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2016年6月17日

理化学研究所

匂いの好き嫌いを決める脳内メカニズムを解明

-ハエの神経活動から匂い嗜好を解読する数理モデルを作成-

要旨

理化学研究所(理研)脳科学総合研究センター知覚神経回路機構研究チームの風間北斗チームリーダーらの研究チームは、ショウジョウバエ嗅覚回路の神経活動の記録、解読に成功し、匂いの好き嫌いを決める脳内メカニズムを解明しました。

食べ物の匂いを快いと感じる一方、腐敗物や捕食者の匂いを不快と認識することは、動物の生存にとって大変重要です。しかし、匂いの好き嫌いが脳のどのような情報処理によって決定されるかは、解明されていませんでした。その理由の1つとして、匂いに反応する多数の神経細胞の活動の記録が技術的に難しいことが挙げられます。

そこで研究チームは、ほ乳類よりもはるかに少数の神経細胞で、ほ乳類と類似した機能を発揮するショウジョウバエ成虫(以下、ハエと省略)の嗅覚回路に着目し、神経活動から匂いの嗜好を解読することを目指しました。まず、匂いの好き嫌いを評価するために、ハエの行動に応じて匂いや景色が変化する“仮想空間”を構築し、その中でハエが匂いに対して近寄るのか逃げるのかを観察しました。また、嗅覚情報を処理する触角葉[1]という脳の領域が、匂いに対してどのように応答するかを調べました。触角葉は約50個の糸球体[2]という球状構造で構成されていますが、レーザー顕微鏡を用いたカルシウムイメージング[3]で、ほぼ全ての糸球体からそれぞれの活動を同時に記録することに成功しました。

研究チームはこれらのデータを組み合わせ、糸球体群の活動からハエの匂いの嗜好を解読する数理モデルを作成しました。その結果、各糸球体は固有の割合で誘引(留まる行動)もしくは忌避(逃げる行動)に貢献し、それらの活動の総和でハエの行動が説明できました。これは、「匂いの嗜好は特定少数の糸球体の活動によって決定される」という従来の仮説を覆す結果です。この数理モデルは、新しく与えられた匂いに対する行動を予測する能力も持つことが分かりました。さらに、研究チームは、匂いに対する相対的な嗜好は周りに存在する匂いによって変化し、ときには反転し得ることを数理モデルによって予測し、その現象を実証しました。

嗅覚回路の機能やその基本的な配線図は、ハエからヒトまで共通であることから、本成果は、匂いの好き嫌いを決める普遍的な脳内メカニズムの理解につながると期待できます。

本研究は、米国の科学雑誌『Neuron』(7月6日号)に掲載されるのに先立ち、オンライン版(6月16日付け:日本時間6月17日)に掲載されます。

※研究チーム

理化学研究所 脳科学総合研究センター 知覚神経回路機構研究チーム
チームリーダー 風間 北斗(かざま ほくと)
研究員 バデル・ロホーン(Badel Laurent)
テクニカルスタッフⅠ 太田 和美(おおた かずみ)
研究員 髙木(槌本)佳子(たかぎ(つちもと)よしこ)

背景

良い匂いと不快な匂いを嗅ぎ分けることは、動物の生存にとって大変重要です。例えば、食べ物の匂いを快いと思うことで、エネルギー源にたどり着くことができます。一方、腐敗物や捕食者の匂いに嫌悪感を覚えることで、危険を回避できます。しかし、匂いの好き嫌いを決める脳内メカニズムは解明されていませんでした。

その理由の1つとして、匂いは一般に複数の神経細胞を活性化させることが挙げられます。すなわち、匂いの好き嫌いを決める脳内メカニズムを理解するには、匂いの情報処理に関わる全ての神経細胞の活動を記録する必要がありますが、それは技術的に大変困難だからです。そこで研究チームは、ほ乳類よりもはるかに少数の神経細胞で、哺乳類と類似した機能を発揮するショウジョウバエ成虫(以下、ハエと省略)の嗅覚回路に着目し、神経活動から匂いの嗜好を解読することを試みました。

研究手法と成果

研究チームは匂いの好き嫌いを評価するため、ハエの行動に応じて匂いや景色が変化する“仮想空間”を構築し(図1A)、その中で飛行するハエの匂いに対する応答を詳しく解析しました。仮想空間内では、ハエは背中がピンで固定されているものの、旋回しようと羽ばたくことで匂い空間(嗅覚刺激と接触する空間)の内と外を自由に行き来できます(図1B)。ハエが匂い空間の中を飛行する時間が長ければその匂いを好む、すぐに旋回して匂い空間の外に逃げれば嫌うと解釈できます。実験の結果、ハエは84種類の多様な匂いに対して誘引(留まる行動)から忌避(逃げる行動)までさまざまな反応を示しました(図1C)。ハエが匂いを認識するスピードは速く、嗅覚刺激と接触してから約0.2秒で誘引や忌避などの行動を選択することが分かりました。

また、研究チームは嗅覚情報を処理する触角葉という脳の領域が、匂いに対してどのように応答するかを調べました。触角葉は約50個の糸球体という球状構造で構成されています。各糸球体は、異なる匂い情報を伝達するチャンネル(経路)として見なすことができるため、匂いは糸球体群の神経活動パターンとして脳内に表現されることになります。神経活動パターン全体を記録することは技術的に難しいとされていましたが、研究チームはレーザー顕微鏡を用いたカルシウムイメージングで、その記録に成功しました(図2)。

さらに、研究チームはこれらのデータを組み合わせることで、糸球体群の活動からハエの匂いの嗜好を定量的に解読する数理モデルを作成しました(図3A)。その結果、各糸球体は固有の割合(重み)で誘引もしくは忌避に貢献することが分かりました(図3B)。また、ハエの行動は、各糸球体の活動を変換、重み付けした後、全てを足し合わせることで説明できました。これは、「匂い嗜好は特定少数の糸球体の活動によって決定される」という従来の仮説を覆すものです。

この数理モデルは、新しく与えられた匂いの混合物や濃度の異なる匂いに対する行動も予測したため(図3C)、汎用性があることが分かりました。また、糸球体の活動を人為的に阻害もしくは増進すると、ハエの行動は数理モデルが予測した通りに変化しました。これにより、数理モデルは神経活動と行動の相関関係だけでなく、因果関係も捉えていることが示されました。

さらに、この数理モデルは匂いの相対的な嗜好は周りに存在する匂いによって変化し、ときには反転し得ることを予測しました。すなわち、匂いの好き嫌いは絶対的なものではなく、直前に嗅いだ匂いの種類や頻度によって変わることを予測しました。研究チームは、実際その通りにハエの匂い嗜好は環境依存的に変化することを見出しました。これにより、ハエの嗅覚システムも視覚や聴覚システムと同様、すばやく環境に適応する能力を持つことが分かりました。

今後の期待

今回発見した匂いの好き嫌いを決める脳内メカニズムは、嗅覚回路の機能やその基本的な配線図がハエからヒトまで共通であることから、広く動物の脳で用いられている可能性があります。

本研究で行った神経活動を解読するアプローチは、脳が情報をどのように処理しているかという根本的な問いの解明につながると期待できます。また、それはブレイン・マシン・インターフェースの改良など、さまざまな応用も期待できます。ブレイン・マシン・インターフェースは、脳と機械をつなぐハードやソフトを意味し、神経活動によって機器などを操作する技術です。例えば、体の不自由な人の動きを機器でサポートする場合、神経活動から適切な情報を抽出する技術が鍵となるため、作成した数理モデルを拡張したものが役立つ可能性があります。

さらに、心の病への貢献が考えられます。精神疾患は客観的な診断が困難ですが、疾患に特徴的な脳活動を検出し情報を読み出すことで、より定量的なデータに基づいた診断と治療が可能になると期待できます。

原論文情報

  • Laurent Badel, Kazumi Ohta, Yoshiko Tsuchimoto and Hokto Kazama, "Decoding of context-dependent olfactory behavior in Drosophila", Neuron, doi: 10.1016/j.neuron.2016.05.022

発表者

理化学研究所
脳科学総合研究センター 知覚神経回路機構研究チーム
チームリーダー 風間 北斗(かざま ほくと)

知覚神経回路機構研究チームの集合写真 風間チームリーダー(後列中央)と知覚神経回路機構研究チームのメンバー

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.触角葉
    脳内で最初に嗅覚情報を処理する脳領域。ほ乳類の嗅球に相当する。
  • 2.糸球体
    触角葉に存在する球状の構造。匂い分子を認識する嗅覚受容細胞と、情報を脳の高次領域へと伝える嗅覚二次細胞が結合する場所。匂いによって糸球体の活動パターンが異なる。
  • 3.カルシウムイメージング
    カルシウムイオンと結合すると明るさが変化する蛍光タンパク質で神経細胞を標識し、その蛍光強度変化を記録する手法。神経細胞が興奮すると細胞内のカルシウムイオン濃度が上昇するので、神経活動を調べる方法として用いることができる。
仮想空間におけるショウジョウバエの匂い応答の図

図1 仮想空間におけるショウジョウバエの匂い応答

  • A.ハエの行動(羽ばたきの音データ)に応じて、匂い(嗅覚刺激)と景色(視覚刺激)が変わる仮想空間。ハエの背中はピンで固定されている。
  • B.ハエは旋回することによって、匂い空間の内と外を行き来できる。
  • C.ハエに3種類の匂い(空気は対照)を15回ずつ与えたときの飛行軌跡。ハエはリンゴ酢の匂い空間に留まろうとしたが、2-メチルフェノールからは瞬時に逃げた。
ショウジョウバエの触角葉(糸球体群)の匂い応答の図

図2 ショウジョウバエの触角葉(糸球体群)の匂い応答

  • A.カルシウムイメージングで匂いに対する神経活動を記録するためのセットアップ。脳を観察できる角度でハエを記録用プレートに固定し、カルシウムイオン応答を反映する蛍光シグナルの変化をレーザー顕微鏡で検出する。
  • B.ハエの脳を前から見た拡大図。触角葉(赤い円)を構成する糸球体群が発する蛍光シグナル(緑色)をイメージングした。糸球体から脳の高次領域へ情報を伝える嗅覚二次細胞のみが蛍光タンパク質で標識されるハエの系統を用いた。
  • C.3種類の匂いに対する37個の糸球体の応答。青色は定常的な活動レベル、寒色は活動の減少、暖色は活動の上昇を表す。
ショウジョウバエの匂いの好き嫌いを解読する数理モデルの図

図3 ショウジョウバエの匂いの好き嫌いを解読する数理モデル

  • A.ハエの糸球体の匂い応答を変換した後、誘引もしくは忌避に対する貢献度をかけて(重み付けをして)加算することで、匂い嗜好を解読する数理モデル。
  • B.各糸球体の匂い嗜好への貢献度。約半数が忌避に寄与し、残りが誘引に寄与する。貢献度は、Aの重み付け加算のステップで用いた重みに相当する。
  • C.作成した数理モデルは、新しく与えられた匂いの混合物や濃度の異なる匂いに対する行動も予測できる。

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