2010年4月19日
独立行政法人 理化学研究所
数原子層の金属酸化物の薄膜表面上で、化学反応の選択制御に初めて成功
-触媒反応の微視的メカニズム解明や新機能触媒の創成へ向けての大きな一歩-
ポイント
- 酸化マグネシウムの超薄膜表面で、単一水分子の移動と分解を初制御
- 数原子層の金属酸化物超薄膜が新たに発現する特異な化学活性を発見
- 金属酸化物超薄膜を用いた“機能性触媒”の創成に期待
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、銀単結晶の上に形成した数原子層の酸化マグネシウム(MgO)薄膜の表面上で、単一水分子の移動や化学反応を選択的に制御することに成功し、その反応メカニズムを解明しました。これは理研基幹研究所(玉尾皓平所長)表面化学研究室の申炯畯(Hyung-Joon Shin)客員研究員、鄭載勲(Jaehoon Jung)研修生、本林健太研修生、川合真紀理事(元主任研究員)、Kim表面界面科学研究室の金有洙准主任研究員、国立大学法人大阪大学大学院工学研究科の森川良忠教授、柳澤将博士研究員らによる研究成果です。
金属、半導体、絶縁体などの物質は、ナノメートル(nm:1nmは10-9m)という微細なサイズになると、バルク(固まり)とは違う特異な性質を現わすことが知られています。そのため、ナノレベルの微細材料による新しい機能の発現を目指した研究が世界中で盛んに行われています。同様に触媒※1開発の分野でも、金属酸化物を薄膜化して新しい機能を発現する触媒の探索に注目が集まっており、これまでいくつかの例が報告されていますが、その原理はいまだによく分かっていません。
研究チームは、絶縁体で、化学的に不活性な金属酸化物の1つであるMgOの薄膜が、金属や金属酸化物のバルクにはなかった新しい反応経路を提供することを発見し、さらに、それらの反応経路の選択的制御を、単一分子レベルで実現しました。具体的には、原子レベルの分解能を有する走査型トンネル顕微鏡(STM)※2の探針から、薄膜表面上に吸着した水分子にトンネル電子を注入して、水素原子を1つ取り出す反応と2つ取り出す反応、さらには単一水分子自体の移動を選択的に引き起こすことに成功しました。将来、触媒反応機構の全容解明や高機能触媒の創成へ向けて、STM技術が大きく貢献することを示しています。
本研成究果は、文部科学省科学研究費補助金・特定領域研究「ナノリンク分子の電気伝導」(領域代表者: 川合真紀)の一環として進めてきたもので、英国の科学雑誌『Nature Materials』オンライン版(4月18日付け:日本時間4月19日)に掲載されます。
背景
金属、半導体、絶縁体などの物質は、ナノメートル(nm)サイズまで微細化すると、バルク(固まり)では見えない特異な性質を現わすことが知られています。例えば、長期間悪環境にさらされても輝きを失わないことから、装飾品に使われるほど化学的に不活性(安定)な金が、直径数nmのナノ粒子になると、ほかの貴金属触媒を上回る触媒活性を持つことが分かっています。また、絶縁性の物質は、通常は電気を通しませんが、厚さを数nm以下に薄くすると、トンネル現象と呼ぶ量子力学的効果を発現し、わずかに電流を流すようになります。このように、ナノスケールの微細構造を作製して、材料の新しい機能を発現させることを目指し、世界中で盛んに研究が行われています。
触媒開発の分野でも、金属のナノ粒子や金属酸化物の薄膜を作製し、新しい機能を探索する研究が注目されてきています。高機能化などを目標に設計する触媒では、触媒粒子の大きさが小さくなればなるほど、触媒上で起きている現象の微視的な理解が不可欠となっています。特に、絶縁体である金属酸化物薄膜の触媒活性は最近注目され始めたばかりで、薄膜化によって生まれた新しい触媒活性を示した例もいくつか報告されてきました。しかし、その原理については、分子レベルではまだ十分に分かっていません。
研究手法と成果
研究チームは、化学的に不活性で絶縁性が優れていることから、磁気デバイスやディスプレイなどの材料に幅広く使われ、その結晶構造も塩化ナトリウムと同じ単純な立体構造をした酸化マグネシウム(MgO)を活用し、その薄膜化がもたらす新しい性質を調べました。まず、原子レベルの精度で膜厚を制御したMgO薄膜を形成するために、格子定数※3の値が近い銀の単結晶表面上に、酸素雰囲気中でマグネシウムを気化して蒸着させた後、4.7K(摂氏-268.45℃)の極低温下で水分子を付着させました(図1)。この薄膜表面の化学活性を、クリーンエネルギーの源である水素を生産する重要な水分子の分解反応に着目して詳しく調べました。原子レベルの空間分解能を持つ走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope: STM)を利用することで、薄膜表面上を詳細に観察するとともに、トンネル電流として注入する電子のエネルギーと数を制御しながら、個々の水分子で分解反応を起こすなどして、化学反応の速度の解析を行いました。
(1)新しい反応経路を発見
STMの探針から水分子に電子を注入すると、水分子は分解反応を起こします。この反応は、銅などの金属表面上でも観測され、その際に必要な電子の注入エネルギーは1エレクトロンボルト(eV)以上であることが知られています。研究チームは、この水分子の分解反応を、MgOの薄膜上で引き起こした場合、金属や金属酸化物のバルクとは違って、0.45eVのエネルギーで反応が起こることを発見しました。このことは、金属表面上では、水分子が電子的に励起されて反応を起こす一方、MgO薄膜上では、電子によって励起された分子振動が反応を引き起こすためと考えられます。MgO薄膜上では、水分子の振動寿命が長くなるため、分子振動が励起されている間に次の電子がさらに振動を励起する「振動の多段励起」という新しい経路による反応が可能となりました(図2d)。
(2)反応経路の選択的制御
さらに研究チームは、電子の注入エネルギーを1.5eV以上に上げた場合には、金属表面上で起きていた現象と同様、電子的な励起を介した反応が起きることを確認しました。反応前後のSTM像を、理研のスーパーコンピュータ・システム「RICC(RIKEN Integrated Cluster of Clusters)※4」を利用して、第一原理電子状態計算法※5に基づくシミュレーション結果と比較したところ、振動励起を介した反応では水分子から水素原子が1つ抜ける(図2)のに対し、電子励起を介した反応では水素原子が2つ抜けることが分かりました(図3)。また、電子のエネルギーは0.45eVのままで、トンネル電流の値(電子の注入頻度)を5ナノアンペア以下にした場合、水分子は分解せずに表面上を移動する現象が優先して起こることも分かりました(図4)。このように、水分子への電子の注入頻度やエネルギーを調節することによって、分子の移動・分解の制御、さらには分解反応の生成物を制御することが可能となりました。
今後の期待
今回の研究結果は、触媒反応機構の全容解明や高機能触媒の創成へ向けて、STM技術が大きく貢献することを示しています。今後は、膜厚の変化が薄膜の化学活性にどう影響するかを調べるとともに、別の金属酸化物や化学反応に対する活性を調べることによって、新しい機能を持った触媒の創成や触媒の設計指針の確立が期待されます。
発表者
理化学研究所
基幹研究所 Kim表面界面科学研究室
准主任研究員 金 有洙(きむ ゆうす)
Tel: 048-467-4073 / Fax: 048-462-4663
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.触媒
特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないもの。 - 2.走査型トンネル顕微鏡(STM)
先端を尖がらせた針(探針)を、サンプルの表面をなぞるように走査して、その表面の状態を観察する顕微鏡。金属探針とサンプル間に流れるトンネル電流を検出し、その電流値を探針とサンプル間の距離に変換させ画像化する仕組み。 - 3.格子定数
結晶格子の大きさと形を決める定数。銀は4.15オングストローム(Å)、酸化マグネシウムは4.20Å。 - 4.RICC(RIKEN Integrated Cluster of Clusters)
理化学研究所で運用しているスーパーコンピューターシステム。 - 5.第一原理電子状態計算法
実験結果に頼らないで、量子力学の基本原理から分子や結晶の性質を計算する方法。実験が困難な極限状況での物資の性質を予測することができるのが特徴。しかし、計算だけで答えを出すので膨大な計算が必要で、高性能のスーパーコンピューターの助けが欠かせない。
図1 銀単結晶表面上に作成したMgO薄膜の様子
(a)原子二層分のMgO薄膜のSTM像。
(b)MgO薄膜の上に吸着した水分子のSTM像。
(c)シミュレーションによって得たMgO薄膜と吸着した水分子の構造モデル図(左が薄膜上から見た図、右が横から見た図)。格子定数が近いため、銀原子とマグネシウム原子が重なっている。(赤丸;酸素原子 白丸;水素原子 青丸;マグネシウム原子 灰丸:銀原子)
図2 振動励起を介した水分子の分解反応の様子
(a)MgO薄膜上に吸着した水分子のSTM像(反応前)。
(b)MgO薄膜上の水分子の分解生成物のSTM像(反応後)。
(c)シミュレーションにより得られた分解生成物の構造モデル図。(赤丸;酸素原子 白丸;水素原子 青丸;マグネシウム原子)
(d)振動の多段階励起により反応障壁を越え、反応するエネルギーダイヤグラム
図3 電子励起を介した水分子の分解反応の様子
(a)MgO薄膜上に吸着した水分子のSTM像(反応前)。
(b)MgO薄膜上の水分子の分解生成物のSTM像(反応後)。
(c)シミュレーションにより得られた分解生成物の構造モデル図。
図4 振動励起を介した水分子の移動の様子
(a)MgO薄膜上に吸着した水分子が移動する前のSTM像。
(b)STMから1つの水分子に電子を注入する様子。
(c)1つの水分子が移動した後のSTM像。