2011年6月15日
独立行政法人 理化学研究所
運動学習の記憶を長持ちさせるには適度な休憩が必要
―休憩の間に運動学習の記憶が神経回路に沿って移動し固定化する-
ポイント
- 一夜漬け(集中学習)より休憩を取りながら(分散学習)の学習が効果的
- 集中学習の記憶は小脳皮質に、分散学習の記憶は小脳核にそれぞれ保持される
- 運動学習の記憶が長続きする仕組みを解明、学習中に産生するタンパク質が重要
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、学習の効果を上げるには休憩を取ることがなぜ重要であるのかを、マウスを使った実験で解明しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)運動学習制御研究チームの永雄総一チームリーダーと岡本武人テクニカルスタッフ、東京都健康長寿医療センター遠藤昌吾部長、群馬大学医学部白尾智明教授らとの共同研究による成果です。
一夜漬けなど短時間の学習(集中学習)によってできた記憶に比べ、適度な休憩を取りながら繰り返し学習(分散学習)してできた記憶のほうが長続きすることは、よく知られています。心理学ではこの現象を「分散効果」と呼び、この効果が現れる原因として、脳内の短期記憶から長期記憶への変換のプロセスが想定されています。このプロセスを明らかにすると、記憶の仕組みを解く大きな手掛かりになると考えられてきましたが、分子レベルでのメカニズムの解明は全く進んでいませんでした。
研究グループは、マウスの眼球の運動学習に着目し、集中学習と分散学習の記憶が脳のどの部位に保持されているのかを実験で調べました。その結果、集中学習の記憶は小脳皮質※1の神経細胞であるプルキンエ細胞※2に、分散学習の記憶はプルキンエ細胞の出力先である小脳核※3の神経細胞に、それぞれ保持されていることを突き止めました。これは、学習によって短期記憶が形成され、それが長期記憶として固定化されるときに生じる「記憶痕跡のシナプス間移動」という現象により、分散効果が起きることを世界で初めて明らかにした成果となります。さらに、小脳核の神経細胞に長期記憶が形成されるには、休憩中に小脳皮質で作られるタンパク質が重要な役割を演じていることを確認しました。このタンパク質を同定することができると、記憶が作られる仕組みを解く大きな手がかりを得ることとなり、記憶障害の治療に役立つことが期待されます。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Journal of Neuroscience』オンライン版(6月15日号)に掲載されます。
背景
私たちは、集中的に学習を行う(集中学習)よりも、適当な休憩(間隔)を取って繰り返し学習を行う(分散学習)方が、学習の効果(記憶)がより長く持続することを経験しています。心理学ではこの現象を「分散効果」と呼んでいますが、その原因については、これまでよく分かっていませんでした。分散効果は、海馬や大脳が主に関係する宣言的記憶※4、小脳が主に関係する運動学習の記憶、さらに無脊椎動物の運動学習の記憶にも存在します。そのため、分散効果が表れる原因は、神経細胞が営む記憶システムの基本的なメカニズムにあると考えられます。
研究グループは、マウスの視機性眼球反応(OKR)と呼ばれる眼球の運動学習に着目しました。種を問わず動物には、動くモノを無意識に目で追うという習性がありますが、練習を繰り返すことによって、これに運動学習が生じ、より大きく眼球を動かすことができるようになります。2006年に研究グループは、1時間という短期の運動学習では、小脳皮質の神経細胞であるプルキンエ細胞に運動記憶が形成されますが、この記憶はすぐに消去されるのに対して、1日1時間の運動学習を3日以上長期間行うと、小脳皮質のプルキンエ細胞がシナプスを介して出力する小脳核の神経細胞に別の記憶が形成され、それが長い間保持されることを発見しました(Neuroscience, Shutoh et al.)。この現象は、運動学習の時間経過によって、脳内で記憶を保存する部位が違うことを示しており、あたかも記憶が神経ネットワーク上を移動するように見えます。研究グループは、このような記憶の長期化(固定化)に伴う記憶の場の変化を「記憶痕跡のシナプス間移動」と名付けました。
今回、この「記憶痕跡のシナプス間移動」が、分散効果の原因でもあるかどうかを調べるために、眼球運動の学習プロトコールを開発し、集中学習と分散学習によって作られる記憶の場の同定に挑みました。
研究手法と研究成果
(1)眼球運動の学習における分散効果の評価方法
眼球の運動学習では、4.5秒で1往復するチェッカーボードをマウスに一定時間じっと見させ、眼球がチェッカーボードを追う運動量で運動学習の効果を調べます。具体的には、学習するとチェッカーボードの動きに追従する眼の動きが大きくなることを利用して、運動学習の効果を判定しました。マウスに1時間集中的にチェッカーボードを提示した時(図1:集中学習)と、15分間の提示を30分、1時間、24時間の休憩を取って4回行った時(図1:分散学習1~3)と、7.5分の提示を24時間間隔で8回(8日間)行った時(図1:分散学習4)に生じる運動学習の効果を比べました。どの運動学習でも、学習終了時には同じ程度の効果(記憶)が生じました。しかし、学習終了24時間後、どれくらい記憶が保持されているかを調べると、集中学習を受けたマウスでは運動量が半分くらいに減少する(半分くらい忘れてしまっている)のに対し、分散学習を受けたマウスでは、いずれの場合もほぼ100%記憶していることが分かりました(図2)。このように、マウスの眼球運動を測定するというシンプルな方法で、分散効果を実験的に評価するプロトコールの開発に成功しました。
(2)集中学習と分散学習でできる運動記憶の場
研究グループは、2006年に得た「短期の運動学習による記憶は小脳皮質に、長期の運動学習による記憶は小脳核にある」という知見から、集中学習でできた記憶は小脳皮質に、分散学習でできた記憶は小脳核にあると考えました。それを確かめるために、運動学習の終了直後に小脳皮質に局所麻酔剤を投与し、その部位の活動を止める(出力遮断)実験を行いました。もし記憶が小脳皮質にあれば、出力遮断により記憶は速やかに消滅してしまいます。一方、もし記憶が移動して小脳核にあれば、出力遮断の影響を受けないはずです。実際に、集中学習させたマウスの記憶は小脳皮質の出力遮断で消えてしまいましたが、分散学習させたマウスの記憶は全く影響を受けませんでした(図3)。このことは、集中学習でできた記憶は小脳皮質にあるが、学習中に休憩を取ることで、記憶を保つのに必要な「記憶痕跡のシナプス間移動」が生じ、記憶が小脳核へと移動することを示しています。こうして、「学習には休憩が大事だ」ということを、科学的に初めて証明することができました。
(3)記憶痕跡のシナプス間移動にタンパク質が必要
さらに、記憶を固定化するには何が必要かを調べるため、タンパク質合成阻害剤を、運動学習の直前に小脳皮質へ投与したときの影響を調べました。その結果、阻害剤により学習中に小脳皮質で作られるタンパク質の産生が阻害されると、「記憶痕跡のシナプス間移動」が起きないことが分かりました(図4)。これは、休憩中に小脳皮質のプルキンエ細胞で作られる何らかのタンパク質が、記憶を固定化するために必要であることを示しています(図5)。
今後の期待
今回、運動学習によって獲得した記憶が、どのようにして長期記憶として小脳の中で保持されるかを分子レベルで明らかにしました。子供の時に覚えた自転車やピアノの技の記憶は一生続くことが知られていますが、こうした記憶がどのように保たれるかを科学的に解明する大きな手掛りを得たことになります。また、記憶を固定化するために必要なタンパク質を同定することができると、記憶障害を伴う病気の治療に大いに役立つと期待されます。
発表者
理化学研究所
脳科学総合研究センター 回路機能メカニズムコア 運動学習制御研究チーム
チームリーダー 永雄 総一(ながお そういち)
Tel: 048-467-9794 / Fax: 048-467-9793
お問い合わせ先
脳科学研究推進部
Tel: 048-467-9757 / Fax: 048-462-4914
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.小脳皮質
小脳は小脳皮質と小脳核からなる。小脳皮質には、苔状線維、登上線維によって2系統の情報が入力する。苔状線維は顆粒細胞にシナプスを作り、顆粒細胞の軸索突起である平行線維はプルキンエ細胞にシナプスを作る。一方、下オリーブに起源を持つ登上線維は、直接プルキンエ細胞にシナプスを作る。 - 2.プルキンエ細胞
プルキンエ細胞は平行線維と登上線維から、それぞれシナプスを介して情報を受け取るとともに、小脳核に情報を出力する。登上線維の入力は、平行線維からのシナプスの伝達効率を長時間減弱させることが知られており、それが短期の運動記憶のもとになる。 - 3.小脳核
小脳の深部にあり、小脳皮質にあるプルキンエ細胞と苔状線維から、それぞれシナプスを介して入力を受ける。 - 4.宣言的記憶
例えば、今朝、家の前で誰かにあったというような日常生活で体験するエピソードや言葉の意味に関する記憶。この記憶には海馬、大脳皮質が重要であるのに対して、技の記憶(非宣言的記憶もしくは運動記憶)では小脳と大脳基底核が重要である。
図1 眼球運動学習プロトコール
集中学習:4.5秒で1往復するチェッカーボードを1時間集中的に提示する
- 分散学習(1):4.5秒で1往復するチェッカーボードを200回(15分)提示し、30分休憩を取る
- 分散学習(2):4.5秒で1往復するチェッカーボードを200回(15分)提示し、1時間休憩を取る
- 分散学習(3):4.5秒で1往復するチェッカーボードを200回(15分)提示し、24時間休憩を取る
- 分散学習(4):4.5秒で1往復するチェッカーボードを100回(7.5分)提示し、24時間休憩を取る
いずれの学習でも、合計1時間学習することになる。
図2 眼球運動の運動学習と分散効果
集中学習の場合は、24時間経過すると運動の大きさが減少する(A)が、分散学習の場合は、2日目以降でも運動の大きさは維持されている(B、C)。
図3 集中学習と分散学習で作られる運動記憶の部位の同定
集中学習の場合、局所麻酔剤で小脳皮質を麻酔すると、運動量は減少する(A)が、分散学習の場合は局所麻酔剤の影響が無い(B、C)。集中学習の記憶は小脳皮質にあるが、分散学習の記憶は小脳核にあることを示す。
図4 小脳皮質のタンパク質合成と分散効果
対照薬剤(リンゲル)を投与した時とタンパク質合成阻害剤(アニソマイシン、アクチノマイシンD)を投与した時の比較。集中学習の場合は、学習した運動量には差がない(A)が、分散学習の場合は、タンパク質阻害剤の投与により学習した運動量が減少し、「記憶痕跡のシナプス間移動」が起きなくなることが分かった(B)。
図5 記憶痕跡のシナプス間移動におけるタンパク質の役割
目から得るチェッカーボードの刺激は苔状線維、顆粒細胞、平行線維を通って、シナプスを介し、小脳皮質のプルキンエ細胞に伝わる。一方、プルキンエ細胞はシナプスを介して、小脳核に出力する。集中学習の記憶はプルキンエ細胞に形成されるが、分散学習の記憶は、小脳核に形成される。この「記憶痕跡のシナプス間移動」に、小脳皮質で作られるタンパク質が必要であることが分かった。