ポイント
- 分子と陽イオンの相互作用を用いて真空蒸着と加熱だけの簡便な手法で均一膜を形成
- スーパーコンピュータシステムによって均一膜の形成メカニズムを解明
- 光スイッチ分子の新たな表面構造制御技術を実現
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、光スイッチ機能が注目されているジアリールエテン分子[1]を銅表面上に均一膜として形成することに成功し、膜の形成メカニズムを解明しました。これは、理研Kim表面界面科学研究室の清水智子 元研究員(現 独立行政法人物質・材料研究機構 主任研究員)、鄭載勲(ジョン・ジェフン)国際特別研究員、今田裕特別研究員、金有洙(キム・ユウス)准主任研究員らの研究チームによる成果です。
有機物質を用いたデバイスには、すでに実用化されている有機EL(エレクトロルミネッセンス)[2]のほか、有機FET(電界効果トランジスタ)[3]や有機太陽電池などがあります。有機物質を用いたメモリーは、まだ研究段階にありますが、無機物質では超えられないとされている1平方インチあたり1テラビット(1Tb/1in2)以上の高密度のメモリーを作れる可能性を秘めています。有機メモリーを実現するためには、スイッチング機能を持った有機分子を、銅表面などの固体基板に均一かつ密に並べることが必要です。しかし、有機分子の構造は複雑なため、分子同士の相互作用だけで自己組織化現象[4]により分子が整列し、基盤の表面上に均一膜を形成する事は困難である場合がほとんどです。
研究チームは、光スイッチ機能を持つ有機分子のジアリールエテン分子を、銅表面に均一かつ密に整列しようと試みました。しかし、ジアリールエテン分子だけでは分子同士の相互作用がうまく働かず、銅表面に整列させることはできませんでした。そこで、ジアリールエテン分子が電子を引っ張りやすい性質を持つフッ素を含むことに着目し、塩化ナトリウムを蒸着させた銅基板にジアリールエテン分子を蒸着し加熱しました。ナトリウム陽イオンが糊の役割を果たすことで、銅表面に列構造を持つジアリールエテン分子の単分子膜が形成されました。さらに、走査型トンネル顕微鏡(STM)[5]を用い原子レベルで観測した膜の構造と電子状態の詳細なデータについて、分子や結晶の性質をシミュレーションによって明らかにできる「第一原理計算[6]」で解析することで、分子吸着構造や性質を明らかにし、膜の形成メカニズムを解明しました。
ドイツの科学雑誌『Angewandte Chemie International Edition』に掲載されるに先立ち、10月29日にオンライン版に掲載されました。
背景
有機物質は、高い柔軟性を備えつつ、その加工プロセスは簡便です。そのため、有機デバイスの開発は盛んに行われています。有機デバイスとしてすでに実用化されているものには、有機EL(エレクトロルミネッセンス)や、有機FET(電界効果トランジスタ)、有機太陽電池などがあります。しかし、有機分子を用いたメモリーは、未だ実用化されていません。1分子制御が可能な有機分子を用い、1分子を1ビットとして動作させることができれば、メモリーの性能は飛躍的に向上します。超常磁性限界[7]を持つ無機物質では超えることができないとされている1平方インチあたり1テラビット(1Tb/1in2)よりも密な記録媒体を作れる可能性を秘めています。
有機分子をメモリーとして機能させるには、スイッチング機能を持った分子が必要です。その代表例が、構造や物性が光によって変化する光スイッチ機能を持った、フォトクロミック分子[8]です。中でも、2種類の異なる波長の光を照射することで2つの状態を自在に切り替えることができる、ジアリールエテン分子が注目されています。また、この2つの状態は、光を照射し続けなくても、室温で安定的に存在します。ジアリールエテン分子は、エネルギーを与えなくても情報が維持できる、室温動作可能な不揮発性メモリーとして機能する可能性があります。
すでに、溶液中や単結晶では、ジアリールエテン分子が持つ光スイッチング機能の耐久性が確認されています。しかし、この分子をメモリーとして利用するには、銅表面などの固体基板上に均一構造として整列させる必要があります。先行事例として、チオール基[9]が付いたジアリールエテン分子で金表面上の自己組織化単分子膜(SAM)を作った例がありました。しかし、均一構造に最適な分子をデザインし合成するプロセスに手間がかかるという問題があります。また、分子間相互作用が強いため1分子単位でのオン-オフ制御には不向きではないかと考えられています。
研究手法と成果
研究チームは、数多くのジアリールエテン分子の中から、将来の実用化を踏まえて、容易に入手可能な分子を選択しました(図1)。粉末状のその分子を超高真空中で銅表面に蒸着させ、原子レベルの空間分解能を持つ走査型トンネル顕微鏡(STM)で、分子の吸着構造を観察しました。その結果、加熱の有無にかかわらず、分子はランダムに表面上に吸着していました。これは、分子同士の相互作用がうまく働かないために自己組織化せず、均一構造として整列させることができないことを示します。研究チームはジアリールエテン分子には、電子を引っ張りやすい性質を持つフッ素原子が6個集まった部分があることに着目しました。このマイナスに帯電しやすい部分を上手に使うことで、分子の相互作用をコントロールし、整列した均一な膜を形成することを検討しました。つまり、陽イオンをマイナスに帯電した部分とつなぐ「糊」として使うことができないかと考えたのです。そこで、糊となるであろうナトリウムを含む塩化ナトリウムを前もって蒸着させた銅表面にジアリールエテン分子を蒸着し、その後85℃程度まで加熱したところ、分子が列構造に並んだ2次元均一膜が形成されました(図2)。また、塩化ナトリウムを後から蒸着しても同じ構造が形成されました。さらにX線光電子分光法[10]で形成した膜の表面の状態を解析したところ、膜形成に関わるのはナトリウムのみで、塩素は銅の内部へ潜っていくことが分かりました。形成された構造はジアリールエテン分子とナトリウムからなる均一膜であることを、実験的に証明したと言えます。
研究チームは、均一膜が形成されたメカニズムを解明するため、理研のスーパーコンピュータシステム「RICC(RIKEN Integrated Cluster of Clusters)」[11]を利用して、量子力学の基本原理に基づいて分子や結晶の性質を計算する「第一原理計算」を行ないました。ナトリウムが含まれる場合と含まれない場合の2種類の膜に対し安定な構造を求めたところ、ナトリウムが含まれない膜では銅表面上で分子が傾いて立ち上がったような構造になりました。一方、ナトリウムが含まれる膜では分子がほぼ銅表面に平行に(寝たように)吸着した構造になることが分かりました(図3)。計算結果から、ナトリウムの周りの電荷量が減少したためナトリウムが陽イオン化して糊として働き、電荷量が多くなっているフッ素の部分と引き合っていることも分かりました。このことは、イオンと分子双極子(分子内の電荷分布のプラスからマイナス方向を示す)の相互作用[12]が、膜の形成メカニズムに深く関与していると言い換えることができます。
今後の期待
今回の研究成果は、複雑な構造をしたスイッチング機能を持つ分子でも相互作用を工夫すれば表面に均一に分子を配列できることを示しています。今後、有機メモリーの実用化に向け、さまざまな分子や固体基板で試行錯誤が行われると予想されますが、今回の膜形成の鍵となった、イオンと分子双極子の相互作用を利用できるよう分子を合成したり、塩化ナトリウムを蒸着させたりするという簡便な方法は、表面構造の製作技術の応用範囲を拡げると期待できます。
原論文情報
- Tomoko K. Shimizu, Jaehoon Jung, Hiroshi Imada, and Yousoo Kim. "Supramolecular Assembly via Interactions between Molecular Dipoles and Alkali Metal Ions". Angewandte Chemi International Edition2014, doi: 10.1002/anie.201407555 and 10.1002/ange.201407555
発表者
理化学研究所
准主任研究員研究室 Kim表面界面科学研究室
准主任研究員 金 有洙(キム・ユウス)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
補足説明
- 1.ジアリールエテン分子
光スイッチ機能を持つ有機分子の一種。紫外光を当てると、白色や透明から青や黄色などの色がつき、可視光を照射すると元の白色や透明に戻る。色の変化は、分子構造の変化によるもので、分子の性質も同時に変化する。さまざまな種類の分子が合成されており、熱安定性や耐久性もそれぞれ異なる。 - 2.有機EL(エレクトロルミネッセンス)
有機半導体を用いた光デバイス。電極間に電圧を掛けることで電子と正孔が結合し、そのエネルギーが光として放出されることを利用している。 - 3.有機FET(電界効果トランジスタ)
有機半導体を用いたデバイスの1つ。トランジスタには、電圧をかけるゲート、電流を流すソースとドレインという3つの電極がある。ゲート電極に電圧をかけて、ソース-ドレイン間に流れる電流を制御する。 - 4.自己組織化現象
外部からの制御なしに自分自身で組織や構造を作り出す現象。生物、宇宙から、情報、マネジメントに至るまで、さまざまな分野でこの言葉が用いられている。化学分野では、比較的小さな分子が自然に集まって高次構造を構築するプロセスをいうことが多い。単分子膜の生成過程、雪の結晶成長過程、動物の血管や神経の成長過程などの例がある。特に自己組織化膜はSAM(Self-Assembled Monolayer)と呼ばれ、多くの例が見いだされている。 - 5.走査型トンネル顕微鏡(STM)
先端を尖がらせた金属針(探針)を、試料表面をなぞるように走査して、その表面の形状を観測する顕微鏡。探針と試料間に流れるトンネル電流を検出し、その電流値を探針と試料間の距離に変換させ画像化する。 - 6.第一原理計算
実験結果に頼らないで、量子力学の基本原理から分子や結晶の性質を計算する方法。実験が困難な極限状況での物質の性質を予測することができるのが特徴。しかし、計算だけで答えを出すので膨大な計算が必要で、高性能のスーパーコンピュータの助けが欠かせない。 - 7.超常磁性限界
磁性ナノ粒子などを小さくしていくと、周囲の熱エネルギーで磁化の向きが反転してしまう。つまりメモリー機能が動作しなくなる限界のこと。 - 8.フォトクロミック分子
光を当てると色が変わる分子の総称。 - 9.チオール基
有機分子の末端についている水素化された硫黄。官能基の一種。構造はR(有機基)-SH。 - 10.X線光電子分光法
X線を試料に照射し、放出される光電子のエネルギーを測定する。表面に存在する原子の種類や状態を知ることができる手法。 - 11.RICC(RIKEN Integrated Cluster of Clusters)
理化学研究所で運用しているスーパーコンピュータシステム。 - 12.イオンと分子双極子の相互作用
イオンと分子の電気双極子の間に働く静電気の力。この相互作用により、分子内でよりプラスに帯電している部分と陰イオン、またはマイナスに帯電している部分と陽イオンが引き合うように構造が形成される。

図1 本研究で用いたジアリールエテンの構造(Me=CH3)
ジアリールエテン分子には、さまざまな種類の分子があるが、将来の実用化を踏まえて、容易に入手可能な分子を用いた。

図2 銅表面上のジアリールエテン分子‐ナトリウムイオン超構造のSTM像と分子モデル
右側に分子モデルを重ねてある。グレーは炭素、ピンクはフッ素、白は水素、オレンジは硫黄、緑はナトリウムを示す。なお、ナトリウムはフッ素の下に隠れて見えていない。STM像の暗い部分は分子の抜けた欠陥箇所であり、分子の配列向きを同定するのに用いた。

図3 計算により求めた銅表面上のジアリールエテン分子の安定した列構造
グレーは炭素、ピンクはフッ素、白は水素、オレンジは硫黄、緑はナトリウムを示す。(a)はナトリウムが含まれない場合、(b)はナトリウムが含まれる場合。(a)に比べ(b)の方がジアリールエテン分子と銅表面との角度が小さく、平行に近いことが分かる。