要旨
理化学研究所(理研)田中生体機能合成化学研究室の田中克典准主任研究員、髙松正之大学院生リサーチ・アソシエイトらの国際共同研究グループ※は、酸化ストレス[1]疾患のマーカー(目印となる物質)を、抗体を使わず市販の安価な試薬だけで簡便に検出する方法を開発しました。
脳梗塞、アルツハイマー、がんなどの酸化ストレスを原因とする疾患では、生体内でアクロレイン[2]と呼ばれる有機化合物が過剰に発生しています。アクロレインが生体内のタンパク質のアミノ基と反応すると、ホルミルデヒドロピペリジン(FDP)が生成されます。酸化ストレス疾患の1つである脳梗塞のモデル動物や患者では、FDPが多く生成されていることが知られています。そのため、尿や血液中のFDPの量を抗体で検出する方法が開発されてきましたが、抗体を使うため、コストが高い、利便性が悪い、結果が出るまでに時間がかかる、などの問題がありました。
今回、国際共同研究グループは、FDPを直接検出するのではなく、FDPが還元する物質を測定することで、尿や血液からFDPの量を検出する手法を考えました。そこで、生体内で生成されたFDPとニトロベンゼン誘導体(4-ニトロフタロニトリル)を塩化カルシウム存在下で加熱したところ、4-ニトロフタロニトリルがアニリン誘導体(4-アミノフタロニトリル)に還元されることを発見しました。さらに、この4-アミノフタロニトリルは著しい蛍光性を示すことを見出しました。この反応を利用して、ラットやマウスの尿や血清[3]サンプルに、塩化カルシウムと4-ニトロフタロニトリルを加えて加熱した後、4-アミノフタロニトリルが発する蛍光を測定することで、サンプル中のFDPの量を測定することに成功しました。この方法では、FDPの量を抗体よりも非常に容易に高感度で検出でき、かつ使用するのは安価な市販試薬のみですみます。
本手法は、簡便で安価、しかも大量のサンプルを一挙に短時間で測定できることから、今後、健康診断などで酸化ストレス疾患の兆候を直ちに調べる方法の開発に繋がると期待できます。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけ)の研究領域「分子技術と新機能創出」(研究総括:加藤隆史)研究課題名「生体内合成化学治療:動物内での生理活性分子合成」(研究者:田中克典)の一環として行われました。
本成果は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(10月26日付け)に掲載されます。
※国際共同研究グループ
理化学研究所
田中生体機能合成化学研究室
准主任研究員 田中 克典(たなか かつのり)
大学院生リサーチ・アソシエイト 髙松 正之(たかまつ まさゆき)
グローバル研究クラスタ 理研-マックスプランク連携研究センター
システム糖鎖生物学研究グループ 疾患糖鎖研究チーム
副チームリーダー 北爪 しのぶ(きたづめ しのぶ)
テクニカルスタッフ 岡 律子(おか りつこ)
チームリーダー 谷口 直之(たにぐち なおゆき)
大阪大学大学院 理学研究科
教授 深瀬 浩一(ふかせ こういち)
背景
脳梗塞、アルツハイマー、がんなどの酸化ストレスを原因とする疾患では、生体内でアクロレインと呼ばれる有機化合物が過剰に発生しています。アクロレインは不飽和アルデヒド分子[2]の中でサイズが最も小さく、また、反応性が非常に高く強い毒性を持っています。アクロレインが生体内のさまざまなタンパク質のアミノ基と反応すると、ホルミルデヒドロピペリジン(FDP)が生成されます。最近の研究で、脳梗塞の疾患モデル動物や患者では、FDPが多く生成されていることが明らかになっています(図1)。そのため、尿や血液中のFDPの量を抗体で検出する方法が開発されてきましたが、抗体を使用するためコストが高い、利便性が悪い、結果が出るまでに時間がかかる、などの問題がありました。
抗体を使わずに尿や血液からFDPの量を検出できれば、酸化ストレスを原因とする疾患の兆候を簡単に調べることが可能になります。そこで国際共同研究グループは、尿や血液からFDPの量をより簡便・短時間に検出できる方法の開発を目指しました。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、FDPを直接検出するのではなく、FDPが還元する物質を測定することで、尿や血液からFDPの量を検出する手法を考えました。そこで、化学的に単一物質として調製したFDPとニトロベンゼン誘導体を塩化カルシウムの存在下で、100℃で5時間加熱したところ、ニトロベンゼン誘導体がアニリン誘導体に還元されることを発見しました。
次にこの還元反応が、体内で生成されたFDPでも容易に起るか確認したところ、同様の還元反応が起こりました(図2)。また、反応液中に生体内に存在する過酸化水素(H2O2)などの酸化物質や、システイン(アミノ酸)、グルタチオン(ペプチド)などの還元物質があっても、それらの物質がFDPやニトロベンゼン誘導体と反応することなく、効率的に進行することが分かりました。
さらにニトロベンゼン誘導体の1つである4-ニトロフタロニトリルが、FDPによって4-アミノフタロニトリルへ還元されると、著しい蛍光性を示すことを見出しました(図2・3)。マウスやラットから採取した尿や血清サンプルに、塩化カルシウムと4-ニトロフタロニトリルを加えて加熱すると、サンプル中のFDPによって4-ニトロフタロニトリルが4-アミノフタロニトリルへ還元されます。この際、FDPの量によって蛍光量が変化するため、4-アミノフタロニトリルが発する蛍光量を測定することでFDPの量を検出できます。
続いて、成体ラットの血清サンプルを3つ用意し、アクロレインを1日、20日、60日作用させてFDPを生成させました。その後、それぞれのサンプルに塩化カルシウムと4-ニトロフタロニトリルを加えて加熱しました(図4A)。また、あらかじめFDPの量と4-ニトロフタロニトリルが還元されて生成される4-アミノフタロニトリルの蛍光量の相関を測定しておき、蛍光量からそれぞれのサンプルのFDPの量を算出しました。その結果、血清サンプルとアクロレインを長い時間作用させるほど、生成されるFDPの量が多くなることが分かりました。また、開発した方法の検出結果と抗体を使ったELISA法[4]で測定した結果に大きな違いは見られませんでした。さらに、4倍の感度(検出できる最少量)で生体サンプルのFDPの量を検出できました。
次に、6週齢のマウスの尿に含まれるFDPの量を測定したところ、開発した方法と抗体を使ったELISA法で測定したFDPの量に差はほとんどみられませんでした(図4B)。また、さまざまな週齢(4、10、50週齢)や24週齢の出産前、あるいは出産後のマウスの尿10サンプルを用いて測定しました。その結果、一挙に5時間という短時間、そして簡便にFDPの量を検出できました。(図4C)。
今後の期待
今回開発した方法は操作が非常に容易であることに加えて、使用する塩化カルシウムと4-ニトロフタロニトリルは安価な市販試薬であるため、従来の抗体を使ったELISA法に比べて1/10,000以下のコストで実施できます。また、大量のサンプルを一挙に測定できるという利点もあります。
本手法は既にクリニックで治験が開始されており、核磁気共鳴画像法(MRI)に代わって、健康診断での検査法として幅広く活用されると期待できます。
原論文情報
- Masayuki Takamatsu, Koichi Fukase, Ritsuko Oka, Shinobu Kitazume, Naoyuki Taniguchi, Katsunori Tanaka, "A reduction-based sensor for acrolein conjugates with the inexpensive nitrobenzene as an alternative to monoclonal antibody", Scientific Reports
発表者
理化学研究所
准主任研究員研究室 田中生体機能合成化学研究室
准主任研究員 田中 克典(たなか かつのり)
大学院生リサーチ・アソシエイト 髙松 正之(たかまつ まさゆき)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.酸化ストレス
生体内で酸化還元状態の均衡が崩れたとき、過酸化水素やヒドロキシラジカルを代表とする活性酸素が生産される。これらが生体内のタンパク質、脂質、核酸などと反応し、生体にダメージを与える。がん、動脈硬化、アルツハイマー、慢性疾患など、酸化ストレスを原因とする疾患がよく知られている。 - 2.アクロレイン、不飽和アルデヒド
アルデヒド基が二重結合(または三重結合)と炭素-炭素結合を介してつながった構造を持つ化合物を不飽和アルデヒドといい、アルデヒド基につながる二重結合が、全て水素で置換されている分子がアクロレインである。不飽和アルデヒドは、アルデヒド基や二重結合の多数の部位で反応できる反応性の高い分子である。特にアクロレインは、不飽和アルデヒドの中で最も小さく反応性が高いため、生体内のさまざまな分子と反応する。また、毒性が非常に強い。 - 3.血清
血液を常温に放置した後、血液凝固反応で生成した血餅を除いた後に得られる淡黄色の透明な液体。 - 4.ELISA法
抗体を用いて、試料中に含まれる抗原の濃度を特異的に検出・定量する生化学的測定法。ELISAは、Enzyme-linked immune sorbent assayの略。
図1 生体内でのホルミルデヒドロピペリジン(FDP)の生成
酸化ストレスを原因とする疾患では、過剰に発生するアクロレインと生体内のタンパク質のアミン基が反応し、FDPが生成される。この性質を利用して、尿や血液からFDPの量を検出し、酸化ストレス疾患の兆候を調べる。
図2 体内で生成されたFDPによるニトロベンゼン誘導体の還元反応
体内で生成されたFDPとニトロベンゼン誘導体を塩化カルシウムの存在下で、100℃で5時間加熱すると、ニトロベンゼン誘導体がアニリン誘導体に還元される。この還元反応は最大で89%という高い収率で起こる。また、反応液中に生体内に存在する過酸化水素(H2O2)などの酸化物質や、システイン(アミノ酸)、グルタチオン(ペプチド)などの還元物質があっても、還元反応は良好に進む。Rはベンゼン上の置換基を表す。特に電子求引性の置換基(ニトロ基、シアノ基、ハロゲン基など)を持つニトロベンゼン誘導体で効率的に反応が進行する。
図3 4-ニトロフタロニトリルから蛍光性の4-アミノフタロニトリルへの還元反応
マウスやラットから採取した尿や血清サンプルに、4-ニトロフタロニトリルと塩化カルシウムを加えて加熱すると、サンプル中のFDPによって蛍光性の4-アミノフタロニトリルが効率的に生成される。そのため、4-アミノフタロニトリルが発する蛍光量を測定することで、尿や血清に生成されたFDPの量を検出できる。
図4 ラットやマウスの血清と尿サンプルを用いたFDPの検出
A:成体ラットの血清サンプルを3つ用意し、アクロレインをそれぞれ1日、20日、60日作用させてFDPを生成させ、その後それぞれのサンプルに塩化カルシウムと4-ニトロフタロニトリルを加えて加熱した。続いて、4-アミノフタロニトリルが発する蛍光を測定することでFDPの量を検出した。アクロレインと反応させる時間を長くするほど血清中のFDPの量が増加したことが分かる。また、開発した方法の検出結果と、抗体を使ったELISA法で測定した結果に大きな違いは見られなかった。0日後の結果は、もともとラットの血清に含まれているFDPの量を示す。
B:Aと同じ方法で測定した6週齢のマウスの尿に含まれるFDPの量。開発した方法と抗体を使ったELISA法で差はほとんどないことが分かる。
C:さまざまな週齢のマウスの尿に含まれるFDPの量を測定した値。左から、4週齢(1サンプル)、10週齢(4サンプル)、24週齢で出産前(1サンプル)、24週齢で出産後(2サンプル)、および50週齢(2サンプル)のマウスの尿に含まれるFDPの量を示す。