2010年3月17日
独立行政法人 理化学研究所
最新ゲノム科学を活用、植物ホルモン「オーキシン」の阻害剤を発見
-植物の成長制御メカニズム解明に役立つ新たな研究ツールとして期待-
ポイント
- オーキシン生合成を阻害する化合物を、世界で初めて同定
- 解明が遅れ、謎の多かったオーキシン生合成経路の解明に新たな光が当たる
- 植物の成長を制御する新技術開発のシーズとして活用可能
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、植物の成長制御に重要な役割を担う植物ホルモン「オーキシン」の生合成阻害剤を世界で初めて発見しました。これは、理研植物科学研究センター(篠崎一雄センター長)ゲノム機能統合化研究チームの嶋田幸久チームリーダーと独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構(近畿中国四国農業研究センター)の添野和雄主任研究員、東京大学との共同研究による成果です。
オーキシンは、最も古くから研究されている植物ホルモン※1の1つで、発根の促進、果実の生長など植物の成長をあらゆる場面で制御しています。その作用は、トマトの着果促進やイネを守る選択的除草剤など農作物の栽培にも広く活用されています。しかし、現在実用化されている方法はいずれも、オーキシン活性を持つオーキシンの類縁体を農薬(除草剤)や植調剤(着果剤や摘果剤など)として利用するだけで、オーキシンの作用を抑制する有効な薬剤や技術は存在しません。オーキシンが植物の成長制御に重要な役割を果たすにもかかわらず、基礎研究や応用展開が進まない理由は、その複雑な生合成経路にあります。オーキシンの生合成は、多数の経路が提唱されるなど非常に複雑で、ほかの植物ホルモンと比べると特に解明が遅れており、生合成阻害剤を設計することも困難と考えられていました。
研究グループは、「AtGenExpress」国際プロジェクト※2を結成し、モデル植物シロイヌナズナの遺伝子発現パターンを大規模に解明しました。そのデータの解析で、植物ホルモンの作用を制御する薬剤を探索した結果、オーキシン生合成を阻害する候補化合物AVG(amino ethoxyvinyl glycine)、AOPP(amino oxyphenyl propionic acid)などを同定しました。これらの化合物の働きを調べた結果、オーキシン生合成を実際に阻害する世界で初めての物質であることが分かりました。このオーキシン生合成阻害剤を活用し、これまで実現していなかったオーキシン欠乏状態の植物を作製、観察すると、オーキシンの機能や複雑な生合成経路を研究することが可能になります。また、この生合成阻害剤でオーキシン生合成を抑制し、植物の成長を制御する新たな薬剤や技術を開発することで、農業分野へも貢献できると期待されます。
本研究成果は、科学雑誌『Plant and Cell Physiology』(4月号)に速報として掲載されるに先立ち、オンライン版(3月16日付け:日本時間3月17日)に掲載されます。成果の一部は、独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構生物系特定産業技術研究支援センターの「イノベーション創出基礎的研究推進事業」の支援により得られました。
背景
オーキシンは、最も古くから研究されている植物ホルモンの1つで、植物の成長をあらゆる場面で制御しています。例えば、暗い場所で発芽した植物の大豆はモヤシになりますが、日光を当てると1日で双葉が開いて生育し、光合成を行うことができるようになります。また、植物の地上部は、上に向かって生長しますが、たとえ横倒しになっても応答が早い場合は、たった30分で方向を修正して再び上を向きます。こうした植物の環境応答反応には、オーキシンが関与していることが知られおり、その作用は、トマトの着果促進やイネを守る選択的除草剤といった農薬などに応用され、農業現場でも盛んに利用されています。オーキシンは、網目状の複雑な生合成経路が提唱されているため、植物体内で実際に機能している経路がどれなのか、どのような役割分担があるのかは明確になっておらず、ほかの植物ホルモンと比べると特に解明が遅れています。これまで、モデル植物のシロイヌナズナなどを用いて、遺伝学的なアプローチにより研究が進んできましたが、オーキシン生合成において主要な役割を果たす遺伝子は不明のままで、オーキシンを完全に欠損する変異体はいまだ作製できていません。また、この複雑な生合成経路が原因で、生合成阻害剤を設計することも困難であると考えられてきました。
研究手法と研究成果
モデル植物であるシロイヌナズナは、ゲノム情報の整備が進み、ゲノムに含まれる大部分の遺伝子発現を、DNAマイクロアレイで一度に解析することができるようになっています。研究グループは、シロイヌナズナを用いて大規模な遺伝子発現データを収集するために、独国マックス・プランク研究所をはじめとする欧米の研究機関とともに、2004年に「AtGenExpress」国際プロジェクトを結成しました。この中で、理研の研究チームは、植物ホルモンの信号に応答して働く遺伝子を網羅的に解析して、データを作成・公開してきました。現在、この遺伝子発現データは、世界中の研究者が活用しています。
研究グループは、この大規模遺伝子発現データを活用して、植物ホルモンの作用を制御する薬剤探索に取り組みました。まず、新たな植物成長制御剤の候補となる化合物に対するDNAマイクロアレイ実験を実施しました。一方、AtGenExpressプロジェクトを通して、植物ホルモンの処理に対するDNAマイクロアレイ実験はすでに完了しており、植物ホルモン応答性の遺伝子群とその発現応答の強度が明らかになっていました。そこで、候補化合物に対する遺伝子発現応答と、ホルモン処理に対する遺伝子発現応答の間に、相関性があるかどうかを計算機で網羅的に解析しました。その結果、植物の形態形成や成長を全般的に制御するオーキシンの作用を強く阻害する化合物AVG(amino ethoxyvinyl glycine)を発見しました。さらに追加のスクリーニングを行い、AOPP(amino oxyphenyl propionic acid)などの化合物を同定しました(図1)。
AVG、AOPPなどの化合物を植物に与えて、内生のオーキシン量を質量分析装置で測定すると、化合物で処理した1時間後に50%近い大幅なオーキシン量の減少を観察しました。これらの化合物を用いてシロイヌナズナの根の生育を阻害し、その状態にオーキシンやその前駆体を与えると、生育が回復しました。さらに、植物から取りだしたオーキシン生合成酵素に、これらの化合物を添加すると、酵素活性が阻害されました(図1)。こうした一連の実験結果から、これらの化合物がオーキシンの生合成を阻害する薬剤であることが確認できました。これにより、オーキシン生合成阻害剤に共通する基本的分子構造が前駆体のL-トリプトファンと似た構造であることが明らかとなり、薬剤を設計するために必要な情報を得ることができました(図2)。
いくつかの植物ホルモンでは、植物ホルモン欠乏状態による生育異常が、外からのホルモン投与によって回復するという現象が知られる一方で、オーキシンについては、外から投与するオーキシンやその前駆体では生体内のオーキシンの機能を相補することができないといわれていました。しかし今回の生育阻害の回復実験から、生育阻害を回復できるオーキシン前駆体と回復できないオーキシン前駆体が区別でき、オーキシンがほかの植物ホルモンと同様に、外からの投与によって生体内のオーキシンの機能を相補することを見いだしました。これにより、生合成経路のどの前駆体が重要な役割を果たしているかが分かりました。
今回発見したオーキシン生合成阻害剤を活用すると、これまで実現していなかったオーキシン欠乏状態の植物を作製することが可能になります。オーキシン欠乏状態の植物の形態や生理状態について調べることで、オーキシンの機能や複雑な生合成経路を明らかにすることができます。
これら生合成阻害剤を、単子葉のイネや双子葉のトマトなどに与えて、内生オーキシン量を測定したところ、植物種、および器官(地上部と地下部)ごとに阻害剤の効果が異なることが分かりました(図1)。これら阻害剤が単子葉と双子葉の両方の植物に広く作用するものの、それぞれの植物が器官特異的に異なるオーキシン生合成酵素を持っていることを示唆できました。
今後の期待
オーキシンは、内生量が微量、生合成経路が複雑、化学的に不安定などの問題があるため、いまだに謎の多い物質です。発見したオーキシン生合成阻害剤を活用することで、これまで実現できていなかったオーキシン欠乏状態の植物を作ることが可能となりました。今後はオーキシンの生合成や作用を抑制してオーキシンの機能を調べる研究を行うことができるようになります。また、モデル植物に限定されてきた先端的なオーキシンの研究が、作物など実用性の高い植物で進むことが期待されます。一方、これまでにさまざまな植物ホルモンの生合成阻害剤が、農作物の栽培技術に利用されていますが、オーキシンを抑制する技術は存在しませんでした。今回の成果は、オーキシン研究を推し進め、植物科学の発展に貢献すると共に、これまでにない新しい栽培技術の開発へと展開する可能性があります。
発表者
理化学研究所
植物科学研究センター ゲノム機能統合化研究チーム
チームリーダー 嶋田 幸久(しまだ ゆきひさ)
Fax: 045-503-9492
お問い合わせ先
横浜研究推進部企画課Tel: 045-503-9117 / Fax: 045-503-9113
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.植物ホルモン
植物の体内で生産され、植物の成長を微量で調節する有機化合物。オーキシンのほかに、サイトカイニン、ジベレリン、アブシジン酸、ブラシノステロイド、エチレン、ジャスモン酸などが知られている。体内で作られる主要なオーキシンは、インドール‐3‐酢酸である。 - 2.「AtGenExpress」国際プロジェクト
理研植物科学研究センターがMaxPlank研究所などと協力して、植物において初めて大規模なトランスクリプトームデータ(チップ1000枚以上)を収集して公開したプロジェクト(2004年)。材料にはシロイヌナズナを用い、生育段階、器官特異性、ストレス応答、ホルモン応答、栄養、光など、植物の成長と環境応答に関する基本データを網羅した。ここで収集されたデータは、TAIR(The Arabidopsis Information Reasource)や理研のホームページから公開されている。このデータは世界中で利用され、植物バイオインフォマティックスの発展に大いに貢献した。近年立ち上がった世界中のデータベースWEBサイトで、「遺伝子発現パターンのオンライン検索ツール(デジタルノーザンハイブリダイゼーション)」や、「遺伝子の共発現関係の解析ツール」の基本データとして、植物科学の発展を支えている。理研では植物ホルモンや成長調節物質に関するデータの大部分の収集に貢献した。このデータは植物ホルモン研究や植物分野のケミカルゲノミクス研究にとっても非常に重要なリソースとなっている。
図1 オーキシン生合成阻害剤の探索
DNAマイクロアレイ実験で、植物ホルモンの作用と関連したデータを計算機で解析した結果、植物の形態形成や成長を全般的に制御するオーキシンの作用を強く阻害する化合物AOPPなどを発見した。AOPPを用いてシロイヌナズナの根の生育を阻害し、その状態にオーキシンやその前駆体を与えると、生育が回復した。さらに、植物から取り出したオーキシン生合成酵素にこれらの化合物を添加すると、酵素活性が阻害され、発見した化合物が生合成阻害剤であることが分かった。これら生合成阻害剤をイネやトマトなどに与えて、内生オーキシン量を測定したところ、植物種、および器官(地上部と地下部)ごとに阻害剤の効果が異なることが分かった。また、植物種と阻害剤の組み合わせによっては、オーキシンが欠乏する状態が生じることが判明した。棒グラフの縦軸は内生オーキシン量。
図2 同定した化合物の構造
今回、同定した化合物をオーキシン生合成の重要な前駆体であるL-トリプトファン(左端)と比較した。これらはL-トリプトファンと構造が似ていることが分かる。