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2014年5月15日

理化学研究所

河口底泥の環境分析データの統合的評価と“見える化”

-微生物・有機・無機物群集のネットワーク化から未利用資源探索への期待-

ポイント

  • 東北・関東の一級河川と近隣沿岸の河口底泥と水を調査
  • NMRによる河口堆積性有機物の構造情報を多面的に解析し地域特性を評価
  • 河口域の未利用資源の探索と環境の変動性の評価が可能に

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、河口域底泥の有機物群や無機物群、微生物群などの一斉計測データを統合的に解析し、環境代謝分析情報の統合的評価や資源探索に有効な手法を構築しました。この手法を用い、東北・関東の5河川について河口底泥の環境分析データの“見える化”を図りました。これは、理研環境資源科学研究センター(篠崎一雄センター長)環境代謝分析研究チームの菊地淳チームリーダーと、朝倉大河大学院生リサーチ・アソシエイト、伊達康博特別研究員らの研究チームの成果です。

“エジプトはナイルの賜物”と例えられるように、人類は古来より河口環境からの恵み(生態系サービス[1])を享受しています。河口環境は陸上から流れ入る有機・無機物質や、海から潮流で運ばれる物質などによって、微生物から植物、動物までを含む豊かな生物多様性が維持されています。しかし生態系サービスの維持や、災害からの修復プロセスなどの評価には、単一の成分分析データでなく多様な成分分析データを統合的に評価する手法が必要です。

研究チームは、東北・関東各地の5つの河川の河口に堆積する有機物群の構造情報や、無機物群、微生物群の分析データを、多変量解析ができるように規格化し、河川の個性の特徴づけや地域の特性などの評価を行いました。これらの異なる分析データを使い、地域の違いをもとに相関ヒートマップ[2]や統合ネットワーク解析を行うことで、有機成分の変化と微生物群の関係性などが“見える化”され、統合的な評価が可能となります

構築した解析手法を使うことによって、ヒトの五感に頼る「暗黙知」で捉えていた河口環境の維持や修復状態などの生態系サービスの知識は、各種計測データを活用した「形式知」として得られるようになります。また、河口域の底泥には多様な微生物が生息し、その中にはバイオマス分解・代謝能やミネラル蓄積能を持つ種が埋もれている可能性があります。本手法はそれらの有用微生物を探索する分析技術としても期待できます。

本研究成果は、米国の科学雑誌『Analytical Chemistry』オンライン版に近日掲載されます。

背景

人類は古来より河口環境からの生態系サービスを享受しており、“エジプトはナイルの賜物”と例えられるように、多くの文明は大河の河口域・沿岸域で生まれました。大河の多くは褐色です。陸から浸み出る有機物・無機物の複合体に多様な微生物群集が付着したコロイド状粒子が含まれていることが理由です。この粒子は、河口で高塩濃度の海水に出会うと不安定になり、化学的・生物的な触媒作用を受けて堆積性有機物[3]として沈殿します。それらを養分として生物多様性に富んだ河口環境が維持されています。また、さまざまな触媒作用を受けながら海洋へと運ばれていく有機物は地球の炭素循環に大きな役割を持ち、数千~数万年という時間スケールでみると、CO2を海底へと蓄積することにつながります。近年、人類の活動や自然災害が水圏環境を破壊し、人類に大きな不利益をもたらしていますが、自然の自己修復力を超えた破壊が元に戻るのには、多くの年月を要します。

日本の一級河川の沿岸は、過去に何度も大津波による生態系サービスの破壊を受けています。関東の主要河川は1923年の関東大震災による大津波破壊からは回復したものの、20世紀後半の急速な工業化や都市化の影響が残っています。一方、東北太平洋側の河川では東日本大震災から3年を経て、ようやく自然の修復プロセスが始まりつつある状態です。こうした環境の維持や生態系の修復プロセスは、土台となる水環境や川底環境の複雑な関係性から成り立っています。有機物や無機物を栄養源として微生物群が触媒する化学反応場は、水環境の生態系サービス維持に重要な役割を持つことは知られています。しかし、従来技術の単離精製分析では、環境の評価を行うことは容易ではありませんでした。

研究手法と成果

研究チームは対象環境試料として、2011年から東北・関東の一級河川(名取川、阿武隈川、多摩川、鶴見川、相模川)および近隣沿岸の河口底泥と水を採取し続けています。採取した試料の有機物群はNMR(核磁気共鳴)法[4]、CHNS/O analyzer(全自動元素分析装置)を用いて、無機物群はICP-OES(誘導結合プラズマ発光分光)法[5]と水質分析のHACH分光法を用いて計測し、微生物群は次世代シーケンサーにより16SrRNA遺伝子の解析[6]を行いました(図1)。

有機物群については二次元NMRのHSQC(異核種単一量子コヒーレンス)法[7]によって炭素と水素の構造情報としてシグナルを取得し、さまざまな地域の複雑な成分を網羅的に解析しました。HSQCシグナルの位置からデータベースや文献をもとに有機成分(脂質、糖、タンパク質など)を識別しました。その結果、関東地域では、よりタンパク質に相当するシグナル強度が高く、水中の無機窒素イオン濃度も相関して高くなっていることから、タンパク質が蓄積し、微生物の分解作用で放出される無機窒素も増えて、富栄養化していることが分かりました。また、有機物群の構造と相対量を主成分分析[8]によって解析すると、それぞれの河川の化学的反応場の特徴を捉えることができました。

同様の底泥試料の解析によって無機元素群や微生物群も東北・関東の地域差や各河川が特徴づけられます。特に関東の底泥に鉄(Fe)やアルミニウム(Al)、硫黄(S)などの元素の蓄積や嫌気性の硫酸塩還元菌であるDesulfosarcina sp.、Desulfuromonas sp. などの微生物群が多く見受けられました。

各サンプリング地点の分析情報を利用し、底泥の有機物群のHSQCシグナル強度、無機元素量、微生物群の相対量、水の無機物群濃度の計測データを統合し、相関ヒートマップを作成しました。高度に可視性が高められたこれらの相関ヒートマップにおいて、ある1つの微生物に注目し各種データを展開すると、脂質構造と強い相関を持つ好気性細菌など、その注目した微生物が有機物のどのような構造と関係性があるかなどが詳細に検証できます(図2上)。この相関ヒートマップの可視性は、相関ネットワーク化[9]によって関係性の高いデータ同士をグルーピングすることで、さらに高めることが可能です。地点差によって浮き出されたそれぞれの関係性は高い相関で位置づけられました(図2下)。

今後の期待

地球科学や生態学などの分野では、自然環境を評価することが従来目的としていたことです。しかし、生命科学では分子生物学的手法の飛躍的な進歩により、実験室内で要素還元主義的にアプローチしていくことが通常の手段のように捉えられがちです。他方、微生物学の分野では、分析技術の革新もあって、単離培養を前提としたアプローチから、自然界で99%以上を占めるとされる難培養微生物群集の一斉計測へと、大きな転換が起きています。難培養微生物群集の一斉計測が可能となったことで、世界中の海域の水から有用微生物や遺伝子資源を探索し合成生物学へと展開したり、食習慣や遺伝的背景の多様なヒト集団から健康維持に関わる有用微生物を探索したりするといった、自然環境やヒト常在菌等の開放系試料を評価・活用していく新たな改革が急速に進展しています。

医科学や合成生物学が環境・開放系試料へと展開していく中、その主たる分析技術はDNAシーケンスに依存しているため、遺伝子のカタログぞろえが世界でも主流となっています。しかし、難培養性微生物群を含めた生態系は栄養の化学変化を通して複雑なネットワークが組まれているため、DNAシーケンスだけでなく、化合物組成の変化と相関付ける手法の開発が必要です。特に水圏環境では、地球科学的プロセスで変遷するミネラル組成の追跡も重要で、無機物群と有機物群を併せた統合解析手法の構築が望まれています。

河口環境は陸からの有機物群やミネラル群の供給、潮の満ち引きによる塩濃度や好気/嫌気環境の摂動などの複雑な化学反応により、多様な生物の“ゆりかご”として存在します。その多様な微生物資源の中には、バイオマス分解・代謝能やミネラル蓄積能などを持つ有用な微生物が埋もれていることが予想されています。今回構築した統合ネットワーク解析は、それらの有用微生物の探索技術として期待できます。

人類は古来より河口環境からの生態系サービスを享受してきました。21世紀においても、生態系サービスによる食料供給や廃棄物の浄化作用だけならず、景観という文化的利益等を享受しています。しかし、生態系サービスの維持や災害等からの修復プロセスの評価は、単一の成分分析でなく統合的な分析データの評価技術構築が必要です。今後も継続的な環境代謝分析のデータベース構築と、時系列で得られるビッグデータ利用技術などを高度化していくことで、従来はヒトの五感に頼る暗黙知で捉えていた生態系サービスを、形式知化して維持・活用していくことができると期待できます。

原論文情報

  • Taiga Asakura, Yasuhiro Date, Jun Kikuchi "Comparative analysis of chemical and microbial profiles in estuarine sediments sampled from Kanto and Tohoku regions in Japan" Analytical Chemistry, 2014,dx.doi.org/10.1021/ac5005037

発表者

理化学研究所
環境資源科学研究センター 統合メタボロミクス研究グループ 環境代謝分析研究チーム
チームリーダー 菊地 淳(きくち じゅん)

お問い合わせ先

環境資源科学研究推進室
Tel: 045-503-9471 / Fax: 045-503-9113

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.生態系サービス
    河口のみならず森林、渓流、干潟、地磯などのさまざまな環境において人々が生態系から得ることのできる便益のこと。食料、水、原材料、遺伝資源、薬用資源、鑑賞資源などの「供給サービス」、気候の安定、水量調整や水質浄化などの「調整サービス」、レクリエーションや精神的な恩恵を与える「文化的サービス」、栄養塩の循環や土壌形成、光合成などの「基盤サービス」などがある。
  • 2.相関ヒートマップ
    統計的に優位な数の多検体試料を一斉計測すると、計測値のうち試料間で相関するデータも現われてくる。二次元平面に各計測データ間の相関係数を色別する表示法がヒートマップ。
  • 3.堆積性有機物
    海は物質の巨大な貯蔵庫で、遅くとも38億年前に生まれたといわれる生命を誕生させたほか、地球の温度変動を和らげる役割も果たしている。陸地を洗う河川水は、サイズ1nm~1μm程度のコロイド状物質を海へ運び込む。河口で高塩濃度の海水に出会うとコロイド状の自己会合構造が不安定になり、凝集して堆積性有機物として沈殿する。本文ではナイル川の例えを示したが、地球科学的な分析結果から森林が多く急勾配な地域を流れる東部アジアの河川の方が、海へのコロイド状物質の排出量が多いことが分かっている。また、日本近海は親潮や黒潮等の豊かな栄養塩の潮流を受け魚介類の餌となる植物・動物プランクトンが豊富に育つため、生物多様性のホットスポットとなっている。
  • 4.NMR(核磁気共鳴)法
    静磁場におかれた原子核の共鳴を観測し、分子の構造や運動状態などの性質を調べる分光方法。溶媒に分子を溶解させて計測する「溶液NMR法」や固体状態の分子を計測する「固体NMR法」などがあり、幅広い状態の試料を計測することができる。
  • 5.ICP-OES(誘導結合プラズマ発光分光)法
    ICPは、気体に高電圧をかけることによってプラズマ化させ、さらに高周波数の変動磁場でプラズマ内部に渦電流によるジュール熱を発生させて得られる高温のプラズマ。ICPによってサンプルを原子化・熱励起し、これが基底状態に戻る際の発光スペクトルから元素の同定・定量を行う方法。
  • 6.次世代シーケンサーによる 16SrRNA遺伝子の解析
    難培養性微生物(バクテリア)群集の一斉解析を行う際、進化的に配列保存性の高い16Sリボソームの遺伝子の一部領域をプローブとし、DNAシーケンサーによる計測を行う。この 16S rRNA遺伝子アンプリコンの分析はFLXシステムに基づく次世代のパイロシーケンシング法を用いて行った。
  • 7.HSQC(異核種単一量子コヒーレンス)法
    水素原子と共有結合している13Cや15Nとの相関を捉える二次元NMR法。本研究では有機混合物の構造と相対量変化を捉えるため、1H-13Cの二次元相関スペクトルを利用している。シグナルの周波数(化学シフト)は化学構造を反映し、またシグナル強度は相対量の変化に対応している。底泥試料のような高分子・低分子化合物の混合系でも、1H,13C周波数の両軸でシグナルが分離すれば、各環境試料の混合物組成変化を評価することができる。
  • 8.主成分分析
    外的基準変数のない統計的多変量解析手法で基本となる分析手法。ある集団についてその個体の特徴が多くの変数で測定されているとき、個体の特徴を総合的に表現する少数の指標を求めて情報を圧縮することを目的としている。
  • 9.相関ネットワーク化
    相関係数は、2つの確率変数の間の類似度の度合を示す統計学的指標であり、-1から1の実数値をとる。1に近いほど類似度が高く、-1に近いほど2つの確率変数は逆の類似度が高く、0に近いほど関連性がない。相関ネットワークは、この類似度に応じてグラフ理論に基づき可視化したもの。
河口底泥試料の有機・無機・微生物群の統合ネットワーク解析の図

図1 河口底泥試料の有機・無機・微生物群の統合ネットワーク解析

有機構造は二次元NMR計測によるシグナル強度、無機元素はICP-OES計測による存在量、微生物群は次世代シーケンサーによる計測をもとにした存在比を正規化した。正規化した値は相関ヒートマップによって網羅的に評価され、ネットワーク解析によって可視化された。

各種環境代謝分析データの統合解析による未利用資源探索・環境評価への展開の図

図2 各種環境代謝分析データの統合解析による未利用資源探索・環境評価への展開

相関ヒートマップ(左上)の縦・横軸の色は図1の各種分析機器に対応している。また、相関ヒートマップの赤色が濃いほど正の相関係数が高く、青色が濃いほど逆相関が高いことを示す。この相関ヒートマップにおいて、ある1つの微生物に注目し各種データを展開することで、その微生物が有機物のどのような構造と関係性があるかなど、詳細が分かる。

本研究では、硫酸還元菌が脂質・タンパク質NMRシグナルと関係性が高いことが分かった。さらに、Fe、Al、窒素化合物といった相関ネットワーク解析による可視化や、各河川環境の化学的反応場の特徴を示すことができた(左上の相関ヒートマップの黄色囲み)。

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