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2016年9月20日

理化学研究所

水素分子の解離過程を8フェムト秒で制御

-極端紫外アト秒パルス光によるコヒーレント制御の幕開け-

要旨

理化学研究所(理研)光量子工学研究領域エクストリームフォトニクス研究グループ アト秒科学研究チームの鍋川康夫専任研究員、古川裕介客員研究員、緑川克美チームリーダーらの研究チームは、「アト秒パルス列(APT)[1]」(1アト秒は100京分の1、10-18秒)という特殊な光を用いて、水素分子の二つの解離過程を8フェムト秒(1フェムト秒は1000兆分の1秒、10-15秒)という超高速で切り替えることに成功しました。

水素分子(H2)は、水素原子(H)が2個結び付くことによって構成される最も簡単な構造の分子です。したがって、水素分子が水素原子2個に分離する過程(解離)は、最も簡単な化学反応と考えられます。しかし、異なる解離過程を経て生じた水素原子は内部の電子の様子が異なり、それぞれ別の状態の原子として区別されます。最も簡単な化学反応であるにも関わらず、これらの異なる解離過程を超高速で制御することはこれまで不可能でした。

今回、研究チームは、高強度の極端紫外(XUV)波長域[2]のAPT光を水素分子に照射し、生じた水素イオン(陽子、H)の運動量分布を測定しました。これにより、APTの偏光[3]方向に対して平行な方向の運動量を持つ水素イオン(第一励起状態経由)と垂直な方向の運動量を持つ水素イオン(第二励起状態経由)を同時に観測しました。さらに、APTを二つのビームに分け、二つのビームの遅延照射時間を少しずつずらしながら、各方向の水素イオン生成量を記録しました。その結果、第一励起状態の生成量が最大から最小へ変化し、かつ第二励起状態の生成量が最小から最大へ変化する時刻が存在し、しかもその変化はわずか8フェムト秒で生じることを見出しました。これは、水素分子イオン(H2)の基底状態における振動波束[4]の振動周期の半分の時間に相当し、水素分子イオンが“最も縮んだとき”にAPTを照射した場合は第一励起状態が優先され、“最も伸びたとき”にAPTを照射した場合は第二励起状態が優先されることを意味しています。

このような量子波束[4]を用いた分子制御はコヒーレント制御と呼ばれ、可視光の波長・数10フェムト秒の時間スケールにおいては盛んに研究が行われていますが、XUVのアト秒パルスを用いた例は他にありません。XUV光は光子エネルギーが高く、さまざまな分子に対して励起状態を作ることができます。そのため、本研究により新たな超高速コヒーレント制御の可能性が拓かれたといえるでしょう。

本研究は、文部科学省最先端の光の創成を目指したネットワーク拠点プログラム受託事業「先端光量子科学アライアンス」およびJST CRESTの一環として行われました。

本成果は、国際科学雑誌『Nature Communications』(9月20日付け)に掲載されます。

※研究チーム

理化学研究所 光量子工学研究領域 エクストリームフォトニクス研究グループ アト秒科学研究チーム
チームリーダー 緑川 克美(みどりかわ かつみ)
専任研究員 鍋川 康夫(なべかわ やすお)
客員研究員 古川 裕介(ふるかわ ゆうすけ)
研究員 沖野 友哉(おきの ともや)

背景

新しい物質の創生・制御を目指して、レーザー光を用いた手法が盛んに研究されています。これは、レーザー光の持つ高い干渉性や超高速性を物質の新しい性質に結び付けることができると考えられるからです。例えば、分子科学の分野では可視光のフェムト秒(1フェムト秒は1000兆分の1秒、10-15秒)レーザーを用いた反応制御の手法が考案されており、数多くの関連研究が行われてきています。しかし、水素分子あるいはそのイオンは最も簡単な構造の分子でありながら、反応を制御することはできていませんでした。これは通常用いられている可視光レーザーでは光子エネルギーが低く(波長が長く)かつパルス幅の短縮が不十分なためです。

2015年に研究チームは、光子エネルギーが10電子ボルトを超える極端紫外(XUV)波長域の「アト秒パルス列(APT)」(1アト秒は100京分の1、10-18秒)と呼ばれるパルス光を用いて、水素分子イオンの振動波束の運動を観測し、その生成過程に「準備時間」が必要であることを明らかにしました注1)。今回、この実験系の改良を行なうことで新たな水素分子イオン解離過程を見つけ、既知の解離過程との競合状態を制御することを試みました。

注1)2015年9月1日プレスリリース「1,000兆分の1秒の時間遅延を観測

研究手法と成果

研究チームはアト秒パルス列(APT)の集光強度を高めるために、これまで用いてきた集光ミラーの材質を、非晶質のシリコンカーバイドから結晶シリコンカーバイドに替えました。実験では、真空中へパルス状に吹き出した水素ガスを集光点に供給します。APTによってイオン化した後、解離して生じた水素イオン(陽子、H)を速度マップ画像(Velocity Map Imaging;VMI)分光器と呼ばれるイオン解析装置で測定します。この実験で得られたイオンの速度分布図を図1に示します。通常はAPTの偏光方向に偏ったイオンの分布がみられる(図1、赤線で囲った部分)のですが、偏光方向に垂直に偏ったイオンの分布(図1、黄線で囲った部分)も初めて観測することができました。

これらイオンの方向の偏りは、解離する水素分子イオンの電子状態の違いに原因があります。図2に水素分子イオン内にある二つの陽子間の距離(核間距離)と電子状態のエネルギーの関係を示します。基底状態(図2、1sσgのカーブ)では、二つの陽子は束縛された状態で、陽子間が伸び縮みする振動運動をしています。APTによって第一励起状態(図2、2pσuのカーブ)に励起されると、水素分子イオンは解離状態となり、最終的に水素イオン(陽子)と水素原子の基底状態(1s状態)に分かれます。このとき、2pσuの電子分布の偏りを反映して水素イオンの速度分布は、APTの偏光に対して平行な方向に偏ります。一方、第二励起状態(図2、2pπuのカーブ)に励起されると、解離した水素分子イオンは、水素イオン(陽子)と水素原子の励起状態(2s状態)に分かれます。水素イオンの速度分布がAPTの偏光に対して垂直方向に偏るのは、2pπuの電子分布の偏りに起因します。

それでは、これら異なる二つの解離経路をどのように制御したらよいでしょうか。それは“振動運動の利用”により行うことができます。基底状態の振動運動において、最も核間距離が短くなる瞬間にAPTを照射すると、この核間距離ではAPTに含まれる9次高調波の光子エネルギーが2pσuへの励起エネルギーに一致する(図2、左側の矢印)ので、2pσu経由の解離が増え2pπu経由の解離は減ります。逆に、最も核間距離が長くなる瞬間にAPTを照射すると、2pπuへの励起エネルギーが光子エネルギーに一致する(図2、右側の矢印)ので、2pπu経由の解離が増えるという仕組みです。

実験ではAPTを二つのビームに分け、これら二つのAPTのターゲットへの到達遅延時間を少しずつずらしながら水素イオンの速度分布を記録しました。水素イオン速度分布の偏光平行成分と偏光垂直成分が遅延時間に対してどのように変化しているかを図3に示します。遅延時間約273フェムト秒で偏光平行成分が最大かつ偏光垂直成分が最小であったのが、その約8フェムト秒後には逆の関係になっていることが分かります。8フェムト秒は、核間距離が最小から最大になる時間に一致しており、理論計算との整合性と合わせて、振動運動を利用した解離過程制御の実現が確認されました。

なお、水素分子イオンの振動運動は、量子力学的には振動波動関数のコヒーレントな重ね合わせである「波束」として記述されます。イオン化で生成される振動波束は時間の進行とともに空間的に広がってしまうため、任意の遅延時間では解離制御の度合いは低くなります。しかし、遅延時間約273フェムト秒付近では波束が再び収縮してくるので、図3に示す明瞭な振動構造に伴う解離制御が可能となるのです。

今後の期待

反応制御のためには、①励起状態への遷移に必要な十分高い光子エネルギー、②分子の超高速運動を分解できるだけの十分短いパルス幅(本研究のAPTのパルス列幅は約4フェムト秒)、そして③十分なパルスエネルギー(本研究のAPTではマイクロジュール程度)の光源が必要です。

本研究で研究チームの開発したAPTビームラインは、世界で唯一これらの条件を満たした光源です。今後、その性質を生かし、可視光レーザーではこれまで到達できなかった、多様な分子の励起状態の超高速ダイナミックスを利用した反応制御が期待できます。

原論文情報

  • Yasuo Nabekawa,Yusuke Furukawa,Tomoya Okino, A. Amani Eilanlou, Eiji J. Takahashi, Kaoru Yamanouchi, and Katsumi Midorikawa, "Sub-10-fs control of dissociation pathways in hydrogen molecular ion with a-few-pulse attosecond pulse train", Nature Communications, doi: 10.1038/NCOMMS12835

発表者

理化学研究所
光量子工学研究領域 エクストリームフォトニクス研究グループ アト秒科学研究チーム
チームリーダー 緑川 克美(みどりかわ かつみ)
専任研究員 鍋川 康夫(なべかわ やすお)
研究員 沖野 友哉(おきの ともや)
客員研究員 古川 裕介(ふるかわ ゆうすけ)

緑川克美チームリーダーの写真 緑川 克美
鍋川康夫専任研究員の写真 鍋川 康夫
沖野友哉研究員の写真 沖野 友哉
古川裕介客員研究員の写真 古川 裕介

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.アト秒パルス列(APT)

    数100~数10アト秒(1アト秒は100京分の1秒、10-18秒)の時間幅を持つパルス(短時間に変化する信号)が周期的に複数並んだ列状のパルス光。高強度の超短パルスレーザー光を希ガス中に集光して得られる高次高調波(可視域のレーザーをガスに集光したときに発生する波長の短い光)がアト秒パルス列となる。波長域は紫外から極端紫外にまで及ぶ。本研究では基本波の超短パルスレーザー光は、波長800nmバルス幅14フェムト秒のチタンサファイアレーザーである。

  • 2.極端紫外(XUV)波長域
    可視光よりも波長が短く、X線よりも波長が長い領域で、波長が数10ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)程度の領域。XUVは、extreme ultravioletの略。
  • 3.偏光
    光は電磁波であり、電場と磁場が振動しながら伝播する。電場及び磁場の振動の向きについて一定の法則があるとき、これを偏光と名付けて類別している。本実験のアト秒パルス列は、電場及び磁場が互い直交した一定の直線方向に固定されている「直線偏光」である。図1の緑色の矢印は、この直線偏光の電場方向を示している。
  • 4.波束、量子波束
    波長の異なる「波」を複数重ね合わせると、波の山同士または谷同士が重なった部分は波の大きさ(振幅)が強調され、山と谷が重なった部分は振幅が減少する。この結果、振幅の大きい部分が空間的あるいは時間的に局在化した波を波束と呼ぶ。ミクロの世界における物質は、量子力学的な「波」である波動関数で表されるので、物質の波動関数を複数重ね合わせた状態を量子波束と呼ぶ。これら量子波束の中で、振動波動関数の重ねによるものを振動波束と呼んでいる。
解離で生成された水素イオン(陽子)の速度分布の図

図1 解離で生成された水素イオン(陽子)の速度分布

緑の矢印は、アト秒パルス列(APT)の偏光方向を示す。黄色い点線で囲まれた部分が、本研究で新たに見出された速度成分を持つ水素イオンである(図は上下左右対称なので、左側も同じ成分)。右下のカラーバーは、水素イオン信号強度を表す。

水素分子イオンの核間距離に対するエネルギーの図

図2 水素分子イオンの核間距離に対するエネルギー

1sσgが基底状態、2pσu, 2pπuがそれぞれ第一、第二励起状態を表す。H9でラベルされた上向きの矢印の長さは、アト秒パルス列に含まれる9次高調波成分の光子エネルギーに対応している。水素分子イオンの伸び縮みをグラフ下に模式的に示した。

アト秒パルス列を照射して生じた水素イオンの生成量の図

図3 アト秒パルス列を照射して生じた水素イオンの生成量

アト秒パルス列の偏光方向に対して平行な速度成分を持つ水素イオン(桃色)と、垂直な速度成分を持つ水素イオン(黒色)の生成量。各カーブの周りの影部分は測定誤差を示す。いずれのカーブも、横軸の遅延時間に対して約16フェムト秒の周期で振動しており、点線で示した場所でそれぞれの生成量の最大最小が逆転している。

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