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2017年8月18日

理化学研究所

記憶を思い出すための神経回路を発見

-海馬の二つの局所回路が記憶の書き込みと想起を分担している-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター理研-MIT神経回路遺伝学研究センターの利根川進センター長、ディラージ・ロイ大学院生らの共同研究チームは、マウス脳の海馬支脚[1]を経由する神経回路が、記憶の想起に重要な役割を果たすことを発見しました。

共同研究チームは、これまで一連の研究注1、2)から、私たちの記憶が「エングラム細胞[2]」と呼ばれる海馬[1]の細胞群に書き込まれ、貯蔵されることを実証してきました。海馬はいくつかの領域に分かれ、互いにつながって局所回路を形成しています。海馬の歯状回[1]に入った情報は、そこからCA3[1]CA1[1]領域とそれぞれ伝達していき、嗅内皮質[3]前頭前野[4]などへ送られます。特に背側CA1領域からは、直接内側嗅内皮質の第5層に情報を伝える直接経路と、背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質の第5層に情報を伝える間接経路がありますが、それぞれの経路が果たす役割はよく分かっていませんでした。

そこで共同研究チームは、背側海馬支脚の細胞を光遺伝学[5]によって特異的に制御できる遺伝子改変マウスを作製し、背側海馬支脚の細胞が記憶の書き込みや想起にどのような役割を果たしているのかを調べました。ある特定の箱の中にマウスを入れ、脚に軽い電気ショックを与えると、マウスは怖い体験の記憶を形成し、翌日同じ箱に入れられるとすくみます。ところが遺伝子改変マウスを箱に入れて同じように怖い記憶を形成させ、翌日同じ箱に入れて怖い体験を思い出させるテストの最中に、背側海馬支脚の細胞の働きを光遺伝学で抑制すると、このマウスは怖い記憶を思い出せず、すくみませんでした。一方、箱に入れて電気ショックを与えて記憶を形成している最中に、背側海馬支脚細胞の働きを抑制しても、記憶の形成には問題がありませんでした。このことから、背側海馬支脚の細胞は記憶の想起に重要な役割を果たすことが明らかになりました。さらに詳しい解析により、共同研究チームは、背側CA1領域から直接内側嗅内皮質の第5層に情報を伝える直接経路は記憶の書き込みに、背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質の第5層に情報を伝える間接経路は記憶の想起に、それぞれ重要であることを示しました。

今回の成果は、これまで謎であった海馬支脚の働きを明らかにしただけでなく、海馬の二つの局所回路が、記憶の書き込みと想起という異なる役割を分担していることを示すもので、さらに研究を進めればさまざまな記憶障害の原因解明の糸口となると期待できます。

本研究は、米国の科学雑誌『Cell』(8月24日号)に掲載されるのに先立ち、オンライン版(8月17日付け:日本時間8月18日)に掲載されました。

注1)記憶が特定の脳神経細胞のネットワークに存在することを証明―自然科学で心を研究、心は物質の変化に基づいている―
注2)光で記憶を書き換える-「嫌な出来事の記憶」と「楽しい出来事の記憶」をスイッチさせることに成功-

※共同研究チーム

理化学研究所
脳科学総合研究センター
理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
センター長 利根川 進(とねがわ すすむ)
博士課程 ディラージ・ロイ(Dheeraj Roy)
研究員(研究当時)北村 貴司(きたむら たかし)
研究員 奥山 輝大(おくやま てるひろ)
研究員(研究当時)小川 幸恵(おがわ さちえ)
大学院生 チェン・サン(Chen Sun)

バイオリソースセンター
センター長 小幡 裕一(おばた ゆういち)

実験動物開発室
室長 吉木 淳(よしき あつし)

背景

私たちの記憶は「エングラム細胞」と呼ばれる海馬の特定の細胞群に書き込まれ、貯蔵され、そして再び活性化されることで思い出されます。共同研究チームは、これまで一連の研究から、マウスの脳内にエングラム細胞が実際に存在することを証明し、このエングラム細胞を操作することで記憶の形成や想起のメカニズムを解明してきました。しかし、記憶の書き込み、貯蔵、想起のそれぞれがどのようなプロセスで起こるかは、明らかではありません。

海馬はいくつかの領域に分かれ、互いにつながって局所回路を形成しています。海馬の歯状回に入った情報は、そこからCA3、CA1領域とそれぞれ伝達していき、嗅内皮質や前頭前野などへ送られます。特に背側CA1領域からは、直接内側嗅内皮質の第5層に情報を伝える直接経路と、背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質の第5層に情報を伝える間接経路がありますが、それぞれの経路が果たす役割はよく分かっていませんでした。

研究手法と成果

背側海馬支脚を経由する回路が、記憶の書き込みや想起にどのような役割を果たしているのかを調べるために、共同研究チームは、背側海馬支脚の細胞に任意の遺伝子を発現させることのできる遺伝子改変マウス(dSubマウス)を作製しました。共同研究チームはまず、dSubマウスの背側海馬支脚が脳のどの領域から入力を受け、どの領域に情報を送っているのかを調べました。その結果、背側海馬支脚は、背側CA1領域から主に入力を受けており、また内側嗅内皮質の第5層や乳頭体[6]へ情報を送っていることが分かりました(図1A)。

次に、共同研究チームは、dSubマウスの背側海馬支脚細胞に特異的に光活性型陽イオンポンプであるアーキロドプシン[5]を発現させ(dSub-eArchマウス)、緑色光照射によりこれらの細胞の働きを抑制できるようにしました。

ある特定の箱の中にマウスを入れ、脚に軽い電気ショックを与えると、マウスは怖い体験の記憶を形成し、翌日同じ箱に入れられるとすくみます。この課題を文脈的恐怖条件付け学習と呼びます(図1B)。ところが、dSub-eArchマウスを箱に入れて同じように怖い記憶を形成させ、翌日同じ箱に入れて怖い体験を思い出させるテストの最中に、背側海馬支脚の細胞の働きを緑色光で抑制すると、このマウスは怖い記憶を思い出せず、すくみませんでした(図1C右)。

一方、dSub-eArchマウスを箱に入れて電気ショックを与え、マウスが記憶を形成している最中に、緑色光で背側海馬支脚細胞の働きを抑制しても、記憶の形成には問題がありませんでした(図1C左)。また、背側海馬支脚細胞のうち、乳頭体へつながっている細胞群を緑色光で抑制しても、記憶の形成や想起に影響はありませんでした。このことから、背側海馬支脚の細胞のうち内側嗅内皮質の第5層につながっている細胞群は、記憶の想起に重要な役割を果たすことが明らかになりました。

背側CA1領域には、直接内側嗅内皮質の第5層につながる神経細胞と、背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質の第5層につながる神経細胞が存在しています(図2A)。共同研究チームは、dSub-eArchマウス脳内のそれぞれの神経細胞の軸索の末端に緑色光を照射することにより、背側CA1から直接内側嗅内皮質の第5層につながる直接経路と、背側海馬支脚を経由して内側嗅内皮質の第5層につながる間接経路の働きを別々に抑制しました。

その結果、直接経路は記憶の書き込みに、間接経路は記憶の想起に、それぞれ重要であることが分かりました(図2B)。さらに共同研究チームは、海馬の働きが関与していると考えられている別の恐怖条件付け課題や、報酬と場所を結びつけて嬉しい体験を記憶する条件付け場所嗜好性課題でも、間接経路の働きを抑制すると記憶の想起のみができなくなることを示し、体験の種類に関わらず間接経路は記憶の想起に重要であることが明らかになりました。

今後の期待

海馬支脚は海馬の重要な出力領域であるにも関わらず、その働きは長い間謎でした。今回の成果は、海馬支脚の役割を解明し、海馬の背側CA1からそれぞれ異なった領域に出力する二つの局所回路が、記憶の書き込みと想起という異なる役割を分担していることを示すもので、さらに研究を進めれば記憶障害の治療法の糸口となると期待できます。

原論文情報

  • Dheeraj S. Roy,Takashi Kitamura,Teruhiro Okuyama, Sachie K. Ogawa, Chen Sun, Yuichi Obata, Atsushi Yoshiki and Susumu Tonegawa, "Distinct neural circuits for the formation and retrieval of episodic memories", Cell, doi: 10.1016/j.cell.2017.07.013

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 理研-MIT神経回路遺伝学研究センター
センター長 利根川 進(とねがわ すすむ)
博士課程 ディラージ・ロイ(Dheeraj Roy) 

利根川 進 センター長の写真 利根川 進センター長
ディラージ・ロイ博士課程の写真 ディラージ・ロイ

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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補足説明

  • 1.海馬、海馬支脚、歯状回、CA3、CA1
    記憶の書き込み、貯蔵、想起に重要な役割を果たす脳領域である海馬は、側頭葉に位置する。海馬はさらにいくつか領域に分かれており、お互いに結合して局所回路を形成している。海馬への入力は歯状回(Dentate gyrus)に入り、CA3、CA1領域を通って、海馬支脚(Subiculum)や嗅内皮質(Enthorhinal cortex)につながっている。
  • 2.エングラム細胞
    ヒトや動物の脳内ある記憶の痕跡を支える細胞。この神経細胞の活動パターンやそのつながりによって、記憶が維持されていると考えられている。
  • 3.嗅内皮質
    大脳皮質の一部で側頭葉の内側下部に位置する。海馬へ入力する層と、海馬からの出力を受ける層がある。
  • 4.前頭前野
    大脳皮質のうち、前頭部に位置する領域で、ヒトでは計画や論理的思考などを司る。
  • 5.光遺伝学、アーキロドプシン
    光遺伝学は、光感受性タンパク質を遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させ、その神経細胞群に局所的に光を当てて活性化させたり、抑制したりする技術。アーキロドプシンは古細菌高度好塩菌の一種から取られた光感受性陽イオンポンプで、このポンプを発現する神経細胞は、緑色光を照射すると活動の働きが抑制される。
  • 6.乳頭体
    視床下部の一部で、膨らんだ構造をしており、大脳辺縁系を構成する領域の一つである。
記憶想起における海馬支脚の役割の図

図1 記憶想起における海馬支脚の役割

A)海馬支脚への入力と出力。背側海馬支脚は主にCA1からの入力を受け、内側嗅内皮質や乳頭体へ出力する。

B)文脈的恐怖条件付け学習。マウスを箱の中に入れ、軽い電気ショックを脚に与えると、マウスは箱という環境(文脈)を怖い体験と関連づけた記憶を形成し、翌日同じ箱に入れられると怖い体験を思い出してすくむ。

C左)箱と電気ショックによる怖い体験を学習している最中に、緑色光の照射により海馬支脚を抑制しても、記憶の想起に影響はなく、マウスはすくむ(赤棒グラフ)。青棒グラフはdSub-eArchマウスに緑色光を照射しない場合、緑棒グラフはアーチロドプシンではなく、蛍光タンパク質YFPを発現しているマウスに緑色光を照射した場合で、いずれも記憶の想起には影響がなかった。

C右)怖い体験の学習時ではなく、その記憶を想起しているときに緑色光を照射し、海馬支脚の働きを抑制すると、すくみ反応が減少した(赤棒グラフ)ことから、怖い記憶の想起ができなくなっていることが分かった。青棒グラフはdSub-eArchマウスに緑色光を照射しない場合、緑棒グラフはアーチロドプシンではなく、蛍光タンパク質YFPを発現しているマウスの記憶想起時に緑色光を照射した場合で、いずれも記憶の想起には影響がなかった。

CA1から内側嗅内皮質へ至る二つの経路の役割の図

図2 CA1から内側嗅内皮質へ至る二つの経路の役割

A)CA1から内側嗅内皮質の第5層へ至る二つの経路。直接つながっている直接経路と、海馬支脚を介する間接経路がある。

B左)直接経路の抑制実験。CA1から内側嗅内皮質への入力を、マウスが怖い体験を学習している最中に緑色光で抑制すると、翌日その記憶を想起する際にすくみ反応の減少がみられたが、同じ入力をマウスが翌日記憶を想起しているときに緑色光で抑制しても、すくみ反応の減少はみられなかった(赤棒グラフ)ことから、直接経路は記憶の書き込みに重要な役割を果たしていることが分かった。青棒グラフはアーキロドプシンではなく蛍光タンパク質YFPを発現する対照群。

B右)間接経路の抑制実験。CA1から海馬支脚を介して内側嗅内皮質へ至る間接経路を、マウスが怖い体験を学習している最中に緑色光で抑制しても、翌日その記憶の想起に影響はないが、同じ経路をマウスが翌日記憶を想起しているときに緑色光で抑制すると、すくみ反応の減少がみられた(赤棒グラフ)ことから、間接経路は記憶の想起に重要な役割を果たしていることが分かった。青棒グラフはアーキロドプシンではなく蛍光タンパク質YFPを発現する対照群。

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