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  3. 研究成果(プレスリリース)2013

2013年9月12日

独立行政法人理化学研究所
公立大学法人横浜市立大学
地方独立行政法人神奈川県立病院機構神奈川県立がんセンター

肺がんのリスクと予後を予測する新規バイオマーカーの発見

NRF2遺伝子の一塩基多型が術後生存率と女性非喫煙者の発症リスクに関連-

ポイント

  • 一塩基多型を持つ肺がん患者は、手術後が良好で5年後も生存率が高い
  • 同じ一塩基多型を持つ女性非喫煙者では、肺腺がんリスクが男性より高い
  • 肺がんの予防と個別化治療の新たなアプローチとして期待

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)、横浜市立大学(田中克子理事長)、神奈川県立がんセンター(赤池信総長)は、細胞の防御反応に関わるNRF2[1]遺伝子の一塩基多型(SNP)[2]を調べることで、肺がん患者の予後[3]と女性非喫煙者の肺腺がんリスクを予測できる可能性を臨床研究によって見いだしました。これは、理研ライフサイエンス技術基盤研究センター(渡辺恭良センター長)機能性ゲノム解析部門オミックス応用技術研究グループの石川智久上級研究員(横浜市立大学大学院医学研究科客員教授)、岡野泰子客員研究員(横浜市立大学大学院医学研究科特任講師)、理研統合生命医科学研究センター(小安重夫センター長代行)国際ゲノム連携研究チームのLee Ming Ta Michael(リー ミンタ マイケル)チームリーダーらと、横浜市立大学大学院医学研究科の根津 潤研究員(理研客員研究員)、棗田 豊教授、同大学附属市民総合医療センターの金子 猛教授(理研客員主幹研究員)、森田智視教授、田栗正隆助教、市川靖史准教授、および神奈川県立がんセンターの中山治彦副院長、横瀬智之部長、宮城洋平部長らとの共同研究グループによる成果です。

肺がんによる死亡者数は世界中で年間137万人にのぼり、がん死の中で最も多く全体の18%を占めています(2013年WHO「Fact sheet」より)。日本でも肺がんは全がん死の19.7%を占め、男女ともに全がん死の中で最も多い死因であり(国立がん研究センターがん対策情報センター「2009年最新がん統計」より)、早期発見や治療法の開発が課題となっています。

共同研究グループは、インフォームドコンセントを得た387人の肺がん患者の血液試料からゲノムDNAを抽出し、遺伝子多型解析を実施しました。NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)と肺がん患者の治療後の臨床データとの関係を調べた結果、SNPホモ接合体[4](-617A/A)を持つ肺がん患者は、肺がんの外科手術後の5年生存率が良好と分かりました。一方、SNPホモ接合体(-617A/A)を持つ女性非喫煙者では肺がんの一種である肺腺がん[5]になるリスクが男性非喫煙者よりも高いことも分かりました。これらの予後とリスクには、それぞれ別のがん遺伝子が関わる可能性も遺伝子多型解析から示唆されました。

以上の結果から、NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)は、肺がんの予後と非喫煙女性の肺腺がんリスクを予測するための臨床上有用なバイオマーカーと考えられます。今回の成果は、肺がん患者の個別化医療における新しいアプローチとなります。

本研究の一部は、JST先端計測分析技術・機器開発プログラム“世界最速SNP診断装置の開発”として行い、本成果は、米国のオンライン科学雑誌『PLOS ONE』(9月11日付け:日本時間9月12日)に掲載されます。

背景

日本の肺がん死亡率は近年増加傾向を示しており、特に高齢者ではこの傾向が顕著です。肺がんは、小細胞肺がんと非小細胞肺がんに大別されます。小細胞肺がんと、非小細胞肺がんに属する扁平上皮がんは、喫煙との関係が大きいとされています。一方、肺腺がんは代表的な非小細胞肺がんの1つで、非喫煙者の女性に発生する肺がんの主流となっていますが、その原因はよく分かっていません。

転写因子であるNRF2は、活性酸素に反応して抗酸化遺伝子の発現を制御するなど細胞の防御に重要な役割を果たす一方、がん細胞の増殖や抗がん剤への抵抗性にも関わることが知られています。また、過去の研究からNRF2遺伝子の上流域に存在する一塩基多型(SNP)-617C>A(図1)が、NRF2遺伝子の発現に影響を及ぼし、酸素中毒による急性肺障害のリスクと関係することが示唆されています。しかし、このSNPが臨床上有用な情報となるかどうかは明らかではありませんでした。共同研究グループは、NRF2が喫煙などによる肺がんリスクの個人差に関係しているのではないかと予想し、肺がん患者におけるNRF2遺伝子の多型解析を計画しました。

研究手法と成果

本研究の遺伝子多型解析を実施するにあたって、神奈川がん臨床研究・情報機構、神奈川県立がんセンター、および理研の倫理委員会の承認を得ました。神奈川県立がんセンターで治療を受けた肺がん患者のうち、インフォームドコンセントを得られた日本人387人(男性221人、女性166人)の血液試料からDNAを抽出し、神奈川がん臨床研究・情報機構を通じて理研に提供されました。理研と横浜市立大学は、等温核酸増幅[6]を用いて1時間以内で解析できる遺伝子多型解析法を開発し(図2)、患者のゲノムDNAのSNP(-617C>A)が、ホモ接合体(-617A/A)、ヘテロ接合体(-617C/A)、野性型ホモ接合体(-617C/C)のいずれであるか調べました。さらに神奈川県立がんセンターと協力して、患者の臨床データ(性別、年齢、喫煙歴、肺がんの種類と進行度、生存期間など)とSNPの関連解析を実施しました。その結果、SNP(-617C>A)の出現頻度は男女で差があり、SNPホモ接合体(-617A/A)を持つ女性の肺がん患者数比率は、男性の約4倍でした。特に非喫煙者の肺腺がん患者(140人)のうち、SNPホモ接合体(-617A/A)を持つ患者は16人で、その全員が女性でした。さらに、この女性非喫煙者のがん組織において、上皮成長因子受容体(EGFR)遺伝子[7]の変異が頻繁に見られることも判明しました。肺腺がんを含む非小細胞肺がんでのEGFR遺伝子変異の頻度は、欧米人に比べて日本人で有意に高いことが報告されていましたが、NRF2遺伝子のSNPとの関係を示したのは本研究が初めてです。

次に、NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)と肺がん患者のがん進行度[8]および治療後の生存率との関係を解析しました。その結果、SNPホモ接合体(-617A/A)を持つ肺がん患者(24人)は、がんの進行度の早期(病理病期I期:22人、同II期:2人)に限定されており、外科手術の適応とならない重度の病期まで進行した症例は1つもありませんでした。しかも、手術成績は良好で、術後約5年間にわたり、他の死因で亡くなった1人以外の残り23人の患者は存命です(図3赤)。一方、ヘテロ接合体(-617C/A)または野性型ホモ接合体(-617C/C)を持つ肺がん患者(363人)は、病理病期が進行して(III期もしくはIV期)、5年生存率はSNPホモ接合体(-617A/A)の肺がん患者に比較して低く、特にヘテロ接合体(-617C/A)を持つ患者の5年生存率は30%でした(図3緑)。これらの結果から、NRF2遺伝子をSNPホモ接合体(-617A/A)として持つ患者は、肺がんの進行度が緩やかであるため、患者の予後が良好である可能性が示唆されました。

さらに、NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)と、がん細胞の増殖や細胞死に関わる他の遺伝子多型との関係を調べました。その結果、SNPホモ接合体(-617A/A)を持つ肺がん患者は、腫瘍の形成を促進するがん遺伝子MDM2[9]のSNP(309T>G)を持つ頻度が低く、野生型MDM2遺伝子を持つ割合が高いことが判明しました。正常なMDM2タンパク質は、がん抑制遺伝子p53を介して細胞の増殖を制御することが知られています。従って、NRF2遺伝子SNPホモ接合体(-617A/A)と野生型MDM2遺伝子は、がんの進行抑制に対して協調的に働いている可能性が考えられました(図4)。

今後の期待

肺がんの死亡率が高い理由の1つは、発見時にすでにがんが進行していることが多いためです。今回、NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)と肺がん患者のがん進行度および治療後の生存率との関係を示唆したことで、このSNPが肺がんの予後ならびに非喫煙女性の肺腺がんリスクを予測するための臨床上有用なバイオマーカーになると考えられます。

NRF2が肺がんの進行に関わる仕組みはまだ解明されていませんが、石川上級研究員らは、NRF2遺伝子のSNPが野生型(-617C)の時、MDM2遺伝子のSNP(309T>G)との組み合わせで、がん抑制遺伝子p53の機能を低下させる機構を提案しています。さらに、NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)が多剤耐性に関与する抗がん剤排出トランスポーターABCG2の発現レベルを調節する分子機構についても(図4)、今後詳細な検証を行います。

また本研究で用いた、患者の血液試料やゲノムDNAからSNPを迅速(1時間以内)に検出する方法(図2)は、今後臨床の現場で、個別化医療を推進するライフサイエンス技術として期待できます。

原論文情報

  • Yasuko Okano, Uru Nezu, Yasuaki Enokida, Ming Ta Michael Lee, Hiroko Kinoshita, Alexander Lezhava, Yoshihide Hayashizaki, Satoshi Morita, Masataka Taguri, Yasushi Ichikawa, Takeshi Kaneko, Yutaka Natsumeda, Tomoyuki Yokose, Haruhiko Nakayama, Yohei Miyagi, and Toshihisa Ishikawa.“SNP (-617C>A) in ARE-like loci of the NRF2 gene: A new biomarker for prognosis of lung adenocarcinoma in Japanese non-smoking women”. PLOS ONE, 2013, doi:10.1371/journal.pone.0073794.

発表者

理化学研究所
ライフサイエンス技術基盤研究センター 機能性ゲノム解析部門 オミックス応用技術研究グループ
上級研究員 石川 智久 (いしかわ としひさ)

公立大学法人横浜市立大学 大学院医学研究科臨床腫瘍科学
准教授 市川 靖史 (いちかわ やすし)
特任講師 岡野 泰子 (おかの やすこ)

地方独立行政法人神奈川県立病院機構 神奈川県立がんセンター臨床研究所
臨床研究所がん分子病態学部長 宮城 洋平 (みやぎ ようへい)

お問い合わせ先

独立行政法人理化学研究所
ライフサイエンス技術基盤研究センター
チーフ・サイエンスコミュニケーター 山岸 敦 (やまぎし あつし)
Tel: 078-304-7138 / Fax: 078-304-7112

報道担当

公立大学法人横浜市立大学 研究推進課
嶋崎 孝浩 (しまざき たかひろ)
Tel: 045-787-2019 / Fax: 045-787-2025

独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.NRF2
    NRF2遺伝子がコードするNRF2は転写因子として働き、親電子性物質、活性酸素、小胞体ストレスや血流などによるずり応力によって活性化され、高等動物の酸化的ストレスに対する生体防御反応に重要な役割を担う。NRF2は、薬物代謝酵素、薬物トランスポーター、抗酸化タンパク質などの遺伝子の上流に存在する抗酸化剤応答配列(ARE)へ別の転写因子(small MAF)とともに結合することで、遺伝子の発現を亢進して、生体防御機構を強化する。
  • 2.一塩基多型(SNP)
    ヒトゲノムの配列は、全ての人々が同じというわけではなく、数百から約1,000塩基対の割合で1つの塩基の違いがある。その中でも人口中1%以上の頻度で存在するものを一塩基多型(SNP:single nucleotide polymorphism)という。一塩基多型には、単遺伝子疾患を引き起こしたり、多遺伝子疾患の発症を早めたりする変異から、個人の表現型に影響を及ぼさない中性的な多型までさまざまなものがある。さらに、代謝経路において差異を引き起こす一塩基多型も存在していて、薬物の応答性や副作用の個人間差に関係する。
  • 3.予後
    手術や病気、創傷の回復時期やその見込みのこと。予後の意味は疾患や病状によって異なり、例えば悪性度の高い進行がんや末期がんなどでは生存期間を意味することが多い。ただし同じ疾患でも複数の観点から予後が判断されることがあり、生存だけを考える場合は生命予後、機能に関する後遺症が残るかどうかを考える場合は機能予後という。がんなどの致死的な疾患に対する生命予後の指標として広く使われているのが生存率。5年生存率とは、ある疾患を診断された患者のうちどれだけが、診断から5年後にも統計的に生存しているかの割合。
  • 4.SNPホモ接合体
    私たちの体細胞には、父親と母親の両方から受け継いだ遺伝子情報(対立遺伝子またはアレル)を「対」として持っている。その対立遺伝子の情報が同一の場合「ホモ接合体」と呼ぶ。2つの対立遺伝子が両方とも同じSNPを持つ場合には「SNPホモ接合体」となる。一方の対立遺伝子にSNPがあって、もう片方の対立遺伝子にはSNPがない場合、「ヘテロ接合体」と呼ぶ。
  • 5.肺腺がん
    肺がんは大きく「小細胞肺がん」と「非小細胞肺がん」に大別される。肺腺がんは、肺の腺細胞(気管支の線毛円柱上皮、肺胞上皮、気管支の外分泌腺など)から発生するがんで、非小細胞肺がんに属する。非喫煙者の女性に発生する肺がんは主にこの型である。
  • 6.等温核酸増幅
    複数の酵素を組み合わせて、摂氏60度でゲノムDNAにコードされた特定の遺伝子を特異的に増幅して検出する簡便・迅速・安価な新しい遺伝子検出技術。独自に開発した鎖置換活性を有する酵素と独自の非対称なプライマーデザインにより、目的の遺伝子を迅速かつ高感度に増幅できる。
  • 7.上皮成長因子受容体( EGFR)遺伝子
    上皮成長因子受容体(EGFR:epidermal growth factor receptor)は、多くの固形がんで高頻度に発現し、過剰発現はがんの悪性度や予後と関連する。細胞の増殖や成長を制御する上皮成長因子(EGF)を認識し、シグナル伝達を行う受容体。チロシンキナーゼ型受容体で、細胞膜を貫通して存在する分子質量170kDa(キロダルトン)の糖タンパク質。
  • 8.がんの進行度
    本研究では、手術後の病理学的検査により、国際対がん連合(UICC)の定める病理病期に基づいてがんの進行度を分類している。数字が大きいほどがんの進行が進んでいる。
  • 9.MDM2
    MDM2タンパク質は、がん抑制遺伝子 p53の産生するタンパク質を分解し、正常細胞におけるp53の細胞増殖抑制機能を制御する働きを持つ。この働きは、MDM2タンパク質がp53タンパク質のN末端を認識するE3ユビキチンリガーゼ活性を有し、プロテアソームにおけるp53タンパク質の分解を促進することによる。 MDM2遺伝子の発現は、第1イントロンにあるSNP(309T>G)によって亢進することが知られている。
NRF2遺伝子の上流域にあるSNP(-617C>A)の図

図1 NRF2遺伝子の上流域にあるSNP(-617C>A)

本研究の対象となったNRF2遺伝子のSNP。翻訳開始点の上流617番目の塩基がシトシン(C)からアデニン(A)に置換される。

NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)の迅速検出(上)と従来シーケンス法の結果(下)の例の図

図2 NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)の迅速検出(上)と従来シーケンス法の結果(下)の例

本研究で開発した手法を用いると、患者の血液試料やゲノムDNAからSNPを1時間以内で検出でき(上)、その解析結果は、従来のシーケンス法の結果と一致する(下、矢印)

SNP(-617C>A)を持つ肺がん患者の術後生存率の図

図3 SNP(-617C>A)を持つ肺がん患者の術後生存率

野性型ホモ接合体(-617C/C)、ヘテロ接合体(-617C/A)、SNPホモ接合体(-617A/A)を持つ肺がん患者(病理病期がIからIV)の外科手術後5年間における生存率曲線(Kaplan-Meierプロット)。ヘテロ接合体(-617C/A)を持つ患者の5年生存率は30%と低い。

石川上級研究員らの提案する分子機構図

図4 石川上級研究員らの提案する分子機構

NRF2タンパク質は、酸化的ストレス、親電子化合物、およびリン酸化刺激などによってKEAP1から解離して核に移行する。NRF2タンパク質は、NRF2遺伝子の上流域(ARE-like)にあるSNP(-617C>A)に結合し、自身の転写を活性化する。従って、上流域に存在するSNP(-617C>A)は、NRF2の自己活性化を介してMDM2遺伝子や多剤耐性トランスポーターABCG2などの発現レベルを調節している可能性がある。ABCG2は、EGFRに対する分子標的薬ゲフィチニブ(Gefitinib)を細胞の外に排出する働きを持つため、NRF2によるABCG2の発現上昇はがん細胞の多剤耐性獲得につながる可能性がある。

また、MDM2遺伝子の発現は、第1イントロンにあるSNP(c.309T>G)によって亢進すると考えられている。MDM2タンパク質はがん抑制遺伝子の産物であるp53タンパク質の分解を促進するので、MDM2遺伝子の過剰発現はがん組織の増殖、ひいてはがん患者の予後の悪化につながると考えられる。一方、NRF2遺伝子のSNP(-617C>A)と野生型のMDM2遺伝子の組み合わせでは、p53のがん抑制効果により予後が良好となっている可能性がある。

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