理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター創発生体関連ソフトマター研究チームの佐野航季基礎科学特別研究員(研究当時、現 信州大学繊維学部助教、科学技術振興機構(JST)さきがけ研究者)、石田康博チームリーダー、相田卓三副センター長(理研創発物性科学研究センター創発ソフトマター機能研究グループグループディレクター)らの共同研究グループは、数十億枚もの無機ナノシート[1]を水中で協働させることで、繊毛運動[2]のような輸送機能を示す波運動を実現しました。
本研究成果は、無数のナノユニット[3]を集積・連動させて、精密機械のような動的システムを構築するための新たな設計指針になると期待できます。
生体内では、タンパク質などの動的ナノユニット[3]が三次元秩序構造へ集積・協働することで、個々の小さく単純な動きが巨視的で精緻な動きへとつながっています。今日まで、分子機械[4]や自己駆動コロイド粒子[5]といった動的ナノユニットが人工的に合成されてきましたが、これらの協働による巨視的な機能発現は依然困難です。
今回、共同研究グループは、酸化チタンナノシート[1]を水中に精密に配列させ、化学的刺激を与えることで、数十億枚ものナノシートが協働的に動き、空間的かつ時間的に秩序を持つ巨視的な波運動が発生することを見いだしました。この波は繊毛運動のように一方向に伝播し、均一な速度で微粒子を輸送できます。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』(11月19日付)に掲載されます。
数十億枚の無機ナノシートが水中にて協働することで生じる波運動
背景
生体内では、タンパク質などの動的ナノユニットが三次元秩序構造へと集積化し、非平衡状態[6]において協働することで、個々の小さく単純な動きが巨視的で精緻な動きへとつながっています。このような洗練された動的システムを人工的に実現することは化学・材料科学分野における挑戦的な課題です。今日まで、分子機械などの動的ナノユニットを合成化学的に連結して協働させる試みがなされてきましたが、結合可能なユニット数は限られているため、個々の微小な動きを巨視的な運動へと増幅することは困難でした。一方で、今までに無数のナノユニットを自己集積化させて三次元集合構造を組み上げるという試みも数多くなされてきました。しかし、ナノユニットの集積化に従来用いられてきた「引力的相互作用」だけでは、動的ナノユニット同士が接触・固定化して本来の動きが失われてしまい、連動することによる巨視的動的機能の発現は困難を極めます。
本研究では、非接触・遠隔で影響を与える「静電斥力[7]」と「ファンデルワールス引力[8]」のバランスを精密に制御することによって、「動き」を制限しないように一定の空間を隔てた上で動的ナノユニットである酸化チタンナノシートを高秩序に集積・配列させ、この挑戦的課題の達成を目指しました。
研究手法と成果
酸化チタンナノシートは、厚さ0.75ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)、横幅が数マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)であり、表面に高密度の負電荷を帯びた二次元物質です(図1a)。水中において、ナノシートの間には静電斥力とファンデルワールス引力が働き、これら二つの力が長距離で拮抗した結果、それぞれのナノシートが一定間隔を保ったラメラ構造[9]が形成されます(図1b)。
共同研究グループはまず、このナノシート水分散液(0.5wt%)に強磁場を加えることでナノシートの一軸配向を行い、単一ドメイン構造を形成させました(図1c左)。ナノシートは約420nmの一定間隔を保っていることから、鮮やかな構造色[10]を示します。この単一ドメイン構造において、数十億枚ものナノシートは互いに強く相関しており、磁場から取り出した状態でも長時間にわたる構造安定性を示します。そのため、この単一ドメイン構造に化学的摂動を与えることでナノシートが連動して集団的に動き、ナノシートの微小な動きが巨視的な動きにつながるのではないかと考えました。
酸化チタンナノシート間に働く静電斥力は、イオンを加えることによって遮蔽され、ナノシート間距離が縮まります。そこで、ガラス容器(40×10×1mm3)に入っているナノシートの単一ドメイン構造の片側から代表的なイオンである塩化ナトリウム水溶液を導入したところ、イオンの拡散に伴って巨視的な波運動が発生し、反対側に向かって一方向に伝播するのを観察しました(図1c右)。イオン種としては、塩化ナトリウム以外にも酸や塩基、さらには二酸化炭素ガスを用いても同様の波運動が発生することが分かりました(二酸化炭素ガスを利用した場合の例:図2)。
図1 酸化チタンナノシートの構造とその波運動の概念図
- (a)酸化チタンナノシートの透過型電子顕微鏡(TEM)画像(左)と概念図。酸化チタンナノシートは厚さ0.75nm、横幅は5μm程度の二次元物質であり、水中に安定に分散する。
- (b)酸化チタンナノシートのラメラ構造の概念図(左)と走査型電子顕微鏡(SEM)画像。酸化チタンナノシートの間には静電斥力とファンデルワールス引力が働き、これら二つの力が長距離で拮抗する結果、ナノシートが一定間隔(ナノシート濃度が0.5wt%の場合、420nm程度)を保ったラメラ構造を形成する。SEM画像中の白矢印は一枚のナノシートの断面を示す。
- (c)酸化チタンナノシートの水分散液に強磁場を印加すると、単一ドメイン構造が形成される(左)。ここで、化学的刺激としてイオンを一方向から導入すると、その拡散に伴ってナノシート間距離が徐々に減少する。その結果、数十億枚ものナノシートが連動して集団的に動くことで一方向に伝播する巨視的な波運動を観測した。
図2 大気中の二酸化炭素を利用した、ナノシートの波運動の実現
- 上:0.5wt%の酸化チタンナノシート水分散液をガラス容器(40×10×1mm3)に導入し、磁場配向の後に磁場から取り出して観察を行なっている。各種イオンは容器の蓋側から導入する。
- 下:波運動の顕微鏡画像の経時変化。初めはナノシートの単一ドメイン構造に起因する均一な構造色を示しているが、空気中から二酸化炭素が水分散液に溶け込み、生じたイオンが拡散することに伴って波が一方向へと伝播する。
次に、各種顕微鏡を用いて詳細に構造解析したところ、波構造においてナノシートが正弦波状(波のピッチは約200μm、ナノシートの最大傾き角は約22°)に配列していることが明らかになりました(図3d)。まず、走査型電子顕微鏡[11]によって、ナノシートの配向に由来する正弦波状の断面構造が観測され(図3a)、偏光顕微鏡[12]と共焦点顕微鏡[13]によって、ナノシートの波構造は三次元的に高い秩序性を保っていることが明らかになりました(図3 b, c)。
図3 各種顕微鏡観察によるナノシートの波構造の解析
- (a)走査型電子顕微鏡画像。ナノシートの配向に由来する正弦波状の断面構造が観測される。高倍率画像の観察によって、白い点線に沿ってナノシートの面が配向していることが確認されている。
- (b)偏光顕微鏡画像。右画像において、暗領域はナノシートがxy平面に平行な部分(波の山と谷)に対応し、明領域はナノシートが傾いている部分に対応する。
- (c)共焦点顕微鏡画像。反射モードでの観察のため、明領域はナノシートがxy平面に平行な部分(波の山と谷)に対応し、暗領域はナノシートが傾いている部分に対応する。
- (D)波構造におけるナノシートの配向。容器表面付近ではアンカリングのためにナノシートはxy平面に平行に配向し、高さの中心(z = 0.5mm)付近でナノシートの傾き角度は最大の22°となる。
波構造の形成メカニズムについても、層状弾性体の変形(Helfrich-Hurault変形)に関する理論を用いて説明できます。さらに、波の精密制御にも成功しており、容器の厚さを変えることで波のピッチの制御を、用いるイオン濃度を変えることで波の速度の制御を可能にしました。
自然界における精緻で美しい波運動としては繊毛運動が挙げられ、これは長距離にわたって物質を輸送できます。この動的システムに触発されて、今回実現したナノシートの波運動も物質輸送ができるのではないかと考えました。そこで、この系に蛍光標識された10μmのマイクロ粒子を加えて、共焦点顕微鏡で経時観察したところ、このマイクロ粒子は波と同じ速度で一方向に輸送されることが明らかになりました(図4)。
図4 繊毛運動のような、ナノシートの波運動の輸送機能
蛍光標識されたマイクロ粒子(10μm)の輸送の軌跡。高さの中心(z = 0.5mm)において、10分間隔の共焦点顕微鏡観察によって得られた。マイクロ粒子は波と同じ速度で一方向(図では右向き)に輸送される。
今後の期待
今回、水中に分散した数十億枚ものナノシートの配列構造に対して化学的刺激を与えることで、ナノシートが空間的かつ時間的に秩序を持って協働する結果、巨視的な波運動を生み出すことを見いだしました。この波運動は、繊毛運動のように物質輸送を実現します。本成果は無数のナノユニットを集積・連動させて、精密機械のような動的システムを構築するための新たな設計指針になると考えられます。
また、本研究では無機物質と水のみで生き物のように動き続ける動的システムを実現しており、無機生命体の創成という大きな夢への手掛かりになると期待できます。
補足説明
- 1.無機ナノシート、酸化チタンナノシート
無機ナノシートは、層状酸化物の単結晶を温和な条件にて化学処理し、結晶構造の基本最小単位である層1枚にまで剥離することで得られる二次元ナノ物質のこと。酸化チタンナノシートは、層状チタン酸化合物の単結晶から剥離されるナノシートで、厚さは0.75nm、横幅は5μm程度と非常に大きい軸比の形状を持つ。その表面に大きな負電荷を帯びており、水中でナノシート間には巨大かつ制御可能な静電斥力が働く。 - 2.繊毛運動
繊毛の1本1本が協働することによって、波のような集団運動を生み出す。これにより、物質の輸送などが可能となる。 - 3.ナノユニット、動的ナノユニット
ナノユニットはナノメートルサイズの非常に小さい構成部品のこと。動的ナノユニットは外部刺激などに応答して決まった動きを示す。 - 4.分子機械
精密に制御された機械的動きを示す分子・分子複合体。2016年のノーベル化学賞の受賞対象となった。 - 5.自己駆動コロイド粒子
エネルギーを消費して動き続けるコロイド粒子。例えば、化学反応や外部電場によって駆動される。 - 6.非平衡状態
十分長い時間経過し、変化がなくなるまで待つことで得られる状態が平衡状態なのに対して、物質やエネルギーの流入・流出がある状態が非平衡状態である。 - 7.静電斥力
同種の電荷を持つ二つの物質の間に働く電気的な斥力(反発力)。その物質が持つ電荷が大きいほど、また物質間の距離が近いほど、この斥力は大きくなる。 - 8.ファンデルワールス引力
原子や分子の間に働く力の一種。1対の原子間に働く引力は弱いが、数多くの原子から構成されるコロイド粒子間には比較的強い引力が働く。 - 9.ラメラ構造
層状の材料が交互に並んだ微細な構造。本研究では、酸化チタンナノシートと水の層が12nm程度の等間隔で交互に並んでいる。 - 10.構造色
可視光の波長程度の周期を持つナノ構造体は、その周期に対応した波長の光を選択的に反射するが、その結果見える色のことを構造色と呼ぶ。 - 11.走査型電子顕微鏡
試料に電子線を照射した際に放出される二次電子などを利用して、試料表面の微細構造などを高倍率で観察する装置。 - 12.偏光顕微鏡
試料に偏光を照射することで、偏光特性や複屈折特性を観察する顕微鏡の一種。 - 13.共焦点顕微鏡
試料にレーザー光を照射することで、高解像度のイメージングと三次元情報の再構築が行える顕微鏡の一種。
共同研究グループ
理化学研究所
創発物性科学研究センター
創発生体関連ソフトマター研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時) 佐野 航季(さのこうき)
(現 信州大学繊維学部 助教、JSTさきがけ研究者)
研究員 王 翔(Xiang Wang)
特別研究員 孫 志方(Zhifang Sun)
チームリーダー 石田 康博(いしだ やすひろ)
ソフトマター物性研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時) 謝 暁晨(あやさとし)
(現 華南理工大学 教授)
チームリーダー 荒岡 史人(あらおか ふみと)
創発物性科学研究センター
副センター長 相田 卓三(あいだ たくぞう)
(創発ソフトマター機能研究グループグルー プディレクター、東京大学大学院 工学系研究科教授)
物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点
NIMSフェロー 佐々木 高義(ささき たかよし)
主幹研究員 海老名保男(えびな やすお)
研究支援
本研究はJST戦略的創造研究推進事業さきがけ「原子・分子の自在配列と特性・機能(研究総括:西原寛)」の研究課題「ナノシートの配列制御に基づく革新的ソフトマテリアルの創成(研究者:佐野航季)」およびCREST「新たな光機能や光物性の発現・利活用を基軸とする次世代フォトニクスの基盤技術(研究総括:北山研一)」の研究課題「殆どが水よりなる動的フォトニック結晶の開発と応用(研究代表者:石田康博)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金研究活動スタート支援「空間的かつ時間的に秩序を有する無機ナノシートの集合構造(研究代表者:佐野航季)」、同若手研究「磁気斥力を内包したソフトマテリアルの開発(同)」、同基盤研究(S)「マルチスケール界面分子科学による革新的機能材料の創成(研究代表者:相田卓三)」などの支援を受けて行われました。
原論文情報
- Koki Sano, Xiang Wang, Zhifang Sun, Satoshi Aya, Fumito Araoka, Yasuo Ebina, Takayoshi Sasaki, Yasuhiro Ishida and Takuzo Aida, "Propagating wave in a fluid by coherent motion of 2D colloids", Nature Communications, 10.1038/s41467-021-26917-1
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 創発生体関連ソフトマター研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時) 佐野 航季(さの こうき)
(現 信州大学 繊維学部 助教、JSTさきがけ研究者)
チームリーダー 石田 康博(いしだ やすひろ)
副センター長 相田 卓三(あいだ たくぞう)
(創発ソフトマター機能研究グループ グループディレクター、東京大学大学院 工学系研究科 教授)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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