2018年8月22日
理化学研究所
自然科学研究機構分子科学研究所
高輝度光科学研究センター
X線の2光子吸収分光法を実現
-高温超伝導体をはじめとする遷移金属化合物のd軌道の理解に貢献-
理化学研究所(理研)放射光科学研究センター理論支援チームの玉作賢治チームリーダー、自然科学研究機構分子科学研究所の横山利彦教授、高輝度光科学研究センターの犬伏雄一主幹研究員らの国際共同研究グループ※は、X線自由電子レーザー(XFEL)[1]施設「SACLA[2]」を用いて、物質がX線の光の粒(光子)を2個同時に吸収する2光子吸収を利用した新しい分光法「X線2光子吸収分光法」を世界で初めて実現しました。
本研究成果により、高温超伝導体をはじめとする有用な材料が多いチタンから銅までの8種類の遷移金属を含む化合物の性質を決定づける「d軌道[3]」の状態を調べやすくなり、これらの材料が持つ機能をより深く理解できるようになると期待できます。
今回、国際共同研究グループは、これまで試料が瞬時に蒸発するほどの高強度[4]のX線が必要だったX線2光子吸収過程を、1万分の1以下の強度で観測できる方法を確立しました。これによって、試料(銅)の状態を変化させることなくX線2光子吸収スペクトルを測定し、ありのままの銅の電子状態を調べることが可能になりました。また、物質が光子を1個吸収する従来の「X線吸収分光法」では見えにくかったd軌道の状態を、X線2光子吸収分光法では測定できることを示しました。
本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』(8月21日号)の掲載に先立ち、オンライン版(8月20日付け:日本時間8月21日)に掲載されました。また、今号の注目論文として、「Editors’ Suggestion」に選定されました。
図 測定したX線2光子吸収スペクトル(青四角)とX線1光子吸収スペクトル(実線)
※国際共同研究グループ
理化学研究所 放射光科学研究センター
理論支援チーム
チームリーダー 玉作 賢治(たまさく けんじ)
基礎科学特別研究員 大坂 泰斗(おおさか たいと)
XFEL研究開発部門ビームライン研究開発グループ
グループディレクター 矢橋 牧名(やばし まきな)
ビームライン研究開発チーム
基礎科学特別研究員 井上 伊知郎(いのうえ いちろう)
センター長 石川 哲也(いしかわ てつや)
高輝度光科学研究センター
XFEL利用研究推進室
主幹研究員 犬伏 雄一(いぬぶし ゆういち)
研究員 片山 哲夫(かたやま てつお)
自然科学研究機構 分子科学研究所
教授 横山 利彦(よこやま としひこ)
技術課長 繁政 英治(しげまさ えいじ)
レンヌ大学(フランス)
研究員 小出 明広(こいで あきひろ)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究B「高強度X線と物質との相互作用の解明(研究代表者:玉作賢治)」による支援を受けて行われました。
背景
物質(試料)中の特定の原子について、価数[5]や周囲の原子配置を調べると、その試料が持つ性質や機能の解明につながります。それらを調べる強力な手法の一つにX線吸収分光法があり、物理、化学、生物分野で広く活用されています。
試料にX線を照射すると、試料に含まれる元素やその状態に応じた波長のX線が吸収されます。X線吸収分光法では、試料がX線を吸収する確率が、照射するX線の波長によってどう変わるか(吸収スペクトル)を測定します。これまでX線吸収分光法には、物質がX線の光の粒(光子)を1個吸収する1光子吸収が使われてきました。
物質が光子を吸収する際、1光子吸収以外に光子を2個同時に吸収する非線形[6]な吸収(2光子吸収)も起こります。この2光子吸収を利用すると、1光子吸収では見えにくい状態にある電子も調べることができると考えられてきました。2光子吸収を起こすには、X線の強度を非常に強くし、X線光子を狭い時空間内に大量に押し込めることが必要です。しかし、従来のX線光源では強度が弱かったため、2光子吸収が起こる確率が極めて低く、観測できませんでした。
ところが、2012年にX線自由電子レーザー(XFEL)施設「SACLA」の供用が開始されたことで、玉作賢治チームリーダーらが2014年、X線の2光子吸収過程の観測に世界で初めて成功しました注1)。しかし、このとき利用したX線は、試料のゲルマニウム結晶を瞬時に蒸発させてしまうほど高強度でした。そのため2光子吸収を使って物質本来の姿を調べることができませんでした。
2光子吸収の特徴を生かした新しい分光法を実現するには、①起こる確率が極めて低い2光子吸収を高感度で測定すること、②試料本来の電子状態を調べることができるX線強度の上限を調べ、その上限を超えない強度で、2光子吸収を測定することなどの課題がありました。国際共同研究グループは、これらの課題に、数年にわたって取り組んできました。
注1)2014年2月17日プレスリリース「X線の2光子吸収の観測に成功」
研究手法と成果
試料のX線吸収全体における2光子吸収の割合は無視できるほど小さいため、試料を透過したX線の強度からは2光子吸収の確率を知ることができません。そこで、2光子吸収した原子から放出される、「蛍光X線[7]」を測定することにしました。
試料にX線を照射する際、2光子吸収に使うX線だけであれば、2光子吸収した原子が放出する蛍光X線だけを測定できるはずです。しかし、実際のXFELには、2光子吸収に使うX線以外にも、その1/2や1/3の波長のX線が混ざっています。これらのX線は、その多くが1光子吸収されて蛍光X線を放出し、2光子吸収による蛍光X線を隠してしまいます。そこで、2光子吸収に使う波長のX線に対して1/2の波長のX線を13桁、1/3の波長のX線を8桁弱くする光学系を構築しました。
さらに、X線の強度を弱めると2光子吸収が起こる確率が急激に低下するため、微弱な蛍光X線を高感度で測定する装置も開発しました。実際に試料(銅)を測定した結果、これまでのX線のわずか1万分の1以下の強度でも、X線の2光子吸収を測定できるようになりました。
次に、銅本来の電子状態を測定できる上限のX線強度を調べるために、過去の研究からよく理解されている1光子吸収スペクトルを、X線の強度を変えながら測定しました。その結果、銅で吸収されるエネルギー密度(単位体積あたりのエネルギー量)が20ジュール[8]/mm3以上になると、スペクトルが変化し始めることが分かりました。つまり、これより強度の弱いX線(1015W/cm2以下)で測定すれば、試料本来の電子状態を測定できることが分かりました。
このようにしてX線2光子吸収分光に世界で初めて成功し、しかも、銅が本来持っている2光子吸収スペクトルを明らかにしました。図1を見ると、2光子吸収スペクトルは、1光子吸収スペクトルと大きく異なることが分かります。理論的な解析の結果、それぞれが見ている電子状態が異なり、1光子吸収が主にp軌道[3]を見ているのに対して、2光子吸収では銅の性質を決定づける「d軌道」を見ていることが分かりました。
今後の期待
X線2光子吸収分光の測定が実現したことで、従来の1光子吸収では見ることが難しかった電子状態を調べることができるようになりました。特に、周期表上のチタン(原子番号22)から銅(原子番号29)までの遷移金属(チタン、バナジウム、クロム、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、銅)を含む化合物には、高温超伝導体といった有用な機能を発現するものが多く見つかっています。しかも、それらの機能には、1光子吸収では見えにくいd軌道が深く関わっていると考えられています。今後、X線2光子吸収分光がd軌道を調べる有効な方法として活用されると期待できます。
また、これまでXFELを用いた非線形光学[6]の研究のほとんどは、X線の非線形光学過程の初観測を目指したものでした。今回、X線の非線形光学過程である2光子吸収を使った新しい分光法の実現に成功したことは、その研究フェーズを初観測から応用展開の段階に進めるきっかけとなります。
原論文情報
- Kenji Tamasaku, Eiji Shigemasa, Yuichi Inubushi, Ichiro Inoue, Taito Osaka, Tetsuo Katayama, Makina Yabashi, Akihiro Koide, Toshihiko Yokoyama, Tetsuya Ishikawa, "Nonlinear spectroscopy with x-ray two-photon absorption in metallic copper", Physical Review Letters, 10.1103/PhysRevLett.121.083901
発表者
理化学研究所
放射光科学研究センター XFEL研究開発部門 ビームライン研究開発グループ 理論支援チーム
チームリーダー 玉作 賢治(たまさく けんじ)
自然科学研究機構分子科学研究所
教授 横山 利彦(よこやま としひこ)
高輝度光科学研究センター
XFEL利用研究推進室
主幹研究員 犬伏 雄一(いぬぶし ゆういち)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
お問い合わせフォーム
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
Tel: 0564-55-7297 / Fax: 0564-55-7374
Email:press [at] ims.ac.jp
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
Tel: 0791-58-2785 / Fax: 0791-58-2786
E-mail:kouhou [at] spring8.or.jp
※上記の[at]は@に置き換えてください。
産業利用に関するお問い合わせ
補足説明
- 1.X線自由電子レーザー(XFEL)
X線領域におけるレーザーのこと。従来の半導体や気体を発振媒体とするレーザーとは異なり、真空中を高速で移動する電子ビームを媒体とする。ほぼ完全な空間コヒーレント光であり、数フェムト秒(1フェムト秒は1,000兆分の1秒)の超短パルスを出力する。XFELはX-ray Free-Electron Laserの略。 - 2.SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本ではじめてのXFEL施設。2011年3月に施設が完成し、SPrin-g-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。2011年6月に最初のX線レーザーを発振、2012年3月から共用運転が開始され、利用実験が始まっている。大きさが諸外国の同様の施設と比べて数分の一とコンパクトであるにもかかわらず、0.1ナノメートル(nm、100億分の1m)以下という世界最短波長のレーザーの生成能力を持つ。 - 3.d軌道、p軌道
電子は、惑星が太陽の周りを回るように、原子核の周りを回っている。これらの電子は回っている軌道によって性質が異なる。特に、原子核に近いd軌道を回っている電子は、磁気などさまざまな性質の発現に関わっている。一方で、p軌道は広がっていて、金属では電気伝導などに寄与する。 - 4.強度
X線などの光が単位面積に単位時間あたり運ぶエネルギーの量で、W/cm2という単位で測る。例えば、地表での太陽光の強度は、約0.1W/cm2である。 - 5.価数
原子や原子団が、他の原子との結合をいくつ作れるかを表す指数。 - 6.非線形、非線形光学
非線形とは、出力(応答)が入力に比例しない現象。非線形光学は、光に関する非線形な現象、つまり、光に対する応答がその強さに比例しない現象を扱う。応答が光の強さの2乗(3乗)で強くなる場合、2次(3次)の非線形光学過程と呼ぶ。2光子吸収は、3次の非線形光学過程の一つ。 - 7.蛍光X線
励起されてエネルギーの高い状態になった原子が、脱励起するときに放出するX線。元素に固有の波長(色)を持つ。この特徴を生かして元素分析などに利用される。 - 8.ジュール
エネルギーの単位。1秒間に1ジュールのエネルギー消費は、1ワットに相当する。1mm3あたり20ジュールは、銅が溶融するエネルギー密度の約5倍に相当する。
図1 X線の2光子吸収スペクトルと1光子吸収スペクトルの違い
- 中央:X線の2光子吸収スペクトル(青四角のプロット)と1光子吸収スペクトル(実線)。試料(銅)の吸収断面積が大きいほど光子が吸収されやすい。スペクトルの違いから2光子吸収と1光子吸収は違う情報を感知していることが分かる。また、1光子吸収スペクトルがX線強度によって変化する様子(黒→赤→黄の順)から、2光子吸収分光で銅本来の電子状態を測定できる上限を決定した。
- 左:2光子吸収の模式図。2個のX線光子が同時に吸収される。1回のジャンプ(1光子の吸収)では上に上がれ(励起され)ないので、空中でもう一度ジャンプする。
- 右:1光子吸収の模式図。1個のX線光子だけが吸収される。1回のジャンプで上に上がれるが、勢いよく上がると台(試料)が壊れてしまう。