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創立までの歩み

理化学研究所の創立は1917(大正6)年3月20日。遡ること1913(大正2)年に、当時米国在住で、既にタカジアスターゼやアドレナリンの発見、工業化に大成功を収め、世界に名を轟かせていた高峰譲吉(1854-1922)が、国民科学研究所の必要性を提唱したことに端を発する。

当時、米国ではロックフェラー、カーネギーメロンなどの研究所が相次いで設立され、欧州ではイギリスのキャベンディッシュ研究所、ドイツでも大規模なカイザー・ヴィルヘルム協会(現マックス・プランク研究所)などが設立されていた。高峰は、「これからの世界は、理化学工業の時代になる。わが国も理化学工業によって国の産業を興そうとするなら、基礎となる純正理化学の研究所を設立する必要がある」とし、国民科学研究所の設立を訴えたのだ。

賛同した財界・産業界の大御所・渋沢栄一(1840-1931)が、1913年6月23日、東京・築地精養軒に実業界の名望家120名のほか、農商務大臣や官僚らを招いて高峰の大演説会を開き、高峰は機械工業の時代から理化学工業の時代に大転換を遂げつつある世界の趨勢を説き、日本の基礎科学の振興を訴えた。

その後、渋沢、桜井錠二、池田菊苗、鈴木梅太郎らが設立案を起草し、1914(大正3)年3月19日には帝国議会貴衆両院に請願書を提出するに至ったが、議会が解散となりこの時は目的を達することができなかった。同年8月、第1次世界大戦が勃発すると、医薬品や工業原料の輸入が制限され、日本は大きな打撃を受けた。このことから化学工業の進行が急務であると認められ、同年12月3日に「化学研究所設置に関する建議」を提出、翌1915(大正4)年6月8日、第36回帝国議会において採決されるに至った。同時に、研究所設立においては化学だけでは範囲が狭すぎるため、化学と物理学の両分野を包含した「理化学研究所」を設立すべきとの意見が出された。1916(大正5)年1月21日に提出した設立資金補助を請願する「理化学研究所設立に関する建議」は、同年2月27日、第37回帝国議会にて「理化学を研究する公益法人の国庫補助に関する法案」として可決された。

1年後の1917年3月20日、皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金を基に東京・文京区駒込に創立、伏見宮貞愛(さだなる)親王殿下を総裁に奉戴し、理化学研究所はその歴史をスタートさせた。

左:高峰譲吉/右:渋沢栄一の写真 左:高峰譲吉/右:渋沢栄一

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