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2014年6月10日

理化学研究所

陽子の磁気モーメントを超高精度で測定

-陽子と反陽子の非対称性の検証が大きく前進-

ポイント

  • 相対誤差が10億分の3.3という超高精度で直接測定
  • 42年前に間接測定した値の相対精度より2.5倍高精度
  • 宇宙規模で観測された物質-反物質非対称性の解明へ

要旨

理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、陽子の磁気モーメント[1]を直接測定し、相対誤差(真の値に対する誤差の割合)が10億分の3.3(3.3ppb)という超高精度な測定値を得ることに成功しました。これは、理研ウルマー国際主幹研究ユニットのステファン・ウルマー ユニットリーダーを中心とするチームと、ドイツのマインツ大学、重イオン研究所(GSI)、マックス・プランク物理学研究所との共同研究グループによる成果です。

現在の宇宙は、ビッグバンによってつくられた同量の物質と反物質[2]が完全に対消滅しなかったため、一部の物質が生き残ったと考えられています。しかし、なぜ物質と反物質が完全に対消滅しなかったのかということは、いまでも現代物理学の大きな謎の1つとなっています。これまで、物質と反物質の違いを観測する試みが数多く行われていますが、中でも物質と反物質の磁気モーメントを比較する研究に期待がかかっています。わずかでも両者の磁気モーメントの違いを発見できれば「物質-反物質非対称性[3]」の説明が可能になるからです。これは、素粒子物理の標準理論[4]の構成要素である「CPT対称性[5]」を揺るがすことにつながります。共同研究グループは今回、陽子と反陽子の磁気モーメントのうち、陽子の磁気モーメントを超高精度で求める試みに挑戦しました。

実験では、荷電粒子の質量や磁気モーメントを高精度測定できるペニングトラップ[6]という装置を使いました。同装置は磁場と電場で荷電粒子を捕獲します。1個の陽子を閉じ込め、磁気モーメントを直接測定した結果、2012年に、ハーバード大学とマインツ大学でそれぞれ行われたペニングトラップを用いた陽子の磁気モーメントの直接測定に比べ、測定精度が760倍改善したことを確認しました。また、1972年に行われた陽子の代わりに水素原子を使う間接測定の精度より2.5倍高精度でした。今回、陽子の磁気モーメントの高精度測定に成功したことにより、物質-反物質対称性の検証の半分を達成したことになります。

本研究成果は、英国の科学雑誌『Nature』のオンライン版(5月28日付け)に掲載されました。

背景

陽子と反陽子の磁気モーメントを正確に測定し、両者を比較することは素粒子物理学の標準理論の検証につながります。標準理論は、既知の素粒子間で生じる電磁相互作用などの基本的な相互作用についての理論であり、荷電共役変換(C)、空間反転(P)、時間反転(T)を同時に行うCPT変換[5]に関して不変です。物質が反物質に入れ替わり、時間が逆に流れる鏡像宇宙において観測される物理量は、宇宙で観測されるものと等しいことを意味します。したがって、ある物質とその反物質の質量と寿命は全く同じでなければならず、互いに衝突したら完全に消滅しなければなりません。さらに、それらの電荷、磁気モーメントは等しく、かつ符号は反対でなければなりません。この意味で、陽子と反陽子の磁気モーメントを正確に測定し、両者を比較することは、標準理論の検証につながり、また、それらの違いが実証されれば、物質-反物質の非対称性の説明が可能になります。

共同研究グループは、今回、陽子の磁気モーメントを直接、高精度に測定することに挑みました。陽子の磁気モーメントを測定する方法には、直接測定と陽子の代わりに水素原子を使う間接測定があります。間接測定では、その結果に対して理論的な補正を行う必要があるため、実験結果だけではなく補正を行うための物理学理論も正しくなければなりません。これに対し直接測定は、物理学理論に左右されることなく結果を導き出すことができるとともに、間接測定の際に用いた物理学理論の真偽を検証することができます。

研究手法と成果

陽子の磁気モーメントは、陽子が磁場の中で受けるトルク[7]の強さを表します。しかしその値は極めて小さく、例えば陽子を1つの磁石とみなすと、受ける磁気モーメントの強さは、方位を見るのに使う一般的なコンパスの針が受ける磁気モーメントの強さの1024分の1と極めて微小です。このため、陽子の磁気モーメントを正確に求めるには超高感度の計測装置が必要になります。

共同研究グループは、磁場と電場で荷電粒子を捕獲するペニングトラップという装置を用い、その中に1個の陽子を閉じ込めました。ペニングトラップ中の陽子は、振り子のように振動します。この振動運動はペニングトラップの電極に、数フェムトアンペア(1フェムトアンペアは1,000兆分の1アンペア)の微小な電流を流して発生させます。高感度な検出器を用いて、その微小な電流を検出することでペニングトラップ中の陽子の運動周波数を測ることができます。

ここでさらに、磁気モーメントを求めるためには、運動周波数に加えてラーモア周波数[8]を測る必要があります。この周波数は磁気モーメントの向きを測定することができる「連続シュテルンーゲルラッハ効果[9]」を用いて測ることができます。この手法を用いるには、不均一な磁場(マグネティックボトル)をペニングトラップに導入する必要があります(図1)。これにより、磁場方向に振動する陽子の運動周波数が、磁気モーメントの方向によって変化します。その磁気モーメントの向きの変化確率をRFドライブ周波数[10]の関数として測定することで、ラーモア周波数が決まります。ラーモア周波数と磁場中における陽子の運動周波数の比を用いて磁気モーメントを計算します。

しかし、陽子の磁気モーメントの強さは前述の通り極めて小さいので、測定が難しい上、陽子の磁気モーメントの方向の決定に用いるマグネティックボトルが運動周波数とラーモア周波数の両方の測定を妨げるため、測定の精度を上げることが困難です。共同研究グループは、この問題を克服するため、運動周波数とラーモア周波数の精密測定だけを行う均一磁場中にあるトラップと、磁気モーメントの方向を測定する強磁場のマグネティックボトルを導入したトラップの2つのトラップを用いる「ダブルペニングトラップ法」を開発しました(図2)。

ダブルペニングトラップ法によって、陽子の磁気モーメントを高精度かつ直接的に測定した結果、3.3ppbという相対誤差を得ました。これにより従来のペニングトラップによる直接測定の精度を約760倍引き上げ、同時に、42年前に行われた間接測定の精度よりも2.5倍高めることに成功しました。さらに、間接測定の際に用いた理論的補正が正しいことも証明することができました。

今後の期待

共同研究グループは、現在、ダブルペニングトラップ法を反陽子の磁気モーメントの直接測定に適用することを目指しています。反陽子の磁気モーメントはいまだに100万分の4.4の相対誤差レベルの精度にとどまっています。ダブルペニングトラップ法を用いることで、反陽子の磁気モーメントを従来より1000倍以上精度良く測定できる可能性があり、実現すれば物質-反物質対称性のより厳密な検証が期待できます。

原論文情報

  • A. Mooser, S. Ulmer, K. Blaum, K. Franke, H. Kracke, C. Leiteritz, W. Quint, C. C. Rodegheri, C. Smorra, J. Walz, "Direct high-precision measurement of the magnetic moment of the proton,"Nature 509, 596–599, doi: 10.1038/nature13388

発表者

理化学研究所
国際主幹研究ユニット・特別研究ユニット Ulmer国際主幹研究ユニット
特別研究員 クリスチャン・スモーラ

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

補足説明

  • 1.磁気モーメント
    陽子の内部にはコンパスの針のようなものがあり、磁気モーメントはそのコンパスの針が磁場の中で受けるトルクの強さを表す。素粒子物理学によると、スピンを持つ全ての荷電粒子は磁気モーメントを持っていて、陽子と反陽子もこれに含まれる。
  • 2.反物質
    反粒子からできている物質。粒子と反粒子は同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号は逆である。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ反陽子である。従って、陽電子と反陽子は一番単純な反物質の原子である反水素(反陽子を原子核とし、陽電子はその束縛状態)を形成することができる。
  • 3.物質-反物質非対称性
    理論上、物質と反物質は対になって現れるか、あるいは対になって消えることしかできない。宇宙の始まりでは同量の物質と反物質が現れたと考えられるので、物質と反物質は同じ量残っていると予想することができる。しかし、現在の宇宙は物質だけで成り立っている。反物質で成り立つ星の痕跡や兆候は観測されておらず、この理論的な予想に反する事実を、宇宙の物質-反物質非対称性という。
  • 4.素粒子物理の標準理論
    標準理論は重力を除く素粒子間の基本的な相互作用についての理論であり、現代物理学の根底に位置する。しかし、宇宙の物質-反物質非対称性に関して標準理論では説明することができない。これにより、多くの科学者は標準理論に足りないプロセスを追究し、非対称性について説明することを試みている。その可能性の1つに、CPT対称性の破れがある。
  • 5.CPT対称性、CPT変換
    物理学において最も基本的だと考えられている対称性。荷電共役変換(C)、空間反転(P)、時間反転(T)の3つの変換を同時に行うことを意味する。陽子と反陽子の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになる。
  • 6.ぺニングトラップ
    ペニングトラップは、荷電粒子を捕獲する装置で磁場と電場から構成される。磁場は荷電粒子を磁場の向きに沿って巻きつくように作用し、電場は最低3つの電極からなり、荷電粒子を磁場の向きに逃げないように捕獲する。ペニングトラップは荷電粒子の質量や磁気モーメントの高精度測定に用いられる。
  • 7.トルク
    力学的な物理量であり、回転軸の周りの力のモーメントを表す。トルクは回転運動の速度を速めたり遅めたりすることが可能である。
  • 8.ラーモア周波数
    量子力学的な効果により、陽子の磁気モーメントの向きは磁場の向きにそろえることができない。陽子の磁気モーメントは磁場に垂直な成分を持ち、これが磁場からトルクを受ける。その結果、磁力線の周りに沿って磁気モーメントは歳差運動をする。この歳差運動の周波数をラーモア周波数という。
  • 9.連続シュテルン-ゲルラッハ効果
    従来のシュテルン-ゲルラッハ効果は、原子ビームが強い不均一磁場中を通過するとき、いくつもの軌道に分裂する現象を指す。これは、磁気モーメントが量子化されていることを最初に示した歴史的な実験である。それに対し、連続シュテルン-ゲルラッハ効果は1989年にノーベル物理学賞を受賞したアメリカのハンス・デーメルト博士が提唱したものであり、1個の荷電粒子が持つ磁気モーメントの向きを決定するために用いられる。そのためには、不均一磁場を発生するマグネティックボトルをペニングトラップに導入する必要がある。従来の手法と決定的に異なるのは、非破壊的な測定法であることであり、同じ粒子に対して何度も適用することが可能。さらに、従来の手法では、磁気モーメントの向きが反転したことを確かめるにあたって、粒子の軌道変化を観測していたのに対し、連続シュテルン-ゲルラッハ効果はトラップ中の粒子の周波数変化を観測する。
  • 10.RFドライブ周波数
    陽子の磁気モーメントの向きは、ラジオ周波数発生装置から発生する交流磁場を照射することで反転させることができる。この交流磁場をRFドライブと呼ぶ。磁気モーメントの向きを反転させるためには、RFドライブの周波数を陽子のラーモア周波数と等しくしなければならない。
マグネティックボトルを導入したぺニングトラップの模式図の画像

図1 マグネティックボトルを導入したぺニングトラップの模式図

不均一磁場(マグネティックボトル)をペニングトラップに導入すると、磁場方向に運動する陽子の調和振動運動の周波数が、磁気モーメントの方向によって変化する。それで1つの陽子の磁気モーメントの方向を決定することができる。
マグネティックボトル:図中の青い線。陽子:図の中心にある赤い丸。

陽子の磁気モーメントを測定した際に用いたダブルペニングトラップの装置の写真

図2 陽子の磁気モーメントを測定した際に用いたダブルペニングトラップの装置

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