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2018年5月30日

理化学研究所
東京大学
科学技術振興機構
ルール大学ボーフム校

隣り合わないスピン量子ビット間の量子もつれ生成に成功

-半導体量子コンピュータの大規模化に道筋-

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの中島峻研究員、樽茶清悟グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)、ルール大学ボーフム校のアンドレアス・ウィック教授らの国際共同研究グループは、三つの電子スピン[1]量子ビット[2]を擁する半導体量子ドット[3]デバイスにおいて、隣り合わない(非隣接)量子ビット間に「量子もつれ[4]状態」を生成・観測することに成功しました。

本研究成果は、半導体量子ドットを用いた量子コンピュータの大規模化に向けた基本設計の道筋を示したといえます。

今回、国際共同研究グループは、半導体量子ドット構造中に三つの電子スピン量子ビットを形成し、隣り合わないため直接相互作用のない量子ビット間で量子もつれ状態を生成することに成功しました。量子ドット間のエネルギー差を電気的に制御することにより、隣接量子ビット同士の量子もつれ状態を、その品質を保ったまま非隣接量子ビット間の量子もつれ状態に変換しました。通常、量子もつれ状態は環境の雑音に対して非常に脆弱ですが、逆に量子もつれ状態の生成効率を向上させるために雑音が利用できることも発見しました。

本研究は、英国の科学雑誌『Nature Communications』オンライン版(5月30日付け:日本時間5月30日)に掲載されます。

※国際共同研究グループ

理化学研究所 創発物性科学研究センター
量子機能システム研究グループ
研究員 中島 峻(なかじま たかし)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
(東京大学大学院 工学系研究科 教授)
量子凝縮物性研究グループ(研究当時)
客員研究員(研究当時) シェドン・フー(Xuedong Hu)
(現ニューヨーク州立大学 バッファロー校 教授)
グループディレクター(研究当時) フランコ・ノリ(Franco Nori)
(現開拓研究本部 Nori理論量子物理研究室 主任研究員)
ルール大学 ボーフム校
教授 アンドレアス・ウィック(Andreas D. Wieck)

※研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(研究代表者:樽茶清悟)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究S「量子対の空間制御による新規固体電子物性の研究(研究代表者:樽茶清悟)」およびJSPS科学研究費補助金基盤研究B「電子スピン量子計算の実現に向けたフィードフォワード制御(研究代表者:中島峻)」による支援を受けて行われました。

背景

半導体デバイスの微細化による情報処理能力の向上が限界を迎えつつある中で、全く新しい動作原理に基づく次世代型コンピュータの実現が切望されています。なかでも量子力学の原理に基づき、複数の情報を同時に符号化することで超並列計算を実行する量子コンピュータが近年注目され、実用化に向けた研究開発が世界的に加速しています。

さまざまな方式によるシステムの研究が進められていますが、特に半導体をベースとする電子スピン量子コンピュータ(半導体量子コンピュータ)は既存産業の集積回路技術と相性が良く、大規模量子コンピューティングデバイスの作製に適していると考えられています。一方で半導体量子コンピュータの実現には、複数の量子ビットの間で量子力学的な相関がある状態(量子もつれ状態)を効率良く生成することが鍵となります。量子コンピュータにおいては、この量子もつれ状態を利用することで指数関数的に計算能力を増大できます。

従来、電子スピン量子ビットの量子もつれ状態は、量子ドット間の交換相互作用を利用して制御されてきました。交換相互作用とは、隣接する二つの電子スピンの向きが互いに同じ方向、あるいは反対方向に揃うように働く相互作用です。

しかし、この方法では隣接する量子ビット間でしか量子もつれ状態を作れないので、隣り合わない量子ビット間で量子もつれ状態を作るには、交換相互作用の精密な制御を多数回繰り返す必要があり、信頼性のある方法で実装することが困難です。このことは半導体量子コンピュータの大規模化を目指す上で、大きな障害となっていました。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、ルール大学ボーフム校でアンドレアス・ウィック教授らのグループが作製した高品質なGaAs/AlGaAs(砒化ガリウム/砒化アルミニウムガリウム)ヘテロ接合基板上に、電子線リソグラフィー[5]による微細加工を施すことで三重量子ドット構造を形成しました(図1左)。そして、独自に開発した微小磁石による漏れ磁場[6]を利用した方法により、三つの電子スピンを個別の量子ビットとして制御できることを確認しました。

次に、非隣接量子もつれ状態を効率的に生成する手法として、一つの量子ドット中で局所的に形成した量子もつれ状態を、順次隣接する量子ビットに転送する新しい制御方法を開発しました。まず、単一の量子ドット中に二つの電子スピンを閉じ込めることで、量子もつれ状態の一つであるスピン一重項[7]状態(電子スピンが反平行でスピンの入れ替えに対して反対称)を簡便かつ確実に準備できます。この2電子のうちの一つを隣接する量子ドットに転送することで、中央と右の隣接する2量子ビットの量子もつれ状態を生成しました(図1右)。

隣接2量子ビットの量子もつれ状態が正しく生成されたことは、準備したスピン一重項状態ともう一つ別の量子もつれ状態であるスピン三重項[7]状態(スピンの入れ替えに対して対称)が周期的に入れ替わるように振動する(コヒーレント振動[8])様子を観測することで確認できました(図2下段)。

続いて、パルス電圧操作によって量子ドットのエネルギー状態をゆっくりと変化させることにより、左と中央の電子を元の位置に留めたまま、スピンだけを入れ替える新しい手法を適用しました。この結果、中央と右の隣接量子ビット間に形成された量子もつれ状態が、隣接しない左と右の量子ビットの間で量子もつれ状態に変換されました。この量子もつれ状態の品質が保たれていることは、再びスピン一重項・三重項間のコヒーレント振動を観測することによって確認しました(図2上段)。

さらに詳しいデータの解析を行うと、この手法による非隣接量子もつれ状態の生成効率は当初予想されていた値を大きく上回ることが分かりました。その理由を解明するため、理研で数値シミュレーションを行い実験結果と比較しました(図3)。その結果、環境の電気的雑音によって量子もつれ状態の生成が加速されるという予想外の結果が明らかになりました。

量子系に特有な量子もつれ状態などの品質が保たれる度合いを、量子コヒーレンスといいます。一般に量子コヒーレンスは環境の雑音に対して極めて脆弱であり、量子系が環境の雑音にさらされると、量子コヒーレンスが失われてしまうデコヒーレンスが起こります。そのために量子コンピュータの実現には超低雑音・極低温の環境が必要と考えられています。

本研究では、デコヒーレンスの結果現れる量子ゼノ効果[9]によって、隣接量子ビット間でのスピンの入れ替え操作が効率化されていることが分かりました。つまり、雑音によるデコヒーレンスが非隣接量子もつれ状態の生成を補助するという、直感に反する効果を実証したことになります。

今後の期待

本研究では、三つの電子スピン量子ビットを擁する半導体量子ドットデバイスにおいて、電圧パルスによる新しい制御手法を用いることで、隣り合わない量子ビットの間に量子もつれ状態を実現しました。さらに予想外の結果として、量子もつれ状態の生成を効率化するために環境の雑音を利用できることを明らかにしました。

この新しい非隣接量子もつれ状態の生成手法は、半導体量子コンピュータの大規模化に向けた開発をさらに加速させるものと期待できます。また、雑音が量子もつれ状態の生成を補助するという事実の解明は、雑音の多い高温固体デバイスや生体内の電荷輸送現象などにおいて発現する量子効果の探索に大きく貢献すると期待できます。

原論文情報

  • Takashi Nakajima, Matthieu R. Delbecq, Tomohiro Otsuka, Shinichi Amaha, Jun Yoneda, Akito Noiri, Kenta Takeda, Giles Allison, Arne Ludwig, Andreas D. Wieck, Xuedong Hu, Franco Nori and Seigo Tarucha, "Coherent transfer of electron spin correlations assisted by dephasing noise", Nature Communications, 10.1038/s41467-018-04544-7

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研究員 中島 峻(なかじま たかし)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
(東京大学大学院工学系研究科教授)

ルール大学ボーフム校
教授 アンドレアス・ウィック(Andreas D. Wieck)

中島 峻研究員の写真 中島 峻
樽茶 清悟グループディレクターの写真 樽茶 清悟

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715
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※上記の[at]は@に置き換えてください。

補足説明

  • 1.電子スピン
    電子が右回りまたは左回りに自転する回転の内部自由度のこと。この回転の向きに応じて上向きまたは下向きの矢印で表される。
  • 2.量子ビット
    電子スピンの向きなどに符号化された情報の最小単位のこと。通常のデジタル回路では「0か1か」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態を任意の割合で組み合わせて表現することができる。電子スピンによる量子ビットでは、これは「右回りでありかつ左回りである」状態に相当し、任意の向きの矢印によって表現される。
  • 3.量子ドット
    電子を3次元の全ての方向に閉じ込めることでその運動を制限し、0次元構造としたもの。その性質から人工原子とも呼ばれ、余分な運動の自由度をなくすことで制御性が向上する。
  • 4.量子もつれ
    複数の量子ビットの間に生じた量子力学的な相関のこと。今回の場合、二つの量子ビットが「各々0か1かは不確定(どちらの可能性もあり得る)」であるが、「一方が0で他方が1であることは確定していて相関がある」ような状態を指す。量子コンピュータにおいては、量子ビットの間に生じた量子もつれを利用することで指数関数的な計算能力の増大が得られる。
  • 5.電子線リソグラフィー
    感光性の高分子剤をマスクとして使い、基板に微細なパターンを構築する技術。被加工材料(一般には平面上の基板)に、電子線に感受性を持つマスキング剤(一般にレジストと呼ばれる)を塗布し、このマスキング剤を光や電子線で感光しパターニングしたのち、金属薄膜などで被加工材料にパターンを転写する。
  • 6.漏れ磁場
    微細加工により形成した微小磁石が磁化することによって生じる磁場。微小磁石の構造に応じて不均一に分布した磁場が生じ、この磁場中で電子を動かすことにより、スピンの向きを制御することができる。
  • 7.スピン一重項、スピン三重項
    二つの電子スピンの全スピン角運動量が0(一重項)および1(三重項)の状態のこと。スピン一重項は、二つのスピンが反平行な量子もつれ状態の一つでもある。また、スピン三重項のうち磁場と平行なスピン成分が0になっているものも、別の量子もつれ状態の一つになっている。
  • 8.コヒーレント振動
    二つの電子スピンが量子コヒーレンスを保ったまま時間変化することで、スピン一重項状態と三重項状態の間で周期的に入れ替わるように振動する現象。
  • 9.量子ゼノ効果
    環境の雑音や量子系の測定によって生じるデコヒーレンスの結果、量子ビットの時間変化が阻害されて元の状態に留まろうとする効果のこと。その性質から番犬効果とも呼ばれる。
3量子ビットを擁する半導体量子ドット試料(左)と量子もつれ生成メカニズム(右)の画像

図1 3量子ビットを擁する半導体量子ドット試料(左)と量子もつれ生成メカニズム(右)

  • 左: 半導体基板(GaAs/AlGaAs)上に蒸着した金属ゲート電極構造(白色の領域)に電圧をかけ、青丸で示した各量子ドットに電子を一つずつ閉じ込める。半透明のオレンジ色の領域に形成したコバルト製の微小磁石による漏れ磁場を使うことで、三つの電子スピンを個別の量子ビットとして制御する。左上の赤丸で示した量子ドットは量子ビットのスピン状態を読み出すための電荷計として用いられる。
  • 右: ゲート電極に適切なパルス電圧を加えることで、非隣接電子スピン間の量子もつれ状態を作ることができる(黄色の破線でつながれた2つの青矢印)。上段は右端の単一量子ドット中に形成された量子もつれ状態、中段は隣接する二つの量子ドット(中央・右)に形成された量子もつれ状態、下段は非隣接量子ドット間(左・右)に形成された量子もつれ状態を表している。
隣接(下)および非隣接(上)量子ビット間の量子もつれ状態コヒーレント振動の画像

図2 隣接(下)および非隣接(上)量子ビット間の量子もつれ状態コヒーレント振動

二つの量子ビットの間に形成された量子もつれ状態の一種である、スピン一重項とスピン三重項状態が周期的に入れ替わるようにコヒーレント振動する様子が見られる。量子ビットの位置に応じて異なる磁場の大きさに対応した振動数で振動するため、振動数の違いから量子もつれ状態が形成されている量子ビットを区別することができる。上は左と右の量子ビットに形成された非隣接量子もつれ、下は中央と右の量子ビットに形成された隣接量子もつれを示している。

量子もつれ状態コヒーレント振動の測定結果(左)と数値シミュレーション(右)の画像

図3 量子もつれ状態コヒーレント振動の測定結果(左)と数値シミュレーション(右)

量子ドット間のエネルギー差(離調)を変えながらコヒーレント振動を観測することで、量子状態の時間変化を探ることができる。実験結果(左)を数値シミュレーション(右)と比較すると、環境の雑音の影響により破線で囲った領域の振る舞いに変化が見られることが分かる。現実の実験状況に近い強い雑音がある場合には、非隣接量子もつれ状態に対応する振動が、実験結果とよく一致している。それに対し、弱い雑音を仮定した場合には対応する振動が現れない。

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