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2021年8月19日

理化学研究所
東京大学大学院理学系研究科

1京分の3秒の分子応答

-世界最短の自己相関時間の計測-

理化学研究所(理研)光量子工学研究センターアト秒科学研究チームの松原卓也研修生(東京大学大学院理学系研究科化学専攻大学院生)、鍋川康夫専任研究員、緑川克美チームリーダー、東京大学大学院理学系研究科の山内薫教授らの共同研究チームは、多原子分子の一つであるアセチレン分子に「アト秒パルス光[1]」を照射し、1京分の3秒(3×10-16秒)という世界で最も短い時間幅の「自己相関計測[2]」に成功しました。

本研究成果は、分子と光が相互作用した結果、分子内の電子が光照射後1京分の3秒よりも短い時間で応答していることを示しており、この応答に続いて起こる化学反応過程の解明およびその制御に役立つと期待できます。

今回、共同研究チームは、高強度のアト秒パルス列(APT)[3]ビームラインを独自に開発しました。この装置では、高強度のフェムト秒レーザー光[1]をキセノンガスに集光してAPTを発生させ、それを2枚並べたシリコン製反射鏡(SiBS)で反射させ、フェムト秒レーザー光を取り除き、同時にAPTを二つのビームに分割しました。二つのAPTの時間遅延掃引[4]は、2枚のSiBSのうちの1枚の位置を精密に制御することで可能となります。APTをアセチレン分子に集光し、発生する3種類のイオンのエネルギーと角度分布を測定しました。その結果、炭素イオンの生成量がAPTの自己相関波形と分子の時間応答を反映したものであり、その相関時間幅[5]が300アト秒(1京分の3秒)であることが分かりました。

本研究は、米国光学会オンライン・オープンアクセス学術誌『Optica』(8月11日付)に掲載されました。

アセチレンから生じた炭素イオン生成量によるアト秒パルス列の自己相関波形の図

アセチレンから生じた炭素イオン生成量によるアト秒パルス列の自己相関波形

背景

原子や分子などの物質に光を当てるとその性質が変化することがあり、光によって物質の反応を制御できる可能性があります。そのため、いつどのように物質が反応して性質が変化したのかを知ることは重要な学術的課題です。光の照射時に最初に変化するのは物質中の電子の状態と考えられていますが、その変化の速度は非常に速いことが分かっています。この変化を観測するために、非常に短いパルス幅のレーザー光が開発されてきました。「フェムト秒パルス光(1フェムト秒は1000兆分の1秒)」がその代表例ですが、近年では、さらに短いパルス幅を持つ「アト秒パルス光(1アト秒は100京分の1秒)」の研究が盛んに行われています。

アト秒パルス光は、高強度のフェムト秒パルス光(基本波)を希ガス中に集光することで得られます。アト秒パルス光の波長を測定すると、基本波の奇数分の1の波長成分がくし状に並び、その起源が基本波に対する「高次高調波[6]成分」であることが分かります。また、アト秒パルス光は、複数のパルス光が一定時間間隔で並んだ構造を持つ「アト秒パルス列(APT)」であることも分かります。

鍋川康夫専任研究員らは、これまでに高強度のAPTを発生するビームラインを独自に開発し、APTによって分子を励起し(ポンプ)、その反応の様子をもう一つのAPTで探る(プローブ)研究を行い、重要な成果を挙げてきました注1-3)。しかし、これまで標的分子は水素(H2)、窒素(N2)、あるいは酸素(O2)などの単純な構造を持つ等核二原子分子だけでした。そこで、今回は多原子分子であるアセチレン分子(C2H2)を標的とすることにしました。

研究手法と成果

共同研究チームは、C2H2を標的とした高強度のアト秒パルス列(APT)ビームラインを独自に開発しました。この装置では、真空中のキセノンガスにパルス幅15フェムト秒の高強度チタンサファイアレーザーパルス光を基本波として集光し、APTを発生させます。図1に示すように、これをシリコンの反射鏡(SiBS)で反射すると、基本波とAPTは同軸で伝播するため、基本波はほとんど取り除かれます。SiBSは2枚を上下に並べて配置されており、その境界付近でAPTは反射され、二つのビームに分割されます。これら二つのビームの時間遅延掃引は、精密移動ステージ上に設置されている下側のSiBSの位置を精密に制御することで可能です。

分割された二つのAPTは、速度マップ画像取得型(VMI)イオン分光器の中の凹面鏡によって集光されます。集光点にはアセチレンを供給し、生成したイオンをVMIイオン分光器で測定します。このとき二つのAPTの間の時間遅延掃引を行うことで、イオン生成に関わるAPTポンプとAPTプローブの信号が、イオンの生成量あるいは角度分布から得られます。この手法は、同じAPTを二つに分けて利用することから「自己相関計測」と呼ばれます。

2枚のシリコン反射鏡によるアト秒パルス列(APT)の分割の図

図1 2枚のシリコン反射鏡によるアト秒パルス列(APT)の分割

赤色で示した基本波(フェムト秒レーザーパルス光)がアト秒パルス列とともに伝播してくるが、シリコン反射鏡によってほとんど吸収される。下側のシリコン反射鏡を前後させることで、アト秒パルス列が上下に分割され、二つのアト秒パルス列間の遅延時間を制御できる。

これまで標的としてきた等核二原子分子では1種類の解離イオンしか観測されませんでしたが、C2H2分子ではメチンイオン(CH+)、炭素イオン(C+)、水素イオン(H+)の3種類が観測されました。これら三つのイオンの生成量を二つのAPT間の時間遅延を掃引しながら測定したところ、図2(a)に示す信号が得られました。いずれも幅の狭いピークが中央部分にあり、両脇にいくつかの小さいピークが並んでいます。これはAPTの自己相関波形を反映したもので、アト秒パルスが規則正しく並んでいるAPTの性質が複数のピークとなって現れています。

図2(a)は光の干渉効果による振動成分を含んでいるため、それをバンドパスフィルター[7]で取り除くと図2(b)に示す信号が得られました。これは通常、二つのAPTの強度相関信号と見なすことができるため、イオンの種類にかかわらず同じ形になるはずです。ところが、中心部分のピークの半値全幅[5](相関時間幅)は、CH+では約320アト秒、C+では約300アト秒、H+では約370アト秒と異なる値になりました。各イオン種を生成するのに必要な光子エネルギーは少しずつ異なるため、これが原因で異なる値になった可能性があります。しかし、解析の結果、必要な光子エネルギーの差だけでは相関時間幅の違いを説明することはできませんでした。

アト秒パルス列(APT)の自己相関計測で得られた各イオンの生成量の図

図2 アト秒パルス列(APT)の自己相関計測で得られた各イオンの生成量

  • (a)二つのアト秒パルス列の遅延時間を掃引しながら測定したイオンの生成量。青がメチンイオン(CH+)、赤が炭素イオン(C+)、緑が水素イオン(H+)を示す。いずれも幅の狭いピークが中央部分にあり、両脇にいくつかの小さいピークが並んでいる。
  • (b)(a)のデータから光の干渉成分を取り除いた波形。中央のピークの半値全幅がアト秒パルスによる相関時間幅を示す。相関時間幅は3種類のイオンでそれぞれ異なる値を示した。

そこで、量子力学的な枠組みでさらにイオンの生成過程を解析したところ、得られた相関信号は、APTの自己相関波形と各イオン種生成過程に特有の分子の時間応答関数を反映したものであることが分かりました。このことは、C+の生成過程では、少なくとも300アト秒(= 1京分の3秒 = 3×10-16秒)よりも速く分子が応答していることを示しています。なお300アト秒は、これまで行われてきたアト秒パルス光の自己相関計測で得られた相関時間幅の中で最も短い値です。

一方、バンドパスフィルターで取り除いた振動成分にも重要な情報が含まれていました。フーリエ変換[8]によって振動の周波数成分を調べてみると、図2(a)の信号波形のうち、CH+の信号にだけ7次高調波の周波数成分が多いことが分かりました(図3(a))。

VMIイオン分光器はイオンの生成量だけではなく、その角度分布(イオンが生成されるときにどちらの方向に飛び出したか)も測定できます。各イオン種について角度分布の偏りを示す値をデータから抽出し、フーリエ変換によりその周波数成分を得ました(図3(b))。その結果、やはりCH+の信号で7次高調波の周波数成分が多いことが分かりました。これは、CH+の生成過程でAPTの中の7次高調波が何か特別な役割を果たしていることを示唆しています。

各イオンの生成量及び角度分布から得られた自己相関波形のフーリエ変換スペクトルの図

図3 各イオンの生成量及び角度分布から得られた自己相関波形のフーリエ変換スペクトル

  • (a)図2(a)の相関信号のフーリエ変換スペクトル。矢印で示したピーク(7次高調波成分に相当)が青色のCH+信号だけ大きな値となっている。
  • (b)イオンの発出する角度分布についての相関信号に対するフーリエ変換スペクトル。やはり、青色のCH+信号において7次高調波成分のピークが大きな値となっている。

そこで、アセチレンイオン(C2H2+)がCHとCH+に解離する過程に関係する電子励起状態のポテンシャルエネルギー曲線と基底電子状態からの遷移双極子モーメント[9]を計算しました。その結果、32Πgと呼ばれる電子励起状態への励起エネルギーが7次高調波の光子エネルギーとほぼ一致し、またこの状態への遷移双極子モーメントは、他の状態への遷移双極子モーメントよりも1桁近く大きいことが分かりました。したがって、C2H2はAPTに含まれる9次以上の高次高調波成分の1光子吸収によってC2H2+になり、その後7次高調波の共鳴的な1光子吸収によって32Πg状態に励起され、CHとCH+に解離すると考えられます。

ところが、一般的に1光子吸収の後に1光子吸収を経る逐次的な2光子吸収の過程で得られる信号は、超高速の時間相関を示さないと考えられるため、CH+の320アト秒の相関時間幅を示す実験データと矛盾します。これらの考察から、「CH+の生成過程は、7次高調波の関わる逐次2光子吸収過程と320アト秒の相関時間幅を示す非逐次的な2光子吸収過程が競合している」と結論づけました。このように競合する二つの過程をアト秒パルス光の自己相関計測から見いだしたのは本研究が初めてです。

今後の期待

本研究で行ったAPTの自己相関計測では、多原子分子の解離過程おける分子の時間応答という考え方が導入されました。しかし、何アト秒でどのような応答が起きているのかなどの具体的な内容は未解明なままです。これらを明らかにするために、APT自身の性質を明確に決定すると同時に、分子との相互作用について理論的なアプローチを進める必要があります。このような研究の進展により、アト秒領域の分子の時間応答が解明され、より一般的な光による化学反応過程の制御などへの応用につながるものと期待できます。

補足説明

  • 1.アト秒パルス光、フェムト秒パルス光
    「アト」は10-18(100京分の1)、「フェムト」は10-15(1000兆分の1)を表す接頭辞。「パルス」は瞬間的に生じる信号や脈動を表す。超高速光科学の分野の習慣として、1000フェムト秒よりも短い間だけ光るレーザー光をフェムト秒パルス光、フェムト秒レーザーなどと呼び、1000アト秒(1フェムト秒)よりも短い間だけ光るレーザー光をアト秒パルス光、アト秒レーザーなどと呼ぶ。
  • 2.自己相関計測
    フェムト秒レーザー光はパルス幅が非常に短いため、そのパルス幅を直接測定することが難しい。そこで測定されるパルス光と参照用のパルス光を用意し、お互いのパルスの到達時刻を少しずつずらしながら、両者をターゲットとなる媒質に照射する。レーザー強度の積に比例する信号を出す媒質を用いれば(例えば媒質として非線形結晶を用いれば和周波混合光が信号として使える)、測定されるパルス光と参照用のパルス光が時間的に重なったときだけ強い信号が得られるため、パルス幅の情報が得られる。これを「(相互)相関計測」と呼ぶ。一方、測定されるパルス光を二つに分けて、お互いを測定されるパルス光と参照用パルス光として用いる測定方法を「自己相関計測」と呼ぶ。アト秒パルス列の場合、波長が極端紫外域にあるため自己相関計測に使用できる非線形結晶は存在しない。今のところ、原子や分子の2光子吸収を利用する方法しかないが、これを実現するためには高強度のアト秒パルス列発生が必須である。そのためアト秒パルス列の自己相関計測を実現している研究グループは、理研を含めて世界で数カ所しかない。
  • 3.アト秒パルス列(APT)
    数百~数十アト秒の時間幅を持つアト秒パルスが周期的に複数並んだ列状のパルス光。高強度の超短パルスレーザー光を希ガス中に集光して得られる、高次高調波(可視~赤外域のレーザーをガスに集光したときに発生する波長の短い光)がアト秒パルス列となる。波長域は紫外から極端紫外(波長10nm)にまで及ぶ。本研究では、基本波の超短パルスレーザー光は波長800nm、バルス幅15フェムト秒のチタンサファイアレーザーである。APTはattosecond pulse trainの略。
  • 4.時間遅延掃引
    自己相関・相互相関計測においては、二つのパルスの到達時刻を少しずつずらしながら、標的となる媒質からの信号を計測する。例えば本研究の場合、ある遅延時刻でイオンの生成量を計測した後、そこから35.8アト秒だけ時間遅延を増やしてイオンの生成量を計測する、という作業を繰り返している。このような作業を時間遅延掃引と呼んでいる。
  • 5.相関時間幅、半値全幅
    一般にパルス状の波形に対して、ピークの値(最大値)の1/2の値(半値)になるところでのパルス波形の幅を半値全幅と呼ぶ。本研究では自己相関計測で得られたイオン生成量の信号に対して、中央部分のパルス状の波形の半値全幅を相関時間幅と定義している。
  • 6.高次高調波
    一定の周波数で振動する物理現象は、外部との相互作用によりその逓(てい)倍(n倍)の周波数成分の振動を生ずることがある。これを高調波と呼ぶ。レーザー光の場合、非線形結晶やガス媒質などにより、元の(基本波)レーザー光の周波数の2倍、3倍(波長が1/2、1/3)の周波数のレーザー光を発生でき、これらを「高調波」と呼ぶ。「高次高調波」は逓倍の値が非常に大きい高調波を指す。本研究では19倍程度までを用いている。
  • 7.バンドパスフィルター
    周期的な信号は、さまざまな周波数で振動しているサイン波成分の重ね合わせで表すことができる。このうち、特定の周波数のサイン波成分だけを通し、他の周波数のサイン波成分を取り除くフィルターをバンドパスフィルターと呼ぶ。本研究では、基本波レーザーの光周波数の偶数倍の周波数のみを通すバンドパスフィルターを適用した。
  • 8.フーリエ変換
    信号が「どれくらいの値の周波数のサイン波成分が、どのようにして重ね合わされてできているか」を知ることのできる数学的な信号変換の手法。
  • 9.遷移双極子モーメント
    原子や分子の中の電子は、通常最もエネルギーの低い状態(基底状態)にあるが、何らかの相互作用によって、基底状態からエネルギーの高い別の状態(励起状態)に移ることも可能である。ある電子状態から別の電子状態に移ることを(電子状態の)遷移と呼ぶ。遷移双極子モーメントは二つの電子状態の間の遷移のしやすさを表し、その値が⼤きければより遷移しやすいことになる。

共同研究チーム

理化学研究所
光量子工学研究センター アト秒科学研究チーム
研修生 松原 卓也(まつばら たくや)
(東京大学大学院理学系研究科 化学専攻 大学院生)
専任研究員 鍋川 康夫(なべかわ やすお)
チームリーダー 緑川 克美(みどりかわ かつみ)
(光量子工学研究センター センター長)

東京大学
大学院総合文化研究科 広域科学専攻/同研究科附属先進科学研究機構
助教 深堀 信一(ふかほり しんいち)
大学院理学系研究科 化学専攻
准教授 エリック・ローツステット(Erik Lötstedt)
教授 山内 薫(やまのうち かおる)

研究支援

本研究は、文部科学省「最先端の光の創生を目指したネットワーク拠点プログラム:先端光量子科学アライアンス(拠点代表者:五神真)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「新たな光機能や光物性の発現・利活用を基軸とする次世代フォトニクスの基盤技術(研究総括:北山 研一)」の研究課題「アト秒反応ダイナミクスコントローラーの創生(研究代表者:石川顕一)」、光・量子フラッグシッププログラムQ-LEAP「次世代レーザー」領域「先端レーザーイノベーション拠点(研究代表者:石川顕一)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究(A)「アト秒量子波束ダイナミックスの研究(研究代表者:鍋川康夫)」、基盤研究(S)「サブkeV領域のアト秒科学(研究代表者:緑川克美)」による支援を受けて行われました。

原論文情報

  • Takuya Matsubara, Shinichi Fukahori, Erik Lötstedt, Yasuo Nabekawa, Kaoru Yamanouchi, Katsumi Midorikawa, "300 attosecond response of acetylene in two-photon ionization/dissociation processes", Optica, 10.1364/OPTICA.426071

発表者

理化学研究所
光量子工学研究センター アト秒科学研究チーム
研修生 松原 卓也(まつばら たくや)
(東京大学大学院理学系研究科 化学専攻 大学院生)
専任研究員 鍋川 康夫(なべかわ やすお)
チームリーダー 緑川 克美(みどりかわ かつみ)
(光量子工学研究センター センター長)

東京大学大学院理学系研究科 化学専攻
教授 山内 薫(やまのうち かおる)

松原 卓也研修生の写真 松原 卓也
鍋川 康夫専任研究員の写真 鍋川 康夫
山内 薫教授の写真 山内 薫
緑川 克美チームリーダーの写真 緑川 克美

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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