2009年6月16日
独立行政法人 理化学研究所
アルコール性急性膵(すい)炎の治療に有効なターゲットを発見
2型、3型IP3レセプターが、カルシウム濃度を過剰化、膵炎発症の原因に
ポイント
- 脂肪酸エチルエステルが、IP3レセプターを介してカルシウムを過剰放出
- IP3レセプター抑制が膵炎発症を抑えることをノックアウトマウスで証明
- アルコール誘発性の急性膵炎に効く特効薬の開発へ第一歩
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、英国・リバプール大学と共同で、アルコール誘発性の急性膵(すい)臓炎(膵炎)の発症初期に「イノシトール三リン酸受容体(IP3レセプター)」がかかわっていることを発見しました。理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)発生神経生物研究チームの御子柴克彦チームリーダーと、リバプール大学カルシウムシグナリンググループのジュリア・ゲラシメンコ(Julia Gerasimenko)博士、オレグ・ゲラシメンコ(Oleg Gerasimenko)博士、オール・ピーターソン(Ole Petersen)教授らによる共同研究の成果です。
急性膵炎の主な発症原因として、アルコール依存症の患者に多く見られるアルコールの多量摂取が挙げられます。膵臓を構成する細胞内で消化酵素が異常に活性化すると、膵臓を部分的に消化してしまい、その損傷によって炎症を起こして、急性膵炎を発症させます。これまでの研究から、膵臓内の酸素濃度が低下する際にアルコールと脂質を材料として脂肪酸エチルエステル(FAEE)という化合物が作られることが知られています。この時、FAEEは膵臓細胞内のカルシウム濃度を過剰に上昇させ、トリプシンなどの消化酵素を活性化させると考えられています。
膵炎発症のきっかけとなる細胞内のカルシウム濃度上昇の第一段階は、アルコールの刺激によって、細胞内のカルシウム貯蔵庫※1に貯蔵されているカルシウムが細胞質へと放出されることで始まります。研究グループは、FAEE量が増大すると、カルシウムが特異的なカルシウム貯蔵庫から2型、3型IP3レセプター※2を通って細胞質に放出されることを見いだしました。さらに、理研グループが作製した2型、3型IP3レセプターを欠損するノックアウトマウスの膵臓細胞でFAEEによる毒性の減少が認められたことから、アルコールによる過剰なカルシウム上昇と消化酵素の活性化に、2型、3型IP3レセプターが重要な役割を果たすことが決定的となりました。
現在、膵炎の治療には特効薬が存在しません。この発見は、2型、3型IP3レセプターの働きを抑えることで、アルコールによる有害なカルシウムの上昇と消化酵素の活性化を人為的に止めることが可能となることを示し、急性膵炎に効く特効薬の開発につながると期待できます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America』6月15日の週にオンライン掲載されます。
背景
膵臓はタンパク質や脂肪などを消化する酵素を生産・貯蔵し、分泌する機能を担う臓器です。通常、膵臓細胞内では消化酵素としての活性を持たない前駆体が作られ、エクソサイトーシス※3として知られるプロセスによって細胞外に分泌された後に、消化酵素としての活性を持ちます。ところが、何らかの原因で膵臓細胞内に貯えられたトリプシンなどの消化酵素の前駆体が異常に活性化されると、膵臓を構成する細胞を次々に自己消化し始め、結果的に急性膵炎を発症します。
アルコール依存症の患者などで、アルコールの多量摂取が急性膵炎を引き起こすということは以前からよく知られています。これまでの研究では、アルコール中毒者の膵臓にアルコールと脂質の合成化合物である脂肪酸エチルエステル(FAEE)が高濃度で検出されることや、低酸素状態の膵臓内でアルコールと脂質からFAEEが合成されることが分かってきています。さらに、このFAEEが細胞内のカルシウム貯蔵庫からの異常なカルシウム放出を引き起こし、カルシウム依存性の細胞死の原因となっていることが報告されています。現在では、膵臓に対するアルコールの毒性は、FAEEが細胞内で過剰なカルシウムの上昇を引き起こすことにより現れるとされています。そのため、急性膵炎の治療法を開発するためには、急性膵炎にかかわる細胞内のカルシウムの挙動を解明することが必須となりますが、FAEEがカルシウム放出を引き起こす具体的なメカニズムは謎のままでした。本研究では、FAEEがどのようにカルシウムの放出を引き起こし、細胞毒性を持つのか、その分子機構の解明に挑みました。
研究手法
(1)カルシウム濃度とトリプシン酵素活性の測定
カルシウム濃度とトリプシン酵素活性の測定に、蛍光化合物を使用しました。カルシウム濃度は、Fluo5Nというカルシウム指示薬を使用して測定しました。また、トリプシンの酵素活性は、BziPARという蛍光物質を用いて測定しました。
(2)レーザーによる細胞膜の透過
カルシウム貯蔵庫の中のカルシウム濃度を測定するため、2光子レーザーによる細胞膜の透過化技術を利用しました。カルシウム指示薬を細胞全体に与えた後、強力なレーザーパルスのビームを数秒間、細胞膜に照射し細胞に小さな穴(約2μm:1μmは10-6m)を開けます。この操作によって、細胞質内のカルシウム指示薬は穴から細胞外に洗い流され、カルシウム貯蔵庫の中の指示薬だけを測定することが可能になります。カルシウム貯蔵庫からカルシウムが放出されるとき、カルシウム貯蔵庫の中に閉じ込められた指示薬の蛍光強度が減少する様子を観察できます。レーザーによる細胞膜の透過化は、細胞をより正常な状態に保つという点で化学物質を用いた古典的な膜透過化の技術より優れています。
研究成果
(1)FAEEによる、酸性カルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出
透過化された膵臓細胞に、FAEEの一種「パルミトレイン酸エチルエステル(POAEE)」を、アルコールの毒性が現れた患者の血中に存在する濃度(10~100μM:マイクロモル濃度)で加え、カルシウム貯蔵庫内のカルシウム濃度を測定しました。膵臓細胞には、基底領域※4と粒状領域※4の2つの領域が存在しています。基底領域(図1A赤丸)には主要なカルシウム貯蔵庫である小胞体が多量に存在し、粒状領域(図1A青丸)には少量の小胞体に加え、酸性のカルシウム貯蔵庫も存在します。主要な小胞体カルシウム貯蔵庫は、Thapsigargin(TG)というカルシウムポンプの阻害剤の処理で空になりました。その後、POAEEを添加すると、粒状領域(図1A青いグラフ)のカルシウム貯蔵庫で一層カルシウムが減少しましたが(矢印)、基底領域(図1A赤いグラフ)では変化はありませんでした。この結果は、POAEE依存的なカルシウム放出は、粒状領域に局在する小胞体とはまったく異なる貯蔵庫で起きていることを示しています。その後の実験から、カルシウムの減少は、液胞型プロトンATPaseの特異的阻害剤であるBafilomycin(Baf)に反応性のある酸性のカルシウム貯蔵庫で起きていることが明らかとなりました(図1B)。
(2)FAEEはトリプシン活性を高める
膵臓細胞内での消化酵素の活性化は、膵臓細胞を自己消化し、急性膵炎を引き起こします。そこで、POAEEがトリプシンを活性化したか否かを、蛍光色素によってリアルタイムで観察しました。蛍光の増加は、トリプシンの活性化を示しますが、POAEEを加える前に蛍光はありませんでした(図2A、-POAEE)。しかし、POAEEを加えた後に、粒状領域に特異的に蛍光が現れました(図2A、+POAEE)。このトリプシン活性の上昇は、アルコール毒性が現れた患者の血中に存在する濃度(10~100μM)のPOAEEにより引き起こされました(図2B)。これらの結果から、POAEEはカルシウム貯蔵庫からカルシウムを放出するだけでなく、急性膵炎の原因となる細胞内トリプシン活性化を引き起こすことが明らかとなりました。
(3)ノックアウトマウスを用いた2型と3型のIP3レセプター抑制の効果の証明
カルシウム貯蔵庫からカルシウムを放出するチャネルの1つに、IP3レセプターがあります。IP3レセプターの抑制剤2-APBやヘパリンが、POAEEにより誘導されるトリプシン活性化を抑えたことから、特にIP3レセプターがトリプシン活性化に重要な役割を果たすことを突き止めました。そこで、IP3レセプターのどのタイプが、POAEEによって引き出されたカルシウム放出とトリプシン活性化にかかわるかを確かめるために、2型と3型のIP3レセプターを欠損させたノックアウトマウスを作製しました。野生型マウスに比べて、2型のノックアウトマウスの膵臓細胞では、POAEEによる酸性のカルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出とトリプシン活性が減少していました。2型、3型IP3レセプターの両方をノックアウトしたマウスの膵臓細胞では、カルシウム放出とトリプシン活性のより強い減少が観察されました(図3)。これにより、POAEEによって誘導された酸性のカルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出とトリプシン活性化は、2型と3型のIP3レセプターの働きにより引き起こされることを完全に証明することになりました。
今後の期待
現在、日本、英国、米国の各国で約10万人に100人程の患者がアルコール依存症による急性膵炎で苦しんでいます。今回の研究から、アルコールを大量に飲むことにより作られるFAEEは、2型、3型IP3レセプターからのカルシウム放出を引き起こし、細胞内で消化酵素トリプシンを異常活性化することを明らかにすることができました。2型、3型IP3レセプターの特異的な不活性化により、FAEEによって誘導されるトリプシン活性化を著しく抑えることができるという今回の発見は、2型、3型IP3レセプターが急性膵炎の治療に有効なターゲットとなりうることを示したという点で、重要な意味があります。研究グループは、IP3レセプターを特異的に不活性化するような化合物を開発することで、アルコール関連の急性膵炎やほかの原因による膵炎の治療に結びつくと考えています。このような化合物は、急性膵炎以外にも、IP3レセプターが関与することが知られているほかの多くの病気の治療に役立つと期待されます。
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター 発生神経生物研究チーム
チームリーダー 御子柴 克彦(みこしば かつひこ)
Tel: 048-467-9745 / Fax: 048-467-4744
お問い合わせ先
脳科学研究推進部 納富 さより(のうどみ さより)Tel: 048-467-9654 / Fax: 048-462-4914
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.カルシウム貯蔵庫
細胞内には小胞体をはじめ、ライソソーム、ミトコンドリアなど、カルシウムを貯蔵することができるさまざまな小器官が存在する。これらを総称して、カルシウム貯蔵庫と呼ぶ。 - 2.2型、3型IP3レセプター
細胞内のカルシウム貯蔵庫に存在するカルシウム放出チャネル。イノシトール三リン酸(IP3)が結合することにより開口し、貯蔵庫内のカルシウムを細胞質に放出する。1型、2型、3型の3種類が存在するが、2型、3型は消化酵素や、涙などの分泌にかかわっている。 - 3.エクソサイトーシス
細胞内で作られた物質が細胞外に分泌される方法の1つで、開口分泌ともいわれる。放出される物質が貯えられた分泌顆粒が細胞膜と融合することにより、顆粒の中の物質が細胞外へと流出する。 - 4.基底領域、粒状領域
消化酵素の前駆体は、膵臓細胞の中で顆粒状の小胞の中に貯えられている。消化酵素前駆体が入った小胞が局在している消化管側に面した領域を、粒状領域という。一方、生体内に面してほかの細胞からのシグナルを受け取る部分を基底領域という。
図1 POAEEは酸性のカルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出を引き起こす
A:膵臓細胞を用いた、カルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出の測定。膵臓細胞は分極した構造を取っており(写真)、基底領域(赤)と粒状領域(青)に分かれている。それぞれの領域におけるカルシウム貯蔵庫のカルシウム濃度を測定したところ、青で示された粒状領域においてPOAEE依存的なカルシウム放出が起こることが明らかになった(矢印)。
B:BafilomycinA1を用いて酸性のカルシウム貯蔵庫を空にしたところ、POAEEによるカルシウム放出が起こらなくなったことから、POAEEは酸性のカルシウム貯蔵庫からカルシムを特異的に放出させることが分かった。
図2 POAEEは膵臓細胞の中のトリプシンを活性化する
A:蛍光色素を用いた膵臓細胞内のトリプシン活性イメージング。POAEEを投与すると(+POAEE)、粒状領域で蛍光強度が上昇する。このことは、粒状領域のトリプシンがPOAEEにより活性化されることを示している。
B:POAEEは、アルコール毒性が現れた患者の血中に10~100μMという濃度で存在することが知られている。グラフは、この濃度のPOAEEにより膵臓細胞内でトリプシンが活性化されることを示す。この結果は、POAEEにより引き起こされる膵炎の原因が消化酵素トリプシンの活性化であることを示唆している。
図3 POAEEによるカルシウム放出とトリプシンの活性化は、2型、3型IP3レセプターの働きにより引き起こされる
A:2型IP3レセプターノックアウトマウス(2KO)と、2型、3型IP3レセプターノックアウトマウス(2,3KO)の膵臓細胞を用いた、カルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出の測定。
B:Aの結果をまとめたグラフ。2KOでは、POAEEによるカルシウム放出が著しく阻害されており、2,3KOではさらに阻害されていることが分かる。
C:POAEE依存的なトリプシン活性の増加も、2KOと2,3KOのいずれにおいても抑制されていることが明らかになった。
以上の結果は、膵炎の原因となるカルシウム貯蔵庫からのカルシウム放出と、それに伴うトリプシンの活性化の引き金となるタンパク質は、2型、3型IP3レセプターであることを示している。