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2016年9月16日

理化学研究所

スピン軌道相互作用による磁壁のトラップ

-電流パルスで磁壁を決まった位置に素早く止める技術-

要旨

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センタースピン物性理論研究チームの多々良源チームリーダーらの共同研究チームは、電流パルスにより磁壁[1]を決まった位置に素早く止めるトラップ技術を理論的に発見しました。

高密度の次世代不揮発性メモリ[2]磁気抵抗メモリ(MRAM、エムラム)[3]やレーストラックメモリが注目されています。レーストラックメモリは、断面の直径がナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)サイズの細線上に電流パルスを流し、多数の磁壁を移動させることによって演算や情報処理を行います。電流パルスにより磁壁を動かす技術はすでに確立していますが、磁壁をある決まった位置に素早く止めるトラップ技術はまだ確立していません。トラップの方法としてはこれまで、細線に“くびれ”を作り、くびれの幾何学的な「ピン止めポテンシャル[4]」を用いる方法が議論されてきました。しかし、ナノメートルサイズの細線に多数のくびれを均一に作ることは非常に難しく、多数の磁壁を確実にトラップし、また必要なときにそれらを開放することは実現していません。

共同研究チームは今回、幾何学的なくびれを用いずに磁壁をトラップする新しい理論を提案しました。この方法では、「ラシュバ型スピン軌道相互作用[5]」と呼ばれる相対論的効果[6]を利用します。この相互作用は重い金属の表面や界面で現れるもので、磁性体の磁気モーメント[7](あるいはスピン[7])と電流を強く結合させる働きがあります。磁壁をトラップすべき位置に、この相互作用を局所的に作用させることにより、電流パルスを流した際に強い局所的磁場を発生させます。共同研究チームはその際に、磁壁に対して強いピン止めポテンシャルが発生することを利用し、動いている磁壁を確実に決まった位置にトラップすることができることを理論的に示しました。

ラシュバ型スピン軌道相互作用の導入は、重い金属の薄膜を積層させることで容易にかつ精度よく実現することができます。そのため、本研究で示した理論はレーストラックメモリなどの多数の磁壁の制御に基づいた次世代メモリの実現を前進させると期待できます。

本研究は、科学研究費補助金基新学術領域「スピン変換」の支援を受けて行われました。成果は日本の科学雑誌『Applied Physics Express(APEX)』オンライン版(9月14日付け)に掲載されました。

※共同研究チーム

理化学研究所 創発物性科学研究センタースピン物性理論研究チーム
チームリーダー 多々良 源(たたら げん)
研究員 ヘンリ・サーリコスキ(Henri Saarikosiki)

物質・材料研究機構 磁性・スピントロニクス材料研究拠点
企画マネージャー 三俣 千春(みつまた ちはる)

背景

現在の情報機器は著しい性能向上を続けていますが、起動時間が長いという問題が残っています。これは主メモリが揮発性であるため、起動のたびに情報をメモリ上に読み込む必要があるためです。省電力の観点からは必要時にのみ機器を動作させることが重要で、起動時間の大幅な短縮が求められます。このためには、大容量かつ高速の不揮発性メモリの開発が不可欠です。現在、最も有望視されてメモリの一つは「磁気抵抗メモリ(MRAM、エムラム)」です。MRAMはすでに商品化され、高い信頼性が要求される航空機や自動車などで用いられています。しかし今後は、より高密度化を実現することが求められており、新たなメモリ開発が進められています。

磁性に基づく不揮発性メモリには、MRAMのように微小な強磁性薄膜を用いるものと、磁壁などの磁化構造を用いるものがあります。後者の代表例が「レーストラックメモリ」です。レーストラックメモリでは、多数の磁壁を電流パルスにより一挙に操作することでMRAMよりも大量の情報を保持し、処理できると考えられています。

電流パルスによる磁壁の駆動は、技術的に確立しています。一方で、多数の磁壁を決まった位置に素早く止めるトラップ技術の開発はほとんど進んでいません。最も簡単なメカニズムは細線に“くびれ”を作り、くびれの幾何学的な「ピン止めポテンシャル」を用いて磁壁をトラップする方法です。しかし、実際にこれをデバイスとして実用化するためにはくびれの形状など、サンプルごと加工精度のバラつきを極力少なくする必要があり、非常に難しいと考えられます。

そこで、共同研究チームは形状の加工に依らず、重い金属を含む微小な薄膜を積層させることで、局所的に強いピン止めポテンシャルを発生させる可能性に着目しました。

研究手法と成果

共同研究チームはまず、細線を十分細いものとして磁化構造は断面積方向には一様とした一次元モデルに基づき、「ラシュバ型スピン軌道相互作用」の効果を有効磁場[8]として考慮した磁壁の運動方程式を導出しました。加えた電流パルスの関数として磁壁の速度などを計算し、動いている磁壁をトラップする条件と、トラップされた磁壁を再び動かすために必要な電流密度を計算しました。

その結果、ある閾値電流密度以下で、磁壁が確実にピン止め位置にトラップできることが分かりました(図1)。しかもトラップされるまでの時間は、数ナノ秒(1ナノ秒は10億分の1秒)程度と十分に短時間です。また、トラップされた磁壁に別の閾値電流密度以上の電流パルスを与えると、磁壁はトラップから逃れて移動することも確認されました。以上により、動いている磁壁を決まった位置に確実に短い時間で止め、またそれを動かすことが電流パルスによってできることになり、レーストラックメモリへの応用が期待されます。

さらに、このデバイスの動作に必要なラシュバ型スピン軌道相互作用の大きさは比較的小さくてよいことも分かりました。この相互作用の大きさは物質によって異なり、たとえばビスマス(Bi)を銀(Ag)に混ぜた物質では、3eVÅ(電子ボルトオングストローム、1Åは100億分の1m)という非常に強い相互作用が実現されることが分かっています。これと比べると、今回のデバイス動作に必要な相互作用は1/100程度の大きさで十分です。

今後の期待

ラシュバ型スピン軌道相互作用の導入は、重い金属の薄膜を積層させることで容易にかつ精度よく実現することができます。本研究で示した理論は、レーストラックメモリなどの多数の磁壁の制御に基づいた次世代メモリの実現を前進させると期待できます。

また、今後は現実の物質特性を織り込み、また細線内の磁気構造をミクロに扱うマイクロマグネティックシミュレーションに基づいて現実的な特性評価を行う予定です。さらに、動作に最適な物質の探索も進めます。

原論文情報

  • Gen Tatara, Henri Saarikoski, Chiharu Mitsumata, "Efficient stopping of current-driven domain wall using a local Rashba field", Applied Physcis Express(APEX), doi: 10.7567/APEX.9.103002

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子情報エレクトロニクス部門 スピン物性理論研究チーム
チームリーダー 多々良 源(たたら げん)

多々良源チームリーダーの写真 多々良源チームリーダー

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.磁壁
    磁性体の磁化状態は一般に、磁化の向きが一様に揃った領域が複数集まって構成される。この磁化の向きが一様にそろった領域を、磁区と呼ぶ。隣り合う磁区の間では磁化の向きは異なり、その境界で磁化は緩やかに変化しながらつながる。このような磁区の境界領域を磁壁と呼ぶ。
  • 2.不揮発性メモリ
    現在パソコンに使われている半導体メモリは、電源を切ると記憶情報が失われてしまうが、これを揮発性メモリと呼ぶ。一方、電源を切っても記憶情報が失われないメモリを不揮発性メモリと呼ぶ。
  • 3.磁気抵抗メモリ(MRAM、エムラム)
    磁気を利用した記憶素子で、半導体メモリに比べて、不揮発性、高速動作、低消費電力、高集積可能といったメリットがあり、次世代のメモリとして期待されている。MRAMは、Magnetic Random Access Memoryの略。
  • 4.ピン止めポテンシャル
    磁壁などの構造を止める(ピン止めする)ためには、形状をくびれさせるなどにより力を加えて止めることが必要である。こうした止めるための力(ピン止め力)を発生させるメカニズムをピン止めポテンシャルと呼ぶ。
  • 5.ラシュバ型スピン軌道相互作用
    物質表面など電子が相対論的効果[6]により感じる相互作用で、電子の運動(速さ)とスピン(磁石の性質)を結びつける働きがある。これを利用してスピンと電荷の間の変換を行う研究がスピントロニクスにおいて、現在盛んに進められている。
  • 6.相対論的効果
    物体の運動は相対的であるが、力学の法則は不変とし、ガリレオは物理学に登場した。また、アインシュタインは、光の速度は無限とされていた考えを、光の運動は運動をするかしないかに関わらず宇宙のどこでも一定であるという光速度の不変の法則を示した相対性理論を提唱した。相対論的効果とは、相対性理論において、非相対論による計算からの“ずれ”のことをいう。
  • 7.磁気モーメント、スピン
    電子は、自転に相当するスピンと呼ばれる自由度を持つ。さらに電子はこのスピンに比例し、向きがスピンの向きと逆向きの磁気モーメントと呼ばれる性質を持つ。
  • 8.有効磁場
    磁性体を磁化するときに作られた反磁場により、外から与えた磁場が弱められた内部の磁場。
ラシュバ型スピン軌道相互作用による磁壁のトラップの概念図の画像

図1 ラシュバ型スピン軌道相互作用による磁壁のトラップの概念図

ラシュバ型スピン軌道相互作用(ピンクの矢印αR)を局所的に(緑の領域)埋め込むことで、細線中の磁壁(黄色部分)をトラップする。磁壁は、電流パルス(緑の矢印)によって細線中を左から右へ動いている。ラシュバ型スピン軌道相互作用により発生する強い磁場BR(ピンクの矢印)が、強く磁壁をこの位置にトラップする。青の矢印は磁化(磁気モーメント)の向きを表す。

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