理化学研究所(理研)生命医科学研究センター基盤技術開発研究チームの桃沢幸秀チームリーダーらの国際共同研究グループは、約500頭のイヌを対象に、疾患と関わる臨床検査値[1]についてゲノムワイド関連解析(GWAS)[2]を行った結果、検査値の個体差に関連する一塩基多型(SNP)[3]を同定し、一つのSNPが及ぼす影響の大きさについてイヌとヒトとの違いを明らかにしました。
本研究成果は、疾患の遺伝的リスクに関連する特定のSNPの遺伝子型に従ってイヌを分類することで、イヌのみならずヒトの疾患発症や発症抑制のメカニズムを調べる研究モデルとなる可能性を示し、獣医療だけでなくヒトの医療の発展にも貢献すると期待できます。
イヌもヒトと同様に、疾患を診断するためにさまざまな臨床検査値を測定します。その検査値には個体差が存在し、ゲノム配列[4]の違いによる遺伝的な影響があると考えられています。
今回、国際共同研究グループは、欧州5カ国から提供された8犬種、計472頭のイヌを対象に、40項目の臨床検査値についてGWASを実施しました。その結果、アラニンアミノ基転移酵素(ALT)血中濃度、検査時のストレス反応、グルコースなどと関連する13個のSNPを同定し、一つのSNPが個体差に及ぼす影響が、イヌではヒトよりも数十倍以上大きいことを明らかにしました。
本研究は、科学雑誌『Scientific Reports』オンライン版(4月16日付)に掲載されました。
イヌのゲノム研究は獣医療だけでなくヒトの医療にも貢献する
背景
ヒトにとって身近な存在であるイヌの種類は、現在数百に上ります。犬種の形成過程では、体毛が特定の色や形態であることや体が大きく成長することなど、その犬種において望ましい形質を持つ少数の個体をもとに近親交配が行われてきました。その結果、一部の犬種では望ましい形質ばかりでなく、特定の疾患にかかりやすいといった特徴まで受け継いでいることが知られています。そのような犬種では、保有しているゲノム配列の個体間の違い(遺伝子バリアント)の中に、疾患の原因となる遺伝子バリアント(病的バリアント[5])が高頻度で含まれていると考えられています。
イヌの疾患原因となる遺伝子の多くは、ヒトでも同様に疾患の原因になると考えられるため、イヌをモデルとしてヒトの疾患発症メカニズムを解明することが期待されています。実際に欧州では、さまざまなイヌの遺伝性疾患のゲノム解析を組織的に行う「LUPAプロジェクト[6]」が行われ、ヒトの疾患発症メカニズムの解明に通ずる成果が得られています注1)。
イヌの疾患の診断には、ヒトと同じようにさまざまな臨床検査が行われ、その検査値は診断における重要な要素の一つです。検査値には個体差が存在しますが、それには遺伝子バリアントによる影響があると考えられています。その遺伝子バリアントを同定するため、国際共同研究グループは、LUPAプロジェクトの一環として検査値に着目した研究を行いました。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、欧州5カ国(ベルギー、デンマーク、フィンランド、フランス、スウェーデン)から提供された8犬種(ベルジアン・シェパード・ドッグ、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、ダックスフンド、ドーベルマン、フィニッシュ・ラップフンド、ジャーマン・シェパード・ドッグ、ラブラドール・レトリーバー、ニューファンドランド)、計472頭のイヌを対象に、尿検査4項目、血液検査24項目、身体検査時のストレスレベル3項目、体の各部の長さ9項目の全40項目にわたる臨床検査値の情報を収集しました。
犬種、性別、収集された国により、収集した検査値は影響を受け、解析結果にバイアスが生じる可能性があったため、犬種・性別・国ごとに臨床検査値を正規化[7]した後に犬種ごとのゲノムワイド関連解析(GWAS)を行いました。GWASには、SNPアレイ[8]を用いて測定したゲノム全体に分布する145,741個のSNPの遺伝子型を使用しました。
次に、臨床検査項目ごとに全犬種の結果を統合するため、バイナリ効果モデル[9]を用いたメタ解析[9]を行いました。その結果、p値[10]がゲノムワイドな有意水準[11](p < 5x10-7)で関連する臨床検査項目を8項目、計13個のSNPの同定に成功しました(表1)。
臨床検査項目 | SNPの個数 | p値 |
---|---|---|
アラニンアミノ基転移酵素(ALT)血中濃度 | 1 | 1.02x10-19 |
フルクトサミン血中濃度 | 1 | 2.21x10-11 |
身体検査時のストレスレベル | 3 | 4.25x10-7-8.25x10-9 |
グルコース血中濃度 | 1 | 2.64x10-7 |
C反応性タンパク | 1 | 2.21x10-11 |
赤血球 | 1 | 8.25x10-9 |
身体検査時の心拍数 | 1 | 2.64x10-7 |
体の各部の長さ | 4 | 4.53x10-7-5.47x10-8 |
合計 | 13 |
表1 ゲノムワイド関連解析(GWAS)において関連が検出された臨床検査項目
臨床検査項目全40項目に対し行われたGWASの結果。40項目中8項目に有意な関連が見られ、合計13個のSNPが同定された。これらは全て、ゲノムワイドな有意水準 p < 5x10-7を満たしている。
関連性が最も強く示された項目は、肝疾患と関係のあるアラニンアミノ基転移酵素(ALT)[12]の血中濃度であり、この項目に関連するSNPは第13番染色体上に同定されました(図1)。ただし、このSNPは8犬種中5犬種(ベルジアン・シェパード・ドッグ、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、ドーベルマン、フィニッシュ・ラップフンド、ニューファンドランド)に限って関連が認められ、他の3犬種には認められませんでした。関連が認められた5犬種の中でも、3犬種(ベルジアン・シェパード・ドッグ、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、ドーベルマン)は共通の原因遺伝子バリアントを持つことが示唆されましたが、他の2犬種は異なる原因遺伝子バリアントを持つと考えられました。
図1 アラニンアミノ基転移酵素(ALT)血中濃度におけるGWASの結果
イヌ472頭のALT血中濃度についてのGWASの結果。横軸は染色体の位置、縦軸はp値を対数値で示した関連の強さ。ALT血中濃度と強い関連を示すSNPが、第13番染色体上に同定された。
ベルジアン・シェパード・ドッグを例としてあげると、このSNPの遺伝子型とALT血中濃度の関連を調べた結果、遺伝子型としてA(アデニン)よりもG(グアニン)を持っていた方がALT血中濃度の値が高くなるといった差が見られました(図2)。また、このSNPがALT血中濃度の個体差に及ぼす影響を計算したところ、18.1~47.7%に影響することが分かりました。
さらに、このSNPの個体差への影響を、一つのSNPの効果の大きさを表す効果量で評価したところ、1.08~1.37であることが分かりました。このSNPのヒトにおける影響は0.016~0.06と報告されていることから、イヌへの影響の方がヒトよりも数十倍大きいことが明らかになりました。
図2 ベルジアン・シェパード・ドッグのALT血中濃度における遺伝子型間の違い
ベルジアン・シェパード・ドッグにおけるALT血中濃度に最も関連するとされるSNPの遺伝子型(横軸)と、ALT血中濃度(縦軸)。遺伝子型にA(アデニン)よりもG(グアニン)を持つ方が、ALT血中濃度の値が高くなることが分かる。
臨床検査項目のうち、フルクトサミン[13]の血中濃度と身体検査時のストレスレベルでも強い関連が示されました。フルクトサミン血中濃度に関連するSNPは第17番染色体上に同定され、8犬種中3犬種(フィニッシュ・ラップフンド、ジャーマン・シェパード・ドッグ、ニューファンドランド)において認められました。このSNPはフルクトサミン血中濃度の個体差の11.2~45.8%に影響することが明らかとなり、これもヒトで報告されている効果よりも非常に大きいものでした。
また、身体検査時のストレスレベルおいて関連するSNPは3個同定され、そのうち最も関連が強かったSNPは第1番染色体上に同定されました。このSNPは8犬種中2犬種(キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、ダックスフンド)において個体差に影響を及ぼすことが示され、遺伝子型にAを持つイヌが、Gを持つイヌよりも検査中にストレスを感じやすいことが分かりました(表2)。
キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル | ダックスフンド | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
ストレスレベル | ストレスレベル | |||||
遺伝子型 | 1
|
2
|
3
|
1
|
2
|
3
|
AA | 1 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 |
AG | 14 | 4 | 0 | 0 | 2 | 3 |
GG | 6 | 0 | 0 | 1 | 13 | 0 |
p値(犬種ごと) | 2.95x10-6 | 1.51x10-3 | ||||
p値(合計) | 8.25x10-9 |
表2 身体検査中のストレスにおけるGWASの結果
各犬種の身体検査中のストレスに関連するとされたSNPの遺伝子型と、身体検査中のストレスレベル(1~3)に該当する頭数。キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルとダックスフンドでは、遺伝子型にAを持つイヌが、Gを持つイヌよりもストレスを感じやすい。
また、有意な関連が示された項目の一つにグルコース血中濃度(血糖値)があり、関連するSNPは第36番染色体上に1個同定されました。同定されたSNPは、ヒトゲノムにおいて空腹時の血中へグルコースを放出する酵素をコードするG6PC2遺伝子の近くに存在しました。そのため、このSNPがG6PC2遺伝子の発現量を変えることで、グルコース血中濃度を変化させていると考えられます。ヒトでは、このSNPは平均値の2.7%変化させるのに対し、イヌのフィニッシュ・ラップフンドでは26.6%も変化させることが明らかになりました。
今後の期待
本研究により、イヌの臨床検査値の個体差にSNPが関連している検査項目が、ALT血中濃度やフルクトサミン血中濃度、グルコース血中濃度など、8項目同定されました。また、一つのSNPがイヌの検査値の個体差に及ぼす影響は、ヒトに比べて数十倍も大きいことが明らかになりました。
例えば、ヒトではグルコース血中濃度は、糖尿病などさまざまな疾患との関連が知られています。同定されたSNPを遺伝学的検査によって調べると、イヌを高グルコース群と低グルコース群に分けることができ、それらの群はグルコース血中濃度に関わる疾患の発症や発症抑制メカニズムの解明に向けた研究モデルになる可能性があります。このように本研究成果は、獣医療だけでなく、ヒトに対しての医療にも貢献すると期待できます。
補足説明
- 1.臨床検査値
イヌの健康状態や病気の状況を把握する目的で、動物病院において実施される生化学検査結果の数値。 - 2.ゲノムワイド関連解析(GWAS)
ゲノム全体にわたるSNPをSNPアレイを用いて遺伝子型決定後、グループ間でSNPの頻度に差があるかどうかを統計学的に検定する方法。GWASは、Genome-Wide Association Studyの略。 - 3.一塩基多型(SNP)
集団のゲノム配列中で見られる一塩基の違い(個体差)のこと。SNPはSingle Nucleotide Polymorphismの略。 - 4.ゲノム配列
生物の設計図。アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種類の塩基が連なった塩基配列として、細胞内に保存されている。 - 5.病的バリアント
ゲノム配列の個体間の違いを遺伝子バリアントと呼ぶ。その遺伝子バリアントのうち、疾患発症の原因となるものを病的バリアントと呼ぶ。 - 6.LUPAプロジェクト
イヌの遺伝性疾患のゲノム解析を組織的に行うため、ヨーロッパを中心に12カ国の22の大学・研究機関が共同で立ち上げたプロジェクト。約20億円の大型予算が投入され、2007年から2012年にかけて実施された。LUPAとは、ローマを建国した2人の双子(RomulusとRemus)を育てた雌のオオカミの名であり、このプロジェクトにおいても、イヌを対象とした研究によりヒトに恩恵がもたらされることを期待して名付けられた。 - 7.犬種・性別・国ごとに臨床検査値を正規化
同一の犬種・性別・国のイヌの各臨床検査値について、外れ値などの影響を抑えるため、0~1の間の値に変換すること。 - 8.SNPアレイ
一度に大量のSNPの遺伝子型を調べるための実験手法のこと。塩基の違いを検出するゲノム配列が高密度に敷き詰められているチップを用いる。 - 9.メタ解析、バイナリ効果モデル
「メタ解析」は複数の解析結果を統合すること、またはその統計学的方法。「バイナリ効果モデル」は、本研究で観察されたように統合する犬種によりSNPの効果がない場合も考慮してメタ解析を実施するモデル。 - 10.p値
ある事象が偶然起こる確率のことで、統計学的有意差を示す指標であり、数値が低いほど偶然では起こりえないことを表す。 - 11.ゲノムワイドな有意水準
GWASでは非常に多くのSNPを一度に調べるため、偶然に疾患などと関連しているように見えるSNPが多数検出される。そのため、ヒトの場合は全ゲノム染色体上に平均100万個のSNPがあると想定される場合の「p値が5×10-8未満」という高い有意水準で関連を認めたSNPのみを真の陽性としており、このp値の基準をゲノムワイドな有意水準と呼ぶ。本研究のイヌの場合は、各犬種に平均10万個の多様性を保ったSNPがあったことから、ゲノムワイドな有意水準は「p値が5×10-7未満」と設定している。 - 12.アラニンアミノ基転移酵素(ALT)
血清および全身の組織、特に肝臓に存在する酵素。肝疾患がある場合、ALTの血清中レベルが上昇する。ALTはalanine transaminaseの略。 - 13.フルクトサミン
血糖値の高い状態が続いているときに、血液の中でブドウ糖と血清タンパク質が結合してできる物質で、糖尿病の患者の血糖コントロールの指標として用いられる。
国際共同研究グループ
理化学研究所 生命医科学研究センター 基盤技術開発研究チーム
チームリーダー 桃沢 幸秀(ももざわ ゆきひで)
(ベルギー リエージュ大学 獣医学部 GIGAセンター(研究当時))
ベルギー リエージュ大学 獣医学部 GIGAセンター
ミッシェル・ジョージーズ(Michel Georges)
アン・クリスティン・メルベイユ(Anne-Christine Merveille)
アン・ソフイー・ルカレ(Anne-Sophie Lequarré)
ジェラルディン・バタイユ(Géraldine Battaille)
フィンランド ヘルシンキ大学 獣医学部
マリア・ウィーベリ(Maria Wiberg)
フィンランド ヘルシンキ大学 獣医学部 ヘルシンキフォルケルサン研究センター
ハーネス・ロヒ(Hannes Lohi)
ヘイヤ・H・セッパラ(Eija H.Seppälä)
デンマーク コペンハーゲン大学 保健医療学部
メレーテ・フレドホルム(Merete Fredholm)
ヨーゲン・コッホ(Jørgen Koch)
ヤコブ・ラングレン・ウィルセン(Jakob Lundgren Willesen)
デンマーク デンマークケネルクラブ
ヘレ・フリース・プロショフスキー(Helle Friis Proschowsky)
フランス アルフォート獣医大学病院 国立獣医学校(ENVA)
ヴァレリ・チェットボウル(Valérie Chetboul)
ヴァシリキ・ゴウニ(Vassiliki Gouni)
フランス 国立獣医学校(ENVA)フランス国立保健医学研究所
ローラン・ティレット(Laurent Tiret)
原論文情報
- Yukihide Momozawa, Anne-Christine Merveille, Géraldine Battaille, Maria Wiberg, Jørgen Koch, Jakob Lundgren Willesen, Helle Friis Proschowsky, Vassiliki Gouni, Valérie Chetboul, Laurent Tiret, Merete Fredholm, Eija H.Seppälä, Hannes Lohi, Michel Georges, Anne-Sophie Lequarré, "Genome wide association study of 40 clinical measurements in eight dog breeds", Scientific Reports, 10.1038/s41598-020-63457-y
発表者
理化学研究所
生命医科学研究センター 基盤技術開発研究チーム
チームリーダー 桃沢 幸秀(ももざわ ゆきひで)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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