百年の眠りから目覚め、発掘されたX線写真乾板たち ─ 寺田寅彦、西川正治からの贈り物
近代結晶学が誕生して百周年となった2014年。国際結晶学連合などの支援を受け、国連はこの年を世界結晶年として制定した。折しもその前年には、理研に保管されていた史料から、日本の結晶学研究の歴史を物語る貴重な事物が発見されていた。
X線回折法の幕開け
レントゲンが1895年にX線を発見。ラウエは1912年、結晶にX線を当てると斑点模様が観察されることを発見(ラウエの斑点)。また、ブラッグ親子は岩塩の結晶がナトリウム(Na)原子と塩素(Cl)原子から構成されていることを発見した。これらの研究成果により、ラウエ、ブラッグ親子ともにノーベル物理学賞を受賞している。
ほぼ同時期に、日本では寺田寅彦(当時東京帝国大学、後に財団法人理化学研究所寺田研究室を主宰)が同様の実験を行い、ラウエが発見した結晶によるX線回折結晶の格子面反射として理解できることを、1913年『Nature』誌に「X線と結晶」という論文で発表している。ラウエの実験と異なる点は、X線ビームを太くし、より強度を上げ、蛍光板上に回折斑点を肉眼で見えるよう工夫した点である。この方法は、ラウエにも感銘を与えている。当時の大学でのX線発生装置は、X線管や感応コイルを組み合わせたもので、線量も極めて弱く、結晶に1週間照射しても写真乾板は感光しなかった。そこで寺田は、医学部で廃棄同然のX線管球を譲り受け、実験に供した。これが、日本におけるX線回折法の幕開けであった。そしてその研究は、弟子である西川正治(財団法人理化学研究所、東京帝国大学)に引き継がれていく。
理研西川研究室
西川はアスベスト、繊維状石こうなどの物質のX線散乱実験を初めて試みた。さらに絹糸、竹、麻などの繊維材料をX線回折測定し、世界に先駆けX線による高分子構造化学を切り拓いた。加えて、西川は鉱物のX線回折図形から、その結晶の原子配列を決定している。1915年9月には、鉱物の一種であるスピネル(MgAl2O4)の結晶構造を発表した。
西川は1917年の理研創立時に入所、留学を経て大河内正敏第3代所長が創設した研究室制度(14研究室で発足)の一つ、西川研究室を主宰した。西川は東京帝大での研究をさらに発展させるため「斜方晶系の結晶に関する研究」という研究項目を掲げ、本郷区駒込上富士前(当時)にあった理研の2号館で研究を実施している。
記念史料室に眠っていた宝物
おおよそ百年の時を刻んだ2013年、記念史料室に立ち寄った放射光科学総合研究センター髙田昌樹副センター長(当時)は、引き寄せられるように、古ぼけた木箱に目を向けた。木箱は鉱物、繊維、化合物粉末、金属など材料ごとに仕切られ、その中のパラフィン紙で一枚一枚赤子のようにくるまれたガラス板(写真1)を見て髙田は驚愕した。西川が1913年から1914年にかけて丹念に実験したときの成果物であるX線写真乾板が、その出番を待っていたのである。
木箱には、西川が実験を行った竹、絹糸などの繊維材料、化合物の粉末などのX線回折データである多くの写真乾板や、スピネル構造解析当時の西川のノート片(写真2)とスピネルのX線回折斑点が記録された写真乾板が眠っていた。西川が実験を行ったX線回折実験の証しである153枚もの写真乾板が、百年の眠りから目覚めた瞬間だった。そしてそれは、寺田、西川から現代への贈り物である。
『RIKEN NEWS』2014年9月号「記念史料室から」より転載