2019年8月9日
理化学研究所
物質・材料研究機構
高エネルギー加速器研究機構
東京大学
ナノ磁気渦形成の定説を覆す物質の開発に成功
-磁気フラストレーションを利用して創発電磁気応答を巨大化-
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター強相関物性研究グループの車地崇客員研究員(マサチューセッツ工科大学ポストドクトラルフェロー)、十倉好紀グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)、物質・材料研究機構の山崎裕一主任研究員、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所の佐賀山基准教授らの共同研究グループ※は、これまでの定説を覆す微小な磁気渦(磁気スキルミオン[1]、以下スキルミオン)を形成する新たな磁性材料の開発に成功しました。本研究成果は、次世代の情報記憶媒体への応用も期待されるスキルミオン材料の設計指針を大きく刷新し、高集積化・高検出感度化を可能にするスピントロニクス[2]デバイスへの応用につながると期待できます。
従来のスキルミオン物質は、「空間反転対称性[3]が破れている」という状態が実現している磁性体であることが不可欠でした。
今回、共同研究グループは、「磁気フラストレーション[4]」に着目した探索を行い、Gd2PdSi3(Gd:ガドリウム、Pd:パラジウム、Si:ケイ素)の結晶構造には空間反転対称性がある一方で、磁性原子のGdは三角格子状に並んだ状態にあることに着目しました。そして、詳細な電気伝導特性の測定およびスピン構造の解析の結果、この物質中では、数ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)サイズの磁気渦が存在しており、創発電磁気応答[5]の一つである「トポロジカルホール効果[6]」が従来のスキルミオン物質より1桁以上も大きく発現することを明らかにしました。
本研究は、米国の科学雑誌『Science』のオンライン版(8月8日付け:日本時間8月9日)に掲載されます。
図 三角格子とその上に実現したスキルミオン格子と創発磁場分布の模式図
※共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
強相関物性研究グループ
客員研究員 車地 崇(くるまじ たかし)
(マサチューセッツ工科大学 ポストドクトラルフェロー)
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 教授)
創発スピン構造研究ユニット
ユニットリーダー 中島 多朗(なかじま たろう)
(東京大学大学院 工学系研究科 量子相エレクトロニクス研究センター 特任准教授)
強相関量子構造研究チーム
チームリーダー 有馬 孝尚(ありま たかひさ)
(東京大学大学院 新領域創成科学研究科 物質系専攻 教授)
強相関量子伝導研究チーム
訪問研究員 マックス・ヒルシュバーガー(Max Hirschberger)
強相関物質研究グループ
技師 吉川 明子(きっかわ あきこ)
グループディレクター 田口 康二郎(たぐち やすじろう)
物質・材料研究機構
統合型材料開発・情報基盤部門 材料データ科学グループ
主任研究員 山崎 裕一(やまさき ゆういち)
高エネルギー加速器研究機構
物質構造科学研究所 放射光科学第一研究系/構造物性研究センター
准教授 佐賀山 基(さがやま はじめ)
准教授 中尾 裕則(なかお ひろのり)
※研究支援
本研究は日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究S「磁性体における創発電磁気学の創成(研究代表者:永長直人)」、若手研究B「新規極性強磁性体における電気磁気応答の巨大化およびネール型スキルミオンの開発(研究代表者:車地崇)」、若手研究A「共鳴軟X線小角散乱による磁気テクスチャの観測(研究代表者:山崎裕一)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「スパース位相回復法によるコヒーレント軟X線オペランド計測(研究代表者:山崎裕一)」による支援を受けて行われました。
背景
「磁気スキルミオン」(以下、スキルミオン)とは、磁性体中の磁石のもととなる磁気モーメント(個々の原子が持つ小さな棒磁石)が渦状に配列したもので、典型的な大きさは数十~数百ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)です。この磁気渦は、金属中の電子にトポロジカルな効果を及ぼし、電子はそこにあたかも強い磁場が存在するかのようにふるまいます。これは「創発磁場」と呼ばれており、電流の流れる方向が曲がる効果「トポロジカルホール効果」として実際に観測できます。このように、電気的にスキルミオンの存在を検出できることから、スキルミオンを情報記憶媒体として用いる新しい磁気メモリの開発なども提案されています。
これまでスキルミオンは、キラリティ[7]を持つ結晶や磁性薄膜表面などのいくつかの磁性体中で報告されてきましたが、それらはどれも結晶格子において、「空間反転対称性が破れている」という状態が実現していることが不可欠とされていました。この理由は、空間反転対称性のある物質では、スピンがねじれて配列する微視的メカニズムが打ち消し合うため、スキルミオンが熱平衡状態として安定化しないと考えられてきたからです。この考え方は、新しいスキルミオン材料の設計指針に強い制約を課すもので、材料候補としてはこの条件を満たした物質のみということになります。
しかし、それでは応用上有用な材料に巡り会う機会を大きく狭めてしまいます。そこで共同研究グループは、より広い材料候補から探索できるように、スキルミオン安定化に対して従来とは異なるアイディアが必要だと考えました。
研究手法と成果
共同研究グループはまず、より多くの物質で適用できるシンプルな方法でスピンのねじれを生じさせる方法を検討しました。その結果、磁性体において頻繁に現れる「磁気フラストレーション」と呼ばれる現象を利用すれば、空間反転対称性の破れの制約を克服できることに気づきました。磁気フラストレーションは、例えば磁性原子を三角格子に並べるだけという極めて簡単な方法で実現できることが特徴です。そのような結晶中では、スピン間の相互作用が格子の幾何学的要因によって自動的に競合を起こしやすくなり、ねじれたスピン配列が安定化するのに有利に働くことが知られています。実際、先行するいくつかの理論研究では、熱揺らぎ[8]や磁気異方性などの効果があれば、磁気フラストレーション系でスキルミオンが安定化する可能性があることが提案されていました。しかし、実験的にスキルミオンの発現を確かめた例はまだありませんでした。
そこでこの新しい設計指針の下、新しいスキルミオン物質の探索を進め、ガドリニウム(Gd)、パラジウム(Pd)、ケイ素(Si)からなる金属間化合物[9]Gd2PdSi3の結晶構造には空間反転対称性がある一方で、磁性原子のGdは三角格子状に並んだ磁気フラストレーションの状態にあることに着目しました(図1a)。浮遊帯溶融法[10]により育成した単結晶について、スピンのねじれた配列を観測できる共鳴X線散乱[11]実験を行ったところ、単結晶の三角格子に垂直な方向に磁場をかけたときだけ、スキルミオンが格子状に配列する磁気スキルミオン格子[1]状態が実現していることが分かりました(図1b,c)。
また、スキルミオンの大きさが2.5nm程度であり、従来の典型的なサイズより1桁も小さい磁気渦が安定化していることが分かりました(図1b)。これまでの空間反転対称性の破れた物質では、スピンのねじれのメカニズムとして電子の相対論的効果[12]を利用していますが、この効果は非常に小さく、スピンのねじれの長さスケールを小さくするのに不利に働くため、スキルミオンの縮小化を制限していました。これに対して、今回の磁気フラストレーションを利用する方式では、スピンのねじれに相対論的効果は関係ないために、より小さなスキルミオンの実現につながったと考えられます。この結果は、新原理によって安定化したスキルミオンの優位性の一つの特徴であり、磁気渦の集積密度の大幅向上につながると考えられます。
さらに、スキルミオンを電気的な信号として検出することに成功しました。スキルミオン格子相においてのみ、大きなトポロジカルホール効果の発現を発見しました(図2a)。磁場の値を変化させ、スキルミオン格子相の外の領域へ移行すると、急激にホール抵抗率が減少していることが分かります(図2b)。これは、スキルミオンが伝導電子に著しく創発磁場を及ぼしていることを示しています。
また、トポロジカルホール抵抗率の大きさは、よく研究されているスキルミオン物質の一つであるマンガンシリコン合金(MnSi)における値より1桁以上も大きいことが分かりました。スキルミオンが電子に及ぼす創発磁場の値は、スキルミオンサイズの二乗の逆数に比例して増大すると考えられており、この結果は、磁気フラストレーションを利用することによって実現した極小サイズのスキルミオンの効果を表しています。このように、新原理によるスキルミオン安定化の戦略が、スキルミオンの情報担体としての高検出感度化にも有効であることを明らかにできました。
今後の期待
磁気フラストレーションを利用した新たな材料設計指針により、空間反転対称性の破れを必須としてきたこれまでのスキルミオン物質開発研究に課されてきた多くの制約を克服できることが明らかになりました。
磁気フラストレーションは三角格子に限らず、カゴメ格子などにおいても実現しやすいことが知られています。今回の研究で開拓した設計指針を適用することにより、これから多くのより巨大な電磁気応答を示す磁気スキルミオン物質の発見が期待でき、スキルミオンを情報媒体としたスピントロニクスデバイスへの応用につながると考えられます。
原論文情報
- Takashi Kurumaji, Taro Nakajima, Max Hirschberger, Akiko Kikkawa, Yuichi Yamasaki, Hajime Sagayama, Hironori Nakao, Yasujiro Taguchi, Takahisa Arima, and Yoshinori Tokura, "Skyrmion lattice with a giant topological Hall effect in a frustrated triangular-lattice magnet", Science, 10.1126/science.aau0968
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関物性研究グループ
客員研究員 車地 崇(くるまじ たかし)
(マサチューセッツ工科大学 ポストドクトラルフェロー)
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
物質・材料研究機構
統合型材料開発・情報基盤部門 材料データ科学グループ
主任研究員 山崎 裕一(やまさき ゆういち)
高エネルギー加速器研究機構
物質構造科学研究所 放射光科学第一研究系/構造物性研究センター
准教授 佐賀山 基(さがやま はじめ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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東京大学大学院新領域創成科学研究科 広報室
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※上記の[at]は@に置き換えてください。
産業利用に関するお問い合わせ
補足説明
- 1.磁気スキルミオン、磁気スキルミオン格子
結晶中の原子が持つ磁気モーメント(小さな棒磁石)が渦状に配列した状態のことを指す。この磁気渦が固体中に多数生じると、渦同士が集まり、格子状に規則的に配列する場合がある。この結晶のような状態を磁気スキルミオン格子と呼ぶ。 - 2.スピントロニクス
エレクトロニクス(電子の電荷としての性質を利用した電子工学)の概念を拡張し、電子の持つスピンの性質を利用する電子工学。次世代の省電力・不揮発性の電子素子の動作原理を提供すると期待されている。 - 3.空間反転対称性
構造の上下・前後・左右の全てをひっくり返した構造が元の構造とぴったり重なるような構造は「空間反転対称性がある」という。逆に元と重ならない構造は「空間反転対称性が破れている」という。薄膜の表面は反転操作の後で薄膜の上下がひっくり返ってしまうので、このような表面上の磁気モーメントにとっても「空間反転対称性が破れている」ということになる。 - 4.磁気フラストレーション
例えば、正三角形の各頂点に反強磁性的に相互作用する(互いに反平行に向こうとする)磁気モーメントを並べるとき、二つの磁気モーメントを反平行に並べると、残り一つの向きが定まらない。このように、相互作用が拮抗し、安定な磁気状態が一つに定まらない状態を「磁気フラストレーション」と呼ぶ。磁気フラストレーションを起こしている磁性体中では各スピンが少しずつ妥協し、全体の相互作用を最適化する磁気状態をとることがよく知られている。特にらせん状にスピンがねじれた配列を好む場合が多く、今回の研究では磁気スキルミオン安定化のメカニズムとして利用できると考えた。 - 5.創発電磁気応答
真空中の電子は(真空中の)マクスウェル方程式に従う電場・磁場の影響を受けて運動する。一方、固体中(特に結晶中)において、電子は基底状態付近の低エネルギーの状態に束縛された複雑な運動をする。このような場合の物質の電磁場に対する応答は、電子の電荷およびスピンが実効的に「創発電磁場」を受けているとする描像で記述すると統一的に説明できることが近年分かってきた。トポロジカルホール効果を含め、これらの現象を総じて創発電磁気応答と呼ぶ。 - 6.トポロジカルホール効果
創発電磁気応答の一つ。金属中の電子が磁性体中を移動する場合を考える。磁性体中の磁気モーメントがねじれて配列している場合、電子のスピンはその上をゆっくり進むに従って、局所的な磁気モーメントの方向を向くように少しずつねじれていく。電子が受けるこのような効果は、磁場中を運動する場合と量子力学的に等価であることが知られている。電子は仮想的な磁場、「創発磁場」を感じながら運動することになり、普通の磁場によるローレンツ力と同じように創発磁場によって曲がって進むことになる。この効果は、電流を流した方向と垂直方向に生じる電圧(ホール電圧)として検出できることから、「トポロジカルホール効果」と呼ばれている。 - 7.キラリティ
右手と左手の関係のように、鏡に映した構造が、元の構造と重ならない結晶構造を「キラル」な結晶構造と呼び、そのような結晶構造には「キラリティ」があるという。キラリティのある結晶構造は空間反転対称性が破れている。 - 8.熱揺らぎ
物質の状態は絶対零度では最低エネルギーの状態(基底状態)に固定されるが、有限温度ではエントロピーを最大化させるため、エネルギーの高い状態へわずかな確率で揺らいでいる。これを熱揺らぎといい、フラストレーション系では特に基底状態に近いエネルギーの別の磁気状態が複数ある場合があり、熱揺らぎの効果で後者の状態のどれかが安定化することがある。 - 9.金属間化合物
2種類以上の金属元素からなる固体の化合物。さまざまな元素の組み合わせにより、元の元素の結晶構造とは異なる多彩な結晶構造をとることができる。今回の研究対象のGd2PdSi3では、Gd原子の三角格子層とPdとSiのハニカム格子層が交互に積層する構造が実現しており、それぞれのGd三角格子層内の磁気フラストレーションが効果的に発現しやすくなっている。 - 10.浮遊帯溶融法
単結晶成長方法の一つで、溶融帯を上下の原料棒の間に表面張力によって浮遊させることが特徴である。溶融帯をゆっくりと移動させることによって、単結晶が成長する。るつぼを使用しないため、るつぼ材の混入がない。また、原料棒の太さ・長さを調整することで、比較的大きな単結晶の育成が可能となる。今回、純良なセンチメートルサイズの大型単結晶の育成に成功したことにより、電気伝導特性・磁気特性の精度の高い測定が可能となった。 - 11.共鳴X線散乱
放射光X線による回折実験の手法の一つ。原子が持つ固有の共鳴状態に一致するエネルギーを持つX線を入射することで、固体中の特定の元素の磁気状態や電子軌道状態の情報を得ることができる。本研究では、研究対象のGd2PdSi3においてGdの L2端の共鳴エネルギーに対応する約7.9keVで実験を行い、Gdスピンの配列状態を調べた。Gdは中性子の強い吸収体であるため、磁性体のスピン構造を解析する手法としてよく行われる中性子散乱がほぼ不可能である。共鳴X線散乱はこの問題を克服する強力な実験手法である。 - 12.電子の相対論的効果
電子は自転に対応する自由度としてスピン自由度を持っている。通常スピン自由度と電子の空間運動の自由度は独立だが、光速に近い速度で運動する電子の場合は、両者は相関を持つ。特に空間反転対称性の破れた結晶中を運動する電子のスピンの方向は結晶の対称性の影響を受けやすくなる。スピンは結晶の特定の方向にねじれた配列をとりやすくなる場合がある。従来の方法ではこの効果が支配的になるように結晶構造や薄膜超構造などを設計し、スキルミオンを安定化させている。
図1 Gd2PdSi3で実現した磁気スキルミオン格子状態
- (a) Gd2PdSi3の結晶構造。青丸がガドリニウム原子、白丸がパラジウム原子もしくはケイ素原子。ガドリニウムは三角格子を組むように配列している。上下・前後・左右をひっくり返しても同じ、空間反転対称性がある結晶構造である。ガドリニウム間の距離は約0.41nm。
- (b) スキルミオン格子状態の概念図。それぞれの矢印は、ガドリニウム原子それぞれの磁気モーメントの向きを表している。スキルミオンのサイズは約2.5nm。
- (c) 交流帯磁率測定で調べた温度・磁場相図。磁気モーメントが空間的に不均一に配列している状態である磁気変調相1と2に挟まれた領域(赤矢印)で、スキルミオン格子相の安定化を発見した。
図2 磁気スキルミオン格子状態でのトポロジカルホール効果
- (a) トポロジカルホール抵抗率のカラーマップ。スキルミオン格子相においてのみ、創発磁場の著しい発現がみられている。
- (b) 2.0Kにおけるホール抵抗率の磁場依存性。赤点が磁場上昇過程、青点が下降過程。スキルミオン格子相が発現している、外部磁場約10キロエルステッドでホール抵抗率は極大となる。この大きな正のホール抵抗率(オレンジ斜線領域)が、磁気スキルミオンの創発磁場に由来したトポロジカルホール効果である。