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2021年8月26日

理化学研究所
マインツ大学
マックスプランク研究所

陽子・反陽子の“離れ業”冷却

-消えた反物質の謎を探る画期的なツール-

理化学研究所(理研)開拓研究本部Ulmer基本的対称性研究室のステファン・ウルマー主任研究員、クリスティアン・スモーラ客員研究員、マインツ大学のヨッヘン・ヴァルツ教授、マックスプランク研究所のクラウス・ブラウムディレクターらの国際共同研究グループは、陽子と反陽子(陽子の反粒子[1])などの荷電粒子を1分で20ミリKまで冷却できる画期的な冷却法を開発しました。

本研究成果は、陽子と反陽子の性質をこれまでにない超高精度で比較できることを示しており、「宇宙からなぜ反物質[1]が消えてしまったのか」という現代物理学最大の謎の解明につながるものと期待できます。

陽子と反陽子の性質を表す質量電荷比(質量と電荷の比)や磁気モーメント[2]を高精度で比較する実験には、陽子や反陽子を絶対零度(0K、-273.15℃)付近の極低温まで冷却する必要があります。しかし、これまで用いられていた冷却法では、100ミリKまで冷却するのに約10時間もかかっていました。

今回、国際共同研究グループは、レーザー冷却[3]されたベリリウムイオン(Be)を用いて、Beと9cmも離れた位置にある陽子または反陽子1個を極低温まで冷却する方法を開発しました。この冷却法は、レーザー冷却されたイオンにより、遠く離れた任意の荷電粒子をその電荷符号にかかわらず、従来のおよそ1,000分の1の時間で迅速に効率良く冷却できることから、まさに"離れ業"冷却法ともいえます。

本研究は、科学雑誌『Nature』(8月26日号)への掲載に先立ち、オンライン版(8月25日付:日本時間8月26日)に掲載されます。

背景

素粒子物理の標準理論[4]では、約138億年前に起きたビッグバンの際に、粒子と反粒子が対で生成され、その後、粒子と反粒子が消滅する際に対で消滅することが示されています。従って、宇宙には物質と反物質が等量存在するはずですが、現在の宇宙を観測しても物質ばかりで、反物質はどこにも見当たりません。この「なぜ宇宙から反物質が消えてしまったのか」という問題は、暗黒物質(ダークマター)[5]暗黒エネルギー(ダークエネルギー)[6]などと並ぶ現代物理学最大の謎の一つとなっています。

この謎を解明するため、これまで理研のUlmer基本的対称性研究室を中心とするBASE実験グループは、陽子と反陽子(陽子の反粒子)の性質を高精度で比較する研究を進めてきました。標準理論ではCPT対称性[7]が保存されていることから、陽子と対になる反陽子の質量や質量電荷比、磁気モーメントの値は正確に一致するはずです。従って、両者の間にほんの少しでも違いが観測されれば、それはCPT対称性の破れを発見したことになり、新しい物理学の幕開けとなります。

BASE実験グループは既に、陽子と反陽子の性質の一つである質量電荷比(質量と電荷の比)を1000億分の1(10-11)の精度で、また、磁気モーメントを10億分の1(10-9)の精度で測定することに成功しています注1-2)。しかし、この精度では陽子と反陽子の性質に違いは見られませんでした。実験精度を格段に高くする手法の開発が最重要事項になりますが、そのためには陽子や反陽子を絶対零度(-273.15℃)付近の極低温まで冷却することが必須です。今回、国際共同研究グループは荷電粒子をこれまでにない速さで陽子や反陽子を冷却できる手法の開発に取り組みました。

研究手法と成果

陽子や反陽子の性質を超高精度で調べるには、(1)電荷符号の異なる陽子と反陽子のいずれにも適用可能、(2)極低温まで冷却可能、(3)冷却に要する時間が短い、という通常なら共存しがたい三つの条件を同時に満たす冷却法が必要です。そのため、国際共同研究グループは次のような従来とは質的に異なる冷却系を考案し、それを実現しました(図1)。

  • 1)ベリリウムイオン(Be)をペニングトラップ[8]に捕捉し、これをレーザー冷却する。
  • 2)巨視的に離れた位置(9cm)にあるペニングトラップに、陽子(反陽子)1個を捕捉する。
  • 3)1)と2)のペニングトラップを超伝導共鳴回路[9]でつなぐことで、陽子(反陽子)とレーザー冷却されたBeを相互作用させ、陽子(反陽子)を共同冷却する。
離れ業冷却法の概念図の画像

図1 "離れ業"冷却法の概念図

中央に冷却される粒子(ここでは陽子)を捕捉するペニングトラップ、その左側9cm離れたところに陽子を冷却するための粒子(ここではレーザー冷却されたベリリウムイオン、Be)を捕捉するペニングトラップ、右側に二つのペニングトラップを電気的につなぎ、陽子のエネルギーをBeに吸収させる超伝導共鳴回路が配置されている。また、中央の陽子を捕捉するベニングトラップに加える電位を逆転させると、他の条件を全く変えることなく、反陽子を捕捉できる。

この冷却系の大きな特徴は、陽子(反陽子)とレーザー冷却されたBeの二つの粒子系を、9cmという巨視的に離して置いても十分強く相互作用させることができ、結果的に陽子(反陽子)を効率的に冷却できることです。9cmも離れていれば、物質であるBeと反物質である反陽子が空間的に混ざって対消滅することはありません。元々この冷却法のアイデアは、1990年にWinelandとHeinzenによって提案されたものでしたが注3)、その困難さからアイデア止まりで、誰も実現できずにいました。

これまで、BASE実験グループは選択的抵抗冷却法[10]で極低温の陽子や反陽子を生成していましたが、これは極めて時間のかかる作業で、実際、100ミリKまで冷却するのに約10時間も要していました。今回開発した冷却法では、陽子や反陽子を20ミリK程度まで1分ほど(従来のおよそ1,000分の1)で冷却できます。これにより、測定回数を桁違いに増やすことができ、実験精度が飛躍的に向上すると考えられます。

  • 注3)D. J. Heinzen and D. J. Wineland, Quantum-limited cooling and detection of radio-frequency oscillations by laser-cooled ions. Phys. Rev. A 42, 2977 (1990)

今後の期待

本研究成果は、BASE実験グループが陽子と反陽子の違いをこれまでよりもさらに高い精度で観測することを可能にし、ひいては、この宇宙には物質しか残されていないという大きな謎の解明につながるものと期待できます。

今回開発した冷却法は、陽子と反陽子だけでなく、電子や陽電子など他の粒子の超高精度比較のようなペニングトラップを用いる全ての超高精度実験、さらには、反物質(反水素)と物質(地球)の重力相互作用の研究などにも適用可能なことから、さまざまな研究に大きなインパクトを与えます。

補足説明

  • 1.反粒子、反物質
    反粒子は粒子と同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号は反対である。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ反陽子である。粒子と対をなす反粒子が出合うと消滅する。陽電子と反陽子は、一番単純な反物質の原子である反水素を形成する。反物質は反粒子からできている物質のこと。
  • 2.磁気モーメント
    反陽子や陽子は磁石の性質を持ち、磁気モーメントはその磁石の強さと向きを表す。素粒子物理学によると、スピンを持つ全ての粒子は磁気モーメントを持っており、陽子と反陽子もこれに含まれる。
  • 3.レーザー冷却
    熱運動している原子(イオン)が吸収する光の波長は、ドップラー効果のために熱運動の方向と速さにより変化する。そのため光の波長を調整することで、光の方向に特定の速さで運動している原子(イオン)を選択的に励起できる。光を吸収して励起された原子(イオン)は、光の運動量を受け取って減速される。この原子(イオン)は自然放射するが、これは全方向にランダムに起こるので、レーザー光の吸収と放出を何度も繰り返すことで、原子(イオン)を巨視的に減速できる。この操作を三次元全ての方向で行えば、原子(イオン)を冷却できる。
  • 4.素粒子物理の標準理論
    重力を除く素粒子間の基本的な相互作用についての理論であり、現代物理学を基礎づけている。しかし、宇宙の物質-反物質非対称性は標準理論では説明することができないことから、標準理論を超える理論の構築が精力的に進められている。標準理論はCPT対称性を保証するので、実験的にはCPT対称性の破れる現象を発見することで、標準理論をどのように書き換えるかの情報が得られることになる。
  • 5.暗黒物質(ダークマター)
    質量は持つが、原子などの通常の物質とは異なり、光では直接観測できない正体不明の物質。宇宙にある通常の物質の全質量の約5倍存在する。
  • 6.暗黒エネルギー(ダークエネルギー)
    現在の宇宙の加速膨張を引き起こしている謎のエネルギー。通常の物質と異なり、ダークエネルギーが存在すると負の圧力が生じ、宇宙を加速的に膨張させる。
  • 7.CPT対称性
    物理学において最も基本的と考えられている対称性で、標準理論の枠組みでは保存されている。荷電共役変換(C)、空間反転変換(P)、時間反転変換(T)の三つの変換を同時に行う操作に対応する。陽子と反陽子の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになる。
  • 8.ペニングトラップ
    磁場は荷電粒子を磁場の周りに巻きつけ(サイクロトロン運動をさせ)、磁場と垂直方向に荷電粒子を閉じ込めることができる。一方、荷電粒子は磁場の方向には移動できるので、磁場方向に電位の谷を作り、磁場方向の運動を制限することで、荷電粒子を3次元的に閉じ込めることができる。これを可能にする装置をペニングトラップと呼び、荷電粒子の質量や磁気モーメントの高精度測定に用いられる。
  • 9.超伝導共鳴回路
    超伝導素子を用いた共鳴回路で、ペニングトラップ中の荷電粒子のわずかな運動も検出できる。
  • 10.選択的抵抗冷却法
    ペニングトラップに捕捉されている荷電粒子は、自身の熱運動でペニングトラップの電極にわずかな誘導電流を生じさせる。この電流を抵抗体に流すことで熱エネルギーを吸収し、荷電粒子を冷却する。選択的抵抗冷却法では荷電粒子の温度を測定し、温度が十分低い場合のみを選択して実験を行う。

国際共同研究グループ

理化学研究所 開拓研究本部 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)
客員研究員 クリスティアン・スモーラ(Christian Smorra)

マインツ大学
教授 ヨッヘン・ヴァルツ(Jochen Walz)

マックスプランク核物理学研究所
ディレクター クラウス・ブラウム(Klaus Blaum)
研究員 アンドレアス・モーザー(Andreas Mooser)

ドイツ標準研究所(PTB)
研究員 マティアス・ボルシェー(Matthias J. Borchert)

ドイツ重イオン研究所
研究員 ウォルフガング・クイント(Wolfgang Quint)

欧州原子核研究機構
研究員 ジャック・デヴリン(Jack A. Devlin)

東京大学 大学院総合文化研究科 相関基礎科学専攻
教授 松田 恭幸(まつだ やすゆき)

研究支援

本研究は、RIKEN Pioneering Project「Extreme precision to Explore fundamental physics with Exotic particles (領域代表者:香取秀俊)」、Max Planck-RIKEN-PTB-Center for Time, Constants, and Fundamental Symmetries(理研側代表Stefan Ulmer, Max Planck側代表 Klaus Blaum、PTB側代表Joachim Ullrich)、ドイツ研究振興協会(DFG)、欧州連合研究イノベーションプログラムのHorizon2020、欧州原子核研究機構(CERN)のAD(反陽子減速器)チーム による支援を受けて行われました。

原論文情報

  • M. Bohman, V.Grunhofer, C. Smorra, M. Wiesinger, C.Will, M.J.Borchert, J.A.Devlin, S.Erlewein, M.Fleck, S.Gavranovic, J.Harrington, B.Latacz, A. Mooser, D. Popper, E. Wursten, K. Blaum, Y. Matsuda, C. Ospelkaus, W. Quint, J. Walz, and S. Ulmer, "Sympathetic cooling of a trapped proton mediated by an LC circuit", Nature, 10.1038/s41586-021-03784-w

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)
客員研究員 クリスティアン・スモーラ(Christian Smorra)

ステファン・ウルマー主任研究員の写真 ステファン・ウルマー

マインツ大学
教授 ヨッヘン・ヴァルツ(Jochen Walz)

マックスプランク核物理学研究所
ディレクター クラウス・ブラウム(Klaus Blaum)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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