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2015年11月20日

理化学研究所
ブルックヘブン国立研究所
コロンビア大学
コネチカット大学
エジンバラ大学
プリマス大学
サウサンプトン大学

物質と反物質の違いの理論的解明に道筋

-K中間子崩壊におけるCP対称性の破れがスパコン計算で可能に-

要旨

理化学研究所(理研)仁科加速器研究センター 理研BNL研究センター計算物理研究グループの出渕卓グループリーダー、クリストファー・ケリー理研BNLセンター研究員らをはじめとする国際共同研究グループは、原子より小さい極微スケールで起こるK中間子[1]崩壊における「CP対称性の破れ[2]」のスーパーコンピュータを用いた計算に成功しました。今回の理論計算は、実験結果との比較をするにあたって最終的な結論を出すための精度がまだ不足していますが、長年の課題であったK中間子崩壊過程におけるCP対称性の破れの理論計算が可能であることを証明しました。

約138億年前、ビッグバンにおいて同数の粒子と反粒子が対生成されたと考えられています。しかし現在の宇宙には、反物質[3]から成る星や銀河は観測されていません。つまり反物質は消滅したことになります。すべての物理法則が物質と反物質の入れ替え(CP変換)で不変(CP対称)だとすると、宇宙の進化を説明できないため、CP対称性は破られる必要があります。

2000年までに「中性K中間子が直接的にCP対称性を破り、π(パイ)中間子[1]に崩壊する現象」が観測されました。この現象は100万回のK中間子の崩壊につき数回しか起こらないものであり、明らかにされていない物理法則の影響が最も見えやすい現象の1つだと期待されました。従って、この実験結果と小林・益川理論[4]に基づく理論計算の比較が長らく待たれていました。

自然界では、中性K中間子の崩壊で生じる2つのπ(パイ)中間子は、互いに反対方向の運動量を持ちますが、計算機上で崩壊するπ(パイ)中間子に運動量を与える方法がなく、正確な計算が不可能でした。今回、国際共同研究グループは計算機上に表した空間格子の境界条件に工夫を加えることにより、K中間子が自然界と同じ運動量を持ったπ(パイ)中間子へ崩壊する状況を実現しました。そして、スーパーコンピュータ「IBM Blue Gene/Q」で大規模格子量子色力学[5]計算を行い、小林・益川理論と素粒子の標準理論[6]から導き出されるCP対称性の破れのサイズを初めて計算で示し、実験結果との比較が可能であることを示しました。

国際共同研究グループでは近い将来、より一層計算精度を上げることを目指しており、それが現在の素粒子物理の標準理論を超えた未知の物理法則の発見につながると期待できます。

成果は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』(11月20日号)掲載に先立ち、オンライン版(11月17日付)に掲載されました。

背景

約138億年前、宇宙誕生のビッグバンにおいて、超高温・超高圧の光の塊から、同数の粒子と反粒子が対生成されたと考えられています。粒子と反粒子は質量や寿命などの性質はまったく同じですが、電荷のプラスとマイナスの符号だけが反対です。ビッグバンのときに同じ数だけ作られたはずの粒子と反粒子は、宇宙の進化の過程で対消滅して光だけの世界に戻るか、あるいは、物質と同じだけの反物質が宇宙のどこかに存在している必要があります。しかし現在の宇宙には、物質が集まった星や銀河は存在していますが、反物質から成る星や銀河は観測されていません。つまり反物質は消滅したことになります。すべての物理法則が物質と反物質の入れ替え(CP変換)で不変(CP対称)だとすると、宇宙の進化を説明できないため、CP対称性は破られる必要があります。

CP対称性の破れは1964年、米国ブルックヘブン国立研究所で、ストレンジクォーク[7]とダウンクォークから成る中性K中間子の崩壊過程で初めて実験的に観測されました。この崩壊過程は、CP対称性の異なった2つのK中間子の間で起こる振動によって引き起こされる崩壊で「間接的なCP対称性の破れに伴う現象」と呼ばれています。

その後、2000年までに欧州原子核研究所(CERN)と米国のフェルミ国立研究所で、「中性K中間子が直接的にCP対称性を破り、アップクォークとダウンクォークから成るπ(パイ)中間子に崩壊する現象」が観測されました。この現象は100万回のK中間子の崩壊につき数回しか起こらないくらいまれなものであり、明らかにされていない物理法則の影響が最も見えやすい現象の1つだと期待されました。よって、この実験結果と小林・益川理論に基づく理論計算の比較が長らく待たれていました。小林・益川理論は 日本の高エネルギー加速器研究機構 (KEK)や米国のSLAC国立加速器研究所の B中間子[1]の崩壊実験で検証されていましたが、K中間子の崩壊過程の理論的な計算は技術上の困難があり今まで不可能でした。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、中性K中間子が2つのπ(パイ)中間子に崩壊する格子量子色力学に基づく大規模数値計算を行いました。原子核を構成するクォークとその間に働く強い相互作用を媒介するグルーオンが従う物理法則を量子色力学といい、格子量子色力学は格子状に分割した4次元時空上にクォークとグルーオンを導入して量子色力学を表した理論です。

自然界ではK中間子の崩壊により、2つのπ(パイ)中間子は互いに反対方向の運動量を持ちますが、今までは計算機上で崩壊するπ(パイ)中間子に運動量を与える方法がなく、正確な計算が不可能でした。今回、国際共同研究グループは計算機上に表した空間格子の境界条件に工夫を加えることによって、K中間子が自然界と同じ運動量を持ったπ(パイ)中間子へ崩壊する状況を実現しました。さらに、クォークの運動方程式の解法を大幅に高速化するアルゴリズムを導入し、計算効率を大幅に高めました。これらの革新的手法を用い、理論上1秒間に700兆回の計算を行うことができるスーパーコンピュータ「IBM Blue Gene/Q」で大規模格子量子色力学計算(標準的なノートパソコンで2000年分の計算量に相当)を行い、小林・益川理論と素粒子の標準理論から導き出されるCP対称性の破れのサイズを初めて計算で示し、実験結果との比較を可能にしました()。

国際共同研究グループはこの膨大な計算を可能にした「IBM Blue Gene/Q」のプロセッサーチップの設計と検証の作業にIBMと共同で参加しました。

今後の期待

今回の理論計算は、実験結果との比較をするにあたって最終的な結論を出すための精度がまだ不足していますが、直接的なCP対称性の破れの理論計算が可能であることを証明しました。国際共同研究グループは米国で開発が進められているさらに高速のスーパーコンピュータ(2016年完成予定)を用い、より一層の計算精度向上を計画しており、それが未知の物理法則の発見につながると期待できます。

本研究の数値計算は理研BNL研究センター、ブルックヘブン国立研究所(米国)、アルゴンヌ国立研究所(米国)、エジンバラ大学(英国)に設置のスーパーコンピュータ「IBM Blue Gene/Q」を用いて行われました。本研究は日本学術振興会 科学研究費 科学研究費補助金 基盤研究(C)「新しい誤差縮減法が可能にする格子QCD計算」(代表者:出渕卓)の補助を受け、頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム「極限クォーク・ハドロン物質の理論的解明を目指す国際連携研究の構築と若手研究者育成」(代表者:初田哲男)、文部科学省HPCI戦略プログラム分野5「物質と宇宙の起源と構造」および計算基礎科学連携拠点(JICFuS)(代表者:青木愼也)の協力で実施したものです。また、米国エネルギー省科学部 (U.S. Department of Energy Office of Science (HEP))及び英国科学技術施設協議会 (U.K. Science and Technology Facilities Council)から部分的にサポートを受けています。

※共同研究グループ

理化学研究所 仁科加速器研究センター 理研BNL研究センター 計算物理研究グループ
グループリーダー 出渕 卓 (いずぶち たく)
理研BNLセンター研究員 Christopher Kelly(クリストファー・ケリー)

ブルックヘブン国立研究所 物理学部
サイエンティスト Chulwoo Jung(チュルー・ジュン)
サイエンティスト Christoph Lehner(クリストフ・レナー)
サイエンティスト Amarjit Soni (アマジト・ソニ)

コロンビア大学
大学院生 Ziyuan Bai(ジユアン・バイ)
教授 Norman Christ(ノーマン・クリスト)
教授 Robert Mawhinney(ロバート・モウイニー)
大学院生 Daiqian Zhang(ダイチアン・ザング)

コネチカット大学
教授 Thomas Blum(トマス・ブラム)

エジンバラ大学
教授 Peter Boyle(ピーター・ボイル)
博士研究員 Julien Frison (ジュリアン・フリソン)

プリマス大学
博士研究員 Nicolas Garron(ニコラ・ギャロン)

サウサンプトン大学
教授 Christopher Sachrajda (クリストファー・サクライダ)

原論文情報

  • Z. Bai, T. Blum, P. A. Boyle, N. H. Christ, J. Frison, N.Garron, T. Izubuchi, C. Jung, C. Kelly, C. Lehner, R. D. Mawhinney, C. T. Sachrajda, A. Soni, D. Zhang, "Standard-model prediction for direct CP violation in K→ππ decay", Physical Review Letters, doi: 10.1103/PhysRevLett.115.212001

発表者

理化学研究所
仁科加速器研究センター 理研BNL研究センター 計算物理研究グループ
グループリーダー 出渕 卓 (いずぶち たく)

理研BNL研究センターを含む国際研究グループの一部の集合写真 理研BNL研究センターを含む国際研究グループの一部。出渕 卓(発表者)とクリストファー・ケリーはそれぞれ前列左から3番目と4番目。

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.K中間子、π(パイ)中間子、B中間子
    クォークとその反粒子である反クォークが量子色力学(QCD)の強い力で結びついた状態(束縛状態)が中間子である。中間子は湯川秀樹によって、原子核内の陽子と中性子を結びつける粒子としてその存在が予言されていた。中性K中間子はダウンクォークと反ストレンジクォークの束縛状態にある中間子であり、π(パイ)中間子はアップクォークと反ダウンクォーク(電荷+1のπ(パイ)中間子)、反アップクォークとダウンクォークから成る中間子(電荷-1のπ(パイ)中間子)がある。中性π(パイ)中間子はアップクォークと反アップクォーク及びダウンクォークと反ダウンクォークそれぞれの束縛状態を重ね合わせた状態の粒子である。B中間子は反ボトムクォークとそれより軽い4種類のクォーク(アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム)のいずれかから構成される中間子。
  • 2.CP対称性の破れ
    粒子の電荷(Charge;C)の正負を反対にする変換をC変換といい、空間の方向を反転する(Parity;P)変換をP変換と呼ぶ。CP対称性とはC変換とP変換を同時に行っても、その前後で物理法則が変わらないという性質である。反物質が存在しない現在の宇宙を説明するには、CP対称性が破れていることが必要である。実験的には1964年に中性K中間子の崩壊から発見され、ジェイムズ・クローニンとヴァル・フィッチはその業績により1980年にノーベル物理学賞を受賞した。高エネルギー加速器研究機構(KEK)のBファクトリー実験など、現在でも実験物理と理論物理で積極的な研究が世界中で行われている。
  • 3.反物質
    ある粒子に対して、質量や寿命などの性質が同じで、電荷のプラス・マイナスのみが反対の粒子を反粒子と呼ぶ。例えば、電子(e-)の反粒子は陽電子(e+)である。また、反粒子から作られた物質を反物質と呼ぶ。例えば、陽子と電子から成る水素の反物質である反水素は、反陽子と陽電子からできている。
  • 4.小林・益川理論
    6種類のクォークが弱い相互作用のもとで互いに混合することを表した理論。1973年に小林誠博士と益川敏英博士は、CP対称性が破れるためには、最低でも6種類のクォークが必要であることを予言した。このときクォークはアップ、ダウン、ストレンジの3種類しか見つかっていなかったが、その後、1995年までに残りの3種類(チャーム、ボトム、トップ)の存在が実験で確認された。この業績により2人は、2008年にノーベル物理学賞を受賞した。
  • 5.格子量子色力学、量子色力学
    量子色力学 (Quantum Chromo Dynamics、QCD)は、原子核を構成するクォークとその間に働く強い相互作用を媒介するグルーオンが従う物理法則であり、素粒子の標準理論の一部である。格子量子色力学(Lattice QCD)は、格子状に分割した4次元時空(縦・横・高さに時間軸を加えた空間)上にクォークとグルーオンを導入して、量子色力学を表した理論。格子量子力学を大規模数値計算で解くことにより、近似に依らない正しい計算が可能になる。この計算法は、過去約10年の間に飛躍的な進歩を遂げた。
  • 6.素粒子の標準理論
    電子やクォークなどの素粒子とその間に働く4種類の相互作用(強い力、弱い力、電磁気力、万有引力)を表した量子理論。現在までに実験的に確かめられている範囲内で、自然界のほぼ全ての現象を説明できると考えられている。
  • 7.クォーク
    原子核を構成する素粒子で質量の異なる6種類があり、軽い方からアップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップと名付けられている。また、それぞれのクォークは3種類の色電荷(赤・緑・青)を持つ。
CP対称性を破る中性K中間子の崩壊過程を表すクォークのダイアグラムの例の図

図 CP対称性を破る中性K中間子の崩壊過程を表すクォークのダイアグラムの例

左側に、緑色の丸で示した1個の中性K中間子 (ストレンジクォーク s とダウンクォーク d から成る)があり、それが右側のオレンジ色の丸で示した2個の荷電π(パイ)中間子(アップクォーク uとダウンクォーク d から成る)に崩壊する過程を表している。緑、赤、黄の直線はそれぞれ アップクォーク、ダウンクォーク、ストレンジクォークが時空中を伝搬する様を表しており、2つの黒丸の点が小林・益川理論から導かれるクォークを混合する相互作用を表している。2回のクォーク混合により、ストレンジクォーク(黄色線)が 青色線で表されるアップタイプのクォークすなわちアップ、チャーム 、トップクォーク (u, c,t)にいったん変化し、最後にはダウンクォーク(赤色線)に変化する。これらのクォークは混合の過程でQCD相互作用を媒介するグルーオン (g)や弱い相互作用を媒介するウィークボゾン(W)を吸収・放出する。

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