ポイント
要旨
理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チームの吉原良浩チームリーダー、矢吹陽一客員研究員らの共同研究グループ※は、魚の求愛行動を促進する「フェロモン受容体」を発見し、求愛行動を促進する神経メカニズムの一端を解明しました。
嗅覚系は、匂い分子やフェロモン[1]分子を受容し、その情報を鼻から脳へ伝えて、個体の生存や種の保存のために必要な行動の発現や生理的変化をもたらす神経システムです。とりわけ、食べ物の匂いへの誘引行動、危険な匂いからの逃避行動、フェロモンを介した性行動は、多くの生物に共通する3つの根源的な嗅覚行動です。
共同研究グループは小型の熱帯魚ゼブラフィッシュ[2]を用いて、オスの性行動を調節する神経メカニズムを解析しました。その結果、排卵期のメスが水中に放出する性フェロモンである「プロスタグランジン[3]F2α(PGF2α)」を特異的に認識する嗅覚受容体[4]「OR114-1」を発見しました。また、PGF2αの鼻への刺激によって活性化される嗅覚神経回路の全体像を明らかにしました。
さらにゲノム編集技術[5]を用いて、PGF2α嗅覚受容体OR114-1を欠損したゼブラフィッシュを作製しました。すると、オスの欠損体ではメスへの誘引および求愛行動が著しく減少することが分かりました。この結果から、PGF2αとその受容体OR114-1が魚の性行動の促進に重要な役割を果たすことが明らかになりました。
このような性フェロモンを介しての求愛行動は、ショウジョウバエなどの昆虫からマウスなどのほ乳類に至るまで、多様な動物種で観察されることから、進化的に保存された共通の神経メカニズムが存在すると考えられます。本研究によって、性フェロモンという感覚入力から、求愛行動という行動出力までの分子・細胞・神経メカニズムの一端が解明されました。今回得られた知見は、今後、効率的な水産養殖法の開発など水産業の発展につながると期待できます。
本研究は、HFSP研究グラント、文部科学省科学研究費補助金・新学術領域研究「多様性から明らかにする記憶ダイナミズムの統合的解明」、JST・ERATO「東原化学感覚シグナルプロジェクト」および上原記念生命科学財団の支援により行われました。
成果は国際科学雑誌『Nature Neuroscience』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(5月30日付け:日本時間5月31日)に掲載されます。
※共同研究グループ
理化学研究所 脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チーム
チームリーダー 吉原 良浩(よしはら よしひろ)
客員研究員 矢吹 陽一(やぶき よういち)(研究当時:理研大学院生リサーチ・アソシエート、長岡技術科学大学大学院生)
副チームリーダー 宮坂 信彦(みやさか のぶひこ)
研究員 小出 哲也(こいで てつや)
テクニカルスタッフⅠ 脇阪 紀子(わきさか のりこ)
テクニカルスタッフⅠ 増田 美和(ますだ みわ)
埼玉大学 理工学研究科 脳末梢科学研究センター
教授 中井 淳一(なかい じゅんいち)
准教授 大倉 正道(おおくら まさみち)
熊本大学 薬学部 薬学生化学分野
教授 杉本 幸彦(すぎもと ゆきひこ)
講師 土屋 創建(つちや そうけん)
大学院生 告 恭史郎(つげ きょうしろう)
背景
嗅覚系は外界に存在する匂い分子やフェロモン分子を受容し、その情報を鼻から脳へ伝えて匂いのイメージを脳内に表現したり、特有の行動を誘起したりする神経システムです。嗅覚は、無脊椎動物からほ乳類に至るまで多くの生物種で重要な役割を果たしています。嗅覚への刺激は、物体の認知や、快・不快といった情動の誘起、記憶の形成・想起や、内分泌系の変化などを引き起こします。これによって生体の恒常性維持や個体の生存、種の保存のために必要な行動が発現・調節されます。とりわけ、食べ物の匂いへの誘引行動、危険な匂いからの逃避行動、フェロモンを介した性行動は、多くの生物に共通する3つの根源的な嗅覚行動です。
一方で、キンギョなどの魚類において、脂質メディエーター[6]と呼ばれる生理活性を持つ脂質の1つである「プロスタグランジンF2α(PGF2α)」が、メスの体内で排卵・産卵を促進するホルモンとして働くだけでなく、メスから水中に放出されてオスの性行動を誘起する性フェロモンとしても機能することが1980年代に報告されています注)。しかし、PGF2αによる性行動誘起の神経回路メカニズムについては解明されていませんでした。
共同研究グループは、ゼブラフィッシュを用いて性フェロモンPGF2αを認識する嗅覚受容体の同定、および求愛行動を促進する神経回路メカニズムの解明を試みました。
注)Sorensen, P. W., Hara, T. J., Stacey, N. E. & Goetz, F. W. F prostaglandins function as potent olfactory stimulants comprise the postovulatory female sex pheromone in goldfish. Biol. Reprod. 39, 1039-1050 (1988)
研究手法と成果
1)PGF2αを特異的に認識する嗅覚受容体の同定
ゼブラフィッシュの鼻腔の奥にある嗅上皮[7]に存在する個々の繊毛嗅細胞は、約150種類の嗅覚受容体のうち、どれか1種類を選択的に発現します。共同研究グループは、PGF2αによって神経活動が誘導された嗅上皮の繊毛嗅細胞において、どの嗅覚受容体遺伝子が発現しているのかを調べれば、PGF2αを特異的に認識する嗅覚受容体を同定することができると考えました。そこで、ゼブラフィッシュの全ての嗅覚受容体遺伝子をPCR法[8]でクローニングしてcRNAプローブ[9]を作製し、PGF2αで刺激した嗅上皮における蛍光二重in situハイブリダイゼーション法[10]によって、神経活動マーカーであるc-Fosの発現と重なりが観察される嗅覚受容体を探しました。その結果、「OR114-1嗅覚受容体」がc-Fos陽性細胞の約90%において発現することがわかりました(図1A)。また、ゼブラフィッシュのゲノムデータベースの検索によってOR114-1に高い相同性をもつ新規遺伝子を見つけ「OR114-2」と名付けました。
次にOR114-1およびOR114-2嗅覚受容体を培養細胞(HEK293細胞)に発現させて、PGF2αだけがこの受容体を活性化させるのかどうか、そのリガンド特異性[11]を調べました。OR114-1およびOR114-2は、PGF2αとその代謝産物である15-keto-PGF2αだけに活性化され、その高いリガンド特異性が明らかとなりました(図1B)。また、OR114-1あるいはOR114-2を発現する嗅細胞においてのPGF2α刺激によるc-Fos誘導の比較などによって、OR114-1は高親和性[12]、OR114-2は低親和性[12]のPGF2α嗅覚受容体であることが分かりました。
2)性フェロモンPGF2αによって活性化される嗅覚神経回路の解析
鼻腔の嗅細胞で受容された匂い・フェロモンの情報は、嗅覚の1次中枢である嗅球という領域内の特定の糸球体[13]へと伝えられ「匂い地図」として表現されます。その後、終脳や間脳の高次嗅覚中枢へと情報は伝えられ、高次嗅覚中枢において匂い地図が解読され、多様な嗅覚行動の発現へと至ります。
そこで、PGF2αによって活性化される糸球体の同定を試みました。神経活動マーカーである抗リン酸化ERK抗体を用いた嗅球の免疫染色[14]およびGCaMP7発現トランスジェニックゼブラフィッシュの嗅球における細胞内カルシウムイメージング[15]によって、PGF2αは腹内側糸球体(vmG)を特異的に活性化することが分かりました。さらに、PGF2αの刺激によって活性化される高次嗅覚中枢を抗リン酸化ERK抗体を用いての免疫染色によって解析しました。その結果、終脳腹側部腹側核(Vv)、視索前核(PPa)、外側視床下部(LH)など、PGF2αの刺激によって特異的に活性化される領域が観察されました(図2)。
3)PGF2α嗅覚受容体遺伝子欠損ゼブラフィッシュにおける求愛行動の異常
高親和性PGF2α嗅覚受容体OR114-1の生理機能を明らかにするため、ゲノム編集技術を用いてOR114-1遺伝子を欠損したゼブラフィッシュを作製しました。野生型ゼブラフィッシュのオスはPGF2αに対して著しい誘引行動を示しましたが、OR114-1欠損体ではそのような行動が観察されませんでした(図3A)。
最後に、メスに対する求愛行動を、野生型オスとOR114-1欠損オスとで比較しました。野生型オスはメスに対して、追尾(Chase)、タッチ(Touch)、回り込み(Encircle)などの求愛行動を頻繁に行いましたが(動画参照)、OR114-1欠損オスではこれらの回数・時間が大きく減少していました(図3B)。以上の結果から、高親和性PGF2α嗅覚受容体であるOR114-1が、オスのゼブラフィッシュの求愛行動において重要な役割を果たすことが明らかになりました。
今後の期待
これまでPGF2α、PGD2、PGE2などの各種プロスタグランジンは、体内においてそれぞれが特異的なプロスタグランジン受容体を介して多様な機能を発現するホルモンとして知られていました。本研究では、排卵期のメスの魚から放出されるPGF2αが性フェロモンとして、オスの魚の嗅覚受容体に結合し、求愛行動を引き起こすという個体間コミュニケーションの現象を分子レベル、細胞レベル、神経回路レベルで解明しました。
また本研究によって、性フェロモンという感覚入力から、求愛行動という行動出力に至るまでの分子・細胞・神経回路メカニズムの一端が解明されました。今回得られた魚での性行動に関する知見は、効率的な水産養殖法の開発など、今後の水産業の発展につながると期待できます。
原論文情報
- Yoichi Yabuki, Tetsuya Koide, Nobuhiko Miyasaka, Noriko Wakisaka, Miwa Masuda, Masamichi Ohkura, Junichi Nakai, Kyoshiro Tsuge, Soken Tsuchiya, Yukihiko Sugimoto, Yoshihiro Yoshihara, "Olfactory receptor for prostaglandin F2α mediates male fish courtship behavior", Nature Neuroscience, doi: 10.1038/nn.4314
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チーム
チームリーダー 吉原 良浩(よしはら よしひろ)
客員研究員 矢吹 陽一(やぶき よういち)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.フェロモン
動物の体内で作られ、体外に放出されて、同種の他個体の行動や内分泌系に影響を与える化学物質(生理活性物質)の総称。性フェロモン、警報フェロモン、集合フェロモン、道標フェロモンなどが知られている。 - 2.ゼブラフィッシュ
学名:Danio rerio。インド原産の体長3~5センチメートルの小型熱帯魚。飼育が容易で多産。稚魚の体は透明なので、体内の発達過程を生きたままで観察することができる。発生工学的手法を用いて、特定の神経細胞を可視化したり、特定の遺伝子の機能を阻害したりすることができる。魚類とほ乳類の脳の基本構造は同じなので、脳研究の新しいモデル動物として注目されている。 - 3.プロスタグランジン
生体膜の構成成分であるアラキドン酸から産生される生理活性脂質の総称であり、PGD2、PGE2、PGF2α、PGI2などがある。これらのうちPGF2αは、ほ乳類において子宮平滑筋の収縮、黄体の退縮を調節するホルモンとして機能する。魚類においてもPGF2αは排卵の誘発を起こすホルモンであるとともに、水中に放出されてオスの性行動を促進する性フェロモンとしても機能する。
- 4.嗅覚受容体
鼻腔に入ってくる匂い分子、フェロモン分子を認識する受容体。鼻の奥に存在する嗅細胞に発現している。多種多様な匂い分子・フェロモン分子に対応できるように、ヒトでは約400種類、マウスでは約1,300種類、ゼブラフィッシュでは約300種類の嗅覚受容体遺伝子がゲノム上に存在している。 - 5.ゲノム編集技術
ゲノム上の標的遺伝子の特定部位を核酸分解酵素で特異的に切断することにより、標的遺伝子を破壊、もしくは外来遺伝子を導入する遺伝子改変技術。TALEN法、CRISPR/Cas法などがある。 - 6.脂質メディエーター
脂質は、水に溶けにくく、有機溶媒に溶ける性質を持った生体成分であり、その種類は数千にも及ぶ。それらのうち、発熱・痛み物質として知られているプロスタグランジンE2(PGE2)、睡眠を引き起こすプロスタグランジンD2(PGD2)、子宮平滑筋の収縮を促進するプロスタグランジンF2α(PGF2α)など、強い生理機能が知られている一群の脂質は、生物機能を伝える信号として働いていることから、脂質メディエーターと呼ばれる。 - 7.嗅上皮
鼻腔の奥にある上皮組織。物体から発せられて、鼻腔に入ってくる匂い分子を感知する嗅細胞が並んでいる。 - 8.PCR法
ポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction)。動物のゲノムのような長大なDNA分子の中から、自分の望んだ特定のDNA断片(数百~数千塩基対)だけを選択的に短時間で増幅させることができる。 - 9.cRNAプローブ
特定のmRNAを高感度で検出するための相補鎖(complementary)RNAプローブ。プラスミドDNAを鋳型として、in vitro転写反応で合成できる。in situハイブリダイゼーション法でcRNAプローブを用いることにより、高い特異性と感度で組織や細胞に存在する目的のmRNAの発現を観察することができる。 - 10.蛍光二重in situハイブリダイゼーション法
組織や細胞において、特定のDNAやmRNAの発現や分布を検出する方法をin situハイブリダイゼーション法という。蛍光二重in situハイブリダイゼーション法は、異なった蛍光波長(例えば赤色と緑色)を持つ蛍光物質で別々に標識した2種類のcRNAプローブを用いて行う方法。2種類の遺伝子が同じ細胞に発現しているかどうかを確認することができる。 - 11.リガンド特異性
受容体に結合する分子をリガンドという。リガンドと受容体は、いわば鍵と鍵穴の関係にあり、ある特徴的な構造を共有するリガンドだけが同じ受容体に結合できる。このような受容体の性質をリガンド特異性という。 - 12.高親和性、低親和性
あるリガンドがその受容体に結合する強さ(相性の良さ)を親和性という。相対的に、リガンドが低濃度でも受容体に強く結合する場合を高親和性、高濃度でようやく結合する場合を低親和性という。 - 13.糸球体
嗅球の表面に並んだ神経線維からなる球状の構造体。1つの糸球体は、同じ嗅覚受容体を発現する嗅細胞に神経支配されており、その受容体と結合する匂い分子の情報を表現している。嗅細胞(1次嗅覚ニューロン)で受容された匂い分子の情報が、糸球体内のシナプスを介して嗅球ニューロン(2次嗅覚ニューロン)へと伝達される。 - 14.免疫染色
抗体を用いて細胞などのサンプル中における抗原(タンパク質など)を検出する手法。検出したいタンパク質に対する抗体を用いることで、興味のあるタンパク質がサンプル中のどこにどのくらいの量存在するのかを知ることができる。 - 15.カルシウムイメージング
ニューロンの興奮は細胞内カルシウム濃度の上昇を伴う。カルシウム感受性タンパク質(GCaMP7など)を遺伝学的に特定のタイプのニューロンに発現させて、蛍光顕微鏡でその蛍光変化を観察(イメージング)することによって、ニューロンの興奮を可視化することができる。
図1 性フェロモンPGF2αを特異的に認識するゼブラフィッシュ嗅覚受容体の同定
(A)PGF2αで刺激したゼブラフィッシュの嗅上皮における嗅覚受容体とc-Fos(神経活動マーカー)の発現を、二重蛍光in situハイブリダイゼーション法で解析した。約150種類の嗅覚受容体のうち、OR114-1だけがc-Fos陽性細胞の約90%において発現することが分かった(黄色の矢尻)。
(B)培養細胞(HEK293細胞)にOR114-1あるいはOR114-2を発現させ、各種プロスタグランジンや、魚にとってのさまざまな匂い分子・フェロモン分子を添加した。OR114-1(赤)およびOR114-2(青)の活性化は、PGF2αとその代謝産物15-keto-PGF2α(15KPGF2α)によってのみ観察された(左図)。また、PGF2αによる活性化の濃度依存性を解析したところ、OR114-1は高親和性、OR114-2は低親和性の受容体であることが分かった(右図)。
図2 性フェロモンPGF2αによって活性化されるゼブラフィッシュ嗅覚神経回路
鼻腔の奥にある嗅上皮上に存在する嗅細胞で受容された性フェロモンPGF2αの情報は、嗅球の腹内側糸球体(vmG)、高次嗅覚中の終脳腹側部腹側核(Vv)、視索前核(PPa)、外側視床下部(LH)などへ伝わり、誘引行動、求愛行動が発現される。
図3 PGF2α嗅覚受容体欠損ゼブラフィッシュの行動異常
(A)PGF2αに対する誘引行動。オスのゼブラフィッシュ4匹を水槽に入れ、水槽の片側からPGF2αを、逆側から溶媒(DMSO)を投与した(横軸の2分の時点で投与)。青および赤の点は水槽の長軸方向の魚の位置を示す。野生型フィッシュは(左)PGF2α投与側に集まっているが、OR114-1欠損フィッシュ(右)ではそのような誘引行動は観察されない。
(B)メスのフィッシュへの求愛行動。オスとメスを1匹ずつ水槽に入れ、オスの求愛行動(追尾・タッチ・回り込み)を観察した。野生型フィッシュ(青)に比べて、OR114-1嗅覚受容体欠損フィッシュ(赤)では、追尾の時間(左)、タッチの回数(中央)、回り込みの回数(右)が大きく減少していた。