要旨
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクター、小川直毅上級研究員らの研究チーム※は、磁性絶縁体にパルス光を照射すると磁気弾性波[1]が発生し、局所的に磁区[2]を操作できることを発見しました。また光で発生させた磁気弾性波が、曲率の大きな磁壁[2]に対し、より大きな相互作用を示すことを明らかにしました。
従来の磁気メモリデバイスは、電流をコイルに流すことにより磁界を発生させ、近接する磁性体の磁化の向きを反転させることでデータの書き換えを行なっています。しかし、デバイスの微細化や高密度化に伴い、磁化反転[3]に必要なエネルギーが増大します。そこで、省エネルギー化を目指し、より低いエネルギーで磁化の反転が可能な金属磁性体への電子スピン注入[4]を利用した磁気メモリデバイスの研究開発が盛んに行われています。しかし、この手法は電流の流れない磁性絶縁体には不向きで、動作速度にも限界があると考えられています。その代替方法として、金属磁性体、磁性絶縁体の双方に適用できるスピン波を使った磁壁と磁区の駆動が期待されています。磁性絶縁体ではスピン波の減衰も少なく、金属磁性体にくらべて省エネルギーな磁気メモリを実現できる可能性があります。しかし、スピン波の一種である磁気弾性波の発生や、磁壁のミクロな構造に依存した磁壁と磁気弾性波の相互作用を観測した例はほとんどありませんでした。
研究チームは、フェムト秒レーザー光を磁性絶縁体の鉄ガーネット薄膜に照射することで、磁気弾性波を発生させることに成功しました。また、マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)程度に集光したフェムト秒レーザー光を用いて局所的に磁気弾性波を発生させ、磁気構造との相互作用を観測したところ、磁気弾性波と磁壁の間に引力が働くことで磁区が駆動しました。また、磁気構造のサイズや形を変えることで、磁壁の曲率が大きいほど大きな力が働くことを明らかにしました。これらの結果は、光を用いて磁気弾性波を発生させることで磁性絶縁体中の磁壁・磁区を高速かつ局所的に操作できることを示しており、より省エネルギーなスピン波を用いた磁気メモリデバイスや高速磁気情報制御の実現に近づく重要な結果と言えます。
本研究は、米国科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Science(PNAS)』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(7月6日付け:日本時間7月7日)に掲載されます。
※研究チーム
理化学研究所 創発物性科学研究センター
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
上級研究員 小川 直毅(おがわ なおき)
強相関理論研究グループ
グループディレクター 永長 直人(ながおさ なおと)
上級研究員 小椎八重 航(こしばえ わたる)
国際特別研究員 A. J. Beekman(エイ・ジェイ・ビークマン)
強相関界面研究グループ
グループディレクター 川崎 雅司(かわさき まさし)
ローム株式会社研究開発本部(研究当時)
久保田 将司(くぼた まさし)
背景
従来の磁気メモリデバイスは、電流をコイルに流すことにより磁界を発生させ、近接する磁性体の磁化の向きを反転させることでデータの書き換えを行なっています。磁気メモリデバイスは磁化反転による材料の劣化がありませんが、微細化、高密度化に伴い消費エネルギーが増大するといった問題があります。そこで、省エネルギー化を目指し、より低エネルギーで磁化の反転が可能な金属磁性体への電子スピン注入を利用する磁気メモリデバイスの研究開発が盛んに行われています。しかし、これらの手法は、電流の流れない磁性絶縁体には不向きで、動作速度にも限界があると考えられています。その代替方法として、金属磁性体、磁性絶縁体の双方に適用できるスピン波を使った磁化の反転、磁壁の駆動が期待されています。特に、磁性絶縁体中ではスピン波の減衰が小さくなり、より省エネルギーとなります。
しかし、スピン波の一種である磁気弾性波の光励起、また磁壁のミクロな構造に依存した磁壁と磁気弾性波の相互作用を観測した例はほとんどありませんでした。
研究手法と成果
研究チームは、パルス幅が約百フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)で非吸収波長のフェムト秒レーザー光を磁性絶縁体に照射し、磁気弾性波を発生することで、磁壁の駆動ができるのではないかと考えました。そこで、典型的な磁性絶縁体である鉄ガーネットの薄膜に対し、フェムト秒レーザー光を直径4μmに集光して照射し、薄膜中の磁区の動きを時間分解磁気光学顕微鏡で詳細に観測しました。具体的には、サブピコ秒(1兆分の1秒よりも短い時間)精度の時間分解能かつμm以下の空間分解能で連続写真を撮影しました。フェムト秒レーザー光の波長は鉄ガーネット薄膜が吸収しない近赤外領域を用いるため、光吸収による発熱などのエネルギー消費はありません。
撮影の結果、光で励起された領域で格子振動(結晶中の原子の振動)とスピン波が結合した磁気弾性波が発生し、音速で球面波状に伝搬することを確認しました(図1)。さらに詳細な解析により、この磁気弾性波は光の吸収を無視できる瞬時ラマン散乱[5]で発生しており、伝搬速度と空間パターンの異なる波(それぞれ格子振動の縦波と横波と結合)から構成され、ギガヘルツ(GHz、1GHzは109Hz)の周波数で振動するスピン波としての性質を持つことが明らかになりました。これは、光の吸収を介さない高速かつ局所的なスピン波の発生を実現したと言えます。
次に、集光したフェムト秒レーザー光を走査し、発生した磁気弾性波を鉄ガーネット薄膜中の磁区に当てたところ、磁気弾性波と磁壁の間に引力による相互作用が働くことが明らかになりました。これまで、スピン波と磁壁の間の引力による相互作用を用いた磁区の駆動が知られていましたが、光で発生させた磁気弾性波と磁壁の相互作用を観測したのは初めてです。
研究チームは、さらにストライプ状の磁区、磁気バブルドメイン[6]など、さまざまな形状の磁区を観測しました。その結果、磁壁の曲率が大きいほど、磁気弾性波と磁壁、磁区の相互作用が大きいことが分かりました。
今後の期待
本研究は、光を用いて磁性絶縁体中の磁壁・磁区を高速かつ局所的に操作できることを示しています。今後、さまざまな磁性体中において、スピン波と磁壁、磁気スキルミオン[7]などのトポロジカルな磁気構造[8]との相互作用を観測することで、より省エネルギーなスピン波を用いた磁気メモリデバイスや高速磁気情報制御を実現するための、基礎となる知見が得られると期待できます。
原論文情報
- N. Ogawa, W. Koshibae, A. J. Beekman, N. Nagaosa, M. Kubota, M. Kawasaki, and Y. Tokura, "Photo-drive of magnetic bubbles via magnetoelastic waves", Proceedings of the National Academy of Science
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関物理部門 強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
上級研究員 小川 直毅(おがわ なおき)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.磁気弾性波
結晶格子の歪みによる磁化の変化に起因した、格子振動とスピン波の結合波。 - 2.磁区、磁壁
一般に、磁性体の磁化状態は、磁化の向きが一様にそろった領域が複数集まって構成される。この領域を磁区と呼ぶ。隣り合う磁区の間では磁化の向きは異なり、その境界で磁化は緩やかに変化しながらつながる。このような磁区の境界領域を磁壁と呼ぶ。 - 3.磁化反転
磁性体中でスピンの向きが変わること。 - 4.電子スピン注入
一定方向の電子スピンを持つ電流を流すこと。 - 5.瞬時ラマン散乱
短パルス光(数ピコ秒以下の時間的オーダーの電磁パルス光)を物質に照射した際に、物質中に格子振動やスピン波などの素励起が発生する現象。 - 6.磁気バブルドメイン
膜面に対して垂直な円柱状の磁区構造。 - 7.磁気スキルミオン
キラル磁性体(鏡に映した像が互いに重ならない結晶構造を持つ磁性体)中で多数のスピンが渦状に配列した、ナノスケールの磁気構造。 - 8.トポロジカルな磁気構造
強磁性などの一様な磁気秩序からの連続変形では作れない磁気構造
図1 鉄ガーネット薄膜中に発生した球面波状の磁気弾性波
中央に直径4μmに集光したフェムト秒レーザー光を鉄ガーネット薄膜に照射すると、縦波、横波の格子振動とスピン波が結合した磁気弾性波が発生し音速で伝搬する。図は磁気弾性波発生から6ナノ秒後。
図2 磁気弾性波発生の模式図と磁区駆動の磁気光学顕微鏡写真
磁気弾性波を発生しながら集光したレーザー光を走査することにより、磁壁、磁区を引っ張ることができる(左)。磁気光学顕微鏡で観測した直径数マイクロメートルの磁気バブルドメインを駆動した様子(右)。