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2012年9月4日

独立行政法人理化学研究所
国立大学法人東京大学物性研究所
国立大学法人九州工業大学

非磁性体中を流れる磁気の向きを外部磁場で一斉に1回転

-純スピン流を用いた省電力電子素子の開発に道筋-

ポイント

  • 素子構造の改良により、純スピン流の生成効率と出力信号が3.2倍に向上
  • 銀中の電子スピンが向きをそろえて回転しながら、10μmもの距離を伝導
  • 純スピン流の拡散伝導現象の普遍性を実験的に検証、超高速演算素子への応用に期待

要旨

理化学研究所(野依 良治理事長)、東京大学物性研究所(家 泰弘所長)、九州工業大学(松永 守央学長)は、非磁性体※1である銀の中に効率よく純スピン流※2を流すことができるスピン蓄積素子※3を開発し、10マイクロメートル(μm)もの長い距離をスピンが拡散伝導※4する現象を観測しました。さらに、外部からの磁場で純スピン流の向きを一斉に1回転させ、出力信号を変化させることにも成功しました。これは、理研基幹研究所(玉尾皓平所長)量子ナノ磁性研究チームの大谷義近チームリーダー(東京大学物性研究所教授)、福間康裕客員研究員(九州工業大学若手研究者フロンティア研究アカデミー准教授)、井土宏研修生(東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程)らの共同研究グループによる成果です。

近年、電子の電荷を用いたエレクトロニクスに加えて、スピンの性質も利用するスピントロニクスという分野が注目されています。デジタル情報は磁性体中のスピンの向きを利用して記録されます。このスピンの情報は、スピンの向きを保持しやすい非磁性体中へと注入することでスピン蓄積※3や純スピン流を生成でき、情報の伝送や演算に利用できます。例えば、このスピン蓄積を出力信号として用いた素子(スピン蓄積素子)は、次世代ハードディスクドライブ(HDD)の読み出しヘッド用磁気センサーとしての応用が期待されています。しかし、これまでは純スピン流の生成効率が低いため、伝導特性の解明や外部信号によるスピンの向きの制御は困難でした。

2011年に研究グループらは、低抵抗の酸化マグネシウム層を用いた高効率な純スピン流の生成技術を確立しました。今回、スピン注入用界面の数を増やすとともに、拡散する純スピン流の方向を一方向に制限したところ、純スピン流の生成効率と出力信号を3.2倍に向上させることに成功しました。これにより、非磁性体である銀の中を、純スピン流が10μmもの長距離にわたって伝導する現象を観測し、外部磁場に対するスピンの応答も制御可能になりました。また、理論的な解析により、純スピン流の拡散距離が長くなるとともにスピンの伝導速度がそろうようになり、銀中を流れるスピンは外部磁場で一斉に回転することが明らかになりました。さらに、このスピンの回転運動は伝導する物質に普遍であることを実験的に示しました。

本成果により、純スピン流の伝導設計が可能になります。また、電界などからの有効磁場でスピンを制御する技術が開発されると、現在の半導体技術を上回る高速動作が可能なスピン演算素子の実現が期待できます。

本研究成果は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』オンライン版(9月4日付け:日本時間9月4日)に掲載されます。

背景

近年、電子が持つスピンという特性を積極的に用いた新しい電子素子の研究開発が急速に進み、こうした分野はスピントロニクスと呼ばれています。その中心となる材料は強い磁気を持つ強磁性体※5(磁石)で、例えば、2枚の強磁性体層に極薄の絶縁体層を挿入したトンネル磁気抵抗素子※6は、ハードディスクドライブ(HDD)の再生ヘッドや磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)のメモリー機能部として実用化されています。これらスピントロニクス素子は、電荷の流れ(電流)とスピンの流れ(純スピン流)の両方(スピン偏極電流)を利用しています。

一方、強磁性体と非磁性体の複合構造であるスピン蓄積素子を用いると、電流は流れずスピンだけが流れる純スピン流を生成することができます。スピンの緩和時間※7は電荷の緩和時間よりも数桁長いために、純スピン流を利用すると省電力の電子素子の実現が期待できます。2011年に研究グループは、強磁性体であるパーマロイ(鉄とニッケルの合金)と非磁性体である銀の間に、低抵抗の酸化マグネシウム層を挟んだナノサイズのスピン蓄積素子を作製し、効率的に純スピンを生成する技術を確立しました(2011年6月13日プレス発表)。しかし、現在広く利用されている半導体トランジスタ素子のように、外部信号を用いて純スピン流を制御するには、非磁性体中の伝導特性を解明し、その伝導やスピンの向きを制御する技術の開発が必要でした。

研究手法と成果

共同研究グループは、純スピン流の生成効率をさらに向上させるため、2011年に作製したスピン蓄積素子において、パーマロイ/酸化マグネシウム層/銀の接合を1カ所から2カ所に増加し、両界面に電流を流してスピン注入を行いました。さらに、銀中を拡散する純スピン流を検出側電極だけに導くため、反対側に伸びる銀細線を切断しました(図1)。これにより、従来の構造と比較して純スピン流の生成効率と出力信号が3.2倍の大きさに向上し、金属材料を用いたスピン蓄積素子では世界最高の出力信号を得ることに成功しました。

次に、銀中の純スピン流に対して垂直方向の磁場を与え、スピンの回転運動を誘起させました。磁場の増加とともに、検出側電極でのスピン回転角度が増加し、約0.3T(テスラ)で1回転しました(図2)。1次元のスピン拡散伝導モデルを用いた理論的な解析により、180度回転した後のスピン蓄積信号(ΔRπS)が減少する理由は(図2)、検出電極位置に到達したスピンの向きが不均一であるためと分かりました(図3赤線)。さらに、拡散距離の増加とともに、銀中を流れるスピンは外部の磁場に応答して、そろって回転するようになることが分かりました(図3)。この集団スピンの回転運動は、これまでにスピン拡散伝導モデルを用いて解析された金属や半導体、グラフェンなどの全ての物質中で普遍な現象であることを明らかにしました(図4)。また、今回作製した素子では、銀中のスピンは回転してもスピン蓄積信号の減衰が少ない、つまり、高い性能指数(ΔRπS/ΔR0S)で回転運動をしています。その伝導速度(0.047m2/s)は、次世代のトランジスタ素子への応用が期待されているグラフェン(0.01m2/s)よりも高速なことが分かりました。

今後の期待

今回、スピン蓄積素子の構造を改良することで、純スピン流の生成効率と出力信号の向上に成功しました。スピン蓄積素子は次世代の超高密度HDDを実現するための再生磁気ヘッド技術として期待されており、その実用化が待ち望まれています。また、純スピン流の拡散伝導現象の普遍性を明らかにし、純スピン流の回転に必要な磁場や拡散距離の長さ、および素子の出力信号を計算することも可能になりました。今後、電場などを用いて非磁性体中を流れるスピンに有効磁場を作用させる手段を開発し、外部信号による出力信号の制御が可能になれば、シリコンやグラフェンなどの半導体技術を上回る高速動作のスピントランジスタやスピン演算素子の実現が期待できます。

発表者

理化学研究所
基幹研究所 物質機能創成研究領域 単量子操作研究グループ 量子ナノ磁性研究チーム
チームリーダー 大谷 義近(おおたに よしちか)
(東京大学物性研究所 教授)

独立行政法人理化学研究所
基幹研究所 物質機能創成研究領域 単量子操作研究グループ 量子ナノ磁性研究チーム
客員研究員 福間 康裕(ふくま やすひろ)
(九州工業大学若手研究者フロンティア研究アカデミー 准教授)

報道担当

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

国立大学法人東京大学物性研究所 総務係
Tel: 04-7136-3207 / Fax: 04-7136-3216

国立大学法人九州工業大学 総務課 広報企画係
Tel: 093-884-3007 / Fax: 093-884-3015

補足説明

  • 1.非磁性体
    磁気的な性質が弱い材料。外部磁場に対して弱く磁化する常磁性体、磁場に対して逆向きに磁化する反磁性体、磁化が内部で打ち消されている反強磁性体などに分類される。
  • 2.純スピン流
    スピンとは、電子の磁石としての性質(地球の自転に似た電子の角運動量)で、電子の電荷の運動である電流に対して、スピンだけの運動を純スピン流、電荷とスピンの両方の運動をスピン偏極電流と呼ぶ。
  • 3.スピン蓄積素子、スピン蓄積
    スピン蓄積効果を出力信号として利用した素子。スピン蓄積とは、強磁性体と非磁性体との界面などで、スピン偏極した状態が緩和されずに不均等が保たれている状態。
  • 4.拡散伝導
    粒子などの濃度分布がある物質や溶液中で、均一な状態に戻ろうとする現象。
  • 5.強磁性体
    磁性体は、内部に各電子の回転運動に起因した微小な磁石(スピン)を有する物質。強磁性体は、巨視的な数の電子スピンが整列して磁気秩序を示し、磁石としての性質を持つ。鉄・コバルト・ニッケルなどの物質が挙げられる。
  • 6.トンネル磁気抵抗素子
    2つの強磁性体電極の磁化の相対角度により抵抗の大きさが変化する。一方の磁化を磁場に対して感度良く動くように設計すると磁場センサーとして利用できる。
  • 7.スピンの緩和時間
    スピンは量子力学の基本量であり、上向きと下向きの2つの状態だけをとる。上向き状態のスピンが散乱されて下向き状態に変化するまでの時間をスピンの緩和時間と呼ぶ。一方で、電荷の緩和時間は物質中の電子と電子が衝突なしに進むことができる時間である。
スピン蓄積素子の構造と走査型電子顕微鏡像の図

図1 スピン蓄積素子の構造と走査型電子顕微鏡像

強磁性体(パーマロイ)/酸化マグネシウム(MgO)/非磁性体界面(Ag)に電流を流すことで、強磁性体中のスピンが非磁性体(銀:Ag)に注入される。注入されたスピンは非磁性体細線に沿って拡散する。スピン注入用の界面の数を増やし、スピンが拡散する方向を限定したところ、スピン蓄積素子の出力信号と純スピン流の生成効率が向上した。素子に対して垂直方向の磁場を与えると、スピンにはトルクが働き、回転運動が生じる。

非磁性体に蓄積したスピンの回転運動の検出結果の図

図2 非磁性体に蓄積したスピンの回転運動の検出結果

スピン注入側電極と検出側電極間距離Lが10μmのスピン蓄積素子を用いた結果。垂直方向の磁場を与えてスピンの回転運動を生じさせ、素子の出力信号を変化させた。約0.1Tの磁場で180°の回転、約0.3Tで360°の回転を観測した。

  • 黒線:スピン注入側電極から上向きスピンを注入(左側の黒矢印)すると、磁場がゼロではスピン検出側電極で上向きスピンを検出する(右側の黒矢印)。
  • 赤線:スピン注入側電極から下向きスピンを注入(左側の赤矢印)すると、磁場がゼロではスピン検出側電極で上向きスピンを検出する(右側の赤矢印)。
スピン蓄積素子の検出側電極位置におけるスピンの伝導時間の分布の図

図3 スピン蓄積素子の検出側電極位置におけるスピンの伝導時間の分布

スピン注入側電極と検出側電極間距離Lが1.5μmと10μmのスピン蓄積素子におけるスピンの伝導時間の分布。L=1.5μmの場合には、伝導時間の分布が広がっており、スピンの向きが時間に依存して分布している。L=10μmの場合には、伝導時間のばらつきが小さく、スピンが一斉に回転している。

スピンの回転運動の性能指数の拡散距離依存性の図

図4 スピンの回転運動の性能指数の拡散距離依存性

スピンの拡散距離(L)が緩和長(λN)に対して長く伝導する(L/λNが大きくなる)ほど、スピン蓄積信号の減衰が少ない(一斉にスピンが回転できる)ことが分かる。本研究で作製したAg中のスピンは、他の材料と比較して高い性能指数を実現している。

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