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2011年6月15日

独立行政法人 理化学研究所

正常なタウタンパク質の蓄積が引き起こす認知症の原因究明

-ヒト型タウタンパク質発現マウスによる認知症研究の新展開-

ポイント

  • ヒト型タウタンパク質を脳内で発現するマウスは、加齢に伴い記憶・行動障害を示す
  • 老齢期のマウス脳の局所的な神経活動の低下を分子イメージングで追跡
  • タウオパチーの多様な病状の解明に期待

要旨

独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、認知症の要因となる脳の神経細胞の変性が、変異型タウタンパク質だけでなく、正常なタウタンパク質の蓄積でも起きる可能性を明らかにしました。これは、理研分子イメージング科学研究センター(渡辺恭良センター長)分子プローブ機能評価研究チームの尾上浩隆チームリーダー、水間広研究員らと、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)アルツハイマー病研究チームの高島明彦チームリーダー、順天堂大学医学部脳神経内科の本井ゆみ子准教授、神戸泰紀助教及び富山大学、群馬大学、フロリダ大学による共同研究の成果です。

タウタンパク質は中枢神経細胞に多量に存在し、脳の神経ネットワークを構成する神経軸索の機能に必須なタンパク質です。ところが、タウタンパク質に異常が生じると細胞内で不溶性の凝集を作り、軸索輸送※1がうまくいかず、神経細胞の死を招きます。このようにタウタンパク質が原因となる病状は「タウオパチー※2」と呼ばれ、アルツハイマー型認知症(AD)※3前頭側頭葉変性症(FTLD)※4が知られています。タウオパチーの発症に遺伝的な原因がどの程度関与するかはよく分かっていませんが、これまでの研究のほとんどは、遺伝子変異を導入して変異型タウタンパク質を発現するマウスで行われてきました。

今回研究グループは、正常なタウタンパク質がタウオパチーを起こす機構を明らかにするため、正常なヒト型タウタンパク質を脳で発現する遺伝子導入マウスを作製しました。このマウスは成長に伴い記憶や不安行動に障害が表れ、老齢期ではその傾向がより顕著に認められました。この障害はヒトの脳の前頭葉に相当する部位での神経変性に起因しており、生体分子イメージング※5による観察の結果、意欲や恐怖などの情動に関与する領域である側坐核※6の神経活動の低下を確認できました。さらに、側坐核を含む線条体※7では、タウタンパク質が年齢の違いにより異なるリン酸化※8を受けていることも分かりました。

作製したマウスはヒトのFTLDに似た症状を示すことから、FTLDの加齢に伴う神経変性には、正常なタウタンパク質のリン酸化状態の変化が関係していたことが分かりました。タウオパチーの新しいモデルマウスの開発は、認知症の詳細な仕組みの解明に役立つことが期待できます。本研究の成果は、米国の科学雑誌『Neurobiology of Disease』(6月号)に掲載されました。

背景

記憶や認知の障害を主な症状とする認知症患者は、国内65歳以上の高齢者のうち3.8~11.0%(日本神経学会監修「認知症疾患治療ガイドライン2010」より)と推定され、高齢化社会を迎えるわが国にとってその治療や予防は重要な課題です。認知症の原因物質の1つとされるタウタンパク質は中枢神経細胞に多量に存在し、神経細胞同士を接続している軸索の輸送機能を調節します。このタウタンパク質の異常により、アルツハイマー型認知症(AD)や前頭側頭葉変性症(FTLD)などのタウオパチーが発症すると考えられています。タウタンパク質に生じる異常として、正常な状態では可溶性であるものが不溶性に変化し、巨大な凝集を作ることや、リン酸化の程度が亢進することなどが分かっています。しかし、タウオパチーの中にはタウタンパク質に明らかな変異が見つからない例が多いなど、不明な点が残されています。

これまでの認知症研究では、マウスに変異型のタウタンパク質遺伝子を導入した認知症モデルが多く用いられてきました。今回研究グループは、正常なタウタンパク質の蓄積が神経系に対してどのように影響を及ぼしていくかを明らかにするため、脳内でヒト型タウタンパク質が多量に作られるマウスを作製し、加齢に伴う変化を観察しました。

研究手法と研究成果

研究グループは、ヒトが持つ6種類のタウタンパク質のうち、2N4R型と呼ばれるタウ遺伝子をマウスに導入することで、マウス自身が持つタウタンパク質の約4~8倍のヒト型タウタンパク質を脳内で発現させることに成功しました。このマウスの脳内では、正常な可溶性のタウタンパク質が加齢とともに蓄積し、リン酸化の亢進が認められました。特に前頭葉の一部でリン酸化タウタンパク質を持つ軸索の肥大が確認できたことから(図1)、この領域の機能に異常があることが推測されました。

このマウスの記憶、認知などの行動変化を若齢期、成熟期、老齢期のそれぞれで観察した結果、老齢期には記憶や認知の障害に加え、不安行動を示さなくなる行動異常が見られました(図2)。不安行動の低下は、記憶や認知の障害に深く関係する前頭葉や海馬以外にも異常があることを示します。そこで、脳内のどこに神経変性が見られるかを解剖学的に調べたところ、線条体の中でも意欲や恐怖などの情動行動に関与する側坐核で、シナプスが消失するなどの異常が見つかりました(図3、左)。さらに、このマウスの活動状態での脳神経活動を調べるため、理研分子イメージング科学研究センターで開発した無麻酔下でのPET※9を用いた脳内の糖代謝イメージング(2010年7月28日プレスリリース)を行った結果、側坐核だけで神経活動が低下していることを確認しました(図3、右)。これらの結果から、正常なタウタンパク質の蓄積が、側坐核という脳内の特定領域で神経変性とそれに伴う神経活動の低下を招き、タウオパチーの症状を引き起こす可能性を示しました。

さらに老齢期には、成熟期とは異なり側坐核に加えて運動機能や意思決定などに関わる線条体の領域にも、タウタンパク質のリン酸化が見られました(図4)

今後の期待

今回、従来の認知症の研究を、よりヒトに近いモデルマウスで行うことに成功しました。今後、神経変性を引き起こすタウタンパク質の詳細な仕組みを明らかにすることで、タウオパチーの多様な病状の理解が進みます。特に今回作製したマウスは、これまでの遺伝子改変マウスでは再現できなかったヒトのFTLDに似た症状を示すことから、この病気の解明に進展が期待できます。

発表者

理化学研究所
分子イメージング科学研究センター
分子プローブ機能評価研究チーム
チームリーダー 尾上 浩隆(おのえ ひろたか)
Tel: 078-304-7121 / Fax: 078-304-7123
研究員 水間 広(みずま ひろし)
Tel: 078-304-7121 / Fax: 078-304-7123

お問い合わせ先

分子イメージング科学研究センター
広報・サイエンスコミュニケーター
山岸 敦(やまぎし あつし)
Tel: 078-304-7111 / Fax: 078-304-7112

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.軸索輸送
    神経細胞の長い突起である軸索の内部で行われている、活発な生体分子の輸送。軸索の構造や機能の維持に必須の役割を持つ。
  • 2.タウオパチー
    タウタンパク質の異常蓄積を原因とする神経変性疾患の総称。
  • 3.アルツハイマー型認知症(AD)
    主に前頭葉や海馬での神経変性により、記憶や認知障害の症状を表す。死後の患者の脳の観察から、βアミロイドタンパク質の産生亢進や異常なリン酸化をした不溶性タウタンパク質の凝集が原因と考えられている。
  • 4.前頭側頭葉変性症(FTLD)
    前頭葉、側頭葉を中心に線条体や脳幹での神経変性により、記憶障害よりも性格の変化が見られることが特徴。変異型タウタンパク質により発症するFTLDは全体の約10%程度といわれている。
  • 5.分子イメージング
    生物が生きた状態のまま、生体内の遺伝子やタンパク質などのさまざまな分子の挙動を非侵襲的に観察する技術。PETはその代表的な手法の1つ。
  • 6.側坐核
    腹側線条体に区分される脳の辺縁系と呼ばれる領域の1つ。嗜好意欲などの情動行動に深く関与する。
  • 7.線条体
    大脳基底核と呼ばれる領域の1つ。運動機能や行動の選択における意志決定にも深く関与する。
  • 8.リン酸化
    生体タンパク質に対する付加反応の1つ。タンパク質リン酸化酵素により、タンパク質の特定の場所にリン酸基が付加される。リン酸化を受けたタンパク質は、その機能の活性化あるいは抑制などの調節を受ける。
  • 9.PET
    Positron Emission Tomography(陽電子放射断層画像撮影法)の略。ごく微量の放射線を出す放射性核種を薬などの分子に組み込み、そこから出る放射線を測定することでその分子の体内分布を見る方法。本研究では、グルコースの類似体を放射性フッ素(18F)で標識した[18F-FDG]を無麻酔状態のマウスに投与し、脳の中で糖代謝の活発な神経細胞を捉えた。
ヒト型タウ発現マウスの脳組織の異常の図

図1 ヒト型タウ発現マウスの脳組織の異常

老齢期マウスの前頭葉を輪切りにした断面図。矢印先に軸索の肥大が見られる。

ヒト型タウ発現マウスの行動異常の図

図2 ヒト型タウ発現マウスの行動異常

  • 左: 老齢期で通常マウスに比べて記憶の障害が出現する。
  • 右: 通常壁で囲まれている空間を好むマウスが、加齢とともに壁で囲まれていない部分に出てくる時間が増加した。これは、不安行動の低下を示している。
ヒト型タウ発現マウスで老齢期に見られる側坐核の構造異常と機能異常の図

図3 ヒト型タウ発現マウスで老齢期に見られる側坐核の構造異常と機能異常

  • 左: シナプスと呼ばれる神経細胞同士が接合する部位(緑色部分)に消失が見られる。
  • 右: 分子イメージングにより、側坐核(赤色部分)だけで糖代謝の低下を認める。
成熟期と老齢期で異なるタウタンパク質のリン酸化の図

図4 成熟期と老齢期で異なるタウタンパク質のリン酸化

リン酸化されたタウタンパク質を認識する抗体で染色したところ、老齢期では側坐核や線条体の領域にも染色が広がり、成熟期とは異なるリン酸化を示す。

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