理化学研究所(理研)創発物性科学センター量子ナノ磁性研究チームの横内智行基礎科学特別研究員(東京大学大学院工学系研究科博士課程3年、研究当時)、強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)、強相関理論研究グループの永長直人グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)、星野晋太郎客員研究員(埼玉大学大学院理工学研究科助教)らの研究グループ※は、電流によって引き起こされる「スキルミオン弦[1]」と呼ばれるひも状のトポロジカルスピン構造[2]の新しい振る舞いを明らかにしました。
本研究成果は、次世代高性能メモリ素子の実現に向けた、スキルミオン[1]の電流駆動特性の解明につながります。
スキルミオンをメモリ素子に応用するには、電流駆動した際のスキルミオンの振る舞いを理解することが重要です。今回、研究グループは、スキルミオン弦が形成されるマンガンシリコン(MnSi)合金のマイクロスケールの試料を作製しました。そして、非相反非線形ホール効果[3]と呼ばれる特殊なホール効果[3]が、スキルミオンが電流駆動されているときにのみ増大することを明らかにしました。また、このホール効果が、電流駆動されたスキルミオン弦が不純物を避けようと非対称的に変形することにより生じていることも、理論計算で明らかにしました。
本研究成果は、米国のオンライン科学雑誌『Science Advances』(8月10日付:日本時間8月11日)に掲載されます。
図 不純物(水色の丸)の存在下で電流駆動されたスキルミオン弦の模式図
※研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
量子ナノ磁性研究チーム
基礎科学特別研究員 横内 智行(よこうち ともゆき)
(強相関物性研究グループ 研修生(東京大学大学院工学系研究科 博士課程3年)、研究当時)
強相関物性研究グループ
客員研究員 金澤 直也(かなざわ なおや)
(東京大学大学院工学系研究科 助教、研究当時)
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(東京大学大学院工学系研究科 教授)
強相関理論研究グループ
特別研究員(研究当時) 星野 晋太郎(ほしの しんたろう)
グループディレクター 永長 直人(ながおさ なおと)
(東京大学大学院工学系研究科 教授)
強相関物質研究チーム
技師 吉川 明子(きっかわ あきこ)
チームリーダー 田口 康二郎(たぐち やすじろう)
強相関量子構造チーム
特別研究員(研究当時) 森川 大輔(もりかわ だいすけ)
基礎科学特別研究員 柴田 基洋(しばた きよう)
チームリーダー 有馬 孝尚(ありま たかひさ)
(東京大学大学院新領域創成学科 教授)
動的創発物性研究ユニット
ユニットリーダー 賀川 史敬(かがわ ふみたか)
(東京大学大学院工学系研究科 准教授)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究A「反転対称性が破れた電子系における非線形非相反応答の理論(研究代表者:永長直人)」、同「酸化物二次元界面の量子機能とデバイス応用(研究代表者:川崎雅司)」、同若手研究A「固体中におけるモノポール場の発現とそのダイナミクス(研究代表者:金澤直也)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「トポロジカル絶縁体ヘテロ接合による量子技術の基盤創成(研究代表者:川崎雅司)」による支援を受けて行われました。
背景
近年、次世代の低消費電力、高密度、不揮発性のメモリ[4]の研究が盛んに行われています。その候補の一つとして、強磁性磁区[5]を電流によって動かすこと(電流駆動)で作動するメモリ素子が提唱され、注目を集めています。しかし、強磁性磁区の電流駆動は大きな電流密度(1×1011A/m2程度)を必要とし、電力の消費が激しいという欠点があります。
一方、2012年に理研創発物性科学研究センター電子状態マイクロスコピー研究チームの于秀珍(ウ・シュウシン)チームリーダー、強相関物性研究グループの十倉好紀グループディレクターらの研究グループが、スキルミオンと呼ばれるスピン構造を用いた場合は、電流駆動に必要な電流密度が強磁性磁区の場合に比べて1万分の1程度まで抑えられることを明らかにしました注1)。そこで、現在では強磁性磁区の代わりにスキルミオンを電流駆動して動作する次世代メモリ素子が提唱されています。
スキルミオンは、電子のスピンが渦巻き状に整列したスピン構造をとっています(図1左)。また、三次元系では渦巻き状に整列したスピン構造を一方向に積み重ねた弦のような構造をしており、この構造を「スキルミオン弦」と呼びます(図1右)。スキルミオンおよびスキルミオン弦は、トポロジカルスピン構造をとっており、連続的なスピンの向きを変形しても壊れず、外的な温度や磁場の乱れによって壊れにくいという性質を持っています。また、直径はわずか数十ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)から数百nm程度です。これらの低電力で駆動可能、壊れにくい、ナノスケールという特長から、スキルミオンを用いた低消費電力、高信頼性、高密度の不揮発性メモリ素子実現への期待が高まっています。
スキルミオンをメモリ素子に応用するには、電流駆動した際のスキルミオンの振る舞いを理解することが重要です。しかし、これまで電流駆動特性の研究は主に二次元系のスキルミオンを対象に行われており、三次元系のスキルミオン弦についてはあまり研究が行われていませんでした。
注1)2012年8月8日プレスリリース「電子スピンの渦「スキルミオン」を微小電流で駆動」
研究手法と成果
まず、研究グループは、スキルミオン弦の電流駆動特性を解明するため、スキルミオン弦が形成される物質の一つであるマンガンシリコン(MnSi)合金を用いて試料を作成しました。MnSiの結晶構造は空間反転対称性を持たない(空間反転対称性の破れ[6])ため、ジャロシンスキー守谷(DM)相互作用[7]と呼ばれるスピン間の相互作用が働き、適切に制御された温度、磁場のもとでスキルミオン弦が形成されます。
スキルミオン弦の電流駆動に必要な電流密度(1×1010A/m2程度)をMnSiにかけるために、幅が10マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)程度、厚さが0.5μm程度の平板を微細加工技術により加工し、測定用試料を作りました(図2上)。そして、外部磁場を平板試料の面内にかけることで、スキルミオン弦が平板試料の面内に並んだ状態を作り出しました(図2下)。
次に、スキルミオン弦の電流駆動特性を実験で観測するため、「非相反非線形ホール効果」と呼ばれる特殊なホール効果を測定しました。非相反非線形ホール効果とは、MnSiのような空間反転対称性を持たない系に特有なホール効果です。MnSiの結晶構造では電流と磁場を垂直にしたときに、磁場方向に電圧信号が生じます(図2下)。そして、この非相反非線形ホール効果は、空間反転対称性を持たない物質における電流誘起のスピンダイナミクスを反映しやすいことが知られています。
研究グループは、スキルミオン弦が形成される温度、約30K(-243℃)周辺で非相反非線形ホール効果を詳細に測定しました。その結果、3×109A/m2以上の電流密度をかけた場合にだけ、スキルミオン弦相において非相反非線形ホール効果が増大することを発見しました(図3)。さらに、非相反非線形ホール効果の電流密度、および電流の周波数に対する依存性を詳細に調べた結果、非相反非線形ホール効果が増大する領域では、スキルミオン弦が物質中の不純物の影響を受けながら電流駆動されていることが分かりました。
次に、上述の実験で観測した非相反非線形ホール効果の起源を明らかにするために、不純物の存在下におけるスキルミオン弦の電流駆動特性を理論的に調べました。その結果、不純物があるときにスキルミオン弦が電流駆動されると、スキルミオン弦が不純物を避けようと非対称に変形することが分かりました(図4)。この非対称な変形は、MnSiの結晶構造が空間反転対称性を持たないことで働く、ジャロシンスキー守谷(DM)相互作用に起因します。
さらに、理論的に明らかにした電流駆動下におけるスキルミオン弦の非対称な変形と、実験で観測した非相反非線形ホール効果の直接的な関係を明らかにするために、スキルミオン弦が非対称な変形をした状態において、スキルミオン弦に特有の電気応答であるトポロジカルホール効果[8]と創発電場[8]と呼ばれるホール電圧の大きさを計算しました。この二つの効果は、スキルミオン弦がトポロジカルスピン構造をもつために、伝導電子に対してスキルミオン弦が仮想的な磁場として働くことによって生じるものです。そして、スキルミオン弦が非対称に変形したときのみ、この二つのホール電圧の測定端子方向の成分が有限になることが明らかになりました。
このことから、本実験で観測した非相反非線形ホール効果は、スキルミオン弦が電流駆動されるときに、DM相互作用と不純物の影響によって非対称に変形し、その非対称性によりトポロジカルホール効果と創発電場による電圧信号が有限になることで生じていると考えられます。
今後の期待
本研究では、これまで研究があまり行われてこなかった、スキルミオン弦の電流駆動特性に着目しました。そして、空間反転対称性の破れに起因し、スキルミオン弦が非対称的な振る舞いを示すことを明らかにしました。
今後、スキルミオン弦の電流駆動特性の解明をさらに進めることで、スキルミオンの電流駆動によって作動する次世代高性能メモリ素子の実現につながると期待できます。
原論文情報
- T. Yokouchi, S. Hoshino, N. Kanazawa, A. Kikkawa, D. Morikawa, K. Shibata, T. Arima, Y. Taguchi, F. Kagawa, N. Nagaosa, Y. Tokura, "Current-induced dynamics of skyrmion strings", Science Advances, 10.1126/sciadv.aat1115
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子ナノ磁性研究チーム
基礎科学特別研究員 横内 智行(よこうち ともゆき)
(強相関物性研究グループ 研修生(東京大学大学院工学系研究科博士課程3年)、研究当時)
創発物性科学研究センター 強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(東京大学大学院工学系研究科 教授)
創発物性科学研究センター 強相関理論研究グループ
客員研究員 星野 晋太郎 (ほしの しんたろう)
(埼玉大学大学院理工学研究科 助教)
グループディレクター 永長 直人 (ながおさ なおと)
(東京大学大学院工学系研究科 教授)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
お問い合わせフォーム
東京大学大学院工学系研究科 広報室
Tel: 03-5841-1790 / Fax: 03-5841-0529
E-mail:kouhou[at]pr.t.u-tokyo.ac.jp
※上記の[at]は@に置き換えてください。
産業利用に関するお問い合わせ
補足説明
- 1.スキルミオン弦、スキルミオン
固体中の電子は、スピンと呼ばれる電子の自転に対応する自由度を持つ。このスピンの間には相互作用があるために、スピンが整列した状態が実現することがある。例えば、磁石(強磁性状態)は電子のスピンが全て同じ状態にそろった状態である。ある条件下では、スピンが渦巻き上に整列した状態、スキルミオンが形成される。スキルミオンは中心のスピンと外側のスピンが反対向きになっており、その間を連続的につなげた構造をしている。また、三次元物質では渦巻き状のスピン構造が積み重ねた構造となり、この構造をスキルミオン弦と呼ぶ。 - 2.トポロジカルスピン構造
トポロジーとは位相幾何学のことで、連続変形に対して保存される量を扱う学問である。スキルミオンやスキルミオン弦は、「巻き数」と呼ばれるスピンの向きを連続的に変化しても不変な量が有限になる特殊な構造をしている。このように、有限な巻き数をもつ構造をトポロジカルなスピン構造と呼ぶ。 - 3.非相反非線形ホール効果、ホール効果
磁場下で電子が運動すると、電子はローレンツ力(荷電粒子が磁場の中で動くときに磁場により受ける力)を受けて、本来の運動方向に対して横方向に曲がる。したがって、電流を流すと磁場の大きさに比例した電圧が電流の向きに対して垂直な方向に生じる。これは(正常)ホール効果と呼ばれ、垂直方向に生じる電圧を電流で割ったものをホール抵抗と呼ぶ。しかし、空間反転対称性が破れた系では、正常ホール効果に加えて、電流の二乗に比例する電圧信号が生じることが、対称性に基づいた議論により知られている。例えば、MnSiの結晶構造では、磁場と電流を垂直にしたときに磁場と平行方向にこの電圧信号が出る。この効果を非相反非線形ホール効果と呼ぶ。 - 4.不揮発性のメモリ
電源を切ると記憶情報が失われてしまうメモリを揮発性メモリと呼ぶ。一方、電源を切っても記憶情報が失われないメモリを不揮発性メモリと呼ぶ。 - 5.強磁性磁区
スピンの向きがそろった状態を強磁性状態と呼ぶ。ある条件下では、物質全体でスピンが同じ方向に揃うのではなく、スピンの揃っている向きが異なるいくつかの領域に分かれることがあり、これらの領域のことを強磁性磁区と呼ぶ。 - 6.空間反転対称性の破れ
空間座標 ( x, y, z) を (- x,- y,- z) に変換する操作を空間反転と呼ぶ。この変換後の構造が元の構造と一致しない場合、空間反転対称性が破れているという。 - 7.ジャロシンスキー守谷(DM)相互作用
電子のスピン間に働く相互作用の一つで、相対論的な起源を持つ。空間反転対称性を持たない系にのみ存在し、隣合う二つのスピンを直角にしようとする。このジャロシンスキー守谷相互作用は、スキルミオンおよびスキルミオン弦の形成の起源の一つであり、本研究で用いたMnSiにおけるスキルミオン弦は、このジャロシンスキー守谷相互作用と強磁性的なスピン間相互作用の競合によって安定化している。 - 8.トポロジカルホール効果、創発電場
スキルミオンおよびスキルミオン弦のトポロジカルなスピン構造のため、伝導電子がスキルミオンの上を通過すると伝導電子が仮想的な磁場を感じる。この仮想的な磁場によって引き起こされるホール効果をトポロジカルホール効果と呼ぶ。また、スキルミオンが電流などで駆動された場合、仮想磁場が時間変化することから電磁気学のファラデーの法則のように仮想的な電場が生じる。この電場のことを創発電場と呼ぶ。
図1 スキルミオンとスキルミオン弦の模式図
- (左) スキルミオンの模式図。矢印はスピンの向きを表している。外側のスピン(赤矢印)は上を、中心のスピンは(青矢印)は下を向いており、その間のスピンは連続的に上から下へと変化している。
- (右) スキルミオン弦の模式図。スキルミオンを重ねた構造をしている。
図2 測定に用いた試料の電子顕微鏡像とスキルミオン弦の配置の模式図
- (上) 実験に用いた平板試料の電子顕微鏡像。緑色の部分がマンガンシリコン(MnSi)。タングステン(水色)は金電極とMnSiを繋ぐ役目をしている。
- (下) スキルミオン弦の配置の模式図。面内に磁場をかけると、磁場(B)と平行になるようにスキルミオン弦が面内に配列する。非相反非線形ホール効果はMnSiの結晶構造の場合、電流(J)と磁場を垂直にし、磁場と平行方向の電圧信号を測定する。
図3 スキルミオン弦相における非相反非線形ホール効果
温度と磁場に対するスピン構造と非相反非線形ホール効果の大きさ。03~0.15テスラ、27~32ケルビンあたりのピンク色の線で囲まれた温度磁場領域において、スキルミオン弦が形成される。また、グラフの色は実験で測定した非相反非線形ホール効果の大きさを表し、スキルミオン弦構造の真ん中あたり(赤い部分)は非相反非線形ホール効果が大きい部分を、その他の部分(青い部分)は小さい部分を示す。スキルミオン弦相においてのみ、非相反非線形ホール効果が増大していることが分かる。
図4 スキルミオン弦の変形の模式図
- (左) ジャロシンスキー守谷(DM)相互作用がないときのスキルミオン弦の変形の模式図。不純物を中心として、左右で対称的に変形している。
- (右) ジャロシンスキー守谷(DM)相互作用が存在するときのスキルミオン弦の変形の模式図。この場合、不純物を中心として左右で非対称的に変形する。