理化学研究所(理研)光量子工学研究センター先端レーザー加工研究チームの杉岡幸次チームリーダーらの研究チーム※は、異なるフェムト秒レーザー[1]加工技術を融合することにより、ごく微量の有害物質をリアルタイムで検出できる「3次元マイクロ流体表面増強ラマン散乱(SERS)[2]センサー」を開発しました。
本研究成果は、大気、水、土壌、食品などに含まれるごく微量の有害物質を、その場でリアルタイムに検出する技術への応用が期待できます。
今回、研究チームは、3次元ガラスマイクロ流体チップ[3]内に、SERSセンサーを集積することを提案しました。まず、3次元マイクロ流体構造をガラスマイクロチップ内に構築し、さらに流体構造内部の所望の位置に、金属薄膜を選択的に堆積しました。そして堆積した金属薄膜に、金属のナノドット周期構造[4]を形成しました。これら一連のプロセスは、1台のフェムト秒レーザーで行うことができます(全フェムト秒レーザー加工)。形成したナノドット周期構造がSERSセンサーとして機能し、ガラス基板上でのラマン散乱[5]と比較して7.3×108倍のラマン散乱強度の増強が得られました。その結果、10ppb(1ppbは10億分の1)の検出感度で、異なる濃度のカドミウムイオン(Cd2+)をリアルタイムで検出できました。
本研究は、ドイツの科学雑誌『Advanced Functional Materials』(4月23日付)に掲載されました。
※研究チーム
理化学研究所 光量子工学研究センター 先端レーザー加工研究チーム
チームリーダー 杉岡幸次(すぎおか こうじ)
研修生(研究当時) バイ・シ(Bai Shi)
基礎科学特別研究員 ゼリーン・ダニエラ(Serien Daniela)
背景
大気、水、土壌、食品などに混入した有害物質は、たとえその量がごく微量であっても、その蓄積により人体の健康に大きな影響を与えます。安全、安心、健康な社会を実現するには、本来混入してはならない有害物質を高感度で検出する技術の開発が必要です。
表面増強ラマン散乱(SERS)は、ナノサイズの金属構造表面に吸着したごく微量の物質を検出する手法として知られています。実験上、SERSは、バルク基板上のラマン散乱と比較して、ラマン散乱強度(検出感度)を106~108倍に増強することができ、高感度な分析を可能にします。
一方、物質中に含まれるごく微量の有害物質をリアルタイムに検出するためには、SERSセンサーに対象となる物質を連続的に供給しつつ分析を行う必要があります。SERSセンサーに連続的に物質を供給する手法として、マイクロ流体チップ内の流路内壁にSERSセンサーを集積し、流路に測定物質を連続的に導入することが試みられています。しかし、ほとんどの場合、マイクロ流体チップの基板としてポリジメチルシロキサン(PDMS)が用いられていますが、PDMS自体がラマン散乱信号を発生し、検出したい有害物質のラマン信号と干渉するという問題があります。
そこで研究チームは、PDMSの代わりに、ラマン信号を発生しないガラスをマイクロ流体チップの基板に用いることを提案し、マイクロ流体SERSセンサーの開発を試みました。研究手法と成果
有害物質の検出は、人体への影響を避けるため閉空間で行う必要があります。そのため、マイクロ流体チップの構造は、基板中に埋め込まれた3次元構造を持つ必要があります。
研究チームは、まず感光性ガラスにフェムト秒レーザー直描後、フッ酸エッチングを行うことにより、3次元流体構造を形成しました(図1(a)(b))。その後、同じフェムト秒レーザーを用いて、流体構造内部を選択的にアブレーション[6]し、無電解メッキを施すことにより、アブレーション領域のみに選択的に金属薄膜を堆積させました(図1(c)(d))。まず銅(Cu)を堆積し、その後Cuを銀(Ag)で被覆しました。Cuの堆積は、ガラス基板と金属の強い接合強度を得るために必要です。一方Agは、SERSに一般的に用いられる金属の一つです。以上の二つの工程における加工(3次元流体構造作製と選択的金属薄膜堆積)は、研究チームがこれまでに開発した技術です。その後、直線偏向[7]のフェムト秒レーザー光を、堆積した金属薄膜にアブレーション閾値程度の強度で照射し、周期的ナノリップル構造[8]を形成しました(図1(e))。
フェムト秒レーザーを用いて形成されるナノリップル構造の周期は、レーザーの波長よりはるかに小さく、その方向はレーザーの偏向方向に垂直です。さらに、形成されたナノリップルに、偏向方向を90°回転したフェムト秒レーザー光を再び照射することにより、周期的ナノドット構造を形成しました(図2)。形成されたナノドットを走査型電子顕微鏡で観測したところ、ナノドットの平均サイズは約250ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)と極小であること、さらに重要な点は各ドット間の間隔(ギャップ)が、約50nmしかないことが分かりました。
また、これら一連のプロセスの長所は、1台のフェムト秒レーザーで行える(全フェムト秒レーザー加工)ということです。
続いて、テスト試料として染料の一種であるローダミン6G[9]を用いて、マイクロ流体SERSセンサーの性能を評価しました。その結果、ガラス基板上でのラマン散乱と比較して、7.3×108倍の強度の増強を実現しました(図3)。この増強度は、これまで実験的に得られたラマン散乱増強度の中でも、最大の部類に属します。
また、SERSセンサーの検出位置による散乱強度のばらつきを評価した結果、実用的な応用に十分な8.8%以下であることを実証しました。このような大きい増強度が得られたのは、形成されたナノドット間の約50nmのギャップにおいて、ラマン分光に用いたレーザー光の電界強度[10]が大幅に増強され、ホットスポット[11]が生成されたためと考えられます(図4)。
最後に、マイクロ流体SERSセンサーを用いて、カドミウムイオン(Cd2+)の高感度なリアルタイム検出を試みました(図5)。Cd2+の検出には、色素の一種であるクリスタルバイオレットのラマン散乱強度が、Cd2+の濃度に応じて減少するという現象を利用し、Cd2+濃度10ppb(1ppbは10億分の1)の検出感度を確認しました。Cd2+溶液の濃度を、時間とともに10ppbから10ppm(1ppmは100万分の1)まで変化させて、マイクロ流体SERSセンサーに導入したところ、濃度に応じたラマン散乱強度の時間変化が確認され、有害物質を超高感度でリアルタイムに検出が可能なことを実証しました(図6)。
今後の期待
研究チームが開発した技術は、通常の加工プロセス(フォトリソグラフィーを用いた半導体プロセス[12])と比較すると、大幅に加工ステップ数を削減できました。具体的には、半導体プロセスでは20以上のステップが必要なのに対し、全フェムト秒レーザー加工技術では7ステップでマイクロ流体SERSセンサーの作製が可能となります。また加工時において、真空や特殊な雰囲気ガスも必要としません。
マイクロ流体SERSセンサーを用いれば、大気、土壌、水、食品などに含まれたごく微量の有害物質を、高速・超高感度にリアルタイムで検出するできます。また、常温での保存や、持ち運びのうえ現場での利用も可能であり、長期間にわたって繰り返し使用することもできます。
また、ごく微量な有害物質の検出だけでなく、病気の早期発見・診断等医療用チップとしての利用も考えられ、安全、安心、健康な社会の実現に貢献すると期待できます。
原論文情報
- Shi Bai, Daniela Serien, Anming Hu and Koji Sugioka, "Three-dimensional microfluidic SERS chips fabricated by all-femtosecond-laser-processing for real-time sensing of toxic substances", Advanced Functional Materials, 10.1002/adfm.201706262
発表者
理化学研究所
光量子工学研究センター 先端レーザー加工研究チーム
チームリーダー 杉岡 幸次(すぎおか こうじ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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補足説明
- 1.フェムト秒レーザー
パルス幅が数十~数百フェムト秒(フェムト=1x10-15)のレーザー。パルス幅が極めて短いため、非常に高いピークパワー(パルスエネルギーをパルス幅で割ったもの)を持ち、それを集光することにより容易に数十ペタワット/cm2(ペタ=1015)のピーク強度が得られる。その結果、透明材料に多光子吸収を誘起でき、透明材料内部の3次元加工を実現する。 - 2.表面増強ラマン散乱(SERS)
ナノスケールの構造を持つ貴金属などの表面に分子が吸着したとき、バルク基板上と比べてラマン散乱の強度が大きく増幅される現象。SERSは、Surface-Enhanced Raman Scatteringの略。 - 3.3次元ガラスマイクロ流体チップ
マイクロ流体チップとは、ガラスや半導体基板、あるいはポリマーに微小流路や反応容器を作製し、生物研究や化学工学へ応用するためのマイクロデバイス。3次元ガラスマイクロ流体チップとは、ガラス基板内部に微小流路や反応容器を埋め込んだ流体チップ。 - 4.ナノドット周期構造
ナノドットとは、おおむね数百ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)以下の寸法の粒子状の構造。ナノドットを周期的に配置したものがナノドット周期構造。本成果では、2次元アレイ状に配置された構造を用いている。 - 5.ラマン散乱
光を物質に照射すると、光が物質と相互作用することで入射光と異なる波長を持つ光(ラマン散乱光)が放射される。その波長差は、物質が持つ分子振動のエネルギー分に相当するため、分子構造の異なる物質間で、異なる波長を持ったラマン散乱光が得られる。それにより、物質の同定や相対的濃度の計算が可能である。 - 6.アブレーション
固体の表面がプラズマ化し、原子、分子、クラスターが蒸発して固体表面が削り取られる現象。 - 7.直線偏向
光などの電磁波は、電場と磁場とが振動しながら進む横波である。電場や磁場が一周期進む間に、電場の向きが光の進行方向の軸の周りを一回転しながら進む光を円偏光、一方、電場の振動面が一方向に限られている光を直線偏光と呼ぶ。 - 8.周期的ナノリップル構造
ナノ周期の凹凸の線上の構造。アブレーション閾値程度の直線偏向のフェムト秒レーザーを物質表面に照射すると、波長の1/2~1/10程度の周期構造が形成される。形成される線上の構造は、レーザーの偏向方向に対して垂直である。 - 9.ローダミン6G
アミノフェノール類と無水フタル酸を縮合して得られる鮮紅色の塩基性染料。蛍光性があり、蛍光色素やレーザー色素として用いられるほか、分析のテスト試料としても広く用いられている。 - 10.電界強度
光は電磁波であり、電場と磁場の大きさが周期的に変化する波である。電磁波が伝播したときに、ある地点における電場の強度を電界強度という。 - 11.ホットスポット
金属ナノ構造に光を照射した際に、非常に近接した金属ナノ構造同士の間では、電界強度が高いホットスポットが生じる。 - 12.半導体プロセス
電子機器に搭載される集積回路の製造用に開発されたプロセスで、洗浄、成膜、エッチング、レジストコーティング、露光、レジスト剥離などを、連続あるいは繰り返して行う。マイクロ流体チップなどバイオチップの作製にも応用されている。
図1 全フェムト秒レーザー加工技術によるマイクロ流体SERSセンサーの作製手順
まず、(a)感光性ガラスにフェムト秒レーザー直描後、(b)フッ酸エッチングにより3次元流体構造を形成する。(c)同じフェムト秒レーザーを用いて、流体構造内部を選択的にアブレーションし、(d)無電解メッキを行うことにより、アブレーション領域のみに選択的に金属薄膜(銅と銀)を堆積させる。(e)直線偏向のフェムト秒レーザー光を、堆積した金属薄膜にアブレーション閾値程度の強度で照射し、周期的ナノリップル構造を形成する。
図2 直線偏向フェムト秒レーザー光ダブル照射による周期的ナノドット構造の形成
- 左: 試料(Ag/Cu薄膜)を真上から観察した走査型電子顕微鏡写真。ナノドットの平均サイズは約250nmである。
- 右: 試料を45°傾けて観察した走査型電子顕微鏡写真。各ドットの間隔は約50nmしかない。
図3 作製したマイクロ流体SERSセンサーの性能評価
作製したマイクロ流体SERSセンサーにより、10-5~10-9Mの濃度のローダミン6Gを測定したラマンスペクトル。挿入図は、ガラス基板上のローダミン6G(10-2M)のラマンスペクトル。ガラス基板上のラマンスペクトルと比較して、7.3×108倍のラマン散乱強度の増強を実現した。
図4 Ag/Cu周期的ナノドット構造よる電界増強のシミュレーション結果
図中の黒い部分がAg/Cuナノドットアレイ。Ag/Cuナノドット近傍において、電界増強が確認される(明るい赤の部分)。さらに、隣接するナノドットの間において極めて強く電界増強が増強され(黄色の部分)、ホットスポットが生成されている。左下は、ナノドット構造を上から見たところで、黄色の部分がホットスポットである。
図5 3次元マイクロ流体SERSセンサーによる微量有害物質のリアルタイム検出
Ag/Cuナノドット周期構造(右上写真)を集積化した3次元ガラスマイクロ流体チップ(中央)に、10 ppb(0.01ppm)から10 ppmの異なる濃度のCd2+溶液を、シリンジポンプにより連続的に導入する。導入されたCd2+溶液をペリスタルティックポンプにより反対側から吸引しつつラマン分光を行うことにより、Cd2+のリアルタイム検出を行った。
図6 作製したマイクロ流体SERSセンサーを用いたCd2+の高感度リアルタイム検出
Cd2+溶液の濃度を、時間とともに10ppb(0.01ppm)から10ppmまで変化させて、マイクロ流体SERSセンサーに導入したところ、濃度に応じたラマン散乱強度の時間変化が確認され、超高感度でリアルタイムに検出できた。