ポイント
- 生後22日の未成熟雄の未熟な精子(円形精子細胞)を顕微授精に利用
- 実験用マウスの均一化、標準化を大幅に短縮し、106日~190日で達成
- 競争の激しいマウスを用いた研究をスピードアップ、家畜の品種改良にも期待
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、顕微授精※1技術を活用して、実験用マウスの遺伝的育種を倍速化し、一世代あたり44日で世代交代させることに成功しました。これは理研バイオリソースセンター(小幡裕一センター長)遺伝工学基盤技術室の小倉淳郎室長、越後貫成美技師、実験動物開発室、マウス表現型解析開発チーム、動物変異動態解析技術開発チーム、および東京大学大学院医学系研究科の研究グループによる共同研究の成果です。
マウスは、世界で最も多く使われている実験動物で、遺伝子改変などにより毎年数千もの系統が新たに作出されています。これらのマウス系統の多くは、遺伝的に多様であるために、交配育種による均一化(コンジェニック化)※2や標準化※2が進められています。これまでの交配育種は、一世代あたり3~4カ月かかる世代交代を、数回~10回以上繰り返す必要があり、実験用に提供できる系統を得るまでには1~3年という長い年月を費やしていました。
研究グループは、マウスの世代交代の期間を短縮するために、性成熟※3前の雄(未成熟雄)から採取した未熟な生殖細胞(円形精子細胞※4)を使い、顕微授精技術により産子が得られることを確認しました。円形精子細胞は、普通の精子と同じ半数体※5の染色体を持っており、生後22日以降で十分な数が出現しています。通常は、マウスが自然交配可能になるまで生後2~3カ月必要としていましたが、円形精子細胞を用いることで生後22日以降に受精を試みることが可能となり、受精までの期間を約3分の1に短縮することができます。また、マウスの妊娠期間は20日間であるため、一世代は最短42日間(22日+20日)と、通常の世代交代に要する最短期間80日間(60日+20日)を半分に短縮することができます。これは哺乳類動物の最短記録となり、脊椎動物でも最短といわれる幼形成熟魚シラスウオの約40日に並びます。
さらにこの方法によって、雑種の遺伝的背景にある遺伝子改変マウス3系統を、標準的な近交系※6マウスであるC57BL/6系統の遺伝的背景に均一化することを試みました。各世代で遺伝的な置換の進んだ雄マウスを父親とし、C57BL/6の雌へ顕微授精により戻し交配※7させて、106日~190日で均一的なマウスを作出することに成功しました(一世代平均約44日)。通常、均一化には1年から3年ほどかかっているため、大幅な短縮になります。
最近のマウスを用いた研究は、精密さと迅速性がますます要求されており、目的とするマウスの1日も早い遺伝的な均一化と標準化が必要です。マウス世代交代の迅速化技術は、医生物学研究者待望の技術であり、今後非常に多くの応用が期待できます。
本研究成果は、文部科学省科学研究費補助金により行ったもので、米国のオンライン科学雑誌『PLoS ONE』(3月31日付け)に掲載されます。
背景
マウスは、ヒトの次にゲノム塩基配列の解読が完了した哺乳類で、世界中で最も使用されている実験動物です。実験動物としてのマウスの最大の特長は、充実したゲノム情報と、高い胚操作技術に基づいた遺伝子改変マウス作出技術が確立していることにあります。長い歴史を持つ自然突然変異マウスに、人為的に作出した遺伝子改変マウスを加えると、世界には数万にも及ぶ遺伝的変異マウス系統が存在します。これらの変異マウスは、遺伝子機能の解析やヒト疾患の研究に用いられています。しかし、遺伝的な背景が雑種であるため、目的とする遺伝子の機能が影響を受け、実験の再現性を得られないことが大きな欠点とされています。そのため、これらのマウスを、標準的なマウス系統の遺伝的背景に均一化(コンジェニック化)することが必要とされ、その手段として、自然交配による戻し交配育種が行われています。しかしこの育種には、3~4カ月かかる世代交代を数回~10回以上繰り返す必要があるため、目的の部分だけに変異をもつ系統を得るまでに2~3年を費やし、きわめて競争の激しいマウスを用いた研究において大きな問題でした。
そこで、遺伝工学基盤技術室の越後貫成美技師らは、性成熟前の雄(未成熟雄)を用いたマウス世代交代の迅速化を試みました。研究グループはすでに、未成熟雄を用いた顕微授精により、産子が得られることを報告していますが、用いる雄が若いほど顕微授精技術が難しくなるため、未成熟雄による世代交代を複数回続けられるかどうかは不明でした。
研究手法と成果
精子と同じ半数体の染色体を持つ最も未熟な生殖細胞は、減数分裂直後に出現する円形精子細胞です(図1)。この細胞は、性成熟前の雄からも採取できるため、世代交代を早めることができますが、未成熟であることから自ら授精する能力はなく、顕微授精技術が必要になります。しかもその受精効率は、成熟精子を用いた顕微授精よりも低下します。そこで、さまざまな日齢の未成熟雄を検査した結果、生後22日以降の円形精子細胞が、効率よく顕微授精に使用できることが分かりました。マウスの妊娠期間は20日間であるため、一世代は最短で42日間(22日+20日)と、通常の半分の期間で世代交代をできることになります。
実際に、目的遺伝子を持つ系統の未成熟雄マウスの精巣から、円形精子細胞を採取し、戻し交配する近交系マウス(遺伝的背景の系統になる)の卵子へ注入して次世代を得るとともに(図2)、戻し交配を繰り返すことで、限りなく遺伝的背景を均一化したマウスの作成に成功しました。その際、染色体上に遺伝的な多型マーカー※8を74~176カ所設定し、より遺伝的な置換の進んだ雄マウスを父親に選ぶことで、必要とする世代交代数も減らしました。
これらの技術を組み合わせ、遺伝的に雑種の状態にあるトランスジェニックマウス※9、ノックインマウス※10、ENU誘発突然変異マウス※11の3種類の遺伝子改変マウスの雄の精子を、標準的な近交系マウスであるC57BL/6系統の卵子へ顕微授精を行うことによって、遺伝的背景の均一化を試みたところ、それぞれ3~5世代、106~190日で均一化することができました(平均1世代約44日)(図3)。これは、通常1~3年かかっていた均一化を大幅に短縮できることを示しています。このようにして得られた遺伝子改変マウス系統は、顕微授精を連続したことが原因と思われる異常は見つかっておらず、通常の自然交配で維持されています。
今後の期待
変異遺伝子の表現型は、しばしばマウスの遺伝的背景により変わってくることが知られています。マウスを用いた研究は、精密さと迅速性がますます要求されており、目的とするマウスの1日も早い遺伝的な均一化と標準化が必要です。今回開発したマウス世代交代の迅速化技術は、医生物学研究者待望の技術であるだけではなく、これまで、自然交配という長い年月を必要とする家畜の品種改良などへの応用も期待されています。
発表者
理化学研究所
バイオリソースセンター 遺伝工学基盤技術室
室長 小倉 淳郎
Tel: 029-836-9165 / Fax: 029-836-9172
お問い合わせ先
筑波研究所研究推進部 企画課齋藤 寿実子(さいとう すみこ)
Tel: 029-836-9080 / Fax: 029-836-9100
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.顕微授精
顕微鏡下で顕微操作により受精させる技術。通常は成熟精子を卵子へ注入することにより受精させる。成熟前の精子や精子細胞も顕微授精に用いることができる。 - 2.均一化(コンジェニック化)、標準化
均一化(コンジェニック化)とは、マウスの遺伝的系統作出法の一つ。既存の近交系( ※6参照)に繰り返して交配することによって、目的とする遺伝子以外のほとんどの遺伝子組成を近交系の系統に置換した系統。通常は毎世代、戻し交配( ※7参照)を行う。最低10~12回の戻し交配が必要といわれている。
標準化とは、ここでは標準的な近交系マウスの遺伝的背景にすることを指す。 - 3.性成熟
通常、自然交配して産子が生まれる時期を性成熟と呼ぶ。マウスでは2~3カ月程度。 - 4.円形精子細胞
雄性生殖細胞は減数分裂後、半数体( ※5参照)の円形精子細胞→伸張精子細胞→精子の順番で発生する。円形精子細胞はもっとも未熟な半数体雄性生殖細胞。 - 5.半数体
染色体セット(倍数性)の一つ。哺乳類を含む有性生殖を行う二倍体(2n)生物において、受精(接合)する前の配偶子は通常半数体(n)の染色体を有する。哺乳類においては、減数分裂後に出現する。 - 6.近交系
マウスの遺伝的系統分類の一つ。兄妹交配を20世代以上繰り返して作出される。同じ近交系内の個体はすべて遺伝的に同等になる。このため、実験の再現性が、時間と場所を問わずに極めて高くなる。 - 7.戻し交配
交配で得られた子を両親のどちらかと再び交配をして子を得ること。マウスの場合は、親が近交系であれば、実際の親でなくても親と同じ系統と交配をすることで戻し交配となる。 - 8.多型マーカー
DNAの多型に依存したマーカー。一塩基多型(SNP)や制限断片長多型(RFLP)から、長いものではマイクロサテライトまで、さまざまな種類がある。マウスでは近交系間の多型マーカー情報がよく整備されている。 - 9.トランスジェニックマウス
代表的な遺伝子改変マウスの種類の一つ。通常は、受精卵の核へ目的とする遺伝子DNAを導入し、その遺伝子を(過剰)発現する系統として確立する。2008年ノーベル化学賞受賞者の下村脩博士が発見したクラゲの緑色蛍光タンパク質を組み込んだ緑色マウス「green mouse」は、代表的なトランスジェニックマウス。本研究では、生殖細胞に特異的に発現する改良型蛍光タンパク質を組み込んだマウス(動物変異動態解析技術開発チームの阿部訓也チームリーダーらが作出した)を用いた。 - 10.ノックインマウス
代表的な遺伝子改変マウスの種類の一つ。「ノックイン」は、ジーンターゲッティングと呼ばれ、特定の遺伝子領域を外来遺伝子で組み換えを行う際に、本来の遺伝子の代わりに別の機能性遺伝子を導入する技術。導入する遺伝子はマーカー遺伝子の場合が多い。この方法により作出したノックインマウスは、本来の遺伝子が発現する部位が同定されると同時に、本来の遺伝子が削除されたことによる表現型を認識できる。本研究では、エンドセリンレセプター遺伝子の一つを緑色蛍光タンパク質遺伝子に置き換えたノックインマウス(共同研究者である東京大学医学系研究科 栗原裕基教授による開発)を用いた。 - 11.ENU誘発突然変異マウス
化学的変異原であるENU(N-aethyl N-nitrosourea)の投与により、人為的にDNA突然変異を誘発したマウス。本研究では、Gdf5という変形性関節症の原因遺伝子に点突然変異が入った変異マウス(マウス表現型解析開発チームの若菜茂晴チームリーダーらが作出した)を用いた。
図1 マウス精巣中の生殖細胞
矢印が、本研究で用いた円形精子細胞。核内には精子と同じ半数体の染色体セットを持つ。
図2 円形精子細胞の顕微授精後、胚移植によって仮親(白いマウス)から生まれた雄マウス(黒いマウス)
矢印の雄マウスは未成熟(26日齢)だが、顕微授精技術により次の世代の父親になることができる。
図3 74の多型マーカーがすべてC57BL/6型に置換されるまでの過程を示したトランスジェニックマウスの例
21から23日齢の雄マウスを用いることにより、一世代を41~43日に短縮し、188日でC57BL/6系統の遺伝的背景への均一化が完了した。この技術により、通常の均一化の期間の半分以下に短縮することに成功した。