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2020年10月1日

理化学研究所

新しさの情報をタイプ別に伝える脳回路を発見

-視床下部乳頭上核の知られざる役割-

理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター神経回路・行動生理学研究チームのシュオ・チェン基礎科学特別研究員(研究当時)、トーマス・マックヒュ―チームリーダーらの国際共同研究グループは、マウスが新しい環境や個体に遭遇すると、これらの「新奇性」の情報が脳の視床下部[1]にある乳頭上核[2]から異なるルートで海馬[3]の別々の領域に伝わることで、新奇性のタイプに応じて行動できることを発見しました。

本研究成果は、ヒトを含めた動物において、新奇性の情報が影響するとされている注意、知覚、記憶といった脳機能の解明に貢献すると期待できます。

今回、国際共同研究グループは、乳頭上核(SuM)内の神経細胞には記憶をつかさどる海馬の歯状回(DG)[4]に情報を伝えるSuM-DG回路を形成する集団と、同じ海馬のCA2[5]領域に情報を伝えるSuM-CA2回路を形成する集団が別々に存在すること、そしてマウスが新しい環境を認識する際にはSuM-DG回路が、新しい個体を認識する際にはSuM-CA2回路が活性化することを見いだしました。さらに、光遺伝学[6]の手法を用いてSuM-DG回路を不活性化するとマウスは新しい環境を認識できなくなり、SuM-CA2回路を不活性化すると新しい個体を認識できなくなることから、それぞれの回路が環境と社会性という異なるタイプの新奇性情報を伝えることが示されました。

本研究は、科学雑誌『Nature』(10月8日号)の掲載に先立ち、オンライン版(9月30日付:日本時間10月1日)に掲載されます。

二つの異なるタイプの新しさ情報(新奇性)を伝える二つの回路の図

二つの異なるタイプの新しさ情報(新奇性)を伝える二つの回路

背景

動物が生きていく上で、それまで経験したことのない新しい物事を認識することは重要な能力です。こうした「新しさ」の情報、いわゆる「新奇性」を利用することで、ヒトも含めた動物は「注意を向ける」「知覚する」「記憶する」といった脳機能を発達させてきました。一方で、新しい環境、新しい個体との出合いなど、動物が遭遇する新奇性にもさまざまなタイプがありますが、そうした新奇性が脳内でどのように処理され、注意、知覚、記憶などの脳機能にどのような影響を与えているのかは分かっていません。これまでの知見から、進化的に古い脳である皮質下領域[7]が新奇性の検出に関与することが示唆されてきましたが、具体的な回路やメカニズムについては不明でした。

国際共同研究グループは、皮質下領域の中でも視床下部は進化的によく保存されており、記憶などに関与する大脳皮質や海馬とも密につながっていることに注目し、マウスが新しい環境や新しい個体に遭遇している最中の脳内の視床下部の活動を網羅的に調べました。

研究手法と成果

国際共同研究グループは、マウスを一度慣らしたケージから新しい環境に移す「環境的新奇性」を提示する群と、新しく別の個体と一緒に過ごさせる「社会的新奇性」を提示する群の二つに分け、神経細胞が活動した直後に産生されるタンパク質c-Fos[8]抗体染色[9]し、それぞれの新奇性が提示されている間に活動した神経領域の同定を試みました。すると、視床下部のうち乳頭上核(SuM)と呼ばれるゴマ粒大ほどの非常に小さな領域(2mm x 0.5mm x 0.5mm)で、どちらの新奇性の提示に対しても高い活動が見られました(図1A)。

そこで、マウスに環境的新奇性と社会的新奇性を提示している間の乳頭上核内の神経活動を、電気生理学的手法を用いて記録しました。記録した156個の細胞のうち82%は興奮性神経細胞[10]で、新奇性に対応して活動を変化させており(図1B)、その半数以上の細胞はどちらか一方の新奇性にだけ反応していました。この結果から、乳頭上核内は新奇性のタイプを判別してその情報を高次の脳領域に伝えることで、認知機能に関与している可能性が示されました。

新奇性に対する視床下部乳頭上核の活動の図

図1 新奇性に対する視床下部乳頭上核の活動

  • (A)マウスが新しい環境(環境的新奇性)や新しい個体(社会的新奇性)と遭遇したときの神経活動を、神経活動マーカーであるc-Fosの抗体染色で追跡したところ、視床下部乳頭上核(SuM)内で高い活動がみられた。
  • (B)電気生理学手法で記録した、マウスが環境的新奇性、社会的新奇性と遭遇しているときの神経活動の例。環境的新奇性で活動が上昇するもの(細胞1、2)、社会的新奇性で活動が上昇するもの(細胞3、4)、環境的新奇性と社会的新奇性で活動が上昇するもの(細胞5、6)がある。

乳頭上核の働きを調べるには、この非常に小さな脳部位の活動を操作する必要があるため、乳頭上核特異的に遺伝子発現を制御できるSuM-Creマウスを開発しました。このSuM-Creマウスを用いて乳頭上核の神経細胞に黄緑色蛍光タンパク質EYFPを発現させ、その投射先を調べたところ、乳頭上核の神経細胞は海馬のCA2と歯状回(DG)にそれぞれつながる二つの細胞群に分かれていることが分かりました(図2)。

視床下部乳頭上核のつながりの図

図2 視床下部乳頭上核のつながり

マウス視床下部乳頭上核内の神経細胞に黄緑色蛍光タンパク質EYFPを発現させ、投射先を同定したところ、海馬のCA2領域(CA2)と歯状回(DG)に神経末端が観察された。DAPIは細胞核(青)を示す。

次に、この二つの異なる回路を形成する細胞群が、タイプの異なる新奇性の情報を伝えている可能性を調べました。SuM-Creマウスの海馬CA2に、神経細胞の末端から細胞体へ逆向きに運ばれるウイルスベクターに赤色蛍光タンパク質mCherryを導入したものを注入し、CA2につながる乳頭上核の神経細胞を赤色蛍光タンパク質で可視化した上で、このマウスに環境的新奇性と社会的新奇性を別々に提示しました(図3A)。

二つのタイプの新奇性によって活動した細胞をc-Fosの抗体染色によって緑色蛍光で可視化し、これが赤色蛍光タンパク質で標識されたCA2につながる乳頭上核の神経細胞と一致するかどうか調べました。その結果、CA2につながる乳頭上核の神経細胞は、社会的新奇性で活動した細胞とは一致しましたが、環境的新奇性で活動した細胞では一致しませんでした(図3B)。同様の実験により、海馬の歯状回へとつながる乳頭上核の神経細胞を赤色蛍光タンパク質で標識し、2種類の新奇性を提示して活動した神経細胞を同定したところ、歯状回につながる乳頭上核の神経細胞は、環境的新奇性で活動した細胞と一致しましたが、社会的新奇性では一致しませんでした(図3B)。この結果から、乳頭上核の神経細胞のうち、海馬のCA2につながる群は社会的新奇性情報を、海馬の歯状回につながる群は環境的新奇性情報を伝えている可能性が示されました。

新奇性のタイプに応じた乳頭上核内の異なる細胞群の活動の図

図3 新奇性のタイプに応じた乳頭上核内の異なる細胞群の活動

  • (A)実験デザイン。乳頭上核-歯状回回路の神経細胞を赤色蛍光タンパク質(mCherry)で標識したマウス(左上)を、ある環境にならした後(1-7日目)、活動した神経細胞を黄緑色蛍光タンパク質(EYFP)で標識する操作をしながら、新しい環境(環境的新奇性)や新しい個体(社会的新奇性)と遭遇させ(9日目)、飼育ケージで2日間置いた後に観察した。
  • (B)上段のように、乳頭上核-歯状回回路の神経細胞は、環境的新奇性によって活動した細胞(1)と一致していた(黄色の細胞)が、社会的新奇性によって活動した細胞(2)とは一致しなかった。下段のように、乳頭上核-CA2回路の神経細胞は、社会的新奇性によって活動した細胞(4)と一致していた(黄色の細胞)が、環境的式性によって活動した細胞(3)とは一致しなかった。

最後に、乳頭上核からCA2につながる回路(SuM-CA2回路)と乳頭上核から歯状回につながる回路(SuM-DG回路)の活動を、光遺伝学を用いて制御し、その働きを調べました。マウスはこれまで出合ったことのない新しい個体に遭遇すると、頻繁にその個体と接触して高い社会的相互作用を示しますが、慣れ親しんだ個体とはそれほど接触せず、社会的相互作用は変化しません。光に反応して神経活動を不活性化するタンパク質eNpHRを、マウス脳内の乳頭上核に発現させCA2領域に光を照射し、SuM-CA2回路だけを不活性化しながら新しい個体と過ごさせても、高い社会的相互作用は示しませんでした。このことから、このSuM-CA2回路不活性化マウスは新しい個体を認識できなくなっていることが分かりました。

反対に、光に反応して神経活動を活性化するタンパク質ChR2を、マウス脳内の乳頭上核に発現させCA2領域に光を照射し、SuM-CA2回路だけを活性化すると、このSuM-CA2回路活性化マウスは慣れ親しんだ個体に対しても高い社会的相互作用を示し、新しい個体に対するような行動をとりました。

同様の実験で、SuM-DG回路を光遺伝学により活性化、不活性化しても、新しい個体と慣れ親しんだ個体の認識に変化は見られなかったことから、社会的新奇性の情報はSuM-CA2回路を介して伝わっていることが示されました。

マウスを新しい環境に置くと活発な探索行動を取りますが、慣れた環境では探索行動は減少します。光遺伝学の手法でSuM-DG回路を不活性化すると、マウスは新しい環境に置かれても、活発な探索行動を取りませんでした。反対にSuM-DG回路を活性化すると、マウスは慣れ親しんだ環境でも、活発に探索行動を取り、新しい環境に置かれたように行動しました。同様の実験で、SuM-CA2回路を活性化、不活性化しても、新しい環境と慣れ親しんだ環境の認識に変化は見られませんでした。これらの結果から、環境的新奇性の情報はSuM-DG回路を介して伝わっていることが示されました。

以上の結果から、マウス脳内の乳頭上核内から海馬の歯状回、CA2という異なる領域へつながる二つのルートが存在し、それぞれ環境的新奇性、社会的新奇性という異なるタイプの新奇性の情報を伝えていることが分かりました。

今後の期待

今回の研究で、動物が新しい物事に遭遇する際に、新奇性のタイプに応じて視床下部乳頭上核内の異なる細胞群がそれぞれ海馬の別の領域に情報を送ることで、異なるタイプの新奇性を認識し、行動できることが分かりました。新奇性のタイプを認識し適切に行動することは、動物の生存に不可欠であることから、乳頭上核を介した神経回路がヒトでも同様の役割を果たしている可能性があります。

今後、乳頭上核内の細胞群が、どのようにして異なるタイプの新奇性を判別しているのか、また異なるタイプの新奇性の情報が海馬の働きにどのような影響を与えるのかについてさらに研究を進めることで、注意や記憶といった認知機能メカニズムの解明につながると期待できます。

補足説明

  • 1.視床下部
    間脳に位置し、内分泌や自律機能の調節を行う総合中枢。摂食行動、性行動、攻撃行動、睡眠といった本能行動に関与する。
  • 2.乳頭上核
    視床下部にある乳頭体の上部にある小さな領域で、例えば海馬のシータ波に影響を与えることが知られているが、機能はまだよく分かっていない。
  • 3.海馬
    大脳側頭葉の内下部にあり、両側を合わせた形がギリシャ神話の海神がまたがる海馬に似ている、あるいはタツノオトシゴに似ていることからこの名称がついたとされる。経験記憶の形成と保存に役割を発揮する領域で、両側を破壊すると記憶障害が起きる。
  • 4.歯状回
    海馬体の領域の一つで、海馬体の各領域を結ぶ3シナプス性回路の次のステップを担う。文脈恐怖条件付け学習やパターン分離などに必要であるとされる。
  • 5.CA2
    脳の海馬の領域の一つで、海馬の他の領域と局所神経回路を形成している。記憶や場所の認識に関わるCA1、CA3、歯状回に比べて研究があまり進んでいなかったが、近年社会的記憶に関与することが示されている。
  • 6.光遺伝学
    特定の波長の光に反応してイオンを輸送する光感受性タンパク質を、分子遺伝学を用いて特定の神経細胞群に発現させた後、その神経細胞群に光を当てることで、神経細胞を興奮させたり抑制したりする技術。
  • 7.皮質下領域
    大脳皮質より深部にある脳領域で、進化的に古い脳領域と呼ばれている。運動制御や注意・情動といった原始的な機能に加えて、大脳皮質と連携して記憶などの高次の機能にも寄与する。
  • 8.c-Fos
    興奮し活性化した神経細胞で急速、かつ一過的に発現が誘導されるタンパク質。神経活動のマーカーとしてよく使われる。
  • 9.抗体染色
    抗原抗体反応を利用した、目的とするタンパク質(抗原)を特異的に検出する方法。蛍光色素で標識された2次抗体を用いて、抗原を間接的に蛍光色で染色し可視化できる。
  • 10.興奮性神経細胞
    興奮性の神経伝達物質(グルタミン酸)を放出し、シナプスでつながる次の神経細胞を興奮させる機能を持つ神経細胞。大脳皮質の神経細胞の大多数を占める。

国際共同研究グループ

理化学研究所 脳神経科学研究センター
神経回路・行動生理学研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時) シュオ・チェン(Shuo Chen)
テクニカルスタッフⅠ ファン・アーサー・ジーイェン(Arthur J.Y. Huang)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時) ロマン・ベーリンジャ―(Roman Boehringer)
テクニカルスタッフⅠ(研究当時) マリー・ウィンツァー(Marie E. Wintzer)
テクニカルスタッフⅠ デニス・ポリガロフ(Denis Polygalov)
研究パートタイマーⅠ アダム・ワイトマイアー(Adam Z. Weitemier)
事務パートタイマーⅡ(研究当時) ヤンキウ・タオ(Yanqiu Tao)
研究パートタイマーⅠ リンモン・カ(Linmeng He)
事務パートタイマーⅡ ミンチャオ・グ(Mingxiao Gu)
研究員 スティーヴン・ジェームス・ミドルトン(Steven J. Middleton)
チームリーダー トーマス・マックヒュ―(Thomas J. McHugh)
細胞機能探索技術研究チーム
研究員 並木 香奈(なみきかな)
専門職研究員 濱 裕(はま ひろし)
チームリーダー 宮脇 敦史(みやわき あつし)

フランス パリ大学 Institute of Psychiatry and Neuroscience of Paris,
Team of Synaptic Plasticity and Neural Networks INSERM UMR 1266
博士課程大学院生 ヴァンサン・ロベール(Vincent Robert)
テクニカルスタッフル ディヴィン・テロ―(Ludivine Therreau)
チームリーダーレベッカ・ピスコロウスキー(Rebecca A. Piiskorowski)
チームリーダー ヴィヴィアン・シュバレール(Vivien Chevaleyre)

順天堂大学 医学部 神経生物学・形態学講座
准教授 日置 寛之(ひおき ひろゆき)

研究支援

本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(S)「Elucidating the Dynamics of Memory(研究代表者:Thomas J. McHugh)」、同挑戦的萌芽研究「Optogenetic dissection of hypothalamic modulation of hippocampal memory(研究代表者:Thomas J. McHugh)」、同新学術領域研究(研究領域提案型))「Hypothalamic control of hippocampal action selection(研究代表者:Thomas J. McHugh) 「Retrosplenial/Hippocampal Circuit Control of Map Selection(研究代表者:Thomas J. McHugh)」「Multiscale analyses of dynamic states in the schizophrenic brain(研究代表者:Thomas J. McHugh)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

  • Shuo Chen, Linmeng He, Arthur J.Y. Huang, Roman Boehringer, Vincent Robert, Marie E. Wintzer, Denis Polygalov, Adam Z. Weitemier, Yanqiu Tao, MIngxiao Gu, Steven J. Middleton, Kana Namiki, Hiroshi Hama, Ludivine Therreau, Vivien Chevaleyre, Hiroyuki Hioki, Atsushi Miyawaki, Rebecca A. Piiskorowski, Thomas J. McHugh, "A hypothalamic novelty signal modulates hippocampal memory", Nature, 10.1038/s41586-020-2771-1

発表者

理化学研究所
脳神経科学研究センター 神経回路・行動生理学研究チーム
基礎科学特別研究員(研究当時) シュオ・チェン(Shuo Chen)
チームリーダー トーマス・マックヒュ―(Thomas J. McHugh)

トーマス・J. マックヒュ―チームリーダーの写真 トーマス・J. マックヒュ―
シュオ・チェン基礎科学特別研究員(研究当時)の写真 シュオ・チェン

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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