理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター時空間認知神経生理学研究チームの藤澤茂義チームリーダー、新保彰大研究員、慶應義塾大学文学部の伊澤栄一教授の共同研究チームは、ラットを用いて、脳の海馬[1]の神経回路が時間情報を相対的に表現していることを発見しました。
本研究成果は、動物やヒトにおける時間認識の神経基盤の解明だけでなく、経験した出来事に関する記憶であるエピソード記憶の神経基盤の理解に貢献すると期待できます。
近年、空間の認識の中心である海馬において、数秒の時間に応答して発火[2]する「時間細胞」という細胞群が発見されました。しかし、時間細胞がどのような時間情報に対して応答しているかは明らかではありませんでした。
今回、共同研究チームは、ラットに時間計測を必要とする課題を学習させ、海馬から神経活動を記録したところ、海馬の神経細胞群は、時間計測開始から特定の秒数に応答するという絶対的な経過時間を表現しているのではなく、計測時間全体における特定の経過時間の割合、つまり相対的な経過時間に応答していることが分かりました。さらに、これらの細胞群がこれまで報告されていた空間情報に応答する海馬の細胞群と同じ神経生理学的特徴を持つことも発見しました。これらの結果は、海馬の細胞群が空間情報と時間情報を同じメカニズムを用いて表現していることを示唆しており、「いつ、どこで、何を」を統合したエピソード記憶の神経基盤を理解する上で重要だと考えられます。
本研究は、科学雑誌『Science Advances』(2月3日付:日本時間2月4日)に掲載されます。
背景
私たちの日常生活はさまざまな時間情報による影響を受けているだけでなく、その時間情報を使って行動を制御しています。例えば、時計がなくても、私たちは経過時間を知覚できます。しかし、視覚、聴覚などの他の感覚とは異なり、時間を知覚するために特化した感覚器は存在しません。そのため、時間を知覚するためにはもっぱら脳内の神経活動による情報処理が必要ですが、これまで、その脳内のメカニズムは明らかになっていませんでした。
近年、空間の認識の中心であると考えられてきた脳部位である海馬において、数秒の時間に応答して発火する時間細胞という細胞群が発見されました注1-2)。しかし、時間細胞がどのような時間情報に対して応答しているかは明確ではありませんでした。そこで、共同研究チームはラットを用いて、時間細胞の特徴を調べることにしました。
- 注1)MacDonald, C.J., Lepage, K.Q., Eden, U.T., and Eichenbaum, H. Hippocampal "time cells" bridge the gap in memory for discontiguous events. Neuron 71, 737-749 (2011)
- 注2)Pastalkova, E., Itskov, V., Amarasingham, A., and Buzsáki, G. Internally generated cell assembly sequences in the rat hippocampus. Science 321, 1322-1327 (2008)
研究手法と成果
共同研究チームはまず、ラットを5秒間もしくは10秒間トレッドミル上で走らせ、その走行時間の長さによって報酬の水がもらえる位置が変化するといった、走行時間の計測が必要な課題を学習させました(図1)。ラットが安定して課題を解けるようになった後、実験途中に走行時間の組み合わせを5秒と10秒(ブロック1)から、10秒と20秒(ブロック2)に変更する操作を導入しました。課題遂行時にシリコンプローブという超小型高密度電極を用いて、ラットの海馬から神経活動を記録しました。このシリコンプローブにより、数十個の個々の神経細胞の活動を精密な時間単位で同時に観察できます。
図1 時間の長さの組み合わせが変化する時間弁別課題
ブロック1では、ラットはまず、トレッドミルの上で強制的に走行する。走行する時間は、10秒か5秒がランダムに選ばれる。走行後、走行時間が10秒であれば左側の通路で、5秒であれば右側の通路で報酬が与えられる。つまり、ラットは自分が走った時間を覚えておかなければならない。ブロック2では、走行時間は20秒か10秒がランダムに選ばれる。ブロック3では、ブロック1と同じく走行時間は10秒か5秒がランダムに選ばれる。
時間細胞の神経活動の特徴を調べるために、変更操作の前後で時間細胞の発火活動を比較しました。すると、海馬の時間細胞の大多数が、ブロック2では発火活動が生じる時間がブロック1の約2倍の時点となっていることが分かりました。この結果から、時間細胞は時間計測開始から特定の秒数に応答するといった絶対的な経過時間を表現しているのではなく、計測時間全体における特定の経過時間の割合、つまり相対的な経過時間に応答することが分かりました(図2)。
図2 海馬から記録された時間細胞の相対的な時間表現
- A:海馬から記録した代表的な一つの時間細胞の発火活動。この細胞は、ブロック1ではトレッドミルでの走行時間が約3秒を経過したあたりで最も強く活動した。ブロック2では、走行時間が約6秒を経過したあたりで活動が最大となっており、時間情報を表現している時間がブロック1の約2倍の時点となっていた。ブロック3では、ブロック1と同様に約3秒を経過したあたりで活動が最大となっていた。
- B:本研究で海馬から記録した全ての時間細胞(454個)の発火活動のまとめ。それぞれの横のラインが、一つ一つの細胞の活動を色で表している。全体の傾向として、ブロック2では時間情報を表現している時間がブロック1の約2倍の時点となっていた。
さらに、この研究では相対的な経過時間に応答する時間細胞の発火タイミングについて詳細に調べました。海馬では、8Hzぐらいのリズムの強い脳波(シータ波[3])が観測されます。空間情報では、細胞の発火とシータ波の位相[4]の関係がラットの移動に合わせて変化する位相前進[5]という現象が知られており、細胞集団として捉えると、シータ波の1周期の中に経路情報が圧縮符号化されています(シータ・シークエンス)。
時間細胞において、この位相前進、およびシータ・シークエンスの特徴を調べたところ、計測時間の操作後では、操作前に比べ、位相前進の時間当たりの変化量が低下し、シータ・シークエンスにおいても1周期内で符号化している時間範囲が拡大することを発見しました。この結果は、時間細胞が発火のタイミングにおいても相対的な時間情報を表現していることを意味しています(図3)。
図3 海馬時間細胞の相対的な時間表現
海馬の時間細胞は、その発火活動の強さにより時間情報を表現するが、全体の時間が伸縮した場合、その時間表現(発火率)は相対的になる。また、シータ波位相の位相前進も相対的に伸縮し、シータ・シークエンスは、1周期内で符号化している時間範囲が拡大・縮小する。
最後に、これらの神経活動と個体の行動の間に関係があるのかを明らかにするために、5秒と10秒の弁別時に7.07秒の走行時間であるテスト試行を導入し、そのときの神経活動と個体の行動の関連を調べました。もし、ラットが7.07秒のテスト試行時に計測した時間が10秒に近いと感じたら、10秒試行で報酬がもらえる場所に移動し、5秒に近いと感じたら5秒試行で報酬がもらえる場所に行くと考えられます。このテスト試行において、10秒試行で報酬がもらえる位置に移動した場合と、5秒試行で報酬がもらえる位置に移動した場合において、海馬での神経活動をそれぞれ解析し、ラットが感じている経過時間を推定しました。その結果、10秒試行で報酬がもらえる位置に移動した試行は、5秒試行で報酬がもらえる位置に移動した試行に比べ、推定される時間が後(10秒に近い)になっていました。この結果は、時間細胞の活動とラットの経過時間に関する判断の間に関連があることを示しており、時間細胞の活動が時間の知覚にとって重要であることを強く示唆しています。
以上をまとめると、海馬の神経活動は経過時間を相対的に表現しており、それらの経過時間情報をもとに行動を制御している可能性が明らかになりました。この発見は、私たちがどのように時間を感じ、それを利用しているのかを理解する上で重要な知見となります。
今後の期待
今回の研究では、時間情報をどのように海馬の神経回路が表現しているのかを明らかにしました。これらの結果は、相対的表現や位相前進の存在など、空間情報で明らかにされてきた結果と共通する点が多く、海馬は空間と時間を同様の神経回路メカニズムで表現していることになります。海馬は、自分たちが経験した出来事に関する記憶であるエピソードの記憶を形成する中心とも考えられており、エピソード記憶としてある経験の「いつ、どこで、何を」に関する情報をどのように統合しているのかを考える上で、今回の結果は重要だと考えられます。
今後、この知見をもとに、どのように空間情報と時間情報が統合されるのかや、二つの情報を分離して表現しているのかを検討することで、エピソード記憶の神経基盤の解明が進展していくと期待できます。
補足説明
- 1.海馬
脳の中で、記憶をつかさどる領域。解剖学的には大脳新皮質の内側に位置し、タツノオトシゴに似た形をしていることから「海馬」(タツノオトシゴの別名)と呼ばれる。 - 2.発火
神経細胞の活動のこと。神経細胞の電気的な変化を意味しており、この変化が生じることで、ある神経細胞から別の神経細胞へと活動が伝搬する。 - 3.シータ波
海馬で観察される特徴的な脳波で、8Hzぐらいの周波数を持つ。特に、動物が探索活動をしているときに観測される。 - 4.位相
一つの波のどのタイミングかを「位相」といい、角度の単位で表す。ここでは、波の山の頂点では位相が0°、波の谷底では180°、再び山の頂点では360°(360°と0°は同じ)である。 - 5.位相前進
海馬の細胞の発火活動のタイミングが、シータ波に対して少しずつ早い位相へとずれていくという現象。
研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究基盤研究(B)「経験した出来事とその時系列情報を記憶する神経回路基盤(研究代表者:藤澤茂義)」、同若手研究「経過時間判断における海馬時間細胞の役割の解明(研究代表者:新保彰大)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「時間生成学(領域代表者:北澤茂)」等による支援を受けて行われました。
原論文情報
- Akihiro Shimbo, Ei-ichi Izawa, and Shigeyoshi Fujisawa, "Scalable representation of time in the hippocampus", Science Advances, 10.1126/sciadv.abd7013
発表者
理化学研究所
脳神経科学研究センター 時空間認知神経生理学研究チーム
チームリーダー 藤澤 茂義(ふじさわ しげよし)
研究員 新保 彰大(しんぼ あきひろ)
慶應義塾大学 文学部
教授 伊澤 栄一(いざわ えいいち)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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