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2009年1月30日

理化学研究所

クラゲから採取したムチン、関節治療への応用で動物実験に成功

-高齢化社会を支える変形性関節症治療への可能性-

ポイント

  • 関節液内のムチン成分の補充にクラゲから採取した新物質「クニウムチン」を使用
  • ムチンがヒアルロン酸注入治療効果を増強させることを実験動物で確認
  • 関節液内の複数成分を正しく再現した人工関節液の作製に道

要旨

東海大学(学長:松前達郎)と独立行政法人理化学研究所(理事長:野依良治)とは、クラゲから採取した新規のムチン型糖タンパク質(ムチン)※1である「クニウムチン※2」を、ヒアルロン酸と併用して関節へ注入し、変形性関節症の治療に効果があることを動物実験で見いだしました。東海大学医学部(学部長:猪子英俊)外科学系整形外科学の佐藤正人准教授、持田讓治教授らと、理研基幹研究所(所長:玉尾皓平)の丑田環境ソフトマテリアル研究ユニットの丑田公規ユニットリーダーとの共同研究成果です。

変形性関節症は、わが国に約700万人の患者(平成18年版科学技術白書)がいるとされる関節の病気で、特に高齢者の生活の質(QOL: Quality Of Life)に大きな影響を与えます。また、約2100万人の患者がいる米国では、医療費を含めた経済損失が毎年862億ドル以上となり、社会に対する負担も大きく、世界保健機関(WHO)は、2000年からの10年を「骨と関節の10年」と名付け、疾病の克服を重点目標に掲げています。こうした状況の下、関節液に含まれ、粘度を保つ働きをするヒアルロン酸を関節に注入して症状を緩和し、病状の回復や関節軟骨の修復を促す治療が急速に普及し、一定の効果を上げています。一方、関節液には、摩擦を軽減する働きをするムチン型糖タンパク質(ムチン)の存在も近年明らかになってきました。しかし、一般に高品位のムチンを大量生産する方法がなく、これらを注入することは実際的ではありませんでした。

研究グループは、大量生産できるムチン材料として、これまで大量発生して厄介者だったエチゼンクラゲやミズクラゲから抽出した新物質「クニウムチン」に着目しました。クニウムチン注入による治療効果の検証を、ウサギを用いた動物実験で行った結果、ヒアルロン酸と併用した場合に、軟骨の修復効果が著しく増大することを見いだしました。つまり、粘度を維持するヒアルロン酸と、摩擦を軽減し潤滑を促進するムチンという2つの重要成分の相乗効果を発見したことになります。

今回の成果によりクニウムチンの応用の可能性が広がり、経済的、社会的に大きな意味を持つようになります。また将来、関節液の成分を高度に再現した人工関節液を作ることも可能になると考えられます。

本研究成果は独立行政法人科学技術振興機構の独創的シーズ展開事業「大学発ベンチャー創出推進」の研究資金によるもので、3月4日(水)から開催される日本再生医療学会総会で発表されます。

背景

高齢化社会が進行するにつれて、関節に悩みを抱えている人が多くなっています。特に老化などによって、骨と骨をつなぐ位置に存在する関節液の成分が変化して、関節がこすれあったり、ぶつかったりすることによって痛む変形性関節症の患者は、わが国ではすでに700万人に及ぶとされており、高齢者の生活水準(QOL: Quality Of Life)を向上させる上で大きな障害となっています。世界保健機関(WHO)では、2000年からの10年を「骨と関節の10年」と名付け、これら疾病の克服を重点目標に掲げています。

関節液は、その粘性によって関節をしっかり支えるとともに、その流動性や潤滑性によって、骨と骨の間の摩擦を軽減する役割を果たしています。中でも関節液に含まれるヒアルロン酸は、肌の潤い成分としても知られていますが、関節液中では、主に粘度を保って関節を支える働きをしていると考えられています。体内では、絶えず細胞がヒアルロン酸を作り出すとともに、新陳代謝による分解も進み、1週間でおよそ30%が失われるとされています。加齢や疾病で細胞の生産能力が低下したり、代謝による分解に生産が追いつかなくなると、正常なヒアルロン酸に不足が生じ、関節液のバランスが崩れ、関節としての機能を果たせなくなって変形性関節症を発症する、というメカニズムが、モデルの1つとされています。

そこで近年、バイオテクノロジーなどで生産されたヒアルロン酸を、注射器で関節に直接注入する治療法が広く行われています。この治療は、関節液の粘性を維持することで関節を支える力を増強するので、変形性関節症の症状の緩和に役立っています。さらにヒアルロン酸は、炎症を抑える働きがあるとされ、疼痛感がなくなることなどから患者の反応もよく、急速に普及しています。

一方、関節液内に糖タンパク質が存在していることは古くから知られていましたが、1980年代になってその分子構造が明らかになり、潤滑性に寄与していることが分かりました。この糖タンパク質は「ルブリシン」と呼ばれ、その後、軟骨表面に存在するSuperficial Zone Protein(SZP)やMegakaryocyte Stimulating Factor (MSF)と同一の、ムチン型糖タンパク質(ムチン)であることが見いだされました。これらムチンは、関節液内から軟骨の表面に移動し、自己組織化※3によって膜(プロテオグリカン層)を形成すると考えられており、2000年以降さらに詳しく構造解析され、現在ではこれらを集約してProteoglycan 4(PRG4)と呼ばれています。その成分は、ヒアルロン酸と相補的に関節の摩擦を軽減し、潤滑を促進する働きを持つと考えられています。

一般的にムチン、ヒアルロン酸、さらにコラーゲンなどは、細胞が細胞の外側に作り出す物質であることから、細胞外物質と呼ばれ、医療材料や医薬品、食品に広く用いられています。関節液で発見された関節内のムチンも、細胞外物質の1つであると考えられ、関節液から軟骨表面側に移り、自己組織化膜を形成することによって表面をコーティングし、軟骨を保護して平滑性を保持したり、損傷した軟骨の修復を助けるなど重要な役目を果たすとされています。この関節内ムチンが、コラーゲンのように天然物から大量に採取したり、ヒアルロン酸のようにバイオテクノロジーの合成で得ることができると、ヒアルロン酸と同じような注入治療効果が期待できます。しかし、この関節内ムチンそのものは存在量が少なく、動物などから採取することはできません。また、一般的にムチン類は構造が複雑すぎるため、自由に化学合成したり、バイオテクノロジーによって製造することが困難です。ヒアルロン酸による注入治療が普及した要因は、工業的な大量製造に成功した点にありますが、この関節内ムチンを大量製造することは容易ではありません。

2007年、同ユニットでは、大量発生して厄介者とされてきたエチゼンクラゲやミズクラゲから、新しいムチン型糖タンパク質「クニウムチン」を発見しました。2008年は、エチゼンクラゲが発生せず、その理由は大きな謎とされていますが、ミズクラゲは、毎年日本のどこかで大量発生しており、安定して採取することができます。クニウムチンの発見は、海の厄介者を有用物に転用するばかりでなく、これまで家畜からだけしか採取する手法がなかったムチンの新たな供給資源を得ることになりました。

クニウムチンの構造は、より高等な動物である家畜から採取されるムチンとは異なり、ムチンとしての最低限の基本構造であるタンパク質(ペプチド鎖)に、糖鎖が枝状につながった繰り返し構造(ムチンドメイン)だけを持っていて、そのほかの配列(非ムチンドメイン)がないシンプルな構造であること、糖鎖が1~2糖という短い糖鎖で構成されていること、そのため高い抽出純度を維持できることが分かりました(図1)。また、繰り返し構造の数も、クニウムチンが8であるのに対し、実際のヒトの関節内ムチンは7または8とされており類似した数であること、さらに、ペプチド鎖長当たりの糖鎖の数も類似していることなど、ヒトの関節内ムチンとよく似ていることが分かりました。しかし、関節内ムチンは、両端に非ムチンドメインを持っており、この点が、ムチンドメインだけを持つクニウムチンと大きく異なっていました(図2)。

研究手法と成果

研究グループは、関節のモデル実験動物となっているウサギを4つのグループに分け、それぞれに人工的な変形性関節症を作り、A群は生理食塩水、B群はヒアルロン酸のみ、C群はクニウムチンのみ、D群はヒアルロン酸とクニウムチンを10:1の比率で混ぜただけの薬剤を、第3週目から毎週1回、5週間にわたって関節内へ注射して経過を観察しました。この方法は、実際に人間に対して行われている治療方法と同一の手法です。第10週目に関節が修復したかどうかを外観から評価し(図3)、さらに、軟骨表面の状態を組織学的に評価しました。C群およびD群のクニウムチンの抽出液としては、エチゼンクラゲまたはミズクラゲから抽出したクニウムチンを、それぞれ単独で用いました。

その結果、4つのグループのうち、ヒアルロン酸単独グループでは従来から報告されている関節の修復効果が見られ、クニウムチン単独ではほとんど効果が見られませんでした。しかし、ヒアルロン酸とクニウムチンを等量混合した場合には、ヒアルロン酸単独の場合を大きく上回って関節の修復が進むことを、定量的に見いだしました。つまり、クニウムチンの添加により、1+1で2以上の効果、すなわち、ヒアルロン酸の効果をさらに強める働きを見いだしました。また同時に、クニウムチン注入による感染症や、強い免疫反応などの悪影響がないことも確認できました。

細胞外物質の1つであるムチンは、ヒトの場合約20種類が確認され、眼球の表面、鼻やのどなどの呼吸器、口腔、消化器の表面など、粘膜の存在するところに粘液(たとえば唾液)の成分として含まれています。それぞれの器官では、数種類のムチンが混合され、ヒアルロン酸などのほかの成分とともに混ざり合うことで粘液の健康が保たれています。しかし、何らかの体調の不良や疾病でムチンのバランスが崩れると、さまざまな障害が発生すると考えられています。たとえばドライアイ症候群、口内炎、胃潰瘍などがその一例です。バランスの崩れによって、粘液の本来持っている保湿性、流動性、粘度、平滑性、抗菌性、界面活性能などが微妙に変化することで、身体の不調が起こったり、病気に感染してしまうこともあり得ます。研究グループは、従来、粘液の1つと考えられていなかった関節液にも、ほかの粘液と同様の機序が働き、ムチンやヒアルロン酸などのバランスを保つことで、関節液の健康が保たれるのではないかと推測しています。すなわち、ヒアルロン酸とクニウムチンの混合による相乗効果によって、関節液の性能が向上し、関節の障害の進行が抑えられたものと判断しています。

現在、関節内ムチンのドメインのうち、非ムチンドメインの部分が関節表面に定着する「いかり」の役割を果たしている、という説が提唱されています。しかし今回の実験結果により、非ムチンドメインのないクニウムチンでも、その自己組織化能力だけで、軟骨表面にムチンによる保護膜を定着させることができる、と示唆されました。

今後の期待

クニウムチンは、ほかのムチンと違ってシンプルな化合物であるために、免疫やアレルギーを発症するリスクが低く、またその検証も容易であるというメリットもあり、薬剤として実用化するまでのハードルの低いことが期待できます。将来、この治療法が普及すると、人類全体に莫大な量のクニウムチンを提供する必要がありますが、現在の科学力ではムチン全般の人工合成が難しいことから、豊富な資源から大量生産できて、純度が高く、構造の確定した安全な抽出物は、現状、クニウムチンしか存在しないといえます。現在、関節疾患に対する治療には、ムチン以外の人工的な高分子を添加し、軟骨の修復を促進する試みが行われており、一部に効果があるとされています。しかし、ムチンは、本来関節液に存在する物質で、関節液修復に果たす役割も徐々に明らかになってきていることから、より本来のメカニズムに近い機序により効果を期待できます。

今回、ウサギを使った動物実験で治療効果があることを確かめましたが、どのような作用機序で効果が現れたか、ムチンが本当に関節表面に定着するか否かは、今後確認を進めていかなければなりません。軟骨表面への定着の機構や、自己組織化膜の形成、治療効果の作用機序など、そのメカニズムは謎が多いため、分子レベルの研究、さらにはナノメートル(nm:10億分の1メートル)レベルの構造をとらえる研究(ナノサイエンス)が必要になります。クニウムチンは、構造がシンプルなため分子レベルの研究が容易で、作用機序はいずれ明らかになると思われます。実用化に向けて、今後さらに動物実験などを進め、安全性や効果を確認していきます。

さらに、さまざまな用途があると期待されていたクニウムチンの有力な用途を1つ発見したことで、これまで厄介者だったクラゲの有効利用の道が広がることになります。2009年後半からクニウムチン生産の工業化を進める予定ですが、人工的に大量抽出する技術開発については未開拓で、今後取り組んでいかなければならない課題です。特に、純度の高いクニウムチンの大量生産には、製造、採集などのコストを大幅に低減する必要があると考えています。

人体では、さまざまなムチンが役割分担をし、関節液をはじめ各器官における粘液のバランスが保たれています。体調や加齢、疾病などでこれらのバランスが崩れてしまい、その効果を損なってさまざまな疾病が発症します。将来は、クニウムチンをはじめとしたさまざまなムチンを人工的に混合して加え、あらゆる粘液や関節液の有効成分を外部から調整し、正しく再現することで、粘膜や関節の働きを助ける治療法が進展するものと考えています。

発表者

東海大学医学部外科学系整形外科学
准教授 佐藤 正人(さとう まさと)
Tel : 0463-93-1121(内線2320) / Fax : 0463-96-4404

独立行政法人理化学研究所基幹研究所
丑田環境ソフトマテリアル研究ユニット
ユニットリーダー 丑田 公規(うしだ きみのり)
Tel : 048-467-7963 / Fax : 048-462-4668

報道担当

学校法人東海大学 広報部広報課 担当:岡部・田村
Tel : 03-3467-2211(代)

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 / Fax:048-462-4715

補足説明

  • 1.ムチン型糖タンパク質(ムチン)
    粘液(Mucus)の主成分である糖タンパク質で、アミノ酸のつながったタンパク質(ペプチド鎖)のトレオニンまたはセリンにO-グリコシド結合と呼ばれるエーテル結合で糖または糖鎖が枝状に接続した高分子化合物。O-グリコシド結合した糖鎖はムチン型糖鎖とも呼ばれる。動植物にさまざまな種類のムチン型糖タンパク質が存在するが、構造が確定されたものはほとんどない。狭義に「ムチン」という場合は、動物の粘液に含まれる物質の一群を総称して指す。従ってコラーゲンと同様、物質名でなく物質群名である。
    ヒトの場合、約20種類のムチンが確認され、眼球表面、口腔、気道、消化器などで涙成分、唾液、胃液などの粘液が、複数のムチンをブレンドした形で存在する。その結果、粘液は保湿(=乾燥防止)、表面保護、異物のバリア、平滑性、抗菌性を有するといわれている。たとえば胃液のムチンはピロリ菌の活動を抑制し、涙に存在するムチンはドライアイを防止するといわれている。タンパク質骨格を持つにもかかわらず、プロテアーゼなどのタンパク質分解酵素に耐性を持つため、胃の内部でも容易には分解されない。
    哺乳類のムチンは、ペプチドの構造は解析されているものの、枝状に分岐した糖鎖は一定の形をしていないことが特徴で、その正確な構造解析は不可能である。従って、一部で家畜の唾液や胃液から取ったムチンが試薬として販売されているものの、構造が単純かつ均一であることが解明されているものはクニウムチン以外に、ほとんどない。ムチンはそれぞれの糖鎖が分子を認識する鍵の働きを持つために、ムチンを、分子認識のキーホルダーにたとえることができ、哺乳類では糖鎖の多様性こそが、その生理的な作用を特徴づけているとされる。
    ムチンのタンパク質部分はDNAのコードなどを用いて容易に合成することが出来るが、O-グリコシド結合を持った糖鎖をそれに結合させて完全なムチンを合成することは、今のところ不可能である。特にムチンに関しては天然物抽出が唯一の有力な製造方法であり、一旦抽出したムチンの糖鎖を酵素で変換することは可能である。クニウムチンはその原料として使うこともできる。
  • 2.クニウムチン
    理研が、エチゼンクラゲやミズクラゲなど、一般的なクラゲ類(鉢虫類)に存在することを見いだした、まったく新しいムチン型糖タンパク質。骨格のペプチド鎖が8つのアミノ酸からなる繰り返し構造を持っており、ほぼその繰り返し構造のみでできている。さまざまな分子量のものが抽出されるが、平均は70万から100万程度である。この繰り返し構造内のトレオニン残基にN-アセチルガラクトサミンから始まる短い糖鎖が接続している。哺乳類のムチンなどと比較して、シアル酸(酸性の糖)が含まれていない。
    クニウムチンは、原始的な生物であるクラゲ由来で、ムチンあるいはムチン型糖タンパク質の基本的な構造のみで構成されていることが特徴であり、そのために詳しい構造解析ができるとともに、純度や均一性の高い工業生産が可能となることが大きな特徴である。
  • 3.自己組織化
    物質が、特に外界からの力を受けず、自分の力だけで、秩序だった構造や、機能的な構造を取ろうとする働き。単分子膜の生成過程、雪の結晶成長過程、動物の血管や神経の成長過程などの例がある。特に自己組織化膜(Self-Assembled Membrane)はSAMと呼ばれて多くの例が見いだされている。
クニウムチンの立体構造(繰り返し構造の1単位)

図1 クニウムチンの立体構造(繰り返し構造の1単位)

ペプチド鎖は、アミノ酸であるVal:バリン、Glu:グルタミン、Thr:トレオニン、Ala:アラニン、Pro:プロリンの繰り返し構造で構成されている。
このペプチド鎖に、糖鎖であるGalNAc:N-アセチルガラクトサミンが結合している。

クニウムチンと関節液内のムチンの比較

図2 クニウムチンと関節液内のムチンの比較

全体構造は、数十~数百nmにわたるムチンドメインを持っている点が共通であるが、クニウムチンには非ムチンドメインがない。繰り返し構造のアミノ酸数、糖鎖数もよく似ている。

動物実験の結果

図3 動物実験の結果

変形性関節症を起こした関節軟骨の断面の顕微鏡写真。
中央付近が変形性関節症を起こした部分。B群とD群は、軟骨がカニ肉状に修復しかかっており、赤く染色されている正常な軟骨も厚くなっていることが分かる。また、B群に比較してD群の方が、さらに修復が進んでいることが観察できる。

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