理化学研究所(理研)環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チームの沼田 圭司 チームリーダー(京都大学 大学院工学研究科 教授、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授)、吉永 直人 基礎科学特別研究員(慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任助教)らの共同研究チームは、褐藻(かっそう)の粘膜層/細胞壁の多糖類と細胞膜上のボロン酸輸送体[1]を標的とするフェニルボロン酸(PBA)[2]リガンド[3]をナノ粒子に搭載することで、効率的に核酸(siRNA[4])を褐藻内に導入することに成功しました。
本研究成果は、非遺伝子組換えにより褐藻を一過的に形質改変したものであり、環境への耐性を持つ種の作製や褐藻の生物学的特性に関する理解の促進などへの貢献が期待できます。
ワカメやコンブなどを含む褐藻は、産業的・生態学的に重要な種ですが、褐藻の特性理解に有効な、外来核酸の導入による遺伝子発現制御手法はほとんど確立されていませんでした。
今回、共同研究チームは、モデル褐藻であるシオミドロを用いて、細胞透過性の機能性ペプチド[5]とsiRNAから成るナノ粒子表面にPBAリガンドを搭載することで、ナノ粒子が効率的に褐藻内に取り込まれることを見出しました。この手法を用いて、褐藻細胞内において、導入したsiRNAにより標的タンパク質の発現を抑制することに成功しました。
本研究は、科学雑誌『JACS Au』オンライン版(3月22日付:日本時間3月22日)に掲載されます。
PBAリガンド搭載ナノ粒子による褐藻への効率的な核酸導入
背景
ワカメやコンブなどの褐藻は、陸上植物や動物とは独立した進化を遂げてきたため、ユニークな代謝プロセスを持っており、有用物質の産生やバイオ燃料としての利用が可能です。さらに、褐藻は炭素固定能力が優れており、大気中の二酸化炭素を「ブルーカーボン[6]」として海中に閉じ込めることができるため、近年一層の注目を集めています。また、褐藻は沿岸環境において他の生物種の生息地となるため、生態学的にも重要な役割を果たしています。このように、褐藻は実用的にも生態学的にもかけがえのない生物種です。しかし、ここ数年の気候変動によってその生態系は脅かされています。気候変動から褐藻を保全し、また十分に活用していくことは極めて重要な課題です。そのためには、褐藻の基礎的な特性を理解することが必要です。
褐藻の基礎的特性を解明するためには、遺伝子組換えに代表されるような外来の核酸やタンパク質を必要とする遺伝子工学的手法が不可欠です。しかし、褐藻に外部から核酸やタンパク質を導入する手法はほとんど確立されていませんでした。
沼田チームリーダーらはこれまで、機能性ペプチドから成るナノ粒子を用いて、陸上植物へ核酸やタンパク質を導入する手法を開発してきました注1~3)。今回、共同研究チームは、褐藻表面に存在する多糖類およびボロン酸輸送体と相互作用する新しい核酸送達システムの設計を目指しました。
- 注1)2018年7月20日プレスリリース「多様な植物に侵入するペプチドの探索」
- 注2)2019年1月22日プレスリリース「ペプチドによる遺伝子送達には植物の構造的脆弱性が重要」
- 注3)2022年2月23日プレスリリース「スプレーで植物を改変」
研究手法と成果
共同研究チームは、細胞透過性の機能性ペプチドとsiRNAから成るナノ粒子表面にPBAリガンドを導入した新規ナノ粒子を開発しました。開発したPBAリガンド搭載ナノ粒子は、海水中で多糖類と相互作用することが確認されました。さらに、このPBAと多糖類の相互作用によって、多糖類が豊富に存在する粘膜層をナノ粒子が効率的に透過することが分かりました。次に細胞膜表面まで到達したナノ粒子が、ボロン酸輸送体に認識されて細胞に取り込まれるかどうか調べました。ボロン酸輸送体とPBAの相互作用は海水の水素イオン指数(pH)によって変化するため、さまざまなpHにおいてモデル褐藻であるシオミドロへの細胞取り込み効率を測定しました。ボロン酸輸送体とPBAが強く相互作用する高pH環境(海水pH:7.8)では、PBAリガンド搭載ナノ粒子は優れた取り込み効率を示しました(図1A)。また、共焦点顕微鏡[7]による蛍光観察を行った結果、PBAリガンド搭載ナノ粒子が確かに褐藻内に取り込まれていることが確認されました(図1B)。
図1 PBAリガンドによる、シオミドロでの細胞取り込み効率の向上
- A:PBAリガンド搭載ナノ粒子ではpHが高いほど取り込み効率が向上したが、PBAリガンドを持たないナノ粒子ではいずれのpH環境においても取り込み効率は変わらなかった。
- B:PBAリガンド搭載ナノ粒子による、蛍光色素が結合したsiRNA(緑色)のシオミドロ内部への送達が確認された。
次に、送達したsiRNAがRNA干渉[8]を引き起こし、標的タンパク質の発現を抑制するか調べました。免疫蛍光染色法[9]により標的タンパク質を観察したところ、PBAリガンド搭載ナノ粒子を用いてsiRNAを投与したシオミドロでは未処理のものと比較して標的タンパク質発現が抑制されることが明らかとなりました(図2A)。さらに、PBAリガンド搭載ナノ粒子を用いて、成長ホルモンの合成に関与するタンパク質を標的としたsiRNAを投与したところ、一過的にシオミドロの成長を抑制することに成功しました(図2B)。
図2 PBAリガンド搭載ナノ粒子により送達されたsiRNAによるシオミドロの形質改変
- A:標的タンパク質を蛍光色素(緑色)で染色したところ、PBAリガンド搭載ナノ粒子を用いてsiRNAを導入したシオミドロでは未処理のものと比較して標的タンパク質量が減少していることが観察された。スケールバーは50μm。
- B:成長ホルモンの合成に関与するタンパク質を標的としたsiRNAをPBAリガンド搭載ナノ粒子で導入したところ、一過的にシオミドロの成長が抑制された。スケールバーは100μm。
これらの結果から、PBAリガンドを搭載することでこれまで核酸導入が困難であった褐藻において非遺伝子組換えかつ一過的に遺伝子発現の抑制が可能であることが明らかになりました。
今後の期待
本研究では、ナノ粒子表面にPBAリガンドを搭載することで、これまで送達が困難であった褐藻に核酸を導入することに成功しました。特別な機器を必要とせず、効率的かつ一過的に褐藻への核酸導入が可能なこの手法は、これまで滞っていた褐藻の基礎的理解を推し進め、褐藻の保全および活用に貢献することが期待されます。昨今の急激な気候変動から褐藻を保全することは、沿岸環境全体ひいては私たちの社会生活の持続的な発展につながります。
また、PBAリガンド搭載ナノ粒子はsiRNAのみならず他の核酸やタンパク質の導入にも応用できるため、新たな育種の作製など幅広い目的に活用できます。
今回の研究は、国際連合が定めた17項目の「持続可能な開発目標(SDGs)[10]」のうち、「2.飢餓をゼロに」、「13.気候変動に具体的な対策を」、および「14.海の豊かさを守ろう」などへの貢献が期待できます。
補足説明
- 1.ボロン酸輸送体
必須栄養素であるホウ素を細胞内に透過させる能力のある膜タンパク質。 - 2.フェニルボロン酸(PBA)
糖類などの水酸基含有化合物と可逆的に結合することが知られている合成分子。 - 3.リガンド
特定の生体分子と結合することで、生理的な作用を発揮する物質のこと。一般的には受容体に結合する分泌因子(ホルモンや成長因子など)を指すことが多い。 - 4.siRNA
21~27塩基対の二本鎖RNA。合成したsiRNAを細胞に取り込ませることにより、相補的な配列を持つ遺伝子の発現を抑制できる。siRNAはsmall interfering RNAの略。 - 5.機能性ペプチド
アミノ酸の配列を適切に設計することで、細胞内への物質輸送に必要なさまざまな機能を持たせたペプチド。例えば、細胞膜を透過して細胞取り込み効率を向上させる細胞膜透過性ペプチドなどがある。 - 6.ブルーカーボン
海洋生物の作用により、大気中から海中へ固定された二酸化炭素由来の炭素のこと。海藻などのブルーカーボン生態系は、吸収した二酸化炭素を有機炭素として海底に貯留する。 - 7.共焦点顕微鏡
細胞のように厚みのある試料を観察する際に、特定の場所に焦点を絞って観察できる顕微鏡のこと。細胞内からの蛍光を広範囲にイメージングすることで、細胞の中で起こるさまざまな現象を観察できる。 - 8.RNA干渉
細胞内に導入したRNAと相補的な配列を持つメッセンジャーRNA(mRNA)が分解され、遺伝子発現が抑制される現象。細胞内に導入したRNAは一定時間後に分解されるため、一過的な遺伝子発現制御が可能である。 - 9.免疫蛍光染色法
蛍光色素が結合した抗体を用いてサンプル中の抗原のみを検出する手法。本研究ではsiRNAの標的タンパク質が抗原となっている。 - 10.持続可能な開発目標(SDGs)
2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。
共同研究チーム
理化学研究所 環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ヌマタ・ケイジ)
(京都大学 大学院工学研究科 教授、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授)
基礎科学特別研究員 吉永 直人(ヨシナガ・ナオト)
(慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任助教)
研究員 宮本 昂明(ミヤモト・タカアキ)
テクニカルスタッフ(研究当時)後藤 麻美(ゴトウ・マミ)
琉球大学 理学部 海洋自然学科
助教 田中 厚子(タナカ・アツコ)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業総括実施型研究ERATO「沼田オルガネラ反応クラスタープロジェクト(研究総括:沼田圭司、JPMJER1602)」、同共創の場形成支援プログラムCOI-NEXT「ゼロカーボンバイオ産業創出による資源循環共創拠点(プロジェクトリーダー:沼田圭司、JPMJPF2114)」、文部科学省データ創出・活用型マテリアル研究開発プロジェクト事業「バイオ・高分子ビッグデータ駆動による完全循環型バイオアダプティブ材料の創出(研究総括:沼田圭司、JPMXP1122714694)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業特別研究員奨励費「褐藻類の遺伝子改変を可能とするボロン酸輸送体標的型革新的核酸送達システムの開発(研究代表者:吉永直人、22J00843)」、理化学研究所奨励課題(研究代表者:吉永直人)、基礎科学特別研究員研究費(研究代表者:吉永直人)による助成、および理化学研究所脳神経科学研究センター生体物質分析支援ユニットの支援を受けて行われました。
原論文情報
- Naoto Yoshinaga, Takaaki Miyamoto, Mami Goto, Atsuko Tanaka, and Keiji Numata, "Phenylboronic Acid-Functionalized Micelles Dual-Targeting Boronic Acid Transporter and Polysaccharides for siRNA Delivery into Brown Algae", JACS Au, 10.1021/jacsau.3c00767
発表者
理化学研究所
環境資源科学研究センター バイオ高分子研究チーム
チームリーダー 沼田 圭司(ヌマタ・ケイジ)
(京都大学 大学院工学研究科 教授、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任教授)
基礎科学特別研究員 吉永 直人(ヨシナガ・ナオト)
(慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任助教)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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