2021年5月6日
理化学研究所
科学技術振興機構
シドニー大学
ルール大学ボーフム校
半導体量子ビットの確率的テレポーテーションに成功
-半導体量子コンピュータの大規模化に向けて前進-
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子機能システム研究グループの小嶋洋平研修生、中島峻上級研究員、樽茶清悟グループディレクター、シドニー大学のシュテフェン・バートレット教授、ルール大学ボーフム校のアンドレアス・ウィック教授らの国際共同研究グループは、半導体量子ドット[1]中の電子スピン[2]量子ビット[3]を用いた「確率的テレポーテーション[4]」に成功しました。
本研究成果は、半導体量子コンピュータの大規模化において重要なステップである、3量子ビットのアルゴリズムを実現したものです。これにより大規模な量子計算に向けた研究開発が一層進むと期待できます。
近年、大規模量子計算に向けた研究開発が進む中、半導体量子コンピュータではこれまでに一つあるいは二つの量子ビットを用いたアルゴリズムを中心に実現されていました。次の段階として三つの量子ビットを用いたアルゴリズムの実現が望まれていましたが、その制御難易度から実現例はごくわずかでした。
今回、国際共同研究グループは三つの電子スピン量子ビットを用いて、「量子テレポーテーション[4]」と呼ばれるアルゴリズムを実行し、ある量子ビットの状態を他の量子ビットへと転写することに成功しました。
本研究は、科学雑誌『npj Quantum Information』(5月6日付:日本時間5月6日)に掲載されます。
背景
現在、新しい計算手法として、量子力学を応用して情報処理を行う量子計算が注目されています。量子計算において情報を担う単位素子は「量子ビット」と呼ばれ、さまざまな物理系で実装されています。とりわけ、半導体上に形成した量子ドット中の電子スピンを用いる半導体量子コンピュータは、情報保持時間が長く、既存の半導体技術と高い親和性を持つため、その実用化が期待されています。
半導体量子コンピュータのこれまでの世界的な研究は、任意の量子計算に必要となる、2量子ビットを用いたアルゴリズムの実装と性能評価といった基本的な原理検証を中心に行われてきました。さらに次の段階として、「量子テレポーテーション」といった三つの量子ビットを使う実用的なアルゴリズムの実現が望まれていました。
量子テレポーテーションとは、ある量子ビットの量子状態を遠隔地にある量子ビットに転写するアルゴリズムです。これは計算過程において「量子もつれ[5]」という非局所的な性質を用いており、量子力学特有の物理現象です。また、量子テレポーテーションを応用することで、量子情報通信[6]の長距離化や測定に基づく量子計算[7]が可能になると期待されています。そのため、基礎物理的な側面と応用的な側面の両方で重要視されています。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、砒化ガリウムと砒化アルミニウムガリウムを用いた半導体基板上に金属電極を微細加工することで、三重量子ドット配列構造を作製しました(図1)。この試料は、各量子ドット中に単一電子スピンを閉じ込めることで3量子ビット系として機能します。量子テレポーテーションでは三つの量子ビットがそれぞれ、転写したい情報を持つ入力ビット、情報が転写される出力ビット、前述の二つのビット間で量子相関を伝達する補助ビットとして機能します。本研究では、ドット配列上端に位置する入力ビットの状態を下端に位置する出力ビットへ転写することを試みました。
図1 3量子ビットを搭載する電子スピン量子ビットデバイス
ゲート電極に電圧をかけることで量子ドット(図中の白い丸)を形成し、量子ドット中に単一電子スピンを電気的に閉じ込め3量子ビットを形成する。実験では、上端に用意した入力ビットの状態を下端に用意した出力ビットの状態に転写した。中央の補助ビットは、量子テレポーテーションに重要な量子もつれを媒介する役割を持つ。それぞれの量子ビットの状態は、右上に取り付けられた微小磁石が形成する磁場によって制御できる。
実験では、まず上下両端の量子ビット間の直接的な結合の大きさを調べました。この結合が大きいと、量子テレポーテーション以外の効果によって入力ビットの状態が出力ビットへと転写される可能性が残ります。測定の結果、今回の実験の条件下では結合の大きさが無視できることを確認しました。この結果から、両端の量子ビットは互いに干渉しない遠隔地にいると見なすことができます。
続いて量子テレポーテーションの実験を行いました(図2)。まず出力ビットと補助ビットの間で量子もつれを生成します。その後、補助ビットと入力ビットの間の量子もつれを検出します。これらの操作により二つの量子もつれを介して入力ビットの状態が出力ビットに転写されます。本実験ではこれら量子もつれの操作を「パウリスピン閉塞」という現象を応用することで実現しました。パウリスピン閉塞とは、量子ドット系特有の現象で、二つの電子スピンが一つの量子ドットを同時に占有するか否かで、電子スピン間の量子もつれの存在の有無を判定できます。この性質を用いると補助ビットと入力ビット間の量子もつれの検出の成功が確率的になるため、出力が入力と一致する確率が1より小さくなります。このような手法を「確率的量子テレポーテーション」と呼びます。
図2 量子テレポーテーションの手順
まず、下端の量子ドットに補助ビットと出力ビットを用意する。このとき、二つの量子ビットが一つの量子ドットを占有するため、量子ビット間に量子もつれが生成される。次に、補助ビットを入力ビットの量子ドットへと移動させる。補助ビットが入力ビットの量子ドットへと移動した場合のみ量子もつれ検出成功となり、入力ビットの状態が出力ビットへと転写される。
図2の操作が完了した後に、出力ビットの状態を測定します。さまざまなスピン状態の入力ビットを用意してこの実験を行い、測定で得た出力ビットと入力ビットの状態を比較したところ、入力から推定される出力の状態と実際の測定で得た出力に正の相関があることが分かりました(図3ピンクのデータ)。これは、入力ビットの状態が出力ビットへ転写されていることを示しています。一方、量子もつれの検出が出力に与える影響について調べたところ、検出に失敗した場合は入力によらず出力が一定となることが分かりました。これは、補助ビットを介した量子もつれを利用することが出力ビットへの状態転写に必要不可欠であることを示しています。以上の結果から、量子もつれを介したテレポーテーションが成功していると考えられます。
さらに、一連の操作をモデル化し、解析的にエラーの要因について調べたところ、量子ドット間の不均一磁場の影響により量子もつれを生成する効率が理想値よりも低下していることが大きな要因であることが分かりました(図3)。この不均一磁場の効果は微小磁石[8]の設計変更によりドット間に生じる横磁場の差を低減させることで改善することが可能で、これにより、大規模な量子計算に向けたエラー低減のための知見が得られました。
図3 入力ビットと出力ビットの比較図
量子テレポーテーションの実験結果。赤線が理想的な入力と出力の関係を表す。ピンクのデータは、別実験で得た入力の測定値(縦軸)と今回の実験で得た出力の測定値(横軸)の関係を表す。両者に正の相関があることから、入力が出力に転写されていることが分かる。赤線からのオフセット(ズレ)は、今回の実験における操作にエラーが存在し、入力が正しく転送されていないことを表しており、これらの効果を補正して得られたデータが青である。
今後の期待
本研究では、半導体量子コンピュータにおいていまだ実現例の少ない3量子ビットのアルゴリズムを実現し、そのエラーの主要因を解明しました。この成果により、測定に基づく特殊な量子計算や大規模な量子計算に向けた研究開発がさらに進むと期待できます。
一方、今回の方式では量子テレポーテーションの成功は確率的であり、失敗した場合はその計算が無駄になります。その要因となっている量子もつれの検出方法を改善し、常に量子もつれを検出できるようにすることが今後の課題となります。
補足説明
- 1.半導体量子ドット
半導体中に電子を空間的に閉じ込めることで運動を制限し、0次元構造としたもの。その性質から人工原子とも呼ばれ、電子を一つずつ出し入れすることができる。 - 2.電子スピン
電子の自転に相当する内部自由度。自転の向きに応じて、上向きまたは下向きの電子スピンと呼ばれる。 - 3.量子ビット
量子計算において情報を担う最小単位。通常のコンピュータ内部では「0もしくは1」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態を任意の割合で組み合わせて表現できる。これを量子力学的な重ね合わせ状態と呼ぶ。通常量子ビットの状態は組み合わせる割合で表現される。 - 4.確率的テレポーテーション、量子テレポーテーション
量子テレポーテーションとは、ある量子ビットの状態を遠隔地にある量子ビットに転写するアルゴリズムである。このアルゴリズムでは量子もつれを検出する必要があるが、この検出が確率的に成功する場合はテレポーテーションの成功も確率的となる。 - 5.量子もつれ
複数の量子ビット間に生じた量子力学的な相関。二つの量子ビットで考えた場合、一方の量子ビットの状態が確定するともう一方の量子ビットの状態も確定するような相関を指す。ニつの量子ビット間での量子もつれ状態の生成は、量子コンピュータにおける基本要素の一つであり、これと単一量子ビット操作を組み合わせることで、任意の量子計算が可能となる(量子計算の万能性)。 - 6.量子情報通信
量子ビットの情報を通信すること。量子計算では情報を複製できないため、通信には情報を担う量子ビットそのものを送る必要がある。しかし量子テレポーテーションを用いることで、送る量子ビットを別の量子ビットで代替できるため、通信の過程で情報が失われなくなる。 - 7.測定に基づく量子計算
量子テレポーテーションを利用した計算手法。量子テレポーテーションを行う際に量子もつれに対して施された操作は、出力ビットの状態にも反映される。この性質を応用すると任意の量子計算が可能になる。 - 8.微小磁石
電子スピン量子ビットの制御のために試料上に搭載された微小な磁石。磁石が形成する磁場中で電子スピンを空間的に振動させることで、スピンの向きを回転させることができる。
国際共同研究グループ
理化学研究所創発物性科学研究センター
量子機能システム研究グループ
研修生 小嶋 洋平(こじま ようへい)
(東京大学大学院 工学系研究科 物理工学専攻 博士3年)
上級研究員 中島 峻(なかじま たかし)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
シドニー大学
教授 シュテフェン・バートレット(Stephen. D. Bartlett)
ルール大学ボーフム校
教授 アンドレアス・ウィック(Andreas Wieck)
研究支援
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(研究代表者:樽茶清悟)」、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)基礎基盤研究「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(研究代表者:森貴洋)」、日本学術振興会(JSPS)特別研究員奨励費「半導体量子ドット系における電子スピンを用いた量子テレポーテーションの実装(研究代表者:小嶋洋平)」、科学研究費補助金基盤研究B「電子スピン量子計算の実現に向けたフィードフォワード制御(研究代表者:中島峻)」、の支援を受けて行われました。
原論文情報
- Yohei Kojima, Takashi Nakajima, Akito Noiri, Jun Yoneda, Tomohiro Otsuka, Kenta Takeda, Sen Li, Stephen D. Bartlett, Arne Ludwig, Andreas D. Wieck, and Seigo Tarucha, "Probabilistic teleportation of a quantum dot spin qubit", npj Quantum Information, 10.1038/s41534-021-00403-4
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
研修生 小嶋 洋平(こじま ようへい)
上級研究員 中島 峻(なかじま たかし)
グループディレクター 樽茶 清悟(たるちゃ せいご)
シドニー大学
教授 シュテフェン・バートレット(Stephen. D. Bartlett)
ルール大学ボーフム校
教授 アンドレアス・ウィック(Andreas Wieck)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
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