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2017年10月19日

理化学研究所
東京大学

反陽子の磁気モーメントの超高精度測定

-物質・反物質非対称性の検証が大きく前進-

要旨

理化学研究所(理研)Ulmer基本的対称性研究室のステファン・ウルマー主任研究員、クリスティアン・スモーラ特別研究員、長濱弘季特別研究員、山崎泰規研究員、東京大学大学院総合文化研究科の松田恭幸教授らの国際共同研究グループは、68%の信頼水準[1]で相対的な不確かさ(測定値に対する不確かさの割合、相対精度)が10億分の1.5(1.5ppb)という超高精度で、反陽子の磁気モーメント[2]を直接測定することに成功しました。これまでの精度を350倍向上した成果です。

素粒子物理の標準理論[3]の基本的な対称性である「CPT対称性[4]」は、粒子とその反粒子[5]は物理学的な性質が等価であることを予言しています。一方で、この宇宙が約138億年前にビッグバンによって生まれた際、同量の粒子と反粒子が作られたと考えられていますが、現在の宇宙には反粒子からなる反物質[5]はほとんど見当たりません。これは、現代物理学が抱える大きな謎の一つであり、「物質-反物質非対称性[6]」と呼ばれています。

今回、国際共同研究グループはCPT対称性を厳密に検証するために、反陽子の磁気モーメントを超高精度で決定し、既に150倍以上の精度で知られている陽子の磁気モーメントと比較しました。実験では、荷電粒子の基礎物理量を高精度で測定できるぺニングトラップ[7]を用いました。別々に閉じ込められた2個の反陽子を独立に分光するという新たに開発した実験手法を用いて磁気モーメントを測定した結果、相対精度が68%の信頼水準で1.5ppbを得ました。これは、国際共同研究グループが2017年1月に達成した当時の最高精度(1,000万分の8、0.8ppm、95%の信頼水準)注1)をさらに350倍上回り、現時点での世界最高記録です。また、国際共同研究グループが2014年に発表した陽子の磁気モーメントの値注2)と不確かさの範囲内で一致し、今回到達した精度では物質-反物質の対称性が保たれていることを明らかにしました。

今後は、反陽子の磁気モーメントを将来的にさらに高い精度で測定することを計画しています。陽子と反陽子を用いてCPT対称性の検証をさらに深めることで、現在の宇宙における物質―反物質非対称性の謎により一層近づくことができると期待できます。

本研究は、英国の科学雑誌『Nature』(10月19日号)に掲載されるのに先立ち、オンライン版(10月18日付け:日本時間10月19日)に掲載されます。

本研究成果は、日本学術振興会 科学研究費補助金 特別推進研究「反水素の超微細遷移と反陽子の磁気モーメント」およびEU先進的研究補助金の支援を受けて行われました。

注1)2017年1月18日プレスリリース「反陽子の磁気モーメントを世界最高精度で測定
注2)2014年6月10日プレスリリース「陽子の磁気モーメントを超高精度で測定

※国際共同研究グループ

理化学研究所 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)
特別研究員 クリスティアン・スモーラ(Christian Smorra)
特別研究員 長濱 弘季(ながはま ひろき)
研究員 山崎 泰規(やまざき やすのり)

東京大学大学院 総合文化研究科
教授 松田 恭幸(まつだ やすゆき)

マックスプランク研究所(ハイデルベルグ)
主任研究員 クラウス・ブラウム(Klaus Blaum)

マインツ大学物理学部
教授 ヨッヘン・ヴァルツ(Jochen Walz)

ドイツ重イオン研究所
研究員 ウォルフガング・クイント(Wolfgang Quint)

ハノーファー大学ナノ量子工学部
教授 クリスティアン・オスペルカウス(Christian Ospelkaus)

背景

現在の宇宙では粒子からなる物質だけが観測され、約138億年前に起きたビッグバンの際に粒子と同量だけ生じたと考えられる反粒子からなる反物質はどこにも見当たりません。これは、素粒子の標準理論が持つ基本的な対称性の一つである「CPT対称性」が予言する、物質と反物質の等価性と矛盾します。なぜなら、CPT対称性が保たれているならば、宇宙初期に生まれた物質と反物質は出会って消滅し、宇宙はほとんど光だけで構成されるものになったはずだと考えられるからです。現在の宇宙で観測される銀河、星、惑星などは、初期宇宙で過剰に生き残った物質由来の産物です。この事実は、現代物理学が抱える大きな謎の一つであり、「物質-反物質非対称性」と呼ばれています。

今回、国際共同研究グループは、反陽子の磁気モーメントを超高精度で測定し、CPT対称性を厳密に検証することで、この謎の解明を目指しました。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、反陽子の磁気モーメントを測定するために、荷電粒子を閉じ込めることができるペニングトラップという装置を用いました。ペニングトラップを極低温まで冷やし、超高真空を実現することによって、反陽子を1年以上にわたって捕獲し続けることができます。捕獲中の反陽子の運動がペニングトラップの電極にフェムトアンペア[8]程度の微弱な電流を誘起することが分かっており、それを独自に開発した高感度検出器を用いて検出することで、直接的に反陽子の質量電荷比や磁気モーメントなどの基礎物理量を測ることができます。

本実験では、捕獲した二つの反陽子を交互に測定用トラップ(図1)に移動させ、それぞれを独立に分光するという新たな実験手法を用いました。一つの反陽子では、サイクロトロン周波数[9]を測ることにより、磁場強度を10億分の1の精度で決定しました。二つ目の反陽子では、磁気モーメントの歳差運動(ラーモア歳差運動[10])の周波数を測定しました。ラーモア歳差運動周波数は、磁気モーメントの大きさと磁場強度に比例しています。磁気モーメントは、反陽子の内部にある非常に小さなコンパスの針のようなもので、磁場中の磁気モーメントの向きは、ラーモア歳差運動周波数に相当する高周波を反陽子に照射することで反転することができます。この現象を「スピン遷移」といいます。

国際共同研究グループは、反陽子のスピン遷移を非破壊的に観測することで、ラーモア周波数を10億分の1の精度で測定しました。そして、一つ目の反陽子を用いて測定した磁場強度と組み合わせることで、反陽子の磁気モーメントを68%の信頼水準で相対誤差が10億分の1.5(1.5ppb)という超高精度で決定することに成功しました。この値は、2017年1月に国際共同研究グループが発表した当時の世界最高精度(1,000万分の8、0.8ppm、95%の信頼水準)をさらに350倍上回り、現時点での世界最高記録です。さらに、国際共同研究グループが2014年に発表した陽子の磁気モーメントの値と不確かさの範囲内で一致することを確認しました。これらの結果より、今回到達した精度ではCPT対称性は保たれていることが明らかになりました。

今後の期待

今回到達した測定精度ではCPT対称性は保たれていましたが、さらに高精度での測定領域ではCPT対称性は破れているかもしれません。国際共同研究グループは、測定用ペニングトラップ中の磁場の均一度を向上させ、さらに磁場の変動を一層抑えることで、反陽子の磁気モーメントの測定精度を10倍以上改善する計画です。これにより、この宇宙から反物質が消えた謎の解明へとさらに一歩近づくことが期待できます。

原論文情報

  • C. Smorra, S. Sellner, M.J. Borchert, J.A. Harrington, T. Higuchi, H. Nagahama, T. Tanaka, A. Mooser, G. Schneider, M. Bohman, K. Blaum, Y. Matsuda, C. Ospelkaus, W. Quint, J. Walz, Y. Yamazaki, S. Ulmer, "Parts-per-Billion Measurement of the Antiproton Magnetic Moment", Nature, doi: 10.1038/nature24048

発表者

理化学研究所
Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)
特別研究員 クリスティアン・スモーラ(Christian Smorra)
特別研究員 長濱 弘季(ながはま ひろき)
研究員 山崎 泰規(やまざき やすのり)

東京大学 大学院総合文化研究科
教授 松田 恭幸(まつだ やすゆき)

ステファン・ウルマー主任研究員と山崎泰規研究員の写真 ステファン・ウルマー主任研究員、山崎泰規研究員
クリスティアン・スモーラ特別研究員と長濱弘季特別研究員の写真 クリスティアン・スモーラ特別研究員、長濱弘季特別研究員
松田恭幸教授の写真 松田恭幸教授

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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東京大学 大学院総合文化研究科 報道担当
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koho-jyoho [at] adm.c.u-tokyo.ac.jp(※[at]は@に置き換えてください。)

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補足説明

  • 1.信頼水準
    同じ母集団からサンプルを繰り返し抽出する際に、母数が含まれる区間の割合を表す。例えば、今回の成果は、68%の確率で反陽子の磁気モーメントの値が相対精度1.5ppbの範囲に含まれているということを示している。
  • 2.磁気モーメント
    反陽子や陽子は磁石の性質を持ち、磁気モーメントはその磁石の強さと向きを表す。素粒子物理学によると、スピンを持つ全ての粒子は磁気モーメントを持っていて、陽子と反陽子もこれに含まれる。
  • 3.素粒子物理の標準理論
    標準理論は重力を除く素粒子間の基本的な相互作用についての理論であり、現代物理学の根底に位置する。しかし、宇宙の物質-反物質非対称性に関して標準理論では説明することができない。このため、多くの科学者は標準理論に足りないプロセスを追究し、非対称性について説明することを試みている。その可能性の一つに、CPT対称性の破れがある。
  • 4.CPT対称性
    物理学において最も基本的と考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転変換(P)、時間反転変換(T)の三つの変換を同時に行うことを意味する。陽子と反陽子の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになる。
  • 5.反粒子、反物質
    反粒子は粒子と同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号は反対である。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ反陽子である。従って、陽電子と反陽子は一番単純な反物質の原子である反水素を形成することができる。反物質は反粒子からできている物質。
  • 6.物質-反物質非対称性
    理論上、物質と反物質は対になって現れるか、あるいは対になって消えることしかできない。宇宙の始まりでは同量の物質と反物質が現れたと考えられるので、物質と反物質は同じ量残っていると予想される。しかし、現在の宇宙には反物質からなる痕跡や兆候は観測されておらず、物質だけで成り立っている。この理論的な予想に反する事実を、宇宙の物質-反物質非対称性という。
  • 7.ペニングトラップ
    荷電粒子を捕獲する装置で、磁場と電場から構成される。磁場は荷電粒子を磁場の向きに沿って巻きつけるように働き、電場は最低三つの電極から作られ、荷電粒子を磁場の向きに逃げないように捕獲する。荷電粒子の質量や磁気モーメントの高精度測定に用いられる。
  • 8.フェムトアンペア
    アンペアは電流の大きさを表す単位で、フェムトアンペアは1000兆分の1アンペア。乾電池に豆電球をつないだときに流れる電流は0.3アンペア程度で、1フェムトアンペアはその300兆分の1という微弱な電流である。
  • 9.サイクロトロン周波数
    電荷をもった素粒子は、磁場中でローレンツ力によって周期運動をする。これをサイクロトロン運動といい、その周波数をサイクロトロン周波数という。
  • 10.ラーモア歳差運動
    素粒子の磁気モーメントが磁場に垂直な成分を持つとき、磁気モーメントは磁場からトルク(回転軸の周りの力のモーメント)を受ける。その結果、磁力線の向きを軸として磁気モーメントは歳差運動をする。これをラーモア歳差運動という。
測定に用いたペニングトラップの写真(S. Sellner撮影)の画像

図1 測定に用いたペニングトラップの写真(S. Sellner撮影)

合計四つのペニングトラップが設置してあり、そのうちの一つを反陽子の磁気モーメントの測定用トラップとして用いた。二つの反陽子を交互に測定用トラップに移動し、それぞれ独立に分光を行った。一つの反陽子は磁場を10億分の1で測定するために、もう一つの反陽子はラーモア歳差運動周波数を10億分の1の精度で測定するために用いた。これら二つの測定を組み合わせることで、反陽子の磁気モーメントを68%の信頼水準で相対精度が1.5ppbという、超高精度で決定することに成功した。

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