1. Home
  2. 研究成果(プレスリリース)
  3. 研究成果(プレスリリース)2009

2009年6月2日

独立行政法人 理化学研究所

美味しそうな匂いを伝える嗅覚神経回路を同定

-ゼブラフィッシュはアミノ酸がお好き!-

ポイント

  • 特定の嗅覚神経回路を可視化したり、遮断が可能なゼブラフィッシュを作製
  • 好きな匂い(アミノ酸)を察知し、誘引行動を引き起こす神経回路を見つける
  • 匂いによって喚起される「好き・嫌い」、「快・不快」の感情の手がかりに

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、モデル動物で知られる熱帯魚ゼブラフィッシュ※1を用いて、好きな匂い(におい)への誘引行動に必要な神経回路を世界で初めて同定しました。理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)シナプス分子機構研究チームの吉原良浩チームリーダーと小出哲也研究員、国立遺伝学研究所(初期発生研究部門)との共同研究による成果です。

多くの動物は、匂いの情報に基づき、食べ物の探索行動、個体の認識、生殖活動の誘発、危険回避行動など生存に欠かせない行動を起こしています。嗅覚とは、物体から発せられるさまざまな「匂い分子」を、鼻の奥にある感覚神経細胞(嗅細胞)によって受容し、その情報は神経線維を通って脳の入り口の嗅球※2、さらには高次の嗅覚中枢へと伝わり、脳が認識・識別して生み出される感覚です。しかし、匂いによって喚起される行動を支配する神経配線様式については、ほとんど分かっていませんでした。

研究チームは、遺伝子工学的手法を用いて、特定の嗅覚神経回路を可視化したり、遮断したりすることができるゼブラフィッシュを作製し、特定の嗅細胞から嗅球への神経配線様式と、その機能を詳細に解析しました。その結果、嗅球の外側部への神経伝達を遮断したゼブラフィッシュでは、本来「好きな匂い」であるはずのアミノ酸への誘引反応が消失することを発見しました。つまり、嗅球の外側部を含む神経配線が、アミノ酸への誘引行動に欠かせない神経配線でした。今回の成果により、匂いによって呼び起こされる「好き・嫌い」の感情のメカニズムを解明する糸口を見いだしたことになりました。また、嗅覚神経回路などを可視化する新手法は、感覚入力(匂い)と機能的出力(行動)を介在する神経回路の理解に、大きく貢献するものと期待されます。

研究は、文部科学省特定領域研究「細胞感覚」の助成金を得て実施し、本研究成果は、米国の科学アカデミー紀要『Proceedings of the National Academy of Sciences』オンライン版に6月1日の週に掲載されます。

背景

嗅覚は、ヒトを含む多くの生物で、摂食行動、危険回避行動、繁殖行動など、生命活動に不可欠な役割を果たしています。匂いの成分である化学物質(匂い分子)は、鼻の奥にある、匂いセンサーとしての役割を持った嗅細胞に発現する嗅覚受容体※3と結合します。嗅覚受容体遺伝子は、ヒトでは約350種類、マウスでは約1,300種類、魚では約200種類が存在しています。それぞれの嗅細胞は、そのレパートリーの中からたった1種類の嗅覚受容体遺伝子を選択して発現し、特定の化学構造を持つ匂い分子だけを認識します。その匂いの情報は、嗅細胞の神経線維を介して、脳の前方に位置する嗅球と呼ばれる一次の情報処理中枢に伝わります(図1)。嗅球に伝わった匂い分子の情報は、匂い分子の化学構造を基本要素として描く「匂い地図」を嗅球に展開しています。同じ受容体を持つ嗅細胞の神経線維は、嗅球表面に並ぶ多くの糸球体※4のうち、特定の糸球体と接続しています。こうした鼻から脳への精密な神経配線が、多種多様な匂い分子の検出・識別を可能にしています。

1991年に、米国コロンビア大学のリンダ・バック(Linda Buck)博士とリチャード・アクセル(Richard Axel)博士が、嗅覚受容体遺伝子群を発見(2004年ノーベル医学生理学賞)して以来、嗅覚研究は飛躍的な進展を遂げ、匂いの受容メカニズムと、鼻から脳への神経配線様式については、多くの部分が解明されてきました。しかし、「好き」な匂いへの誘引反応や「嫌い」な匂いからの忌避反応といった、匂いによって呼び起こされる行動を介在する神経配線様式については、これまでほとんど分かっていませんでした。研究チームでは、胚の透明性や、既に確立されている遺伝学的手法を持つ熱帯魚ゼブラフィッシュを用いて、特定の嗅覚神経回路を可視化あるいは遮断することができるゼブラフィッシュを作製し、好きな匂い(アミノ酸)への誘引行動を引き起こす神経回路の同定を目指しました。

研究手法と成果

(1)特定の嗅覚神経回路を可視化したゼブラフィッシュ系統の作製

研究チームは、遺伝子トラップ法※5という遺伝子工学的方法を駆使して、複数の嗅覚神経回路を緑色蛍光タンパク質GFPで可視化することに成功しました(図2上)。さらに、特定の嗅細胞に発現するマーカー抗体を用いて、嗅細胞のタイプとGFPを発現する神経の神経配線様式との関係を調べました。その結果、GFPを発現する嗅細胞は嗅球内の異なる糸球体群に神経線維を投射することが分かりました(図3上)。また、遺伝子トラップ系統SAGFF27Aが、嗅球の外側部に神経線維を投射する微絨毛(びじゅうもう)嗅細胞※6で主にGFPを発現することを見いだしました(図34)。これらの結果から、作製した遺伝子トラップゼブラフィッシュは、異なった種類の嗅細胞からの情報を伝える嗅覚神経回路を可視化できることが示唆できました。

(2)アミノ酸による誘引行動に嗅覚が必要

これまでの研究から、アミノ酸が微絨毛嗅細胞を活性化することが報告されていました。そこで研究チームは、アミノ酸によって喚起されるゼブラフィッシュの行動について観察しました。その結果、正常なゼブラフィッシュ(野生型)は、アミノ酸へと誘引されることを見いだしました(図5左)。さらに、ゼブラフィッシュの鼻を外科的に除去すると、アミノ酸への誘引反応が消失する(図5右)ことから、この行動が嗅覚に依存することが分かりました。

(3)アミノ酸による誘引行動を引き起こす神経回路の同定

次に研究チームは、GFPを発現するさまざまなタイプの嗅細胞の機能を明らかにするために、特定の嗅細胞からの神経伝達を遮断したトランスジェニックゼブラフィッシュを作製し(図2下)、アミノ酸への誘引行動の変化を観察しました。その結果、嗅球の外側部へと投射する微絨毛嗅細胞からの神経伝達を遮断したゼブラフィッシュでは、アミノ酸への誘引反応が消失しました(図6)。嗅球の別の領域へと投射するほかの神経伝達を遮断しても、正常にアミノ酸へと誘引されることから、嗅球の外側部へと神経線維を投射する微絨毛嗅細胞からの神経回路が、アミノ酸の匂いの情報を伝え、誘引行動を引き起こしていることが示唆できました(図7)。このように、特定の神経回路を遮断することで、好きな匂いへの誘引反応を引き起こすゼブラフィッシュの神経回路を同定することができたのは、世界で初めてです。

今後の期待

匂いの情報は、多くの動物にとって本能や生存にかかわる行動を支えています。私たち人間にとっても、匂いは「好き・嫌い」や「快・不快」といった感情、過去の記憶の想起などに影響を与える重要な役割を担っています。研究で発見した好きな匂いの神経回路は、匂いによる感情発現の仕組みを探る重要なヒントになると期待できます。また、今回の研究手法を応用することで、近い将来、感覚入力(多種多様な匂い)と機能的出力(さまざまな行動)の間をつなぐ神経回路が解明できるものと期待できます。

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター シナプス分子機構研究チーム
チームリーダー 吉原 良浩(よしはら よしひろ)
Tel: 048-467-1699 / Fax: 048-467-2306

研究員 小出 哲也(こいで てつや)
Tel: 048-462-1111(内線7224) / Fax: 048-467-9689

お問い合わせ先

脳科学研究推進部 納富 さより(のうどみ さより)
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.ゼブラフィッシュ
    学名:Danio rerio。インド原産の体長5センチメートルほどの小型熱帯魚。飼育が容易で多産。稚魚の体は透明なので、体の内部の発達過程を生きたままで観察することができる。遺伝子工学的あるいは遺伝学的な手法を用いることで、特定の神経細胞を蛍光タンパク質によって可視化したり、特定の遺伝子の機能を阻害したりすることが可能。
    ゼブラフィッシュの成魚の画像 ゼブラフィッシュの成魚
  • 2.嗅球
    嗅覚の一次中枢として機能する脳の領域。嗅細胞の神経線維が直接接続している。
  • 3.嗅覚受容体
    鼻腔に入ってきた匂い分子を認識する受容体。鼻の奥に存在する嗅細胞に発現している。多種多様な「匂い分子」に対応できるように、嗅覚受容体遺伝子は、ゲノム上にマウスでは約1,300種類、ヒトでは約350種類、魚では約200種類が存在している。
  • 4.糸球体
    嗅球の表面に並んだ神経線維からなる球状の構造体。1つの糸球体は、同じ嗅覚受容体を発現する嗅細胞に神経支配されており、その受容体と結合する匂い分子の情報を表現している。
  • 5.遺伝子トラップ法
    特定の細胞で任意の遺伝子を発現させる方法の1つ。プロモーターを持たない外来遺伝子をゲノムにランダムに挿入することにより、挿入された領域の遺伝子の機能を解析することができる。例えば、蛍光タンパク質GFPを用いれば、発生過程において時期・組織特異的にGFPを発現するゼブラフィッシュ胚を得ることができる。
  • 6.微絨毛嗅細胞
    鼻に存在し、匂い分子を受容する嗅細胞の1種類。微絨毛と呼ばれる突起を持つ。繊毛を持つ繊毛嗅細胞などとともに嗅上皮を構成する。それぞれの嗅細胞は、形態の違いに加えて、異なるクラスの嗅覚受容体を発現すること、嗅球の異なる領域へと軸索を投射すること、異なる生理的な応答を伝えることが報告されている。
鼻(嗅上皮)から脳(嗅球)への神経配線の図

図1 鼻(嗅上皮)から脳(嗅球)への神経配線

匂い分子は嗅細胞(一次嗅覚ニューロン)に発現する嗅覚受容体に結合する。個々の嗅細胞はたった1種類の嗅覚受容体を選択して発現する。そのため、それぞれの嗅細胞は特定の構造を持った匂い分子群のみと結合することができる。さらに同じ型の受容体を持つ嗅細胞群は、嗅球にある特定の糸球体へと神経線維を集束させて、その匂い情報を伝達する。糸球体で嗅細胞から入力を受けた僧帽細胞(二次嗅覚ニューロン)は、その情報をさらに高次中枢へと伝える。

Gal4-UASシステムによる神経回路の可視化と神経伝達の遮断の図

図2 Gal4-UASシステムによる神経回路の可視化と神経伝達の遮断

酵母由来の転写調節因子であるGAL4 タンパク質は、UAS と呼ばれる DNA 配列に結合して、下流遺伝子の発現を誘導する。

(上図)神経回路の可視化法

Gal4遺伝子をゲノム内のさまざまな位置に挿入したGal4遺伝子トラップ系統とUASの下流にGFPをつないだリポーターフィッシュを掛け合わせることにより、次世代でGal4発現細胞特異的にGFPの蛍光が観察できる(例:鼻にGFPを発現する遺伝子トラップ系統)。

(下図)神経伝達の遮断方法

破傷風毒素は、シナプス小胞の開口分泌を担う synaptobrevinを切断することで神経伝達を遮断する。Gal4遺伝子トラップ系統とUASの下流に破傷風毒素をつないだエフェクターフィッシュと掛け合わせることにより、Gal4発現細胞特異的に神経伝達の遮断ができる。

異なる嗅細胞にGFPを発現するトランスジェニックゼブラフィッシュ(稚魚での観察)の図

図3 異なる嗅細胞にGFPを発現するトランスジェニックゼブラフィッシュ(稚魚での観察)

受精後5日目の稚魚の顔を正面から観察。異なる種類の嗅細胞群の一部にGFPを発現する3種類のトランスジェニックゼブラフィッシュ系統。

(上図)GFPで標識された神経線維は、嗅球内の異なる糸球体に投射していることが分かる。点線は嗅球を示す。

(中、下図)嗅細胞のマーカー抗体を用いた二重免疫染色像。3種類の遺伝子トラップ系統のうちSAGFF27A(左図)は、calretinin陽性の微絨毛嗅細胞にGFPを発現していることが分かる。

トランスジェニックゼブラフィッシュにおけるGFPを発現する嗅細胞の投射先の解析(成魚での観察)の図

図4 トランスジェニックゼブラフィッシュにおけるGFPを発現する嗅細胞の投射先の解析
(成魚での観察)

トランスジェニックゼブラフィッシュ成魚の脳を背側から(上図)、と腹側(下図)から観察した。嗅細胞から嗅球への神経線維の投射パターンは成魚でも保存されている。

ゼブラフィッシュはアミノ酸への誘引反応を示すの図

図5 ゼブラフィッシュはアミノ酸への誘引反応を示す

(上図)嗅覚行動解析システム
長方形の水槽を泳ぐゼブラフィッシュを上部からビデオ撮影し、アミノ酸溶液投与前(-3~0分)と投与後(0~4分)の遊泳の軌跡を解析した。

(下図)嗅覚行動解析結果
野生型ゼブラフィッシュに、水槽の片側からアミノ酸溶液を投与すると、アミノ酸投与側への誘引反応を観察(左)。アミノ酸溶液投与の時間、場所を矢尻で示す。鼻を外科的に取り除いた魚ではこの誘引反応は見られない(右)。

鼻から嗅球の外側部に至る神経回路がアミノ酸への誘引に重要な役割を持つの図

図6 鼻から嗅球の外側部に至る神経回路がアミノ酸への誘引に重要な役割を持つ

鼻から嗅球への異なる神経回路を遮断した時のアミノ酸への誘引度を「好き・嫌い」インデックスで示す。嗅上皮除去(鼻除去、青;左から2番目)と微絨毛嗅細胞から嗅球外側部糸球体に至る神経回路を遮断(緑;左から3番目)したゼブラフィッシュではアミノ酸への誘引を示さないが、鼻から内側後部(黄;左から4番目)と内側前部(ピンク;右端)に位置する糸球体への神経回路を遮断した場合は、野生型と同様、正常にアミノ酸への誘引を示すことが分かる。

好きな匂いの神経回路の図

図7 好きな匂いの神経回路

アミノ酸は、微絨毛細胞(緑色)で受容され、嗅球の外側部糸球体に情報が伝えられる。その結果、アミノ酸への誘引反応が起こる。一方、胆汁酸は繊毛嗅細胞(ピンク色)に受容され、嗅球内側前部の糸球体へと情報が伝えられる。胆汁酸は、ある種の魚にとってはフェロモンとして働き、社会性行動を促すと考えられているが、ゼブラフィッシュでの生理的意義はよく分かっていない。嗅球から高次嗅覚中枢、さらに行動出力に至る神経回路は不明である。

Top