術。トウモロコシやサトウトウキビなどを構成するデンプンやショ糖などの易分解性分子を原料とするリファイナリーが一般的であった。一方、トウモロコシやサトウキビなどでも非可食な茎や葉を原料とするリファイナリーが近年期待されている。これらの部分は主にリグノセルロースから構成される。 - 6.オミックス、メタボロミクス
オミックスとは遺伝子の総体であるゲノム、転写産物の総体であるトランスクリプトーム、タンパク質の総体であるプロテオーム、代謝産物の総体であるメタボローム、表現形質の総体であるフェノームという各階層を、網羅的に調べる生物学の研究分野のこと。メタボミクスは、メタボロームを学問として扱う研究分野。 - 7.DDF-INADEQUATE
筆者らの研究グループが、超分子において柔らかい物性をもった分子を選択的に検出できるように設計し作成した固体NMRの実験法。この計測法に関する研究は、米国の科学雑誌『 Journal of Physical Chemistry Letters』(2013年4巻14号2279-2283頁)に掲載された。 - 8.3次元NMR法
NMR計測法の一種。得られたスペクトルは3つの周波数軸によって展開されるのでより低次元である1次元や2次元のスペクトルよりシグナルの分離に優れる。多次元NMR法は、1991年および2002年ノーベル化学賞受賞者であるRichard Robert Ernst博士やKurt Wüthrich博士らによって開発され発展し、タンパク質の立体構造決定を可能にした。特に、3次元NMR法は、タンパク質の立体構造決定に多用されており、今回はリグノセルロースの解析に適用した。
図1 多次元NMR法によるリグノセルロースの解析
- 右上:新しく開発した固体NMR法「DDF-INADEQUATE」による解析結果。リグノセルロースをセルロース、ヘミセルロース、リグニンに単離することなく、それぞれのシグナルを検出した。
- 左下:溶液NMR法による解析結果。3次元NMR法を適用することで119のシグナルを同定した。
- 右下:固体NMR法と溶液NMR法で得た情報を合わせた結果。セルロースとヘミセルロースの配座の違いを検出した。
図2 高分子混合物解析手法の進展によるバイオマスの理解と利用