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2020年5月4日

理化学研究所

父親への精神ストレスが子供の代謝に影響する機構を解明

-精神ストレスによるエピゲノム変化が遺伝する-

理化学研究所(理研)開拓研究本部眞貝細胞記憶研究室の成耆鉉協力研究員、石井俊輔研究員らの共同研究グループは、モデル生物ショウジョウバエを用いて、父親への精神ストレスが生殖細胞でエピゲノム[1]変化を誘導し、それが精子を介して子供に伝わり、子供での遺伝子発現と代謝の変化を誘導することを明らかにしました。

本研究成果は、「親の環境要因が子供の成人病などの疾患発症に影響する」という胎児プログラミング仮説[2]のメカニズムを明らかにするもので、生活習慣病などの発症予防に貢献すると期待できます。

今回、共同研究グループは、父親ショウジョウバエに強い精神ストレスの一つである拘束ストレスを与えると、子供の解糖系[3]などの代謝系遺伝子の発現が変化すること、転写因子[4]dATF-2[5]変異体の父親ショウジョウバエを用いると、発現変化が起きないことを見いだしました。拘束ストレスにより、父親の体細胞組織でサイトカイン[6]インターロイキン-6(IL-6)[7]ホモログ[8]upd3が誘導され、この刺激により生殖細胞で、ストレス応答性リン酸化酵素p38が活性化されることを明らかにしました。これまでの研究から、p38が活性化されると、dATF-2がリン酸化され、標的遺伝子から遊離し、エピゲノム変化(ヒストンH3K9のジメチル化[9]レベルの低下)が起こることが分かっており、この変化が精子を経て、受精卵に伝わり遺伝子発現変化を誘導すると考えられます。

本研究は、科学雑誌『Communications Biology』の掲載に先立ち、オンライン版(5月4日付)に掲載されます。

父親への精神ストレスが生殖細胞でのエピゲノム変化を誘導し、子供に影響するメカニズムの図

父親への精神ストレスが生殖細胞でのエピゲノム変化を誘導し、子供に影響するメカニズム

背景

一連の疫学調査から得られていた「親の世代の環境要因が子供の疾患、特に糖尿病などの生活習慣病の発症頻度に影響する」という胎児プログラミング仮説が、最近実験動物を用いて分子生物学的に実証されています。しかし、親の世代の精神ストレスが子供の健康に影響するかについては、メカニズムが不明なこともあり、疑問視されてきました。

石井俊輔研究員らは、これまでに転写因子ATF2の関連因子であるショウジョウバエのATF2(dATF-2)とマウスなどの動物のATF7が、高温ストレス、感染、栄養条件などの環境要因によるエピゲノム変化の誘導に重要な役割を果たすことを明らかにしています注1、2、3)。そこで、共同研究グループは、ショウジョウバエを用いて、父親への精神ストレスが子供に影響する現象におけるdATF-2の関与について調べました。

研究手法と成果

最も強い精神ストレスの一つである拘束ストレスを与えるには、マウスではチューブに押し込むなどの条件が使われます。今回、ショウジョウバエでは、柔らかなスポンジでサンドイッチのように挟むことで、拘束ストレスを与えました。野生型とdATF-2ホモ変異体[10]の父親ショウジョウバエに、それぞれ拘束ストレスを与える条件と与えない条件で飼育し、その後雌ショウジョウバエと交配し、生まれた子供の遺伝子発現パターンを比較しました。

その結果、野生型父親ショウジョウバエに拘束ストレスを与えた場合では、与えない場合に比べ、279個の遺伝子の発現上昇と1,232個の遺伝子の発現低下が観察されました(図1左)。発現上昇する遺伝子にはone-carbon代謝系[11]遺伝子が多く含まれ、逆に低下する遺伝子には、解糖系、TCA回路[12]呼吸鎖電子伝達系[13]などの代謝系遺伝子が多く含まれていました。これにより、父親への精神ストレスは子供の代謝系に影響することが示されました。

一方、dATF-2ホモ変異体ショウジョウバエを父親として用いた場合には、拘束ストレスにより発現が上昇、低下する遺伝子は、それぞれ3個、1個だけでした(図1右)。この結果から、父親への拘束ストレスが子供に影響する現象には、dATF-2が必須であることが分かりました。

父親への拘束ストレスによる子供の遺伝子発現の変化の図

図1 父親への拘束ストレスによる子供の遺伝子発現の変化

野生型(左)とdATF-2ホモ変異(右)の父親ショウジョウバエに、拘束ストレスを与える条件と与えない条件で飼育し、その後雌ショウジョウバエと交配し、生まれた子供の遺伝子発現パターンを比較した。

さらに、4条件における子供の代謝産物を質量分析装置[14]を用いて解析したところ、遺伝子発現パターンの変化と一致して、複数の代謝系(解糖系、TCA回路、呼吸鎖電子伝達系など)で生じるATP、アセチルCoA、NADPHなどの量が、野生型父親への拘束ストレスにより低下していることが分かりました(図2)。父親への拘束ストレスにより、多くのone-carbon代謝系遺伝子の発現が上昇していましたが、グルコースはone-carbon代謝系と解糖系/TCA回路/呼吸鎖電子伝達系との二つの経路で代謝することから、one-carbon代謝系が活発になると、解糖系/TCA回路/電子伝達系の代謝産物が低下すると考えられます。

父親への精神ストレスによる子供の代謝産物の変化の図

図2 父親への精神ストレスによる子供の代謝産物の変化

野生型(左)とdATF-2ホモ変異(右)の父親ショウジョウバエに拘束ストレスを与える条件(+)と、与えない条件(-)で飼育し、その後雌ショウジョウバエと交配し、生まれた子供の代謝産物を質量分析装置により解析した。それぞれ6サンプルを解析した。解糖系、TCA回路、呼吸鎖電子伝達系の代表的な代謝産物を青字で示した。拘束ストレスを受けた野生型の父親ショウジョウバエでは、解糖系/TCA回路/呼吸鎖電子伝達系の代謝系産物の量が低下した(C1の範囲)が、one-carbon代謝系の代謝系産物の量は上昇した(C2の範囲)。

拘束ストレスを受けた父親から生まれた子供では、ATPレベルが低下したことから、農薬としても使われる呼吸鎖電子伝達系の阻害剤ロテノンで処理すると、さらにATPレベルが低下し、死にやすくなると予想されました(図3上)。実際に、拘束ストレスを受けた父親の子供にロテノンを与えると、死にやすいことが示されました(図3下)。

父親への拘束ストレスと子供のロテノン感受性の関係の図

図3 父親への拘束ストレスと子供のロテノン感受性の関係

  • (上)解糖系、TCA回路、呼吸鎖電子伝達系を介してATPが産生される。ロテノンは呼吸鎖電子伝達系を阻害する。
  • (下)野生型(左)とdATF-2ホモ変異体(右)父親ショウジョウバエに、拘束ストレスを与える条件(赤)と与えない条件(青)で飼育し、その後雌ショウジョウバエと交配し、生まれた子供のロテノン投与後の生存率を調べた。野生型父親に拘束ストレスを与えると、子供の生存率が低下した。dATF-2ホモ変異体父親に拘束ストレスを与えても、この現象にはdATF-2は必須であることから、子供の生存率にあまり違いはなかった。

次に、拘束ストレスにより父親の精巣生殖細胞で、どのような変化が起きているかを調べました。マウスなどの動物では、精神ストレスにより特異的なサイトカインが体細胞組織で誘導されることが分かっています。実際に、拘束ストレスにより野生型父親ショウジョウバエの精巣生殖細胞で、サイトカインのインターロイキン-6(IL-6)のショウジョウバエホモログであるupd3とspzが誘導されることが分かりました(図4上)。また、長時間の拘束ストレスが子供の遺伝子発現変化に効果的なのは、発現誘導が持続するupd3が原因であることが示唆されました。実際に、upd3を人為的に発現誘導したところ、拘束ストレスと同様の効果を示すことが分かりました。

さらに、upd3が精巣生殖細胞に作用し、細胞内シグナル伝達経路を介して、ストレス応答性リン酸化酵素p38を活性化することが示されました(図4下)。これまでの研究から、p38が活性化されると、dATF-2がリン酸化され、標的遺伝子から遊離し、エピゲノム変化(ヒストンH3K9のジメチル化レベルの低下)が起こることが分かっており、この変化が精子を経て、受精卵に伝わり遺伝子発現変化を誘導すると考えられます。

拘束ストレスによるupd3の誘導とp38の活性化の図

図4 拘束ストレスによるupd3の誘導とp38の活性化

  • (上)拘束ストレス開始後の二つのサイトカインホモログup3とspzの発現レベル。
  • (下)拘束ストレスを与えた場合(+)と与えない場合(-)で、生殖細胞のストレス応答性リン酸化酵素p38活性化を免疫染色(左)で調べ、定量した(右)。拘束ストレスを与えると、p38が活性化されたことが分かる。

以上のように、拘束ストレスはup3の発現誘導を介して、父親の生殖細胞においてp38の活性化、dATF-2のリン酸化、結合遺伝子からのdATF-2の遊離、H3K9me2レベルの低下を誘導し、それが精子を経て、受精卵に伝わり、子供の遺伝子発現を変化させ、代謝を変化させることが示されました。

今後の期待

「親の環境要因が子供の成人病などの疾患発症に影響する」という胎児プログラミング仮説がこれまで提唱されて来ましたが、本研究により精神ストレスが子供の代謝に影響するメカニズムの一端が解明されました。これにより、どのような精神ストレスが子供の糖尿病などの生活習慣病の発症に影響するかを科学的に解明する手がかりが得られました。今後の研究によって、より健康的な環境条件が解明されれば、サプリメントなどの開発へもつながると期待できます。

補足説明

  • 1.エピゲノム
    接頭辞「エピ(付加したの意)」と「ゲノム」をつないだ言葉で、DNAやDNAが巻き付くヒストンが化学修飾(メチル化など)された遺伝子情報。このような化学修飾情報のいくつかのものは、細胞分裂を超えて伝わる。またこのような情報は環境要因により変化し、それがさまざまな疾患の発症に影響することが示唆されている。
  • 2.胎児プログラミング仮説
    「低出生体重児は成人期に糖尿病などの生活習慣病発症リスクが高い」という疫学調査の結果をもとにした「将来の健康や疾患発症リスクが、胎児期や生後早期の環境の影響を受けて決定される」という説。食物やストレスなど後天的な要因によって起こるエピゲノム変化が疾患発症のリスクに影響すると考えられている。そして、このエピゲノム変化は世代を超えて遺伝しうることが議論になっている。
  • 3.解糖系
    グルコースをピルビン酸などの有機酸に分解し、グルコースに含まれる高い結合エネルギーを生物が使いやすい形に変換していくための代謝過経路。
  • 4.転写因子
    特定のDNA配列に結合するタンパク質で、プロモーターやエンハンサーといった転写制御領域に結合することで、RNAポリメラーゼによる遺伝子の転写を活性化あるいは不活性化する。
  • 5.ATF-2
    30年前に石井俊輔研究員らのグループにより初めて同定された転写因子。ショウジョウバエATF-2やマウスなど動物のATF7は、多様なストレスに呼応してストレス応答性リン酸化酵素p38でリン酸化されるという特徴を持つ。
  • 6.サイトカイン
    細胞同士の情報伝達に関わるさまざまな生理活性を持つ可溶性タンパク質の総称。
  • 7.インターロイキン-6(IL-6)
    炎症性サイトカインの一つで、種々の炎症性疾患に関与する。免疫や炎症、造血、骨代謝の調節を行う、生体に不可欠なサイトカイン。
  • 8.ホモログ
    進化系統上で同一の祖先から派生した、類似性の高い遺伝子などの一群。
  • 9.ヒストンH3K9のジメチル化
    ヒストンH3のN末端から9番目のリジン(K)のジメチル化(H3K9me2)のこと。H3K9me2は転写が不活発で、固い安定なクロマチン構造を形成する。このような構造は、体細胞分裂や生殖細胞での減数分裂を経ても安定に維持される。
  • 10.ホモ変異体
    二つのゲノムの両方に変異を持つ個体。ホモ変異体父親ショウジョウバエを野生型雌と交配させると、二つのゲノムのうち一つだけに変異を持つヘテロ変異体の子供が生まれる。
  • 11.one-carbon代謝系
    アミノ酸のセリンに由来する1個の炭素原子が,葉酸とメチオニンの代謝産物に受けわたされていく経路。
  • 12.TCA回路
    クエン酸回路とも呼ばれる。解糖や脂肪酸のβ酸化によって生成するアセチルCoAがこの回路で酸化され、電子伝達系で用いられるNADHなどが生じ、効率の良いエネルギー生産を可能にしている。
  • 13.呼吸鎖電子伝達系
    生物が好気呼吸を行うときの複数の代謝系の最終段階の反応系。電子がミトコンドリア内膜において伝達される過程で、ミトコンドリア内膜を挟んだプロトン勾配を形成し、そのプロトン駆動力によってATP合成酵素からATPを産生する。
  • 14.質量分析装置
    物質を原子・分子レベルの微細なイオンにし、その質量数と数を測定することにより、物質の同定や定量を行う装置。物質を構成する原子・分子を直接一つ一つイオン化して測定するため、超高感度な測定、物質同定が可能。

共同研究グループ

理化学研究所 開拓研究本部 眞貝細胞記憶研究室
研究員 石井 俊輔(いしい しゅんすけ)
協力研究員 成 耆鉉(ソン キヒョン)
研修生 ニュン・ホン・リー(Nhung Hong Ly)

東京大学 定量生命科学研究所
教授 白鬚 克彦(しらひげ かつひこ)
講師 中戸 隆一郎(なかと りゅういちろう)
助教 加藤 由紀(かとう ゆき)
技術職員 横田 直子(よこた なおこ)

慶應義塾大学 先端生命科学研究所
教授 曽我 朋義(そが ともよし)
特任教授 福田 真嗣(ふくだ しんじ)
特任講師 平山 明由(ひらやま あきよし)
特任助教 村上 慎之介(むらかみ しんのすけ)

山形大学大学院 理工学研究科
助教 姜 時友(カン シユウ)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「エピゲノム研究に基づく診断・治療へ向けた新技術の創出(研究総括:山本雅之)」の研究課題「環境要因によるエピゲノム変化と疾患(研究代表者:石井俊輔)」、および科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 さきがけ「生体における動的恒常性維持変容機構の解明と制御(研究総括:春日雅人)」の研究課題「胎児プログラミング仮説の分子機構の解明と医療への応用(研究代表者:成耆鉉)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

  • Seong KH, Ly NH, Katou Y, Yokota N, Nakato R, Murakami S, HirayamaA, Fukuda S, Siu Kang S, Soga T, Shirahige K, and Ishii S, "Paternal restraint stress affects offspring metabolism via ATF-2 dependent mechanisms in Drosophila melanogaster germ cells", Communications Biology, 10.1038/s42003-020-0935-z.

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 眞貝細胞記憶研究室
研究員 石井 俊輔(いしい しゅんすけ)
協力研究員 成 耆鉉(ソン キヒョン)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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