2013年9月9日
独立行政法人理化学研究所
国立大学法人東京大学
独立行政法人物質・材料研究機構
電子スピンの渦「スキルミオン」のサイズと渦の向きを自在に制御
-スキルミオンを記録ビットとする省電力メモリ素子の実現に前進-
ポイント
- 組成により相対論的相互作用を変化させスキルミオンのサイズと渦の向きを制御
- スキルミオンと組成の関係を局所領域のナノスケール観察と分析で明らかに
- スキルミオンを素子に応用する際の物質設計指針を提供
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)、東京大学(濱田純一総長)、物質・材料研究機構(潮田資勝理事長)は、マンガン(Mn)、鉄(Fe)、ゲルマニウム(Ge)の化合物「Mn1-xFexGe」で、電子スピンが渦状に並んだ磁気構造体「スキルミオン[1]」のサイズと渦の向きがマンガンと鉄の濃度比で制御できることを見いだしました。これはスキルミオンを記録ビットとして用いる省電力磁気メモリ素子の実現に重要な指針を与えるものです。本成果は、理研創発物性科学研究センター強相関物性研究グループの十倉好紀センター長兼グループリーダー(東京大学大学院工学系研究科教授)と柴田基洋研修生(東京大学大学院工学系研究科博士課程大学院生)、物質・材料研究機構先端的共通技術部門(藤田大介部門長)表界面構造・物性ユニットの木本浩司ユニット長らの共同研究グループによるものです。
物質中の電子は、磁石の源であるスピンの性質を持ちます。スピンの集団である磁気構造体を記録ビットとするハードディスクなどの現行の磁気メモリ素子は、電源供給なしに情報を保持できますが、処理速度が遅いという問題があるため、電流で磁気構造体を動かす研究が盛んに行われています。スキルミオンは、他の磁気構造体と比べ10万分の1程度の微小電流で動くため、高速で省電力な磁気メモリ素子への応用が期待されています。しかし、素子に集積化し利用するには、そのサイズや渦の向きを自在に制御する手法が必要です。
共同研究グループは、マンガンと鉄の濃度比をさまざまに変えたMn1-xFexGeでスキルミオンを観察しました。その結果、スキルミオンのサイズ及びらせん磁気構造[2]の周期が5~200 nm(ナノメートル)程度まで連続的に変化すること、渦の向きがマンガンと鉄の濃度比が約1対4となったときを境に反転することを明らかにしました。これは、「スピン軌道相互作用[3]」と呼ばれる相対論的な効果がスキルミオンのサイズと渦の向きを決める要素であることを示しています。
本研究は、最先端研究開発支援プログラム(FIRST)課題名「強相関量子科学」(中心研究者:十倉好紀)の事業の一環として行われ、成果は科学雑誌『Nature Nanotechnology』オンライン版(9月8日付け:日本時間9月9日)に掲載されます。
背景
電子は、電気の源である「電荷」と磁石の源である「スピン」という2つの性質を持っています。そのスピンの集まり(磁気構造体)を記録ビットとして利用するハードディスクなどの磁気メモリ素子は、電源供給がなくても情報を失わないため低消費電力で動作するという利点があります。しかし、ハードディスクは回転する円板に情報の読み書きを行うため、処理速度が遅いという問題があります。そのため最近では、電流で磁気構造体を動かし情報を読み書きすることで、高速に動作する磁気メモリ素子を実現しようとする研究が盛んに行われています。
近年発見されたスキルミオン(図1)と呼ばれる電子スピンが渦状に並んだ磁気構造体は、強磁性体における磁壁[4]に比べ10万分の1程度の微小な電流で磁気構造体を動かせるなど、工学的に優れた特性を持つため、高速で省電力な次世代の磁気メモリ素子の記録ビットとして有望視されるようになってきました。将来的には個々のスキルミオンを記録ビットとして制御する素子などへ応用することが考えられますが、それを実現するにはスキルミオンのサイズや渦の向きを自在に制御して素子内で集積化する手法の開発が必要です。
スキルミオンが観測されている化合物に、MnGeとFeGeがあります。MnGeとFeGeでは、現れるスキルミオンのサイズがそれぞれ3 nm、70 nmと異なります。そこで、理研創発物性科学研究センター十倉好紀センター長らの共同研究グループは、これらを混ぜ合わせることでさまざまなサイズのスキルミオンが現れるのではないか、と仮説を立てその検証に挑みました。
研究手法と成果
理研創発物性科学研究センター十倉好紀センター長らの共同研究グループは、マンガンと鉄の濃度比(組成x)をさまざまに変えた化合物Mn1-xFexGeを合成し、組成xとスキルミオンのサイズの関係を調べました。
スキルミオンはローレンツ電子顕微鏡法[5]と呼ばれる手法を用いると、渦の向きが左巻きのスキルミオンは照射した電子線が集光し明るい斑点として、逆に右巻きのスキルミオンは電子線が発散し暗い斑点として観察できます(図2)。この斑点の大きさと明暗から、スキルミオンのサイズと渦の向きを知ることができます。
本研究でローレンツ電子顕微鏡法を用いてMn1-xFexGeの内部で組成xが0.6から0.7まで変化する薄片を観察した結果が図3aです。暗い斑点状のスキルミオンが全体に分布していますが、そのサイズは左下から右上に向けて次第に小さくなっている様子が観察できます。同じ領域についてエネルギー分散型X線分光法[6]で調べた組成xの分布が図3bです。スキルミオンのサイズが大きい左下のほうが小さい右上に比べて、組成xが大きくなる傾向が見て取れます。実際に図3aからスキルミオンのサイズを分析し、図3bの組成xとの関係を調べた結果が図3cです。仮説通り組成xによってスキルミオンのサイズが変化していることが示せました。
さらに、多様な組成の試料について同様の観察・分析を行った結果、観察されるスキルミオンに対応する斑点の明暗が反転することなどから、組成x= 約0.8(濃度比が約1:4)を境にスキルミオンの渦の向きが反転することが明らかになりました(図4)。スキルミオンのサイズは、らせん磁気構造の周期の2/√3倍です。そのため、この周期はスキルミオンのサイズの指標として利用できます。実際にスキルミオンのサイズに加え、らせん磁気構造の周期と組成の関係を分析した結果、サイズと周期は5 ~200 nm程度まで、途中でスキルミオンの渦の向きの反転を伴って、連続的に制御できることが分かりました(図4)。
これらの実験結果は、組成xの変化によって電子の相対論的効果の1つであるスピン軌道相互作用の強さが変化していることを示しているため、本研究はスピン軌道相互作用の強さがスキルミオンのサイズと渦の向きを決める要素であることを実験的に示すことにも成功しました。これは物質中の電子状態の変化を通してスキルミオンの構造を自在に制御できる可能性を示唆しています。
今後の期待
本研究により、スキルミオンの基本的なパラメータであるサイズと渦の向きを系統的に制御する方法が明らかになりました。本成果は、スキルミオンを記録ビットとする次世代の省電力磁気メモリ素子の設計・開発に重要な指針を与えるものと期待できます。
原論文情報
- Kiyou Shibata, Xiuzhen Yu, Toru Hara, Daisuke Morikawa, Naoya Kanazawa, Koji Kimoto, Shintaro Ishiwata, Yoshio Matsui, and Yoshinori Tokura.
"Towards control of the size and helicity of skyrmions in helimagnetic alloys by spin-orbit coupling", Nature Nanotechnology, 2013, doi: 10.1038/NNANO.2013.174
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関物理部門 強相関物性研究グループ
研修生 柴田 基洋 (しばた きよう)
グループディレクター 十倉 好紀 (とくら よしのり)
お問い合わせ先
創発物性科学研究推進室
Tel: 048-467-9258 / Fax: 048-465-8048
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.スキルミオン
近年、固体中で存在が確認されたナノメートルサイズの渦状磁気構造体のこと。スピンの連続的な変化に対して壊れることがない安定な構造をしている。特定の温度・磁場下においてはスキルミオンが格子状に規則的に配列することが知られており、原子が周期的に並んで結晶を構成する様子になぞらえ、この状態を「スキルミオン結晶」と呼ぶ。 - 2.らせん磁気構造
原子が作る層(原子面)内で一方向に配列した電子スピンが、原子面が変わるごとに少しずつ向きを変えてらせん状に回転するような周期的なスピン構造。らせん磁気構造の周期は数nmから数百nmまで物質によってさまざまな長さを持つ。一部の物質においては、温度と磁場を調節することによって、らせん磁気構造はスキルミオンが並んだスキルミオン結晶に変わる。 - 3.スピン軌道相互作用
電子自身のスピンによって生じる「磁気モーメント(磁気の方向性)」と電荷を持つ電子が原子核の周りを周回運動すること(軌道運動)によって生じる「軌道角運動量(実効的な磁場)」との間に働く相対論的相互作用。 - 4.強磁性体における磁壁
強磁性体とは、隣り合うスピンが同じ向きを向いて整列する性質を持つ磁性体のこと。強磁性体中には、一様にスピンがそろった領域(磁区)が複数できることがあるが、その間をつなぐ遷移層を磁壁という。磁壁中では、一方の磁区中のスピンの向きから他方の磁区中のスピンの向きへとスピンの向きが徐々に回転して変化している。強磁性体における磁壁は孤立した構造のため磁気メモリ素子の情報ビットとして利用できるので、電流によって動かす研究などが盛んに行われている。 - 5.ローレンツ電子顕微鏡法
磁場により電子線が曲げられる性質を利用して、磁性体中の磁化分布を観察する手法。焦点を試料からずらすこと(ディフォーカス)で、磁気構造により曲がった電子線の偏向の影響が像のコントラストとして観察できる。この手法では、スキルミオンは渦の巻く向きに対応した明暗の斑点状のコントラストとして観察できる。電子顕微鏡を用いた手法のため、空間分解能が高い(ナノメートルオーダー)ほか、本研究のように磁気構造を観察した局所領域に対して電子顕微鏡による他の分析手法を適用することが可能である。 - 6.エネルギー分散型X線分光法
電子線を試料に照射した際に出てくるX線のエネルギーを分析することで元素の存在比などを調べる手法。局所領域に電子線を照射して出てくるX線のエネルギーを分析することで、試料内での元素分布を調べる元素マッピングが行える。
図1 スキルミオンのスピン配置の模式図
複数の電子スピンが渦のように規則的に並んだ構造をしている。中心と外周のスピンの向きは反平行で、中心から外周の間にあるスピンの向きは連続的にねじれ、渦巻き構造を形成する。
図2 ローレンツ電子顕微鏡法によるスキルミオンの観察
- a.左巻きと右巻きのスキルミオンの構造。
- b.左巻きと右巻きのスキルミオン(a)がローレンツ電子顕微鏡法でどのように観察されるか示した模式図。渦の向きが左巻きのスキルミオンは照射した電子線が集光し明るい斑点として、逆に右巻きのスキルミオンは電子線が発散し暗い斑点として観察できる。
- c.FeGeにおけるスキルミオンのローレンツ電子顕微鏡像。
図3 ローレンツ電子顕微鏡法によるMn1-xFexGeの観察結果
- a.組成xが0.6~0.7の試料におけるローレンツ電子顕微鏡像。暗い斑点の一つひとつがスキルミオン。左下から右上に向けてサイズが次第に小さくなっている。
- b.(a)に示した領域の組成分布。スキルミオンのサイズが大きい左下のほうが右上に比べて、組成xが大きくなっている。
- c.(a)と(b)から得られたスキルミオンのサイズと組成x(鉄の割合)の関係。組成xによってスキルミオンのサイズが変化していることが分かる。
図4 磁気周期(スキルミオンサイズとらせん磁気構造周期)の組成依存性
スキルミオンのサイズは、らせん磁気構造の周期の2/√3倍である。スキルミオンのサイズを√3/2倍したもの(●)を、らせん磁気構造の周期(×)と共に示している。スキルミオンのサイズの指標は、鉄の割合xに対して5~200 nm程度まで連続的に変化する。x= 0.8付近ではスキルミオンのサイズは大きくなり、x= 0.8を境に渦の向きが変化する(背景の色が渦の向きを表す)。