化学遺産認定のIM泉効計と飯盛里安博士
「化学遺産」とは、公益社団法人日本化学会が認定する日本の化学と化学工業の発展を示す貴重な歴史資料だ。これまでにも理研では、鈴木梅太郎博士によるビタミンB1の発見に関連する資料や純国産の金属マグネシウムインゴットが認定されている。そして2022年3月、理研で研究室を主宰した飯盛里安博士(1885~1982)が開発した「日本の放射化学の先駆者 飯盛里安のIM泉効計」(図1)が新たに認定された。温泉に含まれるラドンの濃度を測るこの装置が日本に普及した背景を探る。
温泉法と放射能
1948(昭和23)年に公布・施行された「温泉法」によると、温泉とは「規定の温度または物質を有し、地中から湧出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス」と定義される。温泉施設で泉質や適応症・禁忌症などが書かれた「温泉分析書」に目を留める人も多いだろう。この分析書に「ラドン」という項目があるのをご存じだろうか。
ラドンとは原子番号86番の貴ガス元素で、非常に重い気体である。地中に存在するラジウム(原子番号88)が放射線の一種、α線を放出して放射壊変をした際に生じる放射性元素だ。「大気や土壌など私たちの住む環境にも、そこに住む生物にも、実は放射性元素が含まれています。地中から湧き出る水にも放射性元素が溶け込んでいるのです」と説明するのは、仁科加速器科学研究センターRI応用研究開発室の羽場宏光室長。
ラジウムの祖先であるウラン(原子番号92)鉱石の産地などでは、ラドンをはじめ放射性元素が溶け込んだ温泉が湧出し、「放射能泉」と呼ばれる。ラドンもまたα線を放出する。人が温泉に入ると気体のラドンが体内に取り込まれるが、その放射能は非常に微量であり、微量であるがゆえに健康増進効果があると期待されているのだ。
温泉法では、ラドンならば温泉水1kg中「20(百億分の1キュリー単位)」以上の値で「温泉」、「30(百億分の1キュリー単位)」の値で「療養泉」と定義され、放射能濃度の測定が求められる。この測定に日本全国で広く用いられていた装置がIM泉効計だ。開発したのは、1917年に創立したばかりの理研に入所し、主に放射性鉱物と希元素の研究を行った化学者、飯盛里安博士である。
普及の理由は、コンパクトさ
IM泉効計を使った温泉水の測定の仕組みを紹介しよう。まず、湧出したばかりの温泉水を装置の下部の密閉空間に空気と一緒に入れ、装置ごとシェイクする。すると温泉水の中に溶け込んでいたラドンが装置内の空気中に出てくる。放射線には、物質にぶつかるとその原子や分子から電子をはじき出す電離作用があるため、空気中に浮遊するラドンから出たα線は、周囲の分子を電離してイオン化する。そこに電圧をかけておくと電離された電子は陽極に、陽イオンは陰極に集まるため電流が生じる。その電流の大きさが、ラドンの含有量、すなわち放射能を示すことになる。
実際には装置内の空間に漂う気体のラドンを測定した後、標準試料として装置に格納してあるウランの放射能と比較し、ラドンの放射能を求める。現代の感覚では放射能が低い方が望ましいと思うかもしれないが、温泉としての放射能泉にはより高い値が歓迎された歴史がある。色も臭いもないラドンを可視化する手段として画期的なIM泉効計は全国に広く普及した。
高さ約37cm、幅約22cm、重さ約3.5kgと軽くてコンパクト(図1)。この装置について特筆すべきことは、何よりその持ち運びやすさだろう。観光地の共同浴場から山奥の秘湯まで、手軽に持ち運んで放射能を計測できる装置がいかに重宝されたか、想像に難くない。
見えないものに科学の説得力を与えた
飯盛博士が発明したこの装置は、放射化学の始まりであるマリー・キュリー博士らの時代から存在する「電離箱」の原理を応用している。そして「今でも、私たちは原理的には同じものを使っています」と羽場室長は語る。
1885(明治18)年、石川県金沢市に生まれた飯盛博士は第四高等学校を経て東京帝国大学で分析化学や放射化学を学び、博士号を取得した。創立年の1917(大正6)年に理研に入所した後、1919(大正8)年より英国に留学し、ケンブリッジ大学やオックスフォード大学から最先端の知見を日本に持ち帰った(図3)。今日でもよく使われる「同位元素」という言葉は、「Isotope(アイソトープ)」を飯盛博士が日本語に訳したものだ。
帰国後の1922(大正11)年には、理研に発足したばかりの研究室制度で最初の14の研究室の一つを主宰し、基礎的な研究からそれらを応用した製品開発まで精力的に活動。その一つがIM泉効計だった。
現在、理研の記念史料室には、2台のIM泉効計が所蔵されている。1台は飯盛博士の指示を受けて理研内で開発した初期の製品だ。理研には高い技術で研究を支援する工作係があり、製作販売も行った。もう1台は1963(昭和38)年に同じく理研で製造したもので、素材等に若干の変更が見られる。その後、かつて理研コンツェルンの一翼を担った理研計器株式会社が商品として製作販売し、事業を継承していった。科学を、暮らしに生きる形にして社会に広く普及させたことは、飯盛博士の大きな成果と言えるだろう。
「飯盛博士はこの装置によって、見えないものに科学の説得力を与えた」と羽場室長。そしてまた「日本の放射化学の基礎を築いたのが飯盛博士」とも。偶然にも同じ石川県金沢出身で、金沢大学(旧第四高等学校)の後輩でもある羽場室長は、現在、がん治療をはじめ放射性同位体の医療利用などの研究にも携わっている。「加速器もない時代、放射化学の研究対象となったのは天然の放射性同位体。不思議なエネルギーを秘めた鉱物を発見した人々は、すぐに病気の診断や治療などへ活用することを考えました。その一つとして、温泉に目が向いたのも自然なことだったのでしょうね」と、100年前の先達に思いを馳せた。