要旨
理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター環境代謝分析研究チームの菊地淳チームリーダー、小松功典大学院生リサーチ・アソシエイトらの研究チーム※は、多次元核磁気共鳴(NMR)法[1]のパルス系列[2]を巧みに操作し、樹木(ツツジ)の二次代謝物[3]をカラム分離[4]することなく、抽出物のまま構造解析し、同定する方法を構築しました。
ツツジ科植物は東アジアに広く分布しており、組織中に草食動物や病原体に対する防御物質(毒)として機能すると考えられている二次代謝物を持っています。しかし、その詳細な構造解析は進んでいませんでした。従来のカラム分離を使った代謝物の解析は、スペクトルが単純化し強力ですが、一試料あたりの計測時間が長くなり、異なるカラム間での計測データの再現性が悪いという問題がありました。そこで、研究チームはカラム分離を経ないNMR法に着目し、二次代謝物の詳細な構造解析法の構築に挑みました。まず、日本の山地植物を代表するレンゲツツジを芽生えのときから13CO2安定同位体[5]存在下で生育させ、13C(炭素)で標識化したレンゲツツジの抽出物試料(低分子混合物)を得ました。そして、多次元NMR法のパルス系列を巧みに操作し、抽出物試料の分子を構成する炭素骨格の間で磁化を移動させることによって、複雑な二次代謝物の炭素骨格構造の一次構造(生体分子の特定単位とそれらをつなぐ化学結合の配置)を解析・推定しました。続いて、量子化学計算[6]に基づく理論値とNMRスペクトルの実測値との比較から、推定構造を確認しました。その結果、世界最高となる炭素核で386、水素核で380のシグナル帰属数を達成し、世界中に公開されている代謝物のNMRスペクトルデータベース[7]にリスト化されていないテルペンやフラボノイドを含む8個の二次代謝物も新たにシグナル帰属できました。
NMR法で得られる実験情報は物理量であるため、世界中のどのNMR装置で計測しても、同じ値(共鳴周波数)を再現できます。したがって、代謝物のNMRスペクトルデータベースの充実化は、代謝を対象とする世界中の研究者に貴重な情報を提供することになります。また本研究は、農林水産物の生産現場に安価で小型のNMR装置を配備し、カラム分離を必要としないその場での代謝物解析へつながると期待できます。
本成果は、ドイツの科学技術雑誌『Angewandte Chemie International Edition』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(4月6日付け)に掲載されました。
※研究チーム
理化学研究所 環境資源科学研究センター 環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳(きくち じゅん)
テクニカルスタッフ 篠 阿弥宇(しの あみう)
大学院生リサーチ・アソシエイト 小松 功典(こまつ たかのり)
研修生 大石 梨沙(おおいし りさ)
背景
私たちが生物資源を利用する際は、目的の成分のみを分離して利用する場合と、分離せずそのまま利用する場合があります。例えば、ほとんどの食品は可食部をそのまま調理することで、複雑な混合物中のアミノ酸や糖類などから、豊かな味わいを楽しむことができます。一方、身体に有用な物質のみを分離して、サプリメントとして摂取することもできます。樹木や藻類のような植物系バイオマスも、高分子混合物のまま利用する場合と、セルロースや寒天といった目的の成分のみを分離して利用する場合があります。研究チームはこれまでに、さまざまな高分子の解析法を構築してきました。例えば、固体マジック角回転(MAS)法[8]や高分解能MAS(HR-MAS)法[8]を用いて、プランクトン(ミドリムシ)や褐藻(ヒジキ)といった未分離試料の高分子成分・運動性解析注1)や、多糖類のミネラル吸着を含めた超分子解析注2)に成功しています。また、陸上植物を対象とした高分子複合系解析では、異なる計測法を使ってセルロースとヘミセルロースを分離して検出することにも成功しました注3)。
ツツジ科植物は東アジアに広く分布しており、その組織中に草食動物や病原体に対する防御物質(毒)として機能すると考えられている二次代謝物(低分子)を持っています。しかし、その詳細な構造解析は進んでいませんでした。従来のカラム分離を使った代謝物解析は、スペクトルが単純化し強力ですが、一試料あたりの計測時間が長くなり、異なるカラム間での計測データの再現性が悪いという問題がありました。そこで、研究チームはさまざまな物性を持つ多様な代謝物を一斉に解析するため、カラム分離しなくても成分解析ができる核磁気共鳴(NMR)法に着目し、「多次元NMR法」を導入することによって、ツツジ毒を含む低分子混合物のシグナル帰属と構造解析が可能かを検証することにしました(図1)。
NMR法は静磁場に置かれた原子核の共鳴を観測し、分子の構造や運動状態などの性質を調べる分光方法です。多次元NMR法では、間接的に信号を検出してから核スピン(原子核が持つ全角運動量)間での磁化移動を行い、その後、信号を直接観測します。得られた多次元スペクトルは、核スピン間の相関マップ(隣接する核スピンの情報を網羅的に示したもの)となるため、代謝物の構造に関する情報が得られます。
注1)2015年5月15日プレスリリース「有用プランクトンを細胞丸ごと計測する多次元固体NMR解析」
注2)2014年1月14日プレスリリース「海藻類の有機・無機成分複雑系の統合解析技術を構築」
注3)2013年9月20日プレスリリース「多次元NMR法によるリグノセルロースの立体構造評価手法を構築」
研究手法と成果
研究チームは、計測温度、塩濃度、pH(酸性度)などの物理化学条件を一定とし、実験室にある精製試薬で可溶な代謝物のほとんどを2次元NMR計測することにより、代謝物によって異なるスペクトルのデータベースを整備してきました注4)。また、ここ数年、この分野で多く用いられる水溶液系データベースに加え、メタノール溶媒系データベースも整備してきました。今回は溶媒として、幅広い極性の二次代謝物が溶解しやすいメタノール抽出を用いることにしました。
また、多次元NMR法で低分子混合物のシグナル帰属と構造解析を行うため、レンゲツツジに含まれる物質を一様に13C(炭素)で標識することにしました。レンゲツツジを芽生えのときから、13CO2安定同位体存在下で生育させ、光合成反応を利用することで、13Cで標識することに成功しました。
天然の13C存在比は約1%(0.01)ですが、14週間の生育で、植物体全体で60%、ツツジ毒を含む二次代謝物では73%の13C標識率を達成しました。13Cで標識せずに解析する場合、複雑な二次代謝物の構造解析用に炭素骨格の13C-13Cの核スピン間を磁化移動[1]させようとすると、存在比0.01×0.01=0.0001、つまりわずか0.01%の13C核スピン対をNMR計測しなければならず、膨大な時間がかかります。一方、解析に用いた試料は、13Cでの標識率が73%(0.73)のため、存在比0.73×0.73=0.5329≒0.53、つまり53%の13C核スピン対を計測すればよいことになります。これは、5,000倍以上の効率化に相当し、比較的低濃度のメタノール抽出混合状態のまま、多次元NMR法の計測ができました。
複雑な二次代謝物の構造解析を行うには、NMR法で3C-13Cの核スピン間の磁化移動が天然存在比では困難な4級炭素(水素が隣接しない炭素)を含めた解析が鍵となります。そこで、従来の代謝物解析では用いられることが少ない3次元パルス系列を導入することで、4級炭素とそれ以外の官能基とをつなぎ合わせました(図2)。その結果、世界最高となる386炭素核、380水素核のシグナル帰属数を達成し、世界中に公開されている代謝物のNMRスペクトルデータベースにリスト化されていないテルペンやフラボノイドを含む8個の二次代謝物も新たにシグナル帰属できました。
さらには、新たに推定した8個の二次代謝物およびさまざまな化学構造を持つ43個の標準的な化合物に対して、計算機ソフトウエア上で立体構造モデルを組み上げ、これらの化合物座標を利用して量子化学計算を行いました。量子化学計算ではNMR計測で得られる化学シフト[9]などの物理情報を、理論値として予測できます。仮に、NMR計測で帰属した化学シフトと対応する代謝物構造が間違っていると、外れ値(データの全体的な傾向から大きくはずれた値)となります。そこで、最近では精製物の構造決定を行う天然物化学者でも、量子化学計算を構造確認に用いる報告が増えています。研究チームは、推定した二次代謝物と標準化合物における理論値と実測値の差の比較から、推定構造の妥当性を証明しました。
生物の安定同位体標識実験は、構造解析の他にも代謝動態を追跡できるという長所があります。そこで研究チームは、レンゲツツジ生育の14週目以降から13Cでの標識を止めることで、光合成反応で取り込まれる炭素が12Cに切り替わることを利用し、時系列でどの代謝物の13C標識率が低下するか追跡しました。その結果、光合成反応から代謝経路の近い糖やアミノ酸といった一次代謝物は2週間ほどで急激に13C標識率が低下しました。それに対して、ツツジ毒などの二次代謝物は13C標識率低下には6~13週間も要することが分かりました。この結果は、生物の成長に関係する一次代謝は速く行われるのに対し、二次代謝は相対的に遅いということ示しています。1回の時系列サンプリングから、同時に多数の物質の代謝動態を追跡できることも、カラム分離を必要としない解析手法のメリットといえます。
注4)2010年1月28日プレスリリース「未利用のバイオ資源の有効活用に向け、代謝混合物の新たなNMR評価法を開発」
今後の期待
人類史をたどると、水陸の生物種から食料、木材、油などの有用物質が生産されてきました。こうした生物種からの有用物質の生産は持続的・循環的であることが望まれます。有用生物種の特性を速く解析するには、どの分子種を蓄積する能力を持つのかをプロファイル化する技術が必要です。カラム分離なしに混合物のまま解析する技術は、実験室のない食品工場や生産現場での品質評価も可能になります。
一般に商業的価値が見出されていない未利用資源を迅速に解析する際に、データの再現性が極めて高く、試料の調製過程が簡単なNMR法には大きな可能性があります。例えば、MAS法であれば破砕や抽出といった工程を経ずに、どの分子種を蓄積する能力を持つのかを、プロファイル化することができます。特に最近では、永久磁石や電磁石が小型で安価なNMR装置を用いた簡易分析システムの研究が盛んに行われています。農林水産物のようなキロ単価の安価な生物材料に対しても、生産現場評価ができる時代が近づいています。
原論文情報
- Takanori Komatsu, Risa Ohishi, Amiu Shino, Jun Kikuchi, "Structure and metabolic flow analysis of molecular complexity in13C-labeled tree by 2D and 3D-NMR", Angewandte Chemie International Edition, DOI: 10.1002/anie.201600334R1
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター 環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳(きくち じゅん)
大学院生リサーチ・アソシエイト 小松 功典(こまつ たかのり)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.多次元核磁気共鳴(NMR)法、磁化移動
核磁気共鳴(NMR)法は静磁場に置かれた原子核の共鳴を観測し、分子の構造や運動状態などの性質を調べる分光方法。フーリエ変換 (FT)-NMR法では、試料にラジオ波域のパルスを与えて核スピンを同時に操作し、FTによってNMRスペクトルを得る。複数のパルスを特定のタイミングで組み合わせた“シーケンス(系列)”によって、核スピン間での磁化を移動させることができる。多次元NMR法では、間接的に信号を検出してから核スピン間での磁化移動を行い、その後、信号を直接観測する。得られた多次元スペクトルは、核スピン間の相関マップ(隣接する核スピンの情報を網羅的に示したもの)となるため、代謝物の構造に関する情報が得られる。 - 2.パルス系列
試料に与えた複数のラジオ波域のパルスを特定の時系列タイミングで組み合わせた“シーケンス(系列)”をパルス系列と呼ぶ。NMR法では、特定の核スピン間において磁化が移動するように設計されたパルス系列が多数報告されている。例えば、タンパク質の解析にはアミノ酸を構成する水素、炭素、および窒素の核スピン間で磁化が移動するように設計されたパルス系列が使われる。代謝物の場合は、分子を構成する炭素骨格に沿って磁化を移動させることによって、分子を構成するほとんどの水素および炭素核の信号を検出することができる。そこで、本研究では、水素→炭素→炭素→水素核間で磁化移動を行う3次元パルス系列である(H)CCH-COSYおよび(H)CCH-TOCSYや炭素→炭素核間で磁化移動を行う2次元パルス系列である13C-13C-COSYを適用することで代謝物の一次構造解析を行った。 - 3.二次代謝物
生体内では絶えず物質の合成や分解が行われている。この物質変化を代謝という。生物の成長および発生に関連する代謝を一次代謝、それ以外を二次代謝という。二次代謝の代謝経路に存在する代謝産物を二次代謝物と呼ぶ。植物の感染防御やその他の種間の防御に重要な役割を果たすものが多い。例えば、アルカロイド、テルペノイド、グリコシド、フェノールなどの有機物がある。これらの物質は医学、農学、食品分野などで利用されている。 - 4.カラム分離
移動相にある代謝物群を固相(カラム)との親和性の違いから分離する方法。カラム分離を使った代謝物解析では、スペクトルが単純化し強力であるが、一方、一試料あたりの計測時間が長くなり、異なるカラム間での計測データの再現性は悪い。 - 5.安定同位体
多くの原子において、同じ元素(原子番号)でも質量数の違う原子が存在し、それらを同位体と呼ぶ。同位体には時間とともに放射性崩壊を起こす放射性同位体と、そうではない安定同位体が存在する。安定同位体は、自然界で一定の割合をもって安定に存在するが、NMRで観測可能な13C核はわずか1.1%しか存在しない。そこで、実験的に13C核を標識化することで、炭素核間での磁化移動が効率的に観測できるようになる。 - 6.量子化学計算
分子中の電子の状態を近似的に求める計算。本研究では、求められた電子の波動関数などからNMRで観測される核スピンの遮蔽の大きさを計算し、理論化学シフトを求めた。 - 7.代謝物のNMRスペクトルデータベース
核酸やタンパク質の網羅的解析では、それらの同定のために配列情報のデータベースが整備されている。一方、代謝物の網羅的解析の場合、配列情報による同定は困難であり、標準化合物のNMRスペクトルデータベースとの照合による同定が一般的である。したがって、NMRスペクトルデータベースに収録されていない代謝物の同定は困難であった。 - 8.固体マジック角回転(MAS)法、高分解能MAS法(HR-MAS法)
固体試料では分子運動が制限されるために、静磁場に対する異方性による相互作用が観測されスペクトルは、幅広化してしまう。試料管を静磁場に対して54.7度傾けて高速回転させることで静磁場に対する異方性を時間平均することができる(MAS法)。HR-MAS法はこのような高速MAS回転をおこないながら、溶液NMR法のパルス系列で実験する手法。細胞や組織などの不均一な試料をそのまま計測し、高分解能スペクトルを取得することができる。 - 9.化学シフト
NMR法では、同じ原子核でも原子核が置かれた磁場環境の違いによって、共鳴周波数がわずかに異なる。この周波数の違いは化学シフトと呼ばれ、分子中の各核スピンは、それぞれ固有の値を示す。
図1 カラム分離なしでのツツジ毒を含む低分子混合物解析
NMR法は、細胞丸ごとや抽出された分子複雑系をカラム分離しなくても計測できる。研究チームはこれまで、固体マジック角回転(MAS)法、高分解能MAS法(HR-MAS法)ならびにDMSO(ジメチルスルホキシド)可溶化法を利用し、陸上植物や藻類の高分子混合物解析例を発表してきた。今回は二次代謝物として、ツツジ毒(草食動物や病原体に対する防御物質)を含む低分子混合物解析に着目した。
図2 多次元NMR法のパルス系列を駆使したカラム未利用の構造解析
(H)CCH-TOCSYや13C-13C-COSYなどのパルス系列によって代謝混合物の一次構造を解析した。代謝物では4級炭素(水素が隣接しない炭素)核が存在するため炭素核間での磁化移動が構造解析の鍵となる。7色で示したようなC-C, C-Hの部分構造の組み合わせから分子全体の構造を推定する(上から右下)。分子全体の構造が判明したら、量子化学シフト計算により理論値と実測値との一致を調べて構造確認を行う(左下から右下)。